ハムスターの国

鈴音

おじハム

ペットのハムスターが逃げた。少し前に病気になって、痩せてしまった体でケージから脱走。そのまま空いていた窓から逃げ出したのだ。


もちと名付けて、もう2年も大切に育てたあの子は、とってもおじいちゃんになって、寿命も近い。あの子の最後を、一人ぼっちで終わらせたくない。

もうすぐご飯の時間で、外は暗かったけど、私は勢いよく家から飛び出した。


この辺りは家と家との隙間が大きくて、暗い時間でも街灯が隅々まで照らしてくれるから、あの子の目立つ体毛ならすぐ見つけられると思った。


家を出てすぐの角を右へ左へ何度か曲がって、大通りに出て、向こうの狭い路地に、入ろうとする、きらりと光る何かを見つけた。


きっともちだ!もちを見つけた!私は急いで路地に向かった。そして、


「もち!」


と、声をかけた。そこには、あの年寄りハムスターがいた。くるりと振り返ると、私を見て、手招くような動きをした。何事かと思って、ゆっくり近づくと、もちは驚くほど軽やかに私の肩まで駆け上ってきて、暗がりを指さした。


「向こうに何かあるの?」


私が尋ねると、もちは頭が取れそうなくらい激しく頷いた。


ちょっぴり怖かったけれど、もちの言うままに足を進めた。


1歩、2歩、3歩目で、目の前が急に真っ白になった。強い光と、浮遊感。気がつくと、ぽかぽか陽気の草原にいた。


突然の事で頭が空っぽになった私の耳に、少ししゃがれた、優しい声がかけられた。


「ゆい様。こちらでございます」


その声は、私の肩から聞こえた。声の主は、私の


「もちなの?」


という声に答え、少し恥ずかしそうに頷いた。


「ここはハムスターの国から少し離れた、出迎えの原っぱ。この世界の出入口でございます」


真面目に話すもちにも驚いたけれど、何よりハムスターの国というところに私は興味が湧いた。


ハムスターの国!なんとも可愛らしくて、素敵な名前!その単語がもちの口から出たこと、そしてその単語を放った声が想像の何倍も低いことに、私は笑って吹き出してしまった。


もちも、照れて笑いながら、「さぁ、あちらですよ」と、肩から降りて歩き始めた。


ついていってしばらく、向こうに何やら門のようなものが見えてきた。そして、近づくにつれて不思議なことが起こった。なんともちの体が少しづつ大きくなって、私と変わらないほどになったのだ。


その大きさにびっくりはしたけれど、可愛いからいいやととりあえず撫でてみた。もちもちふわふわだった。


門に着くと、「私です!もちです!客人を連れてまいりました!」


と、大きな声で人を…ハムスターを呼んだ。すると、すぐに2匹のハムスターがやってきた。


2匹ののハムスターは、片手に花びらを、もう片手に、しっかりとした頑丈そうなひまわりを持っていた。どうやら、あれが剣と盾らしい。


白色と銀色のハムスターのうち、銀の方が私をじろじろ眺めてから、中へ入るよう促してくれた。


ハムスターの国へ足を踏み入れると、そこには大小様々なハムスターがいて、ひまわりやくるみの木、見たことの無い実をつけた木を育てていた。また、道端のハムスターは樽から何かを注いで、美味しそうに飲んでいた。その周りをばたばたと走り回る子もいて、この世の楽園のような景色が広がっていた。


その光景に見とれていると、何匹かのハムスターが集まってきて、どこから来たの?何しに来たの?あなたはだぁれ?と、質問を投げかけてきた。


どの質問から答えようか考える私に、


「ゆい様、少々お待ちを」


と声をかけて、もちはどこかへ消えてしまった。


ので、集まった子達と話しながら待つことしばらく、もちが小さなおててにきらりと光る何かを持ってやってきた。


「ゆい様、指を出してください。」


私は、どうしてか疑問に思う前に、指を差し出していた。そして、もちの手から嵌められたそれは、草で編まれた指輪だった。オレンジ色の、小さいけど立派な宝石もついた、素敵な指輪。


「おそらく私は、家に帰ればすぐにでも死んでしまうでしょう。もう、寿命が近いですから。だから、これはお礼です。私が死ぬまで大事にしてくれたゆい様にしてあげられることは、これくらいしかありません」


もちは、嬉しいことがあるとくしゃっと潰れたように笑う。今も、その顔で私を見つめていた。その顔がおかしくて、でも別れが近いこともわかって、私はぐちゃぐちゃな気持ちのまま泣き出してしまった。もちに抱きついて、わんわんと泣いた。


そうしてひとしきり泣いた後、私はもちに聞いた。


「どうしてもちは、ハムスターの国を知っていたの?」


もちは


「私は元々ここの出身でした。ですが、ゆい様の世界に行ってみたくなって、あのペットショップに紛れたのです。そこで、あなたと出会いました。」


と、教えてくれた。そのまま続けて


「他の動物たちの国もあるのですよ?」


と、教えてくれた。


寿命が近いことを知ったもちは、最後に私にプレゼントをしようと考えて、この国に帰ってきたのだと言う。そして、指輪の準備をして、今日私に届ける予定だったらしい。


私は小指に嵌められた指輪をそっと握りしめて、もちに国を案内して欲しいと頼んだ。せっかく来たのだから、楽しもうと思った。


それから2人で、国中を走り回って美味しいものを沢山食べた。抱えるほど大きなひまわりの種や、見たことの無い真っ赤な木の実。けど、樽の飲み物はくれなかった。どうやらあれはお酒らしい。もちは、お酒が嫌いなんだとか。


そうして沢山食べて、遊んで、もう帰る時間になった。


ここと私たちのいる世界では時間の流れ方が違うらしく、向こうではまだ数分程度しか経っていないらしい。ので、すぐに帰れば晩御飯も食べられる。


晩御飯のカレーは楽しみだったから、少しお腹は空けておいた。帰ったらご飯を食べて、もちを見送る準備をしないといけない。


私は少し寂しい気持ちで、出迎えの原っぱにやってきた。もう、もちはいつもの大きさになっていた。


来た時と同じ強い光と共に私は元の世界に帰ってきた。もちはもう、人の言葉を喋らない。


真っ暗になった路地を出て、家に帰る。もちは私の手のひらの上で眠っていた。


家に着く頃には、もちは少しづつ、冷たくなっていた。


私は玄関に座り込みながら、もちをそっと抱きしめた。手のひらに乗るほど小さな体は、もうずっしりと重くて、支えられないほどだった。けど、小指の指輪は変わらずその光をたたえていた。


私はもう泣かなかった。泣きそうなくらい悲しかったけれど、嬉しそうにくしゃっと潰れた顔で眠ったもちを見て、私もほんの少しだけ、笑うことが出来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハムスターの国 鈴音 @mesolem

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ