第9話

──そして、初めてのお茶会に参加する日の朝が訪れた。装いの選び方はミステラ夫人直伝だ。自分に何が似合うかをミステラ夫人は基本から教えて下さっていた。


装いは十分なはずだ。目立ちすぎず、地味にもならず、清楚で可憐な新参者の令嬢としては完璧に近い。


けれど、問題は他の貴族令嬢との交流をした事がなかった点だった。下町で育った私には、当然の事ながら貴族の方々とはまったく面識がない。


そのため、お茶会では集まった数人の令嬢達とガネーシャ様が会話に花を咲かせているのを、ただ眺めているしかなかった。焦りをおもてに出してはいけない、退屈そうな素振りなど見せてはいけないと気を張り詰めて、置いてきぼりにされながら微笑みをたたえる。


それにしても、昨夜から続く風の中でよく屋外のお茶会を楽しめるものだとも思う。羽織るものも膝掛けもなしにでは、暖まるのはお喋りで動かしている口だけだ。


「ガネーシャ様、こちらのお茶は何て華やかな水色に爽やかな香りでしょう。とても美味しいですわ」


「ありがとうございます。今日の為に東方から取り寄せた茶葉を使用しておりますのよ。よろしければカスタードのタルトも作らせましたのでお召し上がりになられてくださいませ。このお茶に良く合いますのよ」


「まあ、素敵ですわ。そう言えば前回のお茶会に添えられていたミルクジャムも本当に美味しくて。お恥ずかしながら帰宅してから我が家の職人に再現させようと致しましたのですけれど、どうしてもあのお味になりませんでしたのよ。ガネーシャ様のお宅では腕の良い職人をお雇いになられておいでですのね」


「お気に召されて下さったのでしたら何よりでしたわ。でしたら、今日の記念として皆様にミルクジャムの瓶詰めをご用意させて頂きますので、ぜひお持ち帰りくださいませ」


「まあ、嬉しいですわ。ありがとうございます」


「大した事でもございませんわ。お喜び頂けるのでしたら、それが何よりですのよ。──そうそう、アイナ様。先日は私どもをお誕生日のパーティーにご招待下さり感謝致しますわ。楽しく心踊るひと時でしたのよ。アイナ様のご婚約者様、フィヨルド様もお見かけ致しましたわ。変わることなく睦まじいご様子で憧れますの」


「まあ、お恥ずかしいですわ。フィヨルド様は私を大切になさって下さいますけれど、私には甘すぎますの。実は、お誕生日の時に頂いたブローチを本日着けてまいりましたのよ」


「素敵ですわ、今日お越し頂いた時から素晴らしいダイヤモンドのブローチを着けておいでの事と見惚れておりましたのよ。ねえ、皆様もそう思われますわよね?」


「ええ、カッティングも輝きもまばゆい程ですわ。本当にアイナ様はフィヨルド様から愛されておられますのね。デビュタントがお済みになられたらご結婚なされますのでしょう? きっと両家は良好な関係を深められますわね」


「ガネーシャ様もリリアンネ様も褒めすぎですわ。ですけれど、ありがとうございます。これからも仲良くしてくださいませね」


「もちろんですわ。……ところで、ガネーシャ様。見慣れないお方がおりますけれど……こちらのお方がお噂の?」


唐突に話題が私に向かい、心臓がぎゅっとする。顔を強ばらせないようにするのが精一杯だった。ガネーシャ様は意味深な眼差しを私に向けてくる令嬢達へ向かって僅かに困ったような微笑みを浮かべた。


「ご紹介が遅れて申し訳ございません。こちら、新しく家族となりましたミモレヴィーテお姉様ですわ。お父様が本日のお茶会にぜひ参加させるようにと仰せになりましたの。少しずつ社交にも慣れてゆきませんとお姉様がお困りになりますものね」


「ミモレヴィーテと申します。皆様、どうぞよろしくお願い致しますわ」


緊張と共に口を開き挨拶をする。品定めするような視線を受けて、心は怯んでいたものの笑みは崩さなかった。


既に噂になっているのならば、私の出自も知られているだろう。皆様からすれば、平民の出でありながら侯爵家の娘としてガネーシャ様のお茶会に参加している私を快くは思うまい。それでも、おどおどとはしていられない。私が後ろ指をさされる振る舞いをしてしまえば、お母さんの顔にも泥を塗る事になる。


「まあ……もう随分と侯爵家でのお暮らしにも慣れておられますようで、良かったですわね。ドレスの着こなしもご立派ですわ」


おっとりとしているようで冷ややかな毒を孕んでいる言葉だけれど、傷ついては駄目だ。


「ありがとうございます。ガネーシャ様も含めて皆様お優しくていらして、私も幸せに思っておりますの。お父様がつけて下さった先生も惜しみなく様々な事を学ばせて下さいますのよ。学ぶとは本当に人を豊かにして下さる事なのですね」


怖気づかない私の態度に、令嬢達は気まずそうな面持ちになった。アイナ様と呼ばれていた方が、気を取り直すようにティーカップを手にして口許に運ぼうとする。──と、その瞬間一際強い風が吹き抜けた。


指をかけていたティーカップが、支えきれずに風で揺れる。中のお茶がこぼれてアイナ様の手にはねて、その熱さにアイナ様は驚いたのかティーカップを取り落としてしまった。落ちたティーカップはアイナ様のドレスの太腿辺りに落ちて、大きな染みを作る。アイナ様が空気を切り裂くような悲鳴をあげた。


「きゃあ、アイナ様!」


「大変だわ、誰か!」


急に騒然となる。私は礼儀も関係なく立ち上がり、アイナ様の元へ駆け寄った。嫌味を言われようが、それは彼女が生きてきた環境がさせる事だ。もし火傷痕が残るような怪我を負えば、結婚を控えているアイナ様はフィヨルド様というお方に顔向け出来なくなる。


「ミモレヴィーテ、そのひとを助けるの?」


不意に水の精霊が話しかけてきた。今までの様子を見ていたのか、不快そうだ。でも、私は迷わず訴えた。


「精霊さん、アイナ様を助けて欲しいの。熱いお茶を浴びてしまったから、きっと火傷をしているわ」


「みんな、ミモレヴィーテに意地悪なのに?」


「私はこれまで部外者だったもの、仕方ないわ。精霊さん、お願い。この方は不運な事故で怪我したのよ」


「ミモレヴィーテがそう言うなら……」


不承不承といったていで水の精霊が頷く。同時に光の精霊も姿を現し、「水の精霊は彼女の脚を冷やして、その間に私が火傷を癒すから。──大丈夫、ミモレヴィーテ。ミモレヴィーテの本当の願いなら私達は叶える」と言ってくれた。


精霊が力を発揮する。水色と金色の光の粒子が舞ってアイナ様を包む。──これでアイナ様は助かる。私は安堵して、取り乱しているアイナ様に声をかけた。


「アイナ様、精霊さんが癒してくださっています。落ち着いてください。大丈夫ですから」


「精霊様……?!」


どうやら、精霊達の姿こそ他の人には見えなくとも、飛び交う光の粒子は皆に見えているらしい。駆けつけた従者の人々や侯爵家の侍医も唖然として光がアイナ様の火傷に吸い込まれてゆくのを見つめている。アイナ様も火傷のひりつく熱い痛みが引いていっているのか、信じられないような顔をして自分の脚を見下ろしていた。


──やがて、光が消える。精霊達は私に向かって得意げに「このひとの火傷は綺麗に治したから、痕も残らない」と教えてくれた。


「アイナ様、もう治りましたよ。大丈夫です、火傷痕も残りません。水の精霊さんと光の精霊さんにお礼を言ってあげてくださいませ」


呆然としていたアイナ様が、ゆっくりと眼差しを私に向けて上げる。私は励まそうと裏表なく笑んで、精霊達にはお礼に「精霊さん、テーブルのタルトを分けてあげるわ。本当にありがとう」と語りかけた。


「精霊様の愛し子と言うのは、本当だったのですか、ガネーシャ様?」


「間違いありませんわ、私も光を見ましたもの。ガネーシャ様、尊いお力をお持ちのお姉様とご縁がございましたのね」


「……精霊、様……ミモレヴィーテ様……あの、ありがとうございました……私……」


興奮している周りの人達の中心で、言葉が続かず涙ぐむアイナ様の背を私はそっとさすった。安心した為に気兼ねを忘れていたからこその振る舞いだったが、咎める人はいなかった。力を使ってくれたのは精霊達であって、私は頼んだだけなのだが、空気は一変して私を崇敬する雰囲気になってしまった。


「……さすがはミモレヴィーテお姉様ですわ、精霊様の御業というものは、かくも見事なものなのですわね」


「ガネーシャ様……」


ガネーシャ様の眼は底深く冷たい湖のようで、私はぞくりと恐れが走るのを感じた。しかしそれは刹那の事で、ガネーシャ様は目を細めて敬虔な笑顔を作り、「私のお友達を助けて下さり、心より感謝致しますわ、お姉様」と言って頭を下げた。


「誰か、アイナ様にお着替えをご用意して差し上げて。──アイナ様、さぞや恐ろしい思いをなされた事でしょう。おいたわしいですわ、暖かいお部屋でお着替えをなされて、冷えたレモネードなどお召し上がりくださいませね」


「え、ええ……ありがとうございます、ガネーシャ様……」


「──皆様、お茶会はお開きに致しましょう。お土産をお持ちになられて、お気をつけてお帰りくださいませ」


「……そう、ですわね。皆様、帰らせて頂いた方がよろしいですわね。ガネーシャ様、ミモレヴィーテ様、衝撃的な事故こそございましたけれど……あの奇跡を拝見しました事は忘れませんわ。帰宅致しましたら家の者にもお話ししましょう」


「私もですわ。──ごきげんよう、ガネーシャ様、ミモレヴィーテ様。本日はお招き頂きありがとうございました」


この時には、もう私に冷ややかな眼差しを向ける人は誰もいなかった。


精霊の御業。──そう呼ばれるものは、そんなにも凄い事なのか?


幼い頃から精霊達と親しんできた私には、今ひとつ実感がわかなかった。


けれど、お開きになったお茶会の後で──その日の夜に、私は思ってもみなかった存在が目の前に現れるのを体験する事になる。


その夜の晩餐の時には、お父様がひどく機嫌良く私を褒め讃え、居心地が悪い程だったが──部屋に戻り、マルタが私の世話をしながらも、しきりに昂った様子で精霊の御業について話すのを苦笑しながらやり過ごして、ベッドに入り眠りに就いて──夢なのか現実なのか判別のつかない世界で、その存在は私に初めて姿を見せたのだった。


あまりにも神々しい、その姿を。

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