第24話「帰り道。逸れ妖魔」

 早朝に目が覚めた。窓を開けてみると、日の出前の空に浮かぶ雲が薄紫に染まっている。


 同室のセイシュウはまだ眠っている。昨夜、俺が南西で経験した戦いについての事を話したので。目がさえたのか寝付くのが遅かったのが原因だろう。


 折角なので窓を開けっぱなしにして散歩に行くことにした。寒いのでセイシュウも目が覚めやすくなるに違いない。


「うーん……」


 どうやら起床にはもう少しかかりそうだ。まだ時間に余裕があるので、朝の散歩を楽しむ事にした。


 薄暗い屋敷の中を歩く。起きて活動する人は少ないのか、ろうそくの明かりもまばらでとても静かだ。

 とりあえず顔を洗うために水場へ向かっているので、一人二人は顔を見るだろうと考えている。そのまま手伝いを申し入れても良い。


 渡り廊下の屋根にある彫刻の竜がこちらを見ているように見えた。影のかかり方が錯覚を見せたのだろうが、空にかかる雲を背景にしたその佇まいは、まるで本物の如く見える。


 その雄姿を横目に、目的の水場に着いた。日々の水仕事を行う場所の一つで、ここ以外にもいくつか同じものが設置されている。


「ふぅっ!やっぱり朝はまだ冷えるな」


 手に嚙みついてくる様な冷たさが心地よい刺激になり、俺の目を完全に覚ました。朝の支度を終えたら今度は散策の時間だ。


 ここまで誰ともすれ違わなかった。気配を探っても付近には誰も居ない。丁度いいのでここから敷地へ出る。


 皇都の一割を占めるとも言われる神将流の道場だが、そのほとんどは広大な鍛錬場になっている。

 修練の為に様々な器具が備え付けられていて。所々に針山や池など、漫画の様な施設が点在している。


 今の時間帯では利用者も少ない。遠目には修練に励む門弟の姿も見えるが、彼らの邪魔をしないように声掛けは躊躇われた。


 靴の裏にジャリジャリ砂地を踏みしめる感触を味わいながら散歩を続ける。一応石畳で舗装された道はあるので迷うことは無い。今回は軽い運動のつもりで歩くことにしているので、なるべく歩きにくい所を選んで進むことにする。


 一周にはそこそこの距離を行く必要があるので、早歩きだ。武芸者の基本の一つである頸力による身体強化「金剛力こんごうりき」を使う。


 これは武芸者の扱う頸力の基礎技能を表す「三骨さんこつ」と呼ばれる技の一つ。身体を強くするのに必要な所へ効率よく頸力を流入させる。


 身体を動かしながらその各所に頸力を流し、次々に集中させるところを変化させてゆく修行法が一般的で。ウチの道場では、二人一組で歩いたり走ったりしながら、隣の相方が集中させないといけない所と違う個所を指示して来たりする。


 今回は一人きりなので、一定速度で早歩きしながら。頭の先から足の小指まで身体の各所へ、順番に集中と拡散を行う事にした。

 流れる景色を楽しみながら頸力の濃淡を操るのは、そこそこの暇つぶしになる。


 そうやって敷地内を五周する頃には、朝日が顔を出してきた。人の気配も大分増えて、そろそろ部屋に戻った方が良さそうなので。俺はもう一度水場でさっぱりしてから部屋へ戻った。


「ふぐぅ……むにゃ……」

「まだ寝てんのかコイツ。起こしてやるか」


 セイシュウは布団をかぶって寝ていたので、俺は奴から布団を引っぺがしたうえで水場まで引っ張っていくことになった。




「予定を大幅に超えてお世話になりました!」

「お気になさらず!!!我々も大変勉強になった!!!」


 朝、俺達三人は道場の正門前に着けられた馬車の前で、神将戌依流の面々に見送られていた。


「貴殿らの奮闘によって我々も助かった!!!此度に限らず、これからもより良い交友を紡いでゆければと思っている!!!」

「恐れ入りますカジャ殿!私たちも同じ気持ちです!」


 朝も早くから見送りに来てくれた面々は、俺もお世話になった捜索隊の隊長や兵士さん。クロルさんも眠気を推してきてくれている。


 なんだかんだで父とセイシュウは半月くらいここで過ごした。別れもそれだけ名残惜しいだろう。


「それでは!!!これ以上は時間も押しているだろう!!!またいつでも来ると良い!!!」

「ありがとうございました!」


 父の礼に合わせて俺たちも頭を下げた。向こうの人たちも返礼を行い、俺達は馬車へ乗り込む。

 今回の馬車は乗合の大型ではなく、一組用の中規模の者だ。しかし、皇都の紋章が入った特注品で、座席の乗り心地は非常に優れている。


「はいやぁっ!」


 御者の掛け声に馬が答えるかのように嘶き。ゆっくりと馬車は動き出した。


 窓から見る門の前では、カジャさんを始めとした門弟の皆が手を振っている。こちらも俺とセイシュウは振り返し、お互いに遠のく所で室内へ戻った。


 終わってみればあっという間の滞在だったが、振り返ればこちらの目的は大概果たせたという結果になる。つまり成功という事だ。


 父もやっと気が抜けたような雰囲気を出しているし。セイシュウはこの後に控える諸々への不安からか、元気が無いようにも見えた。

 ただの寝不足と言う事かもしれないが。一応、声をかけてみる。


「どうした?皇都がそんなに気に入ったのか」

「それはまあ、そこそこです。ただ、帰った後。僕は上手くやれるか自信がいまいち……」

「お前なら大丈夫だセイシュウ。私が保証する」


 父が声をかけても、セイシュウはいまいち飲み込み切らない様子だ。

 コイツには頑張ってもらう必要があるので、俺も父の援護に回る事にした。


「父上がこう言っているんだ。お前はやれると認められているんだから、取り合えずやってみればいい。今なら失敗しても取り返しが利くからな」

「アロンさん……」

「それに、実質リンドウが仕切る事になるかもしれないしな!」

「アロンさん…………」


 呆れたように俺を見るセイシュウの視線は軽い。どうやら肩の力は抜けたらしい。

 父も俺たちを見て満足そうにしていた。


 今乗っている馬車は以上に乗り心地が良い。舗装された道という事を鑑みても、振動が少ない。前世の車に近い乗り心地は流石皇都の馬車と言うべきか。


 妖魔の死骸を運ぶ運搬用の馬車も、乗り心地は良かったが。あれは輸送用という事もあって人員用の客室は少し狭かった。


 予め聞いた予定では、この馬車で一路ロジナまで直通との事。

 道中の町は全て素通りと言うのだから、どれだけ皇都の一件を詮索されない様に意識しているのだろう。


 情報を漏らさないように予算は皇都持ちと言うのだから剛毅なものだ。制度を利用して、なるべく安く済ませようとしていた父の苦労は何だったのだろうか。

 まあ、本人はその浮いたお金を母への土産に使ったので。幸運だと考えているかもしれない。


 長く緩やかな下り坂を進む馬車の窓からは、今日も変わらず何時もの日常を始める皇都の人々が見える。


 その中にはこの短い滞在中にも幾人かの顔見知りもあった。


 皇都の武林所にて顔を合わせた武芸者や、散策中に買い食いした屋台の店主たち。街中を警邏する兵士には、俺の捜索隊として南西に来た人も確認できた。


 彼らには軽く会釈しておいた。それにしっかりとした一礼で答えてくれたので、彼らからも俺の姿が見えたのだろう。


 市街地を超えて、馬車は都の外縁にまでやってきた。


 まだ朝早くだというのに、此処はすでにお祭り騒ぎの様相だ。

 俺達と同じく皇都から出発する馬車と、皇都へたどり着いた馬車が行き交い。積み荷に応じてそれを下ろす場所へと別れてゆく。


 人の流れも激しく、一部の店では既に商売を始めている。あれは恐らく軽食の屋台だ。


 俺達の乗る馬車は一目でわかるお偉いさん用の物なので。これだけの混雑の中でも自然と道が開けていった。なんか申し訳ない。


 それなりに目立ったので視線を集めているが。窓にカーテンが付いているので、ここでは閉めておいた。


 ようやく皇都の門を潜り抜け、検問を待つ人々に見送られながら。俺達は皇都を後にした。


 今回は一部の地区しか縁が無かったので。出来れば再び訪れたいものだ。その時はなるべく余計な用事を持たず、身軽に動けると良いな!




 さて、街道では今のところ特に見ごたえのある風景は無かった。

 道行くときには目新しい広大な畑も、所々の小山に点在した見張り櫓も、すれ違う馬車や旅人の手荷物よりも興味を惹かれない。


 とはいえ。同乗するセイシュウで遊ぼうにも。今のコイツは、父に当主としての心構えを聞くことに夢中だ。揶揄う隙もありゃしない。


 なので今は馬車を引く馬の様子を見ているのだ。


 今回の馬車馬は二頭立て。どちらも白い毛並が美しい純白の白馬だ。しかも結構頸力を練るのが上手いので、相当鍛えられている。もしかしたら軍馬かもしれない。


 御者は二人組の兵士だ。当然、神将戌依流の門弟でもある。


 この街道は来るときにも通った道で、皇都に続く道の中でも大きい方だ。この時間の人通りは少ないが、余程急ぐ事情のある人でもなければ、安全のために日が出てから行動するだろう。

 俺達の場合は出来るだけ早くロジナまで戻りたいので、お願いして急いでもらっている。


 今生の故郷であるロジナは、皇都から馬車で二日ほどの距離にある。森と平原に囲まれた平和な町だ。

 特に目立つ名所も名物も無く。相魔灯籠流の道場を除けば、ほとんどの住民は林業と農業で生計を立てている。


 時折、皇都を目指す武芸者が腕試しに来る事位しかイベントの無い土地なので。俺も幼いころはともかく、数年前からは自発的に催しを主宰して暇をつぶそうとしている。


 最近の催しで一番評判の良かったのは、木で作るフィギュアコンテストが中々だった。

 木工所で出る端材をもらって、制限時間内に作る人形の出来を競う大会で。特に参加者を絞らずに定期的に開けるようにした。


工房の若手も積極的に出てくれたので、結構見ごたえのある物になった。今では観光の助けにもなっているので、部門別にして運営も人に任せて俺は参加側や観客として楽しませてもらっている。


 今年はまだ一回もやっていないが、俺も忙しくなるのでこれからは顔を出しにくくなるなあ。


 カタカタ揺れる馬車内で、一人車窓からの景色を見ながら考え事をしていたら眠くなってきた。

 今朝が早かったので、俺は二人に一声かけて眠る事にした。


 頬杖をついて座席で眠る俺の耳には、二人の話す声が良い感じに子守歌となっていった。




 深い眠りについてスッキリした俺の感知範囲に、妖魔の気配が入り込んだ。

 一気に意識が覚醒して、目を覚ます。俺の視界にはまだ話し込んでいる二人の姿があった。


「父上、セイシュウ」

「どうしたアロン?」

「アロンさん?」

「…………妖魔の気配です」


 俺の一言に、二人の目が鋭く細められ。気配が武芸者のそれに変ってゆく。


「どちらからだ。数は?」

「進行方向へ向かって北東、数は中型が一つです」


 話を聞いた二人も目をつぶって気配を探る。予めどこら辺に居るか聞けば、探知を絞り二人ともすぐに発見できた。


「これはいかん。地元の者には悪いが、ここで仕留めさせてもらおう」

「迎え撃ちますか、出向きますか」

「街道は出来るだけ傷つけたくない。いったん止めて、こちらでおびき寄せよう」


 御者席に繋がる窓から合図を送ると、馬車は街道の脇へと停車した。


「どうなさいました?何か問題が」

「妖魔だ。こちらへ向かっている」

「何ですって?」


 御者席の二人とも先ほどと同じやり取りを行い。迎え撃つ三人と、馬車の守りを行う三人に分かれることになった。


 今回、俺は馬車に残る事になった。折角の機会だが、父とセイシュウの頼みに押し切られた形だ。


 寝る前は畑の中を走っていたが。今は林の中を街道が一直線に走る、木々に囲まれた所だった。

 街道の整備によって、道の近くは切り払われて見通しが良い。しかし、そこから少し離れれば。もう、すっかり森の中と言った様相だ。


 俺は馬車の屋根に上り、見晴らしの良い所から三人に声をかけた。


「あそこだ!木が揺れている!もう見えるぞ!」


 見晴らしのいい草原地帯にて迎え撃つ形をとっている三人は。動きやすい恰好になって頸力を高めて待っていた。

 御者の一人は剣を握っているし、父とセイシュウはいつも通りの無手で構えを取る。


 そして妖魔もそれにつられて姿を現した。


「gyuruaaaaaaa!!!」


 どうやら野犬の妖魔の様だ。長く鋭い牙をむき出しに、よだれを垂らしながらこちらへ走ってきている。


 大きさはこの馬車とそう変わりなかった。目が六つ、全てこちらを狙って視線が向けられていて。良く見れば足も一対多い。あの六つの脚がより速度を生み出しているのか、かなり早い。


 どうやら父たちは正面から迎え撃つようだ。急速に接近する妖魔に、寧ろこちらから距離を詰めていっている。


「私が散らす。セイシュウへ繋ぐように流してくれ」

「かしこまりました」

「セイシュウ。お前が仕留めなさい」

「はいっ!」


 聞き耳を立てた所、こう聞こえた。父から初めて四手詰めか。


 妖魔犬の突撃はすぐそこまで迫っていた。父はそれを踏まえて、相手の正面へ「飛天脚ひてんきゃく」を用いて飛び込んでゆく。


 これは三骨の一つで。頸力によって強化された瞬発力を用いることで、一瞬の剛力を狭い範囲に集中させて踏み込みを行う技だ。

 基礎の中でも応用範囲が広い技で。究めれば空中を走ったり、水上を駆けることも可能になる。


 勿論地上でも高速移動が可能となるが。この技は地上で使う場合、技量によっては足場に痕跡が残りやすい。地面が抉れてしまうのだ。


 その点、父の飛天脚は美しい。地を蹴って駆けるその足跡は、僅かな痕を残すだけで、ほぼ普通の足跡と変わらない。制御がキチンと出来ている証だ。


「gyuuaaa!?」


 妖魔は急に眼前に飛び出てきた獲物に驚いて姿勢を崩してしまった。あれでは絶好のカモに等しい。


「せあぁっ!」


 父の手にかかり妖魔は宙へと放り投げられた。縦の型「放翼ほうよく」という技だ。

 姿勢を崩した相手を更に追いつめるための技で。主に陸生の妖魔を追いつめるのに用いる。


「どりゃぁっ!!」

「gyuwaaan!」


 空中で身動きが取れない妖魔は、無防備のところを御者の攻撃にさらされた。


 手に持つ剣によって深々と刻まれた事で、妖魔の背中に大きな切り傷が付いた。ここから更に詰まされていく。


「ほうれっ!」

「セイシュウ!」

「はい!」


 斬撃を振り切った後に蹴り飛ばされて、再びの空中へと飛ばされた妖魔へセイシュウが迫る。

 奴の構えは俺も用いた無尽の構え。それは予想通りの技となって妖魔の傷に放たれる。


「奥義「無尽残響拳」!!」

「gyuuuuuuaaaaaaa!!!」


 御所の武舞台で俺が黒蛇へ放った技が、犬の妖魔へと命中する。

 この技は頸力を振動として内部へ送り込み、内側から破壊するという技で。妖魔の様に大きな相手には滅法効く。


 これは何処を揺らすのかも選べるので、対人では主に脳震盪を起こすことに使う。俺もセイシュウ相手にはそうやって勝つ予定だった。


 今回は全力で撃ち込んだようだ。妖魔は内部から細かく振動で粉砕され、毛皮を残して跡形もなく液状化してしまっていた。


「よし、よくやったセイシュウ。完璧な技の冴えだったぞ!」

「ありがとうございます!」


 背中に刻まれた切り口や、目鼻等の穴から出る赤い液体は一先ず置いておく。処理を考えると、絶対に手間がかかる倒し方だが。今は喜ぶ二人に水を差す気にはなれない。


 馬車の屋根から周囲を確認する。どうやら他にこの一幕を見る事の出来た人はいないようだ。


 できれば居て欲しかった。後片付けを手伝ってくれたら、毛皮を進呈しようと思っていたのに。


 この後。俺達五人でわざわざ深い穴を掘って妖魔を埋葬する羽目になった。

 予定は大幅に遅れたが、臨時収入としての毛皮はまあまあの値段で売れたので、トントンと言った所だろうか。


 道中の町で補給と換金を済ませ。馬車は一路ロジナを目指し精力的に駆けてゆくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る