2-2 列車に乗って
5月の最初の木・金曜日、一年生は遠足というイベントが待っていた。男子は木曜日、女子は金曜日と2日に分けて行われる。目的地は隣県にほど近い所にある景勝地にある山。その山に建っている神社まで一緒に登山して、いい景色を見ながらお弁当を食べて親交を深めよう、という趣旨だ。秋の紅葉の方が人気なので5月は混んでいない。次の土曜日は一日休日だ。男子は山登りと休みの日の間に1日挟まなければならない分、女子の方が優遇されている。
景勝地までは列車で行く。この遠足で初めて列車に乗る、という子もいる。瑛梨と同じ班になった子もそうだ。
その同班の子というのが、
少々普通じゃないのはこの2人が『
水曜日、班分けの際に話しかけられたとき、里見から聞いていた瑛梨は好奇心と警戒心を持っていた。
そもそも班分けで誘ってきた流れも奇妙だった、と瑛梨は振り返る。櫻子がとある女子と口喧嘩をしていた(悲しいことに、この喧嘩の光景はい組の日常茶飯事になっている)かと思ったら、「若松さん! 私たちと同じ班になりましょう!」と言ってきた。本人らからしたら筋が通っているのかもしれないが、瑛梨から見たら「なんで???」である。
火曜日に口喧嘩相手の女子にとある件の早とちりから詰め寄られたことで、敵対者の敵は味方、もしくは瑛梨が孤立した被害者に見えたから庇おうと思った、そんな推測を立てれたのは授業を1つ終えてからだった。
全くそんなことはないのだが。遠足班も寮で同室の子と組む予定だったし。
しかし、瑛梨がこの誘いに乗ることにした。理由は里見のためだ。彼女たちが本当に『花燈』に登場するヒロインとその親友、そのまんまなのか、観察してみようと考えたからである。
今のところは瑛梨から見た春菜は、『普通のちょっと可愛い少女』といった印象だ。ヒロインなのにむしろ櫻子の影に隠れるくらい控え目だ。
翻せば『守ってあげたくなる』少女、庇護欲がくすぐられる訳か。
櫻子は何事も主導権を握りたい性格らしい。あっち行こう、これをしよう、と春菜を引っ張っている姿が見られた。あと、声も大きい。姉御肌というやつか。
困った点はい組には同じように気が強い女子がいること、この時代、女が真っ正面から男に楯突くと強い反発を受けることだ。い組内は現在、気が強く何かとぶつかり合う女子2人と、仲裁しようとして反撃をくらい怒りだす真面目な男子、というのが定着してしまった。他は、また始まった、と呆れながら安全な距離を保つことにしている。入学して約1ヶ月でこれだ。
若干黄昏つつ、瑛梨は回想を終える。
「あ! 若松さん、あのねこれから行く所につて教えてあげるわね。帝都に流れてる
「あ、ごめん。知ってるよ。何回か行ったことがあるんだ。お昼休憩する神社も参拝したよ。『日本書紀』に出てくる日本武尊に由来する逸話があるんだよね。知ってるかい?」
「あ、…」
「えーと、どんな逸話なの?」
「あのね、… …」
瑛梨が日本武尊と巨大な山犬の話をしている間、櫻子の方は終始ムスッとしていた。
※※※※
最寄り駅から町まで徒歩で移動し、登山口前で先生から改めて注意事項を述べられた後、1班から順に出発していく。
班ごとに進むペースも違うから、おそらくどこかで追いついた・抜かしたということが起き、順番はゴチャゴチャになると思われる。1つの班が3人か4人なので、もし3班ほど固まってしまったら山道を塞いで他の観光客に迷惑がかかる。適度にバラけつつ、他の班を抜かしてもいいが道幅に余裕のあるところで抜かしなさい、と注意があった。
あったのだが、櫻子の頭からはスコンと抜け落ちてしまったのだろうか。
「追いついたわよ! この嫌味女!」
「あらまあ。鼻息荒くしてまるで豚さん、いいえ、猪のようね」
「アハハハ! 本当だわ!」
「蒼羽子さん、猪もいいけど象っぽくないかしら? あっ、ごめんなさい。山本さんって象をご存知ないかしら?」
1人が櫻子を上ノ原動物園の「暴れ象」に例えて揶揄すると、ワッと笑い声が上がった。上ノ原公園に隣接する動物園で飼育されている、明治に南方の外国から贈られた象は気性が荒いことで知られていた。
この1ヶ月で何度も繰り広げられた光景だ。櫻子対彼女ととことん反りが合わない女子生徒、各務原蒼羽子とその腰巾着たちによる口喧嘩である。
「また始まっちゃった。ねえどうしよう若松さん」
春菜がオロオロしながら瑛梨にたずねる。大人しい性格の春菜ではあの中に割って入る勇気はないらしい。ふむ、と瑛梨は考える。教室内なら放っておくが、今日は同班であるし、行き過ぎた班員の行動をいさめる責任があるだろう。ちなみに班長は瑛梨ではない。櫻子である。
「手が出そうになったら止めようか」
「え?」
「それより、上野さん。疲れてない? 出発から休憩なしで歩いてきたんだから」
「あ…。うん、ちょっと休みたい、かな」
「だろうね。おーい! 山本さん! 戻ってきてー!」
瑛梨が蒼羽子の班と一緒に先へ行っていた櫻子に呼びかける。
登山口前で蒼羽子に「遭難なさらないようにね。一本道だから迷いようがないはずですけど。まあ、迷子になったらそのまま野生のお猿さんと一緒に暮らせばいいんじゃない?」と、煽られて頭にきた櫻子は出発直後からハイペースで突き進んできた。途中、坂道が狭まっている箇所でもお構いなく他の班を抜かしまくった。瑛梨と春菜は班で行動する、という決まりを守るため、前の班の横をすり抜ける度に謝りながら櫻子に置いていかれないよう着いて行った。
せっせと足を動かして山頂の神社まであと少し、という所まできていたが一番体力のない春菜がとうとう根を上げた。呼びかけが聞こえた櫻子が戻ってくる。
「そもそも、出発する順番が決まっているのに『アンタより先に山頂に到着してやるんだから!』なんて、できなくないか? 私たちの班、一番最後に出たのに」
「そ、それはそうだけど! でも言ったからには、取り下げる訳にはいかないじゃない」
「はあ…。もう少し周りを見て、今日は班行動優先でいてくれないかな」
頭を抑えながら瑛梨が注意すると、目を合わせないながらも「わかったわよ」と櫻子が応える。
山頂まで春菜の荷物を代わりに持つことにした瑛梨は、こんなことなら私が班長やればよかった、と後悔していた。『花燈』に出てくる重要登場人物で、里見が気にしていたから、という理由で近づいてみたものの既にどっと疲れさせられた。この遠足を楽しみに先週末から今週の初めまでお仕事頑張ったのになあ、と内心で惜しむ瑛梨だった。
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