第2話 春の遠足

2-1 若松家の事業は多種多様

 4月最後の日曜日、里見と瑛梨は翠瓦邸と呼ばれる瑛梨の自宅、若松家邸の客間にいた。

 土曜日は半ドン(学校や仕事が午前中だけの日)だった。前々から学校が終わったら来るように、と言われていたので終業後に急いで人力車を捕まえ、若松家に到着した。食べるのに時間がかからないように、とサンドイッチが用意されていた時点で2人は色々察した。食べ終わればずーっと打ち合わせ。夜になると里見は実家に戻ったが、朝早くにまた若松家を訪れていた。後ろに控えている予定のために今日の夕方までに終わらせなければ。

 土曜から若松家邸の大客間は入れ代わり立ち代わり人が出入りし、四人掛けサイズのテーブル毎にあっちは洋服店、こっちは飲食店、むこうは食器、斜めむかいはデパートの催事場といった風にいくつかの島ができている。里見と瑛梨は隅っこの椅子を定位置として、呼ばれた島へ行ったり、「ちょっと考えさせて」と隅っこに戻ってきてうんうん唸ったり。


「えーっと、去年は夕子さん推しにして、紅葉模様の新作反物、チャイニーズレッドのタータンチェックのスカートをメインに置いてココアブラウン、柿色を散りばめて…。オーソドックスな女性向け、見るだけで老若男女皆が秋ってわかる感じで飾ったっけ…。それで天候もすっごくよかったから、お出かけ用の商品の伸びがよかったんだよね。財布とハンカチしか入らなそうな肩掛けポーチがあんなに売れるとは… …。それで、今年の秋向けに売り出そうとしてるのが… …」


 里見がデパートの通りに面したショーウィンドウのディスプレイ案1、2、3を見て悩んでる横でいつもの担当者(先輩)と配置換えで今回からの担当者(後輩)が話しをする。


「あのぉ、『おし』ってなんですか?」

「水嶋くんが考えた若者言葉だよ。推薦とか推挙とかの『○○が好きで応援している』って気持ちを略したものだって」

「へぇー。さすが十代のお嬢さん。おじさんにはない発想だ」

「… …。水嶋くんは男の子だ」

「えっ! すみません!」

「あ、はい? こちらこそお待たせしてしまい申し訳ありません。それと、自分はディスプレイ案は2がいいと思いました。でも1のこの部分も捨て難くて…」


 何に対して謝罪されたのかわからないが、反射的に返事をする里見。頭を下げた拍子に垂れてきた横髪を耳にかけ直し、そのままディスプレイ案についての意見を伝える流れになる。

 客間に広がっている数々の企画は里見や瑛梨の意見で最終決定が下される訳ではない。あくまで「里見/瑛梨さんはこうだと言ってました」と、参考意見のひとつにされるのだ。ただ、2人から担当者にとって都合が悪い意見が出てきたとき、なかったことにしたくても揉み消されることもない。部門を跨って重用されるアイデアマン兼アドバイザー、といった役目なのである。

 土日の一日半、大客間ではたくさんの部門が会議を開いた。これでも若松家の展開する事業の全てではないのだ。


 ※※※※


 実は流行色を何色にするか? というのはだいたい2年前に決まっている。流行りは生産者側が決めるのであって、消費者の間から生まれるのではない。

 だって、それじゃあ生産が間に合わない。例えば衣服なら、染料、糸、生地そしてそれを縫製する場所と人、諸々の生産と確保自体に時間がいるし、そこから売り物を完成させるまでに時間がいる。「今年の夏は檸檬色のワンピースが流行ってるみたいだから、夏が終わらない内にこれをたくさん作ろう」なんて言ってる奴がいたら大馬鹿者だ。超特急で頑張って商品ができあがって、少し売れるという結果だろう。

 ただし、ワンシーズンに限らない長期的な商品は、また事情が異なる。または、世間で大きな出来事があって人々の心情に流行色(決定済み)が合わない、なんてことも起こりうる。そうなったら潔く受け入れるしかない。


「あっ、この色里見に似合いそう」


 瑛梨がふと思ったままを呟く。1つ用事が終わり、集中力が切れた里見が瑛梨のいる方を向く。

 瑛梨は舶来物の化粧品を置いてあるつくえにいた。こちらでは化粧品そのものではなく、ケースや手鏡の意匠の感想を求められている。デザインからして冬物か。手には小さな丸い口紅ケースが乗せられているので、それがさっきの言葉につながるらしい。


「なんのこと?」

「新しい口紅のこと。コーラルレッドという色」


 ケースの中身はお肉の色、と言いたくなるピンク色をしている。


「ちょっと試してみようか」

「え?」

「ふふふ。ちょんちょんって塗るだけさ。目立つ色じゃないから安心しなよ」

「ええぇー」


 悪戯心に火がついた瑛梨が里見に迫る。やだやだ言いながら瑛梨を止めようとするが、とうとう椅子に座ったままで逃げ場がない里見の顎に手が掛かる。

 化粧用の細い平筆を線を書くように滑らせ唇を縁取る。真正面に瑛梨の彫刻像のように整った顔がやってきて、目のやり場に困った里見はそっと瞼を閉じる。


「男の子… …????」


 今回が初めてのデパート総合展示担当者が、疑問符を浮かべながら己の中に生まれた大きな混乱を口から漏らした。角度的に華々しい化粧品の並べられた机が背後にくるのがドンピシャ過ぎた。

 里見の服装も悪い。緑みのある灰色の地に生成色のようなごく淡い色の細いストライプが入った襟付きベスト(釦は2列)。ジャケットを着せる気がないのか背中生地が前身頃と同じになっている。普通なら背後のベルトがある部分がリボンになっているし、襟も気持ち太め。下に着ているシャツは白色。そして、首元はベストの緑より明度が高めのネクタイをリボン結び。ぼんやりした色のせいで着ている人間にも、穏やかで物静かそうな人という印象を与える。なぜグレイッシュな色ばかりでまとめてきたのか。似合っているけども。

 瑛梨含む女性陣は出来栄えにきゃあきゃあ盛り上がっている。なにせオレンジがかったピンク色の口紅を乗せたことで、くすんでいた唇の色が、自然な上品な色になったから。まるでノーメイクで、自然に血色のいい唇のようだ。


「グロス重ねてみてもいい?」


 里見はされるがまま、瑛梨に任せる。こういうときは満足するまで付き合った方が早くすむ、と経験でわかっている。

『グロス』とは、これまた里見が『現代の記憶のファイル』から引っ張り出してきた知識で作りだした品だ。開発当初は「涎まみれ、油まみれみたいに見える」「容器から漏れてベタベタする」など否定的な意見が多かった。里見もこれは失敗だったかな、とさっさと諦めようとしたが、女性陣の熱意による試行錯誤の末、とうとう実用に適したものが完成したのだ。

 里見の薄く開いた唇に艶出し用のグロスを薄く塗る。効果は一目瞭然、グロスを重ねる前と後で雰囲気が一変する。

 さっきまではほのかに珊瑚色に色づいていたのみで自然な血色のいい唇という風に見えていたのが、潤みを含んだ艶めいた雰囲気になった。ぐっと垢抜けて色っぽくなったように見える。


「えっ男の子… …????」

「15歳の男の子であってるよ。あ、4月生まれだったから16歳だ」


 そっちじゃねえ、年齢はどうでもいい。思わずタメ口でツッコミそうになった後輩担当者だった。

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