鮮血の魔女 3



「おおおおらっ!!」


 大仰な雄叫びをあげながら、ルーグは私に殴りかかってくる。

 まだ子供の私達にとって、体格差こそそこまでの差は無いものの、腕力という点では私よりもルーグの方が強いのは、男女の筋肉量の差なのだろうか。


 私はルーグが拳を振り下ろすタイミングに合わせて、斜め後ろに身を引くと、ルーグの大振りの拳は盛大に空を切った。


 私は決して速く動けている訳ではないが、ルーグがどう動くか分かっている為、動きを先読みする事で、容易に回避することが出来た。


 (くっそ、全然当たる気がしねぇ……!)


 焦りと悔しさを乗せた表情を浮かべ、私の方に顔を向けると、ルーグは振り抜いた拳を返すように裏拳を放とうとして――体勢を崩して地面を転がった。


「うおわっ!?」


 ルーグが地面に身体を打つ鈍い音ともに、衣服が土に汚れる。

 私は、倒れたルーグの首筋に、手に持った短い木の枝をそっと這わせると、


「また死んだね」


 勝敗では無く、生死の結果を突き付けた。

 直後に、ルーグから憤りと悔しさ、そして惨めさが噴き出して来て、私はつい顔を伏せる。


「あ〜〜もう、ミエルってそんなに強かったのかよ!?」


 衣服の汚れをはたきながら、ルーグは悔しげに立ち上がった。


「私が強いっていうより、ルーグが弱いんじ――」


「あ〜! 言うな! 言うなよ!?」


 つい意地悪をしてしまったが、ただの子供の戦闘能力なんてこんなものだろう。

 ――ただ、私がズルをしているだけで。


「でも、ミエルは本当凄いよ! まるで、俺がどう動くか分かってるみたいでさ!」


「……ルーグがわかり易すぎるんだよ」


「そ、そうかなぁ?」


 いきなり閃いた様に確信を突かれ、つい誤魔化してしまう。

 もし、本当にルーグがどう動くか分かっているなんて言えば、きっと化物扱いされる。


 ――でも、こうしてルーグと戦闘訓練と称した、戦いごっこをしていると、気付く事があった。


 一つは、私のこの病気が、戦闘という行為においては有利に働く事が多い事。

 相手の思考が伝わってくるという事は、戦術も手の内も、全て相手が行動する前に伝わってくるという事。それに対処する為に、私も思考を高速で回さなければいけないけれど、これが有利に働く事に変わりは無い。

 ただ、これはルーグとのごっこ遊びであるが故に、ルーグからは殺意の様な強力な害意は無い為、自分の精神がなんとか平静を保てるというのはあるのだけど。


 そしてもう一つは、相手がどう動くかという予測に思考のリソースを割かなくて良い分、相手の身体の動きの観察や、自分の身体の動き方に集中力を十分に割ける事。

 相手の疲弊している部位を観察出来るし、自分の身体を丁寧に動かす余裕が生まれ、地形の確認や周囲の状況把握も、少なくともルーグよりは出来るだろう。


 自分が以外と戦闘という行為に適性があると気付いたのは意外だったけど、嬉しみは少ない。


 ルールに縛られた競技等なら、私はこの病気と上手く付き合って修練に励めば、少なくとも他人よりは相当に優位に立てるだろう。

 だけど、傭兵の仕事は別だ。殺し合いだけが傭兵の仕事で無いのは勿論知っているが、軍人等よりも余程生死のやり取りをする仕事なのも知っている。


 ――やはり、本音を言えば私は戦いという場所からは遠い所で生きていたい。

 


「――ミエル?」


「あ、ごめん」


 目を伏せていた私を、覗き込むようにルーグが顔を寄せる。


「どこか、痛めたのか?」


「ううん。私はどこも。ルーグこそ、何回も転んでるから、どこか痛いんじゃないの?」


「ん? 確かにあちこち痛いけど、痛みを抱えるのも英雄っぽいからさ!」


「――ふふ。なにそれ」


 私の心配をしつつも、ルーグなりの覚悟を感じると共に、決して馬鹿にするわけでは無いけれど、実力の見合わなさと彼の大望のギャップに笑みが零れる。


「お、ミエルの笑った所見たの、何年ぶりだろ」


「え――」


 私が笑ったのが、嬉しいのかルーグは内面も表情も穏やかで微笑んでいるが、私自身は、そんなに笑っていなかっただろうかと、無意識に頬に指を這わせた。

 確かに少しだけ、口角が上がっていた。


「ミエルは美人なんだから、もっと笑ってた方が、人生得すると思うよ」


「そうかな。……そう、だよね」


 笑っていた顔が、すっと真顔に戻るのを頬に触れていた指が感じ、私の心がまた凪に戻る。

 ルーグは、私を見てそれ以上踏み込んでは来なかった。

 踏み込んではいけないと思ってもいる反面、私への慈しみの様なものもまた、感じ取れた。


「よし、もう一度やろう。このままミエルに一度も勝てないようだと、団長の座も危ういからなぁ」


「別に、ルーグが団長で良いのに」


 割と本気でそう思っているルーグに対し、私がそう言えば、


「駄目だよ。団長ってのは傭兵団の顔なんだ。だから団長は、その団の中では最強じゃないと!」


「そういうものかなぁ」


 男の子らしい拘りに、私は理解が及ばないが、ルーグが引き下がる気配は無い。


「あ、あとアレだからね。俺に気を遣ってわざと負けたりしたら、絶対許さないからな」


「はぁ。分かったよ」


 心の何処かで考えていた私の思惑に釘を刺され、とりあえず了承する。


「よし、じゃあ――来い!」


 今度は私から仕掛けろと言わんばかりに、ルーグは半身になって私が仕掛けるのを待つ。


 半身に構えるというのは、前後の動きに強みが出る反面、真横からの行動については一手遅れる。

 これは更に、相手の身体の裏側を突くことで、更に一手分、反応を難しくさせる事ができるというのがセオリーだと、以前に新聞の護身術欄で読んだ事がある。

 とはいえ受け手の時と違い、攻め手の場合、ルーグの思考はあやふやになる。

 お互いに実戦経験も無く、殴り合うわけでもない、演武の様なこの訓練の形式では、ルーグの思考が緊張し停滞するのは当然か。


 ――実際、私もどう攻めるべきかはイメージがつかない。


 (なら――直感で!)


 私は手に持った木の枝をナイフに見立て、右手でフックパンチを打つように、ルーグの背を突くようにして放つ。

 だが、私の攻撃が単調だったのか、ルーグは頭を抱え込む様にスリッピングさせ、私の攻撃を躱すと同時に私の懐に入り込んだ。


 ――まずい!


 (このまま伸び上がってお腹に頭突きを――!)


 私が危機感を覚えた瞬間、ルーグが次の行動を考え、それが流れてくる。


「――ッ!」


 私はルーグが動くより一瞬速く、右脚をルーグの脚の間へと蹴り上げていく。

 そのまま私の蹴り脚が上昇すると同時、ルーグが必勝を期した顔つきを見せながら頭が上がってくる。

 ルーグの頭が、私の鳩尾へともう僅かの距離に迫った瞬間――私の蹴りが、ルーグの股間を蹴り上げた。


「あ……が、ひゅううううううう!!!!!」


 ルーグは自分の動きを全て止めると、股間を抑え、崩れ落ちる。

 顔は青ざめ、涙目になりながら、鼻水と涎を垂らしてブルブルと身体を震わせる。

 思考は痛みで吹き飛び、雑な砂嵐の様な感覚と、恐怖と戦慄の感情がルーグを支配している。


「あ……、ルーグごめん。ちょっと強く蹴っちゃった? 大丈夫?」


「あっ……あああ……ち、ちょっと……待って」


 そんなに痛い所だったのだろうか。

 確かに以前新聞の護身術欄には、人間の正中線には、急所が多く存在すると記載されていた記憶がある。

 もしかすると、さっきの私の蹴りが、タマタマ急所に当たってしまったのかもしれない。


 私は痛みに震えるルーグの背中をさすると、ルーグは大きく深呼吸しながら、生まれたての子鹿の様に脚をがくがく震わせながら、なんとか立ち上がった。


「だ、大丈夫……破裂はしてない」


「破裂?」


「ううん。大丈夫」


 ルーグから恥じらいと安堵が伝わってきた。


「ち、ちょっと休憩にしようか」


「うん」


 ルーグはまだ痛みがあるようで、訓練を打ち切りたいようだ。

 私はそれに同意すると、ルーグと一緒に河川敷から道へ上がる階段へと腰をおろした。


「やっぱり、団長はミエルの方が良さそうだね」


「そう……かな」


「今の俺じゃミエルには勝てそうにないからね。でも、もっと強くなって団長の座を奪ってみせるさ!」


 少しばかりの悔しさと一緒に、私への尊敬の感情が入ってきて、少しだけ気恥ずかしくなる。


 ――やはり、他人という中では、ルーグが一番心地が良い。汚い気持ちを抱く事が少ない。

 それ故に、それを読取ってしまう私も、汚れずに済む。


 (結局、私はいつも自分の事ばかり考えているんだな……。)


 ルーグに抱いた気持ちの理由が、ただの自己愛だった事に気が付き、また少し、自分を嫌いになる。

 自分を嫌いになっている自分すら嫌いな私は、いつか自分を認められるのだろうか。


「おーい。また考え事か? もう少ししたら、また特訓しようよ! ……今度は、股間を蹴るのだけは無しでね!」


「あ、ごめん。……わかった。じゃあ蹴らないで殴るようにするね」


「殴るのも勘弁して……」


 ルーグの情けない顔を見て、少しだけ、また頬の筋肉が動いたのを感じ、私の心にも、少しだけ波が立った。


  

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