第18話
しばらく馬車に乗っていると、見える景色が街並みから一転して、そびえ立つ城壁の続く道になった。これ程高さのある頑丈そうな壁を、どうやって建てたのだろうと思っているうちに、城門へと向かい検閲を受けて許可がおり、内部へと進められる。
皇城はあまりにも広大で、侯爵家のお屋敷を初めて見た時でさえ大きさに驚いたものだったが、その比ではない。
しかも舗装された道の石畳、両脇に植えられた色とりどりの植物、全てが入念に手入れされていると素人目にも分かる。そこを進むと、宮殿の入り口付近に馬車は止まった。ここからは降りて歩いてゆく事になるらしい。
宮殿もまた見事に磨き上げられていて、例えば侯爵家のお屋敷が豪奢と言うならば、お城はまさに荘厳と言うにふさわしい。何気なく飾られている装飾品ひとつをとっても重々しく歴史を感じさせる。華美に走らずして、ここまで美しく仕上げられる皇城の差配に私は半ばぽかんとしながら案内の者に従って歩を進めた。
もっとも、かしこまりはしても圧倒されて恐れるような事はなかった。精霊達が傍にいてくれているのが気配から伝わってくるので、私はそれを心強く思いながら毅然と歩けていた。ほんの数か月前までは荒ら屋ばかりの下町に馴染んでいたのに、まさか皇城の中を歩く日が来るとは、本当に人の運命は分からない。
長い廊下を歩み、重厚な扉の前に立つ。案内の者が「こちらで国王陛下と皇后陛下がお待ちです」と告げた。騎士なのか衛兵なのか、四人がかりで扉が開かれる。広間の先に階段があり、その頂に玉座が見えた。
「──そなたが話に聞いた者か。近う来るがよい」
「……はい」
国王陛下が厳かにお言葉を下さる。促されて私は頷き、静々と足音をたてないように歩いて広間に入って、玉座に向かって練習を重ねたカーテシーをし、口上を述べる。相手は王様とお后様だ、緊張するなという方が無理だが、それでも今まで練習でしてきたどんなお辞儀よりも無理なく出来たカーテシーに勢いを貰えた。
「この国の輝ける太陽である国王陛下と、寄り添う満月である皇后陛下に、初めてお目にかかりご挨拶申し上げます。ガラント侯爵家が長女、ガラント・ミモレヴィーテと申します」
「よろしい、面を上げよ」
「はい」
「……ふむ」
そっと顔を上げると、国王陛下と皇后陛下が私の何かを意味深な眼差しで見つめてきた。気がつけば、皇后陛下の斜め後ろには下町でお声をかけて下さった聖女様も控えておられる。お三方は無言のまま目で何か確認を交わし、そして納得したようだった。
「子爵家の者が生んだ娘が力を顕現させるとは、にわかには信じがたかったが……その瞳を見るに、おそらくは皇家の誰がしかによる落胤であろうな」
私に話しかけるというよりは、独白に近い国王陛下のお言葉だった。何の意味か分からないものの、遥か高みにおられるお方に許しも得ず口を開いて訊くなど失礼極まりない。私は淑やかに立ったまま陛下からの直接向けられるお言葉を待った。
「令嬢ミモレヴィーテ、そなたは精霊達との契約無く精霊の御業を発現した上、全ての属性の精霊達と後に契約を交わしたと聞く。しかも、ガラント侯爵からの早馬によると昨夜には上級精霊達とまで契約を交わしたとか。これに相違ないな?」
「……はい、おそれながら申し上げます。私は全ての属性の上級精霊達と契約を交わしました。その以前に契約を交わした精霊さん達も今なお共にございます」
「精霊、さん?──精霊様を、まるでご友人のように……」
驚きを隠せないといった語調で呟いたのは、聖女様だった。私からすれば精霊達は幼い頃から一緒に生きてきた友達だけれど、本来ならば違うのだろうか。
「上級精霊達と契約を交わした証については、報告を受けている。心臓の上に光を宿していると、着替えを手伝った使用人が確かに見たとの事だが……聖女よ、令嬢から何か感じるか?」
なるほど、確かにこの場ではいくら国王陛下でも、令嬢である私の胸許をはだけさせて確認する事は出来ない。聖女様はまぶしそうに私を見つめて、どこか恍惚とした吐息を洩らした。
「陛下、こちらにおられる精霊の愛し子……ミモレヴィーテ様からは、とてつもなく偉大な力を……私にはまばゆさに直視する事さえ難しい程のお力の気配を感じますわ。ミモレヴィーテ様ご自身もお気づきでしょう?」
話を振られて、慌てて言葉を探す。聖女様でさえ直視出来ない力とは、と戸惑った。
「ああ……ミモレヴィーテ様、お気を悪くなさらないで下さいませね。私には、契約を交わした精霊様達と言えど、光と水の中級精霊様と、あとは全て下級精霊様達なのです。その精霊様達によって御業を施してまいりましたのよ。こう言えば、ミモレヴィーテ様の成しえた事がどれほどの偉業かお分かり頂けますでしょうか?」
「……はい、聖女様……」
相槌をうちながら、内心では驚きを隠せない。正式に認められている聖女様が、にもかかわらず上級精霊達とは契約を交わせてはいないと言う。それでも、聖女様はご立派にお勤めを果たしてこられたお方なのだ。しかも、長年にわたって。
「上級精霊様と契約を交わせていたならば、私はどれだけ国王陛下の臣下を救えた事でしょう……ミモレヴィーテ様、精霊様から悪霊についてはお聞き及びになられておいでかしら?」
「……悪霊……でございますか?──それは、悪魔のようなものでございますでしょうか?」
何しろ、正式に契約を交わしてから日が浅い。上級精霊達に至っては、つい昨夜だ。しかも、ここ数日は礼儀作法を学ぶのに必死だった。精霊達から世界の事を学ぶ余裕はなかった。
「悪魔と悪霊は、ある意味似た部分もございますが……ありようは全く異なりますの。悪魔は黒魔法の魔法陣を描き、サクリファイスを行ない召喚致しますけれど、悪霊は常に世に潜み、心の弱っていながら暴走しそうな願いを抱えた者を狙い求めております」
「違いは分かりました……ですが悪魔も悪霊も、求めに応じて何かを差し出すものなのでございますよね?」
「ご明察ですわ、ミモレヴィーテ様。悪魔にはサクリファイスで召喚した後、当人の何かを代償に捧げます。しかし……悪霊は違いますわ。人間の身体を奪い、魂を封じて成り代わるのです。そうして、その人間として世の中に交じり更なる悪事を働きます。この悪霊は精霊達の御業で祓うものですが……私には出来かねるのです」
「聖女様にお出来になれないとは……聖女様の契約なされた精霊達では、まさか力の……」
かなり失礼な推測だったが、聖女様はお怒りにはならず、代わりに悲しげに微かな笑みで答えて下さった。
「ご賢察の通りですわ、私が契約を交わせた精霊様達は中級と下級のみでございます。ですが、悪霊を祓えるのは上級精霊様でなければ力が及びません。──私が上級精霊様と繋がれないばかりに、聖女として在りながら、悪霊が国に巣食うのを手をこまぬいて見てまいりました。──ですが、今はミモレヴィーテ様が現れたのです」
そこで、お三方の視線が私に向かって熱を帯びて集中した。国王陛下が後を引き取って口を開かれる。
「令嬢ミモレヴィーテ、そなたならば上級精霊達の御業により悪霊に身体を奪われた臣民を救えるのだ。──遠くない未来に、精霊を統べる者より祝福を受けて正式に聖女として認められればだが」
「……私、が……未来の聖女として……?」
青天の霹靂とは、この事だ。だがしかし、信じられない思いでいるのは私だけで、お三方は既に確約された未来としてお認めになられているらしい。私を見る眼に籠められた力が、それを物語っていた。
「……お待ち、下さいませ……精霊さん達と……お話しさせて頂けませんでしょうか……?」
圧倒されながら、ようやく口にする。国王陛下は大仰に頷いて「よろしい、精霊達から話を聞くといい。──聖女よ、その者の近くには精霊達が控えておるのか?」とお許し下さった。
「はい、陛下。それも私が接した経験もない程の力に溢れる精霊様達までお傍におられる気配が致します」
「……精霊さん……あの、誰でも構わないのだけど……私に教えてくれるかしら?」
気配が強い背後へと振り返る。すると、漆黒の夜がふわりと姿を現した。それに続いて、他の上級精霊達も次々と姿を見せる。玉座がどよめいたが、当の私も狼狽えているので、そこまで気が回らなかった。
「ミモレヴィーテ様、そちらの聖女が先ほど申し上げた通りでございます。私達ならば、悪霊も祓えます」
「けど、どうやって……」
「私、白銀の光ならば、悪霊を浄化しきります」
「そして私、漆黒の夜ならば悪霊を冥府に送り冥界の神の審判にかけます」
「私、大地を統べる者ならば大地の奥深くに封印致します。悪霊が二度と抜け出せない地の底です」
「私、生命を繋ぐ者ならば悪霊の念を根こそぎ洗い清め、身体から流し去らせます」
「私、空を護る者ならば人間から引き剥がして地の果て──この世の果てまで吹き飛ばします」
「最後に、私、進化と終焉の理ならば情念の欠片も残さず燃やし尽くします」
「皆……そんな凄い事が出来るだなんて……私、精霊さん達の力は癒しだとばかり……」
茫然と呟くと、白銀の光が「これも、人間にとっては癒しのうちのひとつと言えますね」と何事もないように答えた。他の上級精霊達も同感らしく、むしろそれよりも姿を現した今となっては、私と何かをお話ししたがっているのが期待に輝いた瞳から見て取れる。
しかし、皇城で──玉座を前にして精霊達とお喋りを楽しむわけにはいかない。かと言って、用が済んだからと、すぐに気配だけに戻ってもらうのも気が引ける。
どうしたものかと悩んでいると、聖女様が感極まった様子で胸許に両手を組み合わせ、「精霊様……本当に上級精霊様が……」と涙に瞳を潤ませた。その瞳を見ると、僅かに灰色がかった淡い神秘的な菫色なのだと初めて分かった。
そんな混乱した状態を収めたのは、皇后陛下によるお言葉だった。
「国王陛下、はばかりながら──こちらの令嬢には、まだ精霊の御業について学ぶべき事が多くございますように思われます。今後は聖女に……そうですね、月に一度、聖女と茶会をして聖女から直接教えを受けさせるのがよろしいかと」
「──おお、そうだな。皇后の言う通りだと私も思う。聖女よ、頼めるか?」
「光栄に存じますわ。その任、ありがたく承らせて頂きたいと思います。ミモレヴィーテ様、よろしくて?」
「……は、はい……ふつつか者ですが、何とぞよろしくお願い申し上げます……」
とても断れる雰囲気ではなく、私は気圧されながら拝命するしかなかった。三者三様に満足げな面持ちとなり、国王陛下が「よろしい、此度は事実も確認出来た。令嬢はこれから聖女より積極的に学びなさい。──これにて帰宅を許そう」と謁見を終えるお言葉を告げた。
「はい、……本日は貴重なるお時間を頂戴致しました事、恐悦至極に存じます……」
必死に言葉を絞り出しながら、激変した我が身の立場を、私はどこか夢物語のように、遠く感じていた。けれど、この皇城は現実だ。
玉座から、国王陛下が皇后陛下を伴い立ち去る。後に続いて、聖女様も名残惜しげに去って行った。私も退室してお屋敷へ帰らなければならない。あのお屋敷での、これからの暮らし──それもまた現実だ。
「ミモレヴィーテ様、帰りの馬車までは私達がお支え致します。さぞお疲れの事でしょう」
白銀の光がそっと私の背に手を添えてくれる。気づけばアイリーン達まで姿を現し、私は精霊達に囲まれて皆から優しく気遣われていた。
「ありがとう、皆……」
今はただ、寄り添ってくれる精霊達のあたたかさを噛みしめたい。
──こうして、さながら嵐のような謁見は幕を閉じた。この先私は毎月決まった日に聖女様とお茶会で会い、教えを乞う事になった。お父様はそれを聞いて俄然はりきり、毎回新しいドレスを作らせる事となる。私の部屋のクローゼットに新しいドレスが増えてゆく度に、ガネーシャ様やブリジット様の複雑な思いも積もり増してゆくのを、省みる事はなく。
正直、私が聖女になる身だと言われても実感はわかない。分かるのは、私が精霊達から本来ならばありえない程の祝福を受けている事のみだ。
かつて下町で、聖女様は私を、精霊の愛し子と呼んで下さった。その当時は衝撃と驚きばかりが先に立ったが、今ならば私が精霊達から愛されているとつくづく感じ取れる。
「皆……私達は、これからもお友達よね?」
「もちろんです、ミモレヴィーテ様。あなた様が望む限り、ずっと私達はミモレヴィーテ様のお友達ですよ」
セイレンが清流のような声で囁いて約束してくれる。精霊達は皆同感らしく、どこまでも優しい笑みで私の頬をそっと撫でてくれたりしながら力づけてくれた。
この先の未来は読めない。それでも現実は生きて続く。生きる限り読めない未来は現実として現在になり、積み重なる。
生きる事を捨てる気などない私は、この現実を生き抜くしかないのだ。
……たとえ、この先に濁流が押し寄せようとも。
私は生きる事に、まだ失望も絶望も知らなかった。
お母さんが、それをこそ知らないまま生きていって欲しいと願ってくれている事も。
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