鮮血の魔女 2



 今日もいつもの様に、母親が出かけて行った。

 通過儀礼の様な抱擁も、いかにも私を気に掛けているような言葉も、表出させる笑顔の裏側では、聞く度に私を孤独にさせる。


 未だ子供の私にできる事は少ない。子供らしく友人と遊べばいいだろうと思う事もあるけれど、積極的に色々な感情に触れるのは、それだけで負荷に感じる。

 昔のように、生の悪意を取り込んでしまって、恐怖のあまり失神したりする事は無くなったが、いかに私に矛先が向けられてはいないとはいえ、敵意や害意、悪意といった暴力的な意思や生の感情は、私を恐怖ですくみ上がらせるには十分だ。

 慣れたとはいえ、痛いものは痛いし、怖いものは怖い。かさぶたが厚くなって肌が黒ずむように、以前よりは少しばかり耐えられるというだけ。


 

 私の暮らすこの街、アルボラリス市は、シヴァンゲール自治州にある都市の規模で言えば中堅都市といった所だ。

 人口は凡そ四十万人。主だった特産品は武器製品。特に銃火器の製造メーカーが多い。

 市政は、割と安定していて、治安もそれなりにいい。スリや傷害はそれなりに起こるが殺人はめったに起こる事は無い。

 これは州軍の駐屯地がこの街にあるのも影響しているだろう。

 これらを総合すると、とても住みやすい街。とのことらしい。

 ……私は、一度もそう思った事はないけれど。


 そんな暮らしやすい街で、私は街外れに掛けられた橋の下で過ごす事が多い。

 途中にあるゴミ捨て場で新聞を拾い、それを読んで世情を知るのが日課だった。

 いつか、一人で生きられるほどに成長したら、誰にも会わずにひっそりと暮らしたいという願望もあるが、人は一人では生きられないという諦めもある。

 橋の下の河川敷で、いつもの様に腰を下ろし、新聞に目を馳せる。

 

 ――今日は……といっても、これは昨日のか。


 いつものように、ゆっくりと読んでいく。


「ふぅん。ウェスティン商会の販売店舗がついに全世界主要都市に建設かぁ。総店舗数は百四十四……。お金持ちは、やりたい事が出来て羨ましい限りだね」


 ついつい、恨み言のように嫉妬の言葉が口から出ていた。

 ウチは、母親の稼ぎと、父親の残した財産でなんとかやりくりをしている。

 母親はパブで給仕係をしているが、そこまでの給金は貰ってないらしい。

 そしてそういった職場故に、男関係に生き方を染め上げている。

 あの人は親というよりは女なのだろうし、あの人自身、異性に自分をよく見せたい。良く思われたい。という思考が強い。

 容姿は娘の私から見ても、かなり恵まれていると思うし、身体つきも無駄な肉は無いし出るところは出ている。

 大概の男は、私の母親を見ればいい女だと思うだろうし、あの人もまた、そう思われる事を望んでいる。

 私としては、いい女である前に、いい母親でいたいと思ってほしいのだけれど。


 儚い期待の空へ、すぐに諦観の雲がよぎり、無言で新聞に目を戻す。


「テトラーク皇国が、起源兵オリジンドールと呼ばれる未知の兵器を生産開始……。人型装甲戦闘車両の様な兵器と思われる……なんだこれ?」


 人型の車両って、それはもう車じゃないの?

 と、疑問がよぎるが、私の疑問に答える者は当然居ない――と、思いきや、


「オリジンドールってのは、多分だけど今までの戦争の景色を変えるかもしれないよ?」


 私の背後から新聞を覗き込むように、蜂蜜色の髪を緩くうねらせ、ごわついたジャンパーを羽織った少年が得意げに語る。


「また来たの」


 私は一瞬振り返ると、ぞんざいな態度で再び新聞に目を落とした。


「別にいいだろ。友達なんだし」


「……好きにすれば」


 癖毛の少年、ルーグラウス・バティスこと、ルーグはこの街で唯一、私にしつこく干渉してくる自称友人だ。

 

 このルーグは、どうやら私を友達の居ない可哀想なやつと思っているらしく、それ故かやたらと気に掛けてくる。

 何度もあしらっても、多少の苛立ちや悲しさを押し殺して絡んでくるものだから、最近は諦めていた。


「見てみたいよな。オリジンドールってやつをさ」


「私は、別にいいかな」


 私の答えに、ルーグはなんでさ? と言いたげな表情を浮かべた。

 ルーグが兵器や戦争などに憧れを持っているのは分かるが、それはルーグがそうした殺し合いの外側にいるからなのだろう。

 もし、私が戦場なんかに行ってしまえば、大量の殺意の渦に呑み込まれてしまうのは想像に固くない。

 そして、その殺意がついぞ自分へと向けられるというのも、恐ろしくて仕方がない。

 だが、そんな事を言ってもルーグには伝わらないだろう。

 だから私は、茶を濁して言葉を選んだ。


「ルーグは、男の子だからね」


「そういうもんかな? でも、傭兵とかってさ、憧れない?」


 目を輝かせながらルーグが私の目をまっすぐに射抜く。

 私はすこしたじろぎながら、


「規律がない分、軍人よりはいいけど、そのぶん実力社会の世界だから、大変なんじゃないかな」


 私が少し批判的な事を言っても、ルーグの目の輝きは些かも衰えなかった。


「確かに、中堅以下の傭兵団は半分ゴロツキみたいなのも多いけどさ! 高位傭兵団で活躍できれば、お金も名誉もみんな手に入るんだよ!」


 心の中を希望に溢れさせたルーグは、立ち上がり大仰に両腕を目一杯広げる。


「世界最強の『黒き風』だって、依頼を選ばないところはあるけれど、団長のネイヴィス・ヘイズゲルトや副団長のレヴィア・ラスパシオンなんて、国によっては英雄とまで言われてるんだ! 俺もいつかなってみたいなぁ〜英雄にさ!」


「英雄、かぁ」


 人を殺して得た名誉や賞賛で、英雄と呼ばれる資格は本当にあるのだろうか。


「ミエルだってなりたいだろ? 英雄に!」


「私は……」


 傭兵の世界の事は分からないし、人を殺して賞賛されたくなんてないけれど、確かにそういうふうに称えられたくないかと言われれば、私にだってそういう欲はある。

 ひっそりと静かに一人で穏やかに暮らしたいと思う反面、私は誰かと繋がりを強く持ちたいと思っているのも自覚している。

 母親を嫌悪しつつも、嫌われないように振る舞うのもそうだし、誰かの感情を受けて嫌な気持ちになり、その人へ私自身が悪意を抱く事も嫌だし……なにより、こうしてルーグが会いに来てくれる事を、私自身が求めている事も理解はしている。


 英雄……英雄になれれば、少なくとも周りから悪意を受ける事は無くなるのだろうか。


 傭兵以外にも、そうやって讃えられる存在になる方法は、傭兵以外にもあるのだろうし……。


「私も……なりたいかも。……英雄」


 私が少し照れながら言えば、ルーグは顔にわかりやすく喜色を浮かばせた。


「だよなぁ! 男とか女とかじゃないよなぁ〜この気持ちはさ! よっし、決めた! 今ここで、俺達の傭兵団を作ろう!」


「えぇ!?」


 私は確かに英雄にはなりたいと言ったが、傭兵になりたいとは言っていない……というか、なりたくない!


「ちょ、ちょっとルー……」


「待てよ! 今、なんかすっげぇカッコいい団の名前考えてるから!」


 唸りながら頭をぐりんぐりん動かして、真剣にルーグは考え出してしまった。

 ルーグの内側も、私が賛同したことによる喜びの感情で満たされているし……。


 (こんなの……もう、嫌だとか言えないよ)


 でもまぁ、所詮は子供のごっこ遊びのようなものだろう。

 私もルーグも、大人になる過程で、きっと今日の事は思い出の一欠片になる。


 (少しだけ、付き合ってあげるか。……友達、だからね)


「よし決めたぁ!」


 ルーグが両拳を天に突き上げて、叫ぶと、気持ちの良い笑顔で私へと向き直った。


「『ラグアランの彗星』! どうだ! カッコいいだろ?」


「えぇ〜やだよ」


「なんでさ!?」

 

 私が即座に嫌そうにすると、ルーグは悲しげに抗議する。


「そもそもラグアランなんて、この街の名前付けてる時点で出身がバレバレになるでしょ。傭兵の大半が出身地を伏せてるのは、逆恨みの報復が家族に及ばなくする為なんだからね。

 あとついでに、彗星の意味も分からないし」


 私の指摘に、ルーグは「あう……」とたじろいだ。

 私がこれまで聞いたことのある傭兵団の名前で、出身地が団名に入った傭兵団は聞いたことが無い。先述の理由が強いのだろうが、基本的に傭兵団は国に属する事はあっても、一つの都市だけで活動する事はほぼ無い。

 地名なんかを団名に付ければ、その地域だけで満足しているような井の中の蛙と思われる懸念もあるのだろう。

 

 ルーグは少し納得が言ったようだが、彗星の部分は彼なりの思惑があったらしい。


「街の名前はともかく、彗星ってのは外せない! 俺は彗星が空を駆けるように、困ってる人が居れば世界中どこでも駆けつけるような、そんな傭兵になりたいんだ!」


 ……それもう、ルーグの願望だけで私は関係無くない? とも思ったが、そこにあえてツッコむのも野暮だろう。


「ていうより、そこまで言うならミエルも考えてみてよ! 彗星だけは譲らないけどね!」


「えぇ〜? そう言われると難しいなぁ」


 ルーグからの挑戦心と期待を感じながらも、私も瞑目して考える。


「じゃあ、『アパテイアの彗星』……でどうかな?」


「おぉ〜! カッコイイじゃん!! アパテイアってなんだかわかんないけど」


 過剰とも言えるほどに反応した後、頬を掻きながら私に意味を乞う。


「私も本で読んだだけだけど、理性を持って生きていく事で、揺るがない精神を得られる事って意味……だったかな」


 私の答えに満足したのか、ルーグは何度も肯いて反芻すると、彼なりの閃きを得たようだった。


「つまり、何ものにも揺るがない英雄の精神を目指すって事か! さっすがミエル! 頭良いな〜!!」


 ルーグは笑いながら私の肩を激しく揺さぶってくる。


 ――本当は、私がただそういうふうになりたいと願っているだけなんだけれど……まぁ、彗星ゴリ推しの事もあるし、半分ずつ自分達の思ってる事を名に込めたって事で良いだろう。


「よぉ〜し! じゃ、俺達はこれから『アパテイアの彗星』だ!」


「……お〜」


 こうして、私にとって初めての傭兵団『アパテイアの彗星』は結成されたのだった。


 

 

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