番外話 国盗り弓姫 1

エリンシア大陸北東部


北の『マルセリス軍事帝国』と東の『アニゼス諸侯連邦』は建国以前からいざこざが絶えなかった。2国の緩衝地帯である山岳部、猛暑の夏でも頭頂部に残雪残る大銀嶺、3000mを超える二つの山の麓に…その小国はあった。 


―――アグナ王国。北東どちらの巨大国家にも含まれず、ひっそりと生活している。


700年前、最初の異界人たる『魔王』を倒したとされる

英雄の一人、アグナ・マトウッドが建国した。いずれ起こるであろう異界人と人間の大戦に備え、銀の採掘ができる鉱脈を見つけ、そこに村を作った。村は町に、町は国へと成長した。特産品は銀鉱石と獣革、獣脂…鉱山業と狩猟を生業とした少数民族国家である。



子供が雪で遊び、大人が狩りや鉱山業の合間に、木造の切り立った屋根の雪を崩す。


大陸でも有数の豪雪地帯、二つの大山から吹き降ろす湿った空気で、猛吹雪になることが多いこの土地では 屋根の雪の重みで家が潰れないよう木を円錐状に積み上げて補強した造りが一般的だ。


石でできた砦のような城を中心に、山の勾配に沿って家々が並ぶ。

今日も寒々しい景色や天候とは不釣り合いな陽気な声が木霊こだまする。国民は明るく、雪を溶かすほど暖かい。心温まる場所だ。


村を遠くに望む森の中、洋弓を構える少女が一人。

小さい体の身長は1mに満たない。精一杯腕を伸ばして弦

を引く。木と獣の腱で作られた弓幹(ゆがら)は、大きくしなって張り詰める…

狙いを定めて指を離すと、弦が耳元を横切り弓は一瞬にして半月型へと戻る。


冷えた空気を斬り裂き、木の矢は目標へと緩やかな山なりを描いて飛ぶ。


しかし、矢は硬い樹氷に深々と刺さった。

「スコン」という高い音に反応して

目標の動物は逃げてしまった。


「タリア見て!ゴモいたの!でもゴモ逃げちゃった…」

タリアと呼ばれる初老の男性従者は、樹氷のように氷を纏った豊かな髭をモゴモゴと動かして少女に助言する。


「姫様、流石にこの距離では難しいですぞ。もっと近づかねば。」


「でも見つかっちゃうよ。ゴモは凄く耳いいから。」

困り眉で残念そうに口をとがらせる姫。


「ですな。奴らは風切り音や弓の音を聞きつけ逃げてしまいます。

音が弓から放たれてから奴らに届くまではこの距離、環境ですと

1秒といったところでしょうか。矢が放たれて奴らに届くまで4秒…」


「じゃあ…音が聞こえてから…」

カチカチのマメだらけになった指を一本ずつ曲げて数え始める。

ぱぁっと明るい表情になった姫様は自信たっぷりに

「3秒!3秒もあるのね!逃げられてしまう訳だわ!」


「よくできましたな姫様!タリアは嬉しいですぞ!」

タリアは大きな手で姫様を高く持ち上げる。


少女は無邪気な笑顔のまま

「じゃあ音よりも速く矢を飛ばせば万事解決ね!」

そう言い放った。


「タリアは…姫様にもうちょっと柔軟な感性を持ってほしい

ですぞ…獲物に近づく方が現実的ですな。」


「そっか!!」


彼女はこのアグナ王国の第三王子だ。

兄と姉が一人ずつ。彼女には慣例として、王国の政務こそ執り行う予定は無いが、初代国王から続く弓術だけは

神事としても象徴としても修めなくてはならなかった。



数十分後、

タリアが仕留めたゴモを担ぎ、2人は手をつないで城下町を歩く。毛むくじゃらで耳が長く、逃げ足の速い茶色い鹿のような生物だ。

「あら姫様!ゴモ狩りの凱旋ですか?先程出来上がったゴモの燻製を召し上がってくださいな!」


「なんの!小川で捕れたククンぺの干物もありますよ!」

後から来た乾物屋のおじさんが美味しそうな魚の干物を姫の目の前に取り出す。


「いやいややっぱり姫様は甘いものが好きだろう!糖樹氷トウジュヒョウの蜜氷なんていかがでしょう?」

更に後からきたお兄さんが、器に乗った琥珀色のかき氷を差し出す。


我こそは我こそはと出店の店主たちがこぞって売り物を渡しにくる。村では珍しい小さい子供なのだ。皆こぞって姫様に食べ物をあげたがる。

それをタリアが制止する。


「姫様はこれから城で昼食ですので…お気持ちだけ頂きましょう。また今度。」


残念がる店主たちが見送る。

姫様は手を振り返して笑顔を振りまく。


それを見て 辺りの大人からも笑みがこぼれる。




城というには小さい、石造りの要塞にタリアと姫は帰る。

門の前にいる2人の衛兵は 相も変わらずこの平和な国で

もしもの時に備え、手合わせをしている。


姫の姿が見え次第、キビキビと敬礼し挨拶する。


「お帰りなさいませ!姫様!タリア隊長!

昼食の準備ができているそうです!」


広間の扉を開けると、暖かい暖炉が2人を迎えてくれた。


中央に玉座と、その上には大きな長弓が飾ってある。

あれこそ建国の父、マトウッドが使ったとされる伝説の弓。

『雷霆』ビスティエルダ

雷の速度で『魔王』を射抜いたとされる伝説の弓だ。


…というのは伝説でしかない。本当の事ではないことくらい

姫様でもわかる。少しでも弓に触れる者なら解かる。

儀礼用のレプリカだ。


豪華な食事がテーブルに並ぶ。全て国内で捕れた品々だ。宮廷の料理人が腕を振るって作った極上の料理。幸せな空間。

食事をしながら次のまつりごとの話をする。父親と母親、兄姉 


幸せな時間が、ずっと続けばいいと、姫は思っていた。


兄の、明日の成人の義では狩を行う。その弓の技術を用いて

国を牽引していく指導者として、国民にその成果を見せる儀式だ。


狙うは大きな銀色羆ぎんいろひぐま。護衛数人と、丁度西の森で冬眠に失敗した銀色羆が

目撃されていたところだ。家畜が襲われる前に仕留めてしまおうと兄は言っていた。


兄は強い。歳が離れていて勇敢で、姫よりもずっと弓が上手だ。



西の森の入り口。飼いならされた雪鹿に跨り、兄達討伐隊は狩へ赴く。

樹の樹皮で爪を研いだ後だ。皮が剥がれて剥き出しになっている。体長は聞いていた大きさよりもデカイ。2mにもなる銀色羆だが、今回のは3mをゆうに超えている。縄張りを主張するかのように、白い体毛が樹皮に挟まっていた。


雪の上の獣道で、比較的新しい血痕を見つけた。足跡から見て…

足跡…


それは見るからに、人の足痕であった。


獲物を仕留めて引きづったと見られる、夥しい量の血の跡を追って 

銀色羆を追う。


まずい。人間に被害が起きてしまった。

護衛兵5人は次第に慌て始める。


白い世界で一つの赤い線となった血痕を急いでたどると、そこには銀色羆がいた。


見るも無残な、物言わぬ死体となって。


最も毛皮や筋肉が分厚い胸の部分、そこが丸々えぐり取られていた。

なんと…!感嘆の声を漏らす護衛達。


熊だった肉塊に隠れて見えなかったが、奥に数人の陰が見える。

「もし?この熊を狩ったのは君達か?」


その瞬間、黒い何かが、兄共々護衛達を襲った。


その日から、『アグナ王国』という国は、滅亡の一途を辿たどることになる。

10名の異界人からなる盗賊団。…奴らは、異能を使ってアグナ王国を亡ぼした。


いままで体験したことの無い『侵略』という物に民達は怯え、兵士は立ち向かい、子供達は一部の大人と銀鉱山の奥地へ身を潜めた。


「姫様、教会へ処刑人の応援を頼みました。恐らく早くとも2日はかかるでしょう…異界人には我々衛兵の戦力では太刀打ちできませぬ。せめて時間稼ぎをします。銀鉱脈の奥に隠れるのです。子供達はそこへ避難しております!」


姫はタリアが何を言っているのか理解できなかった。国で最強の弓使いであるタリアが太刀打ちできないと。毎日食事の時間以外は戦闘の訓練に明け暮れた衛兵たちが、言葉をしゃべるよりも弓を握るのが早いアグナの民が。蹂躙されるがままだと。

処刑人とは何者か知らないが、アグナの民よりも強いというのだろうか。


姫は、民を信じていた。異界人などに負ける程弱い国民ではないと。避難場所には行かず、こっそりと玉座の間のカーテンに隠れていた。そこで指揮を執る、父の雄姿を見る為に。


「正門が破られました!」

大きな爆発音が鳴り響いた数秒後、伝令が報告をしに、玉座の間へと転がり込んできた。

「民の避難が最優先だ!少しでも銀鉱の奥へ!聖なる場所へ避難させるのだ!時間を稼げ!」


するとすぐさま別の伝令が、また転がり込んでくる。

「報告します!避難中の国民が…」

「皆、死んだ。」伝令が報告を終えるよりも先に、伝令の首は胴から離れ、宙を舞った。

1人の異界人が、玉座の間に既にいたかのように…気づけばそこにいた。

異界人は王へ何も臆することなく質問を始めた。

「アグナ王よ。聖なる場所はどこだ。言わねばこの国は、文字通り火の海になるぞ。」


「知ってどうする。ただの銀鉱山の横穴にすぎぬ。おぬしらには無縁のものだ。」


「無縁かどうかは我々が決めることだ。そして…我々の目的は『銀』そのものだ。」


異界人が右手を耳に当て、何かを呟く。

「やれ」


その号令と同時に、国の地下無数にある採掘穴から瞬く間に黄色い雲が現れだした。

窓越しに王は、町が黄色に染まる景色を見る。

「異界人、今…何をした。」


「高濃度の特殊な硫黄を散布させた。能力で造り出したものではない銀の影響は受けない。向こう1000年は銀の採掘ができない程の有毒性だ。カナリアも要らない。一息で人間なら即死する。」


「子供達が…」


「避難場所に銀鉱を選んだのが間違いだったな。せめて苦しまずに旅立てたことを喜ぶべきだ。」


「…貴様…ッ!!」


王の放った銀の矢は異界人の身体に…いや皮膚に、弾かれた。

「…攻撃のつもりか?一矢報いることもできず、残念だったな。」

まただ。再びいつの間にか王の真後ろに立っていた異界人は、右手の手を払いのけ、

王の身体を真っ二つに引き裂いた。

息を飲む姫。何がなんだか分からないうちに、一言二言言葉を交わし、実の父が殺された。現実を受け入れるには、姫は若すぎた。


王の頭上に頂く王冠を、丁寧に取り上げると、異界人は再び右手を耳に近づける。

「集合だ」


バラバラになって国を襲っていた異界人達が、続々と玉座の間へ集まってくる。

カーテン越しに姫は、タイミングを見計らって逃げようと画策していた。だが、彼女にはまだもう一つ、やるべきことが残っていた。―――


奴らの顔を、姿を全て脳裏に焼き付け、父の…国の復讐を果たすこと。


いずれ最年少で処刑人になる姫は、復讐のために弓を引く。


番外話 国盗り弓姫 2話へ続く


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