第10話
──それは、真っ白に輝く嵐だった。どんな銀細工よりもまばゆい光の嵐。なのに風は感じない。私は光のただ中で目を開けているのも難しいほど輝く空間に包まれて立ち尽くしていた。
だが、やがて嵐が収まってゆき、光は優しく私を取り巻く。
光の向こうに、誰かが見えた。
金色の髪は艶やかに光を反射し、同じく金色の瞳が叡智をたたえて明るい色なのに、とても深い。
向こうに誰かいる、──そう見えた次の瞬間には、そのひとは目の前に立っていた。身にまとう白い衣は見たこともない生地と作りで、その容貌を引き立てている。
──こんなにも美しいひとは、見た事がない。
中性的なような、どことなく男性的な風貌と容姿。神々しい程なのに威圧感はない。そのひとの私を見据える眼差しには、慈しみさえ伺えた。
白銀に僅かな金色が溶け込んだような不思議な空間で、そのひとと私は相対する。相手の深い瞳は、感情を伺わせないのに温かく優しく、どこか懐かしい。
「……そなたか。精霊との契約なしに、それも二度も精霊を使役した癒しを成したのは」
「契約……?」
声までも濁りなく美しいひとには、いつしか私と親しんでくれている精霊達が幸せそうにまとわりついていた。
「王様、ミモレヴィーテは私達のお友達なのです」
「精霊王様、ミモレヴィーテは私達と通じ合える事を内緒にしなくちゃいけなかったんです。契約したら、ミモレヴィーテ以外のひとにも私達が見えてしまうから」
「精霊……王様?」
「そうよ、ミモレヴィーテ。この方は創造神と唯一対等にお話し出来るお方。精霊の頂点に立たれるお方」
これは幻だろうか?──しかし、夢幻にしては鮮やかすぎる。精霊王と呼ばれた方は、私を責める色もなく真っ直ぐに見つめてきていた。急に畏怖がやってくる。創造神とさえ対等に話せる程の方が、なぜ目の前に現れたのか。
「大丈夫だ、咎め立てるつもりはないよ。ただ、本来ならば精霊の癒しは、精霊達と契約を結ばなければ十分な力を発揮出来ない。にも関わらず──ミモレヴィーテ、君は瀕死の重傷を負った母さえも癒した。それから様子を見ていたが……君につらく当たる娘さえも精霊達の力を用いて癒しただろう。精霊達と愛し子は一心同体、愛し子の心次第では悪意ある者を癒すなど出来ない。君は本当に変わっている……精霊達との親和性があまりにも強い」
「それは……いけない事なのですか?」
「悪くはない。しかし、精霊達との契約は交わした方がいいだろうな。契約もなしに癒しの力を使い続ければ、やがて生命を削ってしまう」
初めて知る事ばかりだ。本来ならば精霊達との契約が必要だという事さえ初めて知った。精霊達が私に契約を求めた事は一度もなく、ただ寄り添ってくれていたから。
だが、精霊は私が通じ合える事を隠さなければならなかった事を思いやってくれていた節があるのを精霊王への言葉によって分かった。かと言って、私が精霊達と通じ合える事実は既に周りの知るところなのも事実だ。
「ミモレヴィーテ、もう君が隠す必要はないだろう。むしろ、公に契約を交わした方が君の為になる。私は──この精霊達のように、君に対して悪感情がないからこそ会いに来たんだ」
温かい眼差しが私の畏怖を溶かす。王様というものは……精霊王とは、人間の王様とは印象がまるで違う。
「……契約、とは……どうすればよろしいのですか?」
「精霊の真名を知り、体の一部を交わせばいいだけだ。──ああ、恐れる事はない。下級精霊ならば髪の毛一本でいいし、中級精霊でも手の爪一枚でいい。交わす事に痛みは伴わない。それぞれの精霊の色に変わるだけだ」
「ミモレヴィーテ、──いえ、ミモレヴィーテ様。私達は常にあなたと共に。あなたを支える存在となりましょう」
光の精霊が語りかける。今まで幼さを残していたような言葉遣いだったものが、がらりと変わった。
「ミモレヴィーテ様、私は光の中級精霊、アイリーンと申します」
「アイリーン……」
おうむ返しに名を呼ばう。すると、光の精霊から金色の粒子が舞ってきて私の小指の爪を包んだ。温かく心地よい感覚。それが引いてゆくと、私の右手の小指の爪は控えめな金色に変わっていた。
次いで、水の精霊が恭しく私にお辞儀をする。
「ミモレヴィーテ様、私は水の中級精霊、セイレンと申します」
今度は名乗られると同時に涼やかな水の感触を左手に感じて、光の精霊と同様に気づくと私の左手の小指の爪がほんのりと輝くベビーブルーに変わっていた。
「ミモレヴィーテ様、私は地の下級精霊、アースリーと申します」
名乗られると同時に、ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐる。サイドの髪が一本だけ濃い茶色に変わったようだと、自分の変化を探して毛先に目が行った時に分かった。
「ミモレヴィーテ様、私は火の下級精霊、フィアと申します」
熱気を感じて、けれど熱いというような不快さはない。地の精霊と同じく、髪の毛一本だけが真紅に変わった。
「ミモレヴィーテ様、私は闇の中級精霊、ハディと申します」
闇ならば何が起こるのだろうと思ったけれど、この時は何も感じなかった。手の爪も変わりない。不思議に感じて自分の身体の変化を探すと、ふと見下ろした裸足の足──右足の小指の爪が鈍色に変わっていた。
「私が手の爪を変えてしまいますと目立ちますので……」
どうやら気遣ってくれたらしい。
「ありがとう……闇の精霊さん」
「お礼には及びません。ミモレヴィーテ様、これからはハディとお呼びください。やっと契約で結ばれたのですから」
「……うん、分かったわ。──ハディ」
名を呼ぶと、闇の精霊は漆黒の瞳をうっとりと潤ませた。
「──最後に、ミモレヴィーテ様。私は風の下級精霊、フレアと申します」
そよ風が私の頬を撫でる。ふわりと髪がそよいで、他の下級精霊と同様に髪の毛が一本だけ淡い緑に変わった。
「──精霊王様、これで大丈夫なのですよね?」
契約なしに力を用いれば生命を削られる、そう言われて恐れるなという方が無理だ。しかし、精霊達とより深い絆を結べた事に私の心は弾んでいる。契約した精霊達も皆満面の笑みを浮かべていた。
精霊王は私の問いかけに少し考える素振りを見せて、──意外な事を口にした。
「私とも契約を交わそう、ミモレヴィーテ。私の名はないから、君が決めなさい」
驚天動地とはこの事だ。創造神と並ぶ唯一の存在である精霊王と契約を交わすなど、神様に嫁ぐのと変わらないように思われる。
「精霊王様、──それはあまりにも……畏れ多い事ではないでしょうか?」
やんわりと辞退しようと試みる。けれど、精霊王は至って真剣だった。
「ミモレヴィーテ、私はこれから様々な苦難が待ち受けているであろう君を護りたい。それに、君の力は特異で稀有なものだ。おそらくは、歴代の聖女達の誰も君には敵うまいよ。君は精霊達と最も近しい存在だ。──ほら、名を」
精霊王は一歩も退く気はないらしい。私は、こんな事が人間の身である私に許されるのかと畏れながら、──不意にお母さんの事を思い出した。
私に苦難が待ち受けているのであるならば、後妻として侯爵家に入れられて身ごもったお母さんもまた今まさに苦難を受けている。私が契約によって加護を受けられれば、もしかしたらお母さんの為にも何か出来るかもしれない。
私は覚悟を決めた。
「……では、精霊王様。畏れながら、アポロデス様とお呼びさせてくださいますか?」
この空間では、時間の感覚がないが、多分限られた短い時間で、私は必死に考えた名を提案した。すると、精霊王は私に手を伸ばし、ひどく優しく髪を撫でて下さった。刹那、身体中が温かくなって空も飛べそうな程軽くなる。
「よろしい。──なかなか悪くないな。このアポロデス、君を祝福しよう」
精霊王──アポロデス様がそっと手を離す。撫でられた髪のひと房が、きらきらと輝くプラチナブロンドに変わっていた。
「──さあ、もう朝になる。ミモレヴィーテ、この時空から現世に戻りなさい」
アポロデス様が穏やかに厳かに告げる。世界が一瞬暗転して、はっと目を覚ますと自室のベッドで朝を迎えていた。窓から射し込む朝日が眩しい。
夢だったのだろうか?──それにしては、全てが鮮やかすぎた。
確かめる為にベッドから手を出す。すると、体験した通りに両手の小指の爪の色が変わっていた。
「おはようございます、ミモレヴィーテ様」
「ミモレヴィーテ様、昨夜は嬉しかったです」
「精霊さん達……皆。あれは夢ではなかったのね?」
美しさを増した精霊達が私の周りを取り巻く。皆は一様に頷いた。
「はい、確かに契約を交わしました」
「これからは、ずっと一緒に、もっとミモレヴィーテ様のお役に立てます」
「ありがとう……皆……」
お礼を言うと、精霊達は笑顔で代わる代わる私の頬にくちづけてきた。その感触も今までより温もりさえ感じられて、はっきりと分かる。胸に温かいものが満ちた。
──と、そこで部屋のドアがノックされる音が聞こえた。
「ミモレヴィーテ様、おはようございます。マルタでございます」
おそらくは、洗顔の支度をしてきてくれたのだろう。「起きています、どうぞ入ってください」と返事をする。マルタがドアを開いて静々と近づいてきて──驚愕に立ち止まり、運んで来たものを落としそうになった。
「まあ、ミモレヴィーテ様の御髪のお色が……!──それに、このミモレヴィーテ様の周りで飛んでいる不思議なものは……」
契約を交わした事により、精霊達は存在が今まで以上に確かなものとなり、誰にでも見えるようになっている。私は微笑んで「精霊さん達です。──さ、皆ご挨拶を。言葉も交わせると思います」と答えた。マルタは驚きから一転、感極まった様子で頬を紅潮させている。
「マルタ、言葉を交わすのは初めましてね。いつもミモレヴィーテ様に良くしてくれてありがとう」
「まあ、まあ……! 精霊様、私がミモレヴィーテ様にお仕えするのは当然ですわ。ミモレヴィーテ様は大切な主ですもの」
「マルタ、嬉しいわ。これからもミモレヴィーテ様をよろしくね」
「は、はい。もちろんですとも!」
弾む会話を聞きながら、不意に思い出して精霊王が撫でて下さった髪をつまんで見てみる。確かにひと房、人間には見た事もないような美しい色になっていた。
……精霊さん達だけでなく、私は本当に精霊王様とも契約したのだ。
「──それにしても、これは一体どういう事でしょう。突然精霊様が私にも見えるようになるだなんて」
「それは、私が精霊さん達と正式に契約を交わしたからなんです」
「まあ、それはおめでとうございます!──本当に、精霊様達のお美しいこと……」
マルタが放心したように見惚れる。それが落ち着くまでには、しばしの時間を要した。
──そして私は、新たな運命への第一歩を踏み出した。何が起こるか分からない道のり。
それでも生きている限り、人は生き抜くしかないのだ。先の見えない未来、それに対して私は真っ向から向き合う事になる。
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