第17話

……そして、深く沈む夜の眠りの果てに、私の世界は急にひらけた。温度のないクリームのような世界に立ち尽くし、辺りを見渡す。私は眠りに就いた時のまま、シュミーズドレスを着ていて、胸許にはショーターから貰ったペンダントが輝いていた。そのペンダントが熱い。波及するかの如く、全身を巡る血が熱くなる。私は自身を放熱させ、遠くから誰かが呼ばうのを感じてとり、熱に浮かされながら叫んだ。


「──私を呼ばう者よ、来たれ。私はここにいる!」


普段からは考えられない自分の言葉遣いだった。なのに、するりと口をついて飛び出した。声は波を起こし、不可思議な世界の向こうに何かを見た──次の瞬間には、目の前に「彼ら」が立っていた。


彼らは六人の異形だった。アポロデス様の至高の美しさにこそ及ばないものの、六人の誰もがはっと息を呑む程に神々しい美しさで、羽の色や形から天使ではなく精霊達だと分かる。圧倒される存在感があり、だけど私は心の奥で昂陽していた。


一人が「精霊王様のお導きにより、アーティファクトとミモレヴィーテ様のお力が馴染んだ今宵に馳せ参じました」と告げた。


「アーティファクト……?」


「そちらのペンダントでございます。贈り主はそれと気づいてはおりませんでしたが……これは、精霊との親和力が抜きん出て優れた方にしか有効には使えない品でございます。──申し遅れました、私は光の上級精霊、白銀の光と申します」


名前の通り銀色に輝く光の粒子をまとう、白銀の光と名乗った精霊の言葉を皮切りに、他の精霊達も続けて名乗り始めた。


「私は闇の上級精霊、漆黒の夜と申します」


漆黒の夜は、新月の夜のような闇色の髪に瞳、まとう粒子も鈍色に光っている。状況が把握出来ないままに、精霊達が次々と口を開いてゆく。


「私は風の上級精霊、空を護る者でございます」


澄んだ青空を思わせる清々しいような美貌の精霊が、淡い雲みたいな粒子を、己の身に寄り添う風に任せながら、そう名乗った。


「私は地の上級精霊、大地を統べる者でございます」


空想上の精霊樹を連想させる雰囲気の、新緑色に光る粒子を放つ精霊が低めの重く落ち着いた声で名乗る。その声は重くとも心地よい。


「私は水の上級精霊、生命を繋ぐ者でございます」


透き通るような肌に、静かな湖を思わせる色が乗った精霊は名乗ると同時に、熱を帯びている私の頬をついと撫でてきた。ふっと、それまで暴れそうだった熱が落ち着く。


「私は火の上級精霊、進化と終焉の理と申します」


火山に潜むマグマのような佇まいの妖精は、そう名乗って胸許に手をあてて微笑みかけてきた。それはとても柔らかくて見た目からはかけ離れている。


その艶やかさにほうっと息をついていると、白銀の光が再び口を開いた。


「──さて、全ての属性が名乗りましたね。ミモレヴィーテ様、精霊王様はあなた様をお護りする為に私達を遣わしました。私達もまた、同胞達から伝わるものでミモレヴィーテ様のお力とお心を存じ上げております。この場はミモレヴィーテ様と私達との契約を交わす為に精霊王様自らご用意された空間でございます」


「契約を交わす……?──ですが、そうしたらアイリーン達とは……」


「ご安心を。彼らは変わりなくミモレヴィーテ様と繋がり、御身に寄り添い祝福し続けます」


アポロデス様が、私を案じて上級精霊達と引き合わせて下さった。──それは私に衝撃を与えた。私に彼らと繋がる程の資質が、本当にあるのだろうか。アポロデス様と契約を交わしただけでも十分すぎると思われるのに、この上更にアポロデス様が遣わして下さった精霊達とまで?


それとも、それを必要とする程の何かが私の未来に待ち受けているのか。私はそう思い至り、身を固くした。だが、精霊達は柔和な笑みをもって私を見つめ、大地を統べる者が「これは私達が望んだ事でもございます。ミモレヴィーテ様に寄り添い、お力になりたいと願うからこそ集いました。ミモレヴィーテ様、純粋にあなた様をお慕いする存在として私達もお傍にいさせて下さいませんか?」と語りかけてきた。


「……ですが、契約を交わす為には、私の身の何を交わせば良いのか分かりません……」


下級精霊で一本の髪、中級精霊で一枚の爪。上級精霊は初めて見たので、見当もつかない。


生命を繋ぐ者が言葉を紡ぎ、疑問に応えてくれた。


「交わすものは生命の欠片となりますが、寿命を縮めるような危険な事ではございません。むしろミモレヴィーテ様の生命力を高めます。──どうか、脈打つ心臓のもとに私達がくちづけを捧げる事をお許しくださいませ。それで契約は交わされます」


「……は、はい……分かり、ました……」


精霊達の熱意に押されて頷くと、彼らは満足そうな──温かい何かに満たされたような表情になり、「では、失礼致します。ミモレヴィーテ様に祝福を」と囁いて、一人ずつ私の左胸の辺りに唇を寄せた。その度に心臓から何かが溢れそうな、心臓を巡る血が生まれ変わったかのような感覚になった。


全員がそれを終えると、漆黒の夜が代表して私に告げた。


「──これにて、私達との契約は交わされました。ミモレヴィーテ様、証として──胸許をご覧下さいませ」


「胸許……あ、これは……」


心臓のある辺りの肌に、雪の結晶を想起させる模様の──痣みたいな痕ではない、光が宿っている。ほんのりと放たれる光は、なぜか私を安堵させた。何とも言えず、心が浄化でもされるのか落ち着いてゆくのが不思議だった。


それに従い、私の表情がやわらいだのを見て、精霊達は私を代わる代わる優しく抱擁してくれた。


生命を繋ぐ者が厳かに告げる。


「さ、もう朝が訪れます。ミモレヴィーテ様、この先何がございましても、ご自身のお心と生命を真っ直ぐに未来へ向けていてくださいませ。そう致しましたら、残酷な絶望は退き希望がミモレヴィーテ様をお護り致します」


「はい、……ありがとうございます」


「私達にも同胞達にするように、もっと気軽にお話しして下さいませね。ミモレヴィーテ様と睦まじく生きている彼らは精霊達にとって羨望の的ですから」


白銀の光がそう言って悪戯っぽく笑い、私の片手を取って手の甲に唇を落とす。ふわりと身体が軽くなり、眠りの先へと浮上してゆくのを感じる。


どこまでも昇ってゆく。すると、まばゆい光が私を待ち受けている。私は躊躇わず光へと飛び込んだ──。


「……ん……」


それは、新たな目覚めだった。


瞼の向こうが赤く明るい。朝だと気づき、目を開ける。さっぱりとした目覚めは軽く、窓の向こうから射し込む朝日が美しい。


「……夢?──いえ、」


身を起こして胸許を確かめる。


そこには、確かな契約の証が残されている。胸許に宿ったあたたかな光が、あれは現実だったと教えてくれた。


「──ミモレヴィーテ様、おはようございます。昨夜はきちんとお休みになれましたか?」


アイリーンが話しかけてくる。私は微笑んで「アイリーン、ありがとう。お蔭で身体も休まったわ」とお礼を言った。実際、ここ数日で溜まった疲れは微塵も感じないくらい身体が軽くて爽快だった。


「ならば良かったです。ミモレヴィーテ様、上級精霊様達と交わされました契約は、必ずミモレヴィーテ様をお助け致しますよ」


「──もう知っているの?」


「精霊達は思念が繋がっていますから。──あ、ちょうどマルタが来るところです。良いタイミングで目覚められましたね」


それは初耳だった。もっとも、人ならざる者なのだから、人間には不可能な事も精霊達にしてみれば自然な事なのかもしれない。この世界で自然界を司るのだから、どう繋がりをもって存在していてもおかしくはない。


それより、今日はいよいよ謁見がある。これまで、もやがかかっているような心持ちだったものが、生命を繋ぐ者がくれた言葉によるものか、晴れ渡っていて軽やかに感じられる。何があるかは分からないのが正直なところだけれど、ただ、真っ直ぐに未来へと生きる気力が今ここにはあった。


一つ深呼吸をすると、ドアをノックする音が軽く響いた。マルタが洗顔のものを持って来てくれたのだろう。


「──ミモレヴィーテ様、お目覚めでございますでしょうか?」


「ええ。──入って大丈夫です」


「はい、失礼致します。ミモレヴィーテ様、おはようございます」


マルタが入室し、洗顔の世話をしてくれた後に朝食を運んで来てくれる。これからコルセットを締めるので、小さく刻んだパンをいくつか浮かべたコンソメスープにサラダとカットした果物が添えられた、胃に負担をかけない軽めのメニューだった。


それらをありがたく頂くと、マルタが「お食事がお済みになられましたら、お着替えをお手伝いさせて頂きますわね」と励ますように明るく声をかけてくれた。


「ええ、お願いするわ。ドレスはお父様がご用意して下さったのよね?」


「はい、侯爵様が都で一番のデザイナーに作らせましたわ。コルセットを締めますので、少しお苦しいかもしれませんが我慢なされて下さいませ」


「私は大丈夫です。お父様のご用意に任せます」


「はい、ではシュミーズドレスをお脱ぎになられて……まあ、ミモレヴィーテ様、この光は一体どうした事でございますか?!」


マルタがまさしく仰天した声を上げる。人間の身体が、たとえ一部であっても光るわけがないのだから、無理もない。私ははにかみながら「何でもないんです。ただ、昨夜は全ての属性の上級精霊様達と契約を交わしたので、その証がこの光なんですよ」と教えた。


おそらく、この事もあっという間にお屋敷全体に広がり知られてしまうだろう。もしかすると、お父様は早馬で国王陛下へお伝えしてしまうかもしれないが、それはもう仕方ない。私は腹を括って、お父様が作らせたドレスに向き合った。


様々な風合いの白──一言に白い生地と言っても、白にはこんなにも種類があるのかと感心する、そんな白い生地を合わせたロングドレスだった。それに白いレースをあしらったチョーカーと、銀細工に白い控えめなリボンを添えた髪飾り。靴のヒールは覚悟していたよりは高くない。


私はそれらをマルタに着せてもらい、自分が仕立て上げられてゆくのを姿見で見つめていた。左胸のぬくもりを、時に確かめて。


──案の定、私についての新しい情報は突風のようにお屋敷を駆け抜けた。お父様は思った通り、急ぎ早馬で国王陛下へ奏上文をお送りしたと、お屋敷から出発する前に聞かされた。


国王陛下とは、どのようなお方なのか。不安がないと言えば嘘になる。どのように迎えられるか心配でもある。けれど、心をうつむかせてはいけない。


私は、ひたすら真っ直ぐであれと自分に言い聞かせて馬車に乗り込んだ。用意された馬車は、侯爵家でも特別な時にしか使われない最上級の代物だった。揺れは少なくて、繋がれた馬も穏やかだ。


馬車の窓を流れてゆく景色を眺めながら、私はまだ知らない世界へと足を踏み出していた。


まだ、知らない、世界。


それは、全ての属性の精霊達と契約を交わした者に課せられる使命であり、──求められるものであり、そこから逃れうる道を知る者は存在し得るのか謎に包まれた、この世界の現実──実態だった。

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