番外話 国盗り弓姫 2

姫は、物覚えが良い方だった。

国を支える者として、今よりも小さい頃から

住人の顔を覚えることが得意だった。

小国ながら、祭の席にも顔を出し、沢山の民の顔を覚えた。


民一人が一生を終え、旅立つときには民の家族よりも心を痛め、

その兄弟よりも大きな声で泣きじゃくった。


どの国民も顔を合わせた者達であれば覚えていた。

それが上に立つ者として有益であるか、決断を鈍らせる弱点になるか

と問われれば、後者となるであろう資質を、


彼女は惜しげもなく悪意を以て使った。


10人の顔と姿は覚えた。

何を話しているかまでは分からなかった。

純真無垢な彼女には難しすぎた。


夜になるまで息をひそめ、潜伏していた。すぐにでも父親の下へ縋り、

泣き叫びたかった。最後の別れすら言えず、目の前で無惨にも斬り裂かれた

父を…一瞥することもせず、復讐の為にその刃を研ぐことを選択した。


折り合いを見つけ、カーテンから抜け出すと

玉座の間の窓から抜け出す。


外はまるで、国の側にある二つの山が姫を生かそうとするかのように

幸運にも吹雪いている。足跡はすぐに埋もれ、匂いも消え去る。

黄色い煙は穴の中に消え、城下町は燃え盛る家々に埋め尽くされていた。


吹雪は幸運にも、住民の遺体が浮かべた苦悶の表情を隠し、彼女の

心を削りとることは無かった。


ただ一人を除いて。


「タリア…?」


辛うじて人だったものと認識できる体が、埋もれつつある雪に半分ほど

隠れた姿で、座り込んでいた。蓄えられた長い髭

国で一番の弓の名手が、最強と名高い戦士が、項垂れたまま何かを持っていた。


タリアの身体には傷一つ無い。ただ、黒く変色した銀の矢を握りしめていた。

力なくするりと手から抜けた矢を

形見の様に姫は持って走り出した。


吹雪の中、追手は1人もいなかった。この天候では生存者はいても

ここから逃げられるはずもなく、納屋の中や箪笥の中で縮こまるしか

なかったからだ。


銀鉱に避難した者に生存者はおらず、国は壊滅。後に他国へは

10日間の間に国が滅びたとされるが、本当は違う。1日もかからずに

国民の大半が殺され、王の家族は虜囚となり滅亡した。

国土も金も文化も食料すら侵略の理由でない。理不尽な暴虐。

このことは教会の情報統制によって混乱を避けるために

その何倍も薄く希釈された状態で情報が世に流された。


姫は走って、走って、走り続けた。

冷たい空気が肺と口を突き刺し、耳と脚と手にはもう感覚が残っていなかった。

脚がもつれ雪の中に倒れ込む。

兄姉は無事だろうか、国民に生き残りは?使用人の1人でも無事な人間がいるだろうか

自分が知っている全てが奪われ、蹂躙された。国一番のタリアも戦わずして

殺された。


自分には何もない。何も。一つ残らず全て奪われた。


四肢の感覚が無くなり瞼が重く優しく下がる。

このまま眠ってしまおうか。帰る場所も何もかも無くなったのだ。

死んでしまっても仕方ない。姫はそう思うと深く息を吐き、酷く楽な

気持ちになろうとなった。


「姫様。お手を握りましょう。こちらへ。」

朦朧とした意識の中、タリアが手を伸ばす。


指が付いているかも分からなくなった手が、無意識に握られた。


痛み。生きている限り受け続ける刺激。

既に身体が死んで無くなったように感じた指に、生暖かい生の感覚が滲む。


反射的に張り付いた瞼が開く。重くのしかかった雪で身動きが取れない。


薄く積もった雪で薄く水色がかった視界の中、遠くくぐもった声が聞こえる。

「シュラク師匠!あれ!」


若い少年の声だ。


ギシギシと新雪が擦れる音が近づく。追手か、ここまでか。

せめてタリアと手をつなぎ、安らかに人生を終えたかったのに…


タリアの手を強く握ったつもりが、握ったのは

黒く変色した鏃だった。タリアの形見が…


「まだ貴方は生きている」と、そう言いたそうに刺さっていた。


次の瞬間、大きな腕に身体を掴まれ、水色がかった世界から


白銀の世界に引き釣り出された。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「軽い凍傷だ。栄養失調に低体温症…服を脱がせて温める。

 毛布とお湯の準備をしろ」


「この子…いつからあそこに…?」


「!上質な服を着てる…それにこの紋章…まさか…アグナの王族か?」


「アグナって…二日前に救援要請が来たところじゃないですか!まだ

 30kmは離れているところですよ!」


「雪の中を2日間も…なんて子だ…」




木と木の間にテントを張り、その中で焚火に当たる。

滲んだ視界の中で必死に布で身体を擦る少年と目があった。


「気が付いた!師匠!目が覚めましたよ!」

明るく表情が変わった少年を見て、自分が助かったと

助かってしまったのだと知り、罪悪感が襲い掛かる。


「左手の出血が激しかった。その場でしばらく安静にしてな。」


積雪の中、赤い点を見つけた少年が彼女を救った。


「俺はヴァン。教会の見習い処刑人だ。

師匠が来たからにはもう大丈夫。」




「おう、生きてたか。」

銀色の厚手の処刑人服を着た、恰幅の良いオールバックのオジサンがテントに入ってきた。

「俺たちは一番早く到着する斥候としてアグナに行くよう指令を受けた。あと一人マクラドって奴がいる。」


姫は、覚えている限り 知っている限りの情報を教会の処刑人に教えた。

今は教会の人間がどんな者であろうと助けてくれるなら…国民を救ってくれるなら…どんな神にでも祈ることを覚悟していた。


「え…あと1人?」

姫は先程の言葉に驚いた。少年と、オジサンと、あと一人?たった…三人で?

国を滅ぼした者達10人一国に匹敵する戦力と戦うの?


「お前さん、弓が使えるな?これで4人だ。」


「そういや名を名乗ってなかったな。

…シュラク。教会の最高戦力、処刑隊長『銀腕ぎんわん』のシュラクだ。」

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