第12話「南西観光。混沌上層」
皇国南西部ウェルタラと言えば。豊かな湿地帯が海まで続く広大な湿原地帯で、その地にしか生息していない多様な植物が繁茂する。薬草の一大原産地だ。
それを利用することで生きてきた住民たちは、昔からこの地で薬師を生業にし。今では薬学を学ぶ者が一度は訪れたい夢の場所にまでなっている。
何を隠そう、ウチの母もここに興味津々で。「何時かあそこで薬学の話をしたいわ~」と父に語っている所を見たことがある。
上空数千メートルから、空を飛びながら見た感想としては、結構湿気が凄そうな盆地も点在するという事位か。
この地は独立独歩の気風が強く最も皇国に併合するのが遅かったことから、中央では未だに外様扱いする者がいるらしい。
今、俺が牢に繋がれている事も。その中央と地方の確執が生んだ、悲しき一例として語り継がれてゆくのだろう。
「そう思いませんか看守さん。俺、悲しいよ本当に」
「なーに言うとんだお前は」
薄暗くて、じめじめしていて、おまけに臭い。俺が連れられてきたのは南西に位置する都市ベラトレ。その地下牢である。
「はーいお疲れさん。調子はどないやー?」
投獄されてから約一日。監獄飯にありついて一息ついたころに、ビンスが一人でやってきた。
この町に連れてこられてからしばらく。取り調べの時以来の再会だが。その前から何となく考えていたことがある。薄暗い所で見るとコイツ本当に悪人面だ。
頭髪が白いのはともかく、短髪に糸目なのはいただけない。そこにいつも浮かべているらしい薄笑いを加えれば、あっという間にうさん臭い男の完成だ!
これでちょっと性格も悪ければ完璧なのだが。幸か不幸か、彼はちょっと笑いのツボが変わっているだけの善良な男だった。
「まーたろくでもない事考えとるやろ?顔に出てんで?」
「お前は性格が悪ければなぁ……」
「怖っ、ホンマ何考えとん自分……」
ここに来るまでの交流ですっかり意気投合した俺たちは。一応の落としどころとして不法侵入での禁固刑を受けることで落としどころとした。
向こうも俺の証言と所持品、妖魔の死骸を見せられては下手に扱う訳も行かず。俺も関所破りどころか妖魔持参の不法侵入は気がとがめた。
なのでとりあえず一日、牢に入れられることで禊という事になった。今日は解放の日だ。
「それじゃあ、お世話になった看守さんにお礼言い?」
「一晩お世話になりました!また今度来るときはもっとお話しして下さい!」
「よう言えました!」
「えへっへ……」
「あのう……もう仕事に戻っても良いでしょうか……」
「ああ、ご苦労様です。どうぞお戻りください。ありがとうございました」
牢獄前での寸劇を終えて。俺はようやくきれいな体でベルトラの地を踏んだ。
ここの建築物は通気性を重視した湿気に強い造りの物が多い。木材を使った一階部分が基礎として補強されていて、主に二階に住むようだ。
町の床材は石を多用しているが、これは泥濘が多いここの地盤を改善する狙いが見受けられる。
特有の植物たちにとっては理想的な環境の土地だが。人類が生活する事にはあまり向いていないのだ。
「どないしたん?そんな、なんもないとこ見て」
「こっちに来たこと無いから。なんでも珍しいんだよ」
「あーなるほどなぁ」
俺は身長が183㎝あるのだが、ビンスは俺より少し高いだけだ。
それなのにやたら俺が太くコイツが細身に見えるのは。コイツの鍛え方が関係しているのであろうと見ている。
恐らくは回避に重点を置いた、武器も併用する戦法をとると見た。
超簡単に説明すると。俺は普通のマッチョで、ビンスは背の高い細マッチョなのだ。
そんな俺とビンスが連れ立って歩くと、目を引くのか町の人からよく声をかけられた。
そのほとんどは好意的なもので。すれ違いざまの挨拶を含めると、十人に四人は顔見知りという事になる。地元だとしても驚異的な顔の広さだ。
「おや、ビンス坊ちゃん。こんにちは」
「ビンスさん!今日はうちでも飲みますか!」
「ビンス様。先日は採取ありがとうございます」
「ビン兄ちゃん!またけんぽーおしえてねー!」
道行く先々に知り合いがいるらしい。彼らの話に、ビンスは嫌な顔一つせず丁寧に対応していた。
「おお、こんちは。今日もええ天気やね」
「ごめんなぁ。今日、めっちゃ仕事あるねん。また今度混ぜてな」
「どういたしまして。それで、薬は出来たん?そうか!そらよかった!」
「おう、また今度な。楽しみにしとるで」
きちんと話を聞いて、それがいつの話なのかを覚えていて、それに対する返答に加えて少しだけ気遣いを見せている。そりゃあ皆、話をしたくなるよな。
「メチャクチャに慕われてんな。人気者ジャン」
「ん?いや、ちゃうねん。みんな優しいからオレが構ってもろうとんのや」
「はー。コイツマジか。」
「いや、なんやねん」
ちらっと見ても、町の其処彼処からこちらを窺う視線がいくつか確認できる。その視線の先はビンスだ。
屋根の上で補修をしている大工もこっちに気づいて手を振っているし。家屋の土台の中で、プランター菜園を作っているおばさんが大声を張り上げて挨拶すれば、それに釣られて更に知り合いが出てきた。
「アカンでみんな!このままじゃオレ、オトンに怒られてまう!ちょっと今日は堪忍してっ!」
流石にこれにはたまらなくなったビンスは、そういって皆を解散させた。
聞き分けのいい皆さんは、さっきの押しの強さが嘘のように引いて行き。あっという間に周囲から人の波が引いて行った。
「ほらな?みんなオレに構ってくれとんねん。もうええ言うたらキチンと引くええ人らなんや」
「……うんっそうだな!」
いちいち指摘するのも面倒なため、首肯して後に続いた。
そのあとも幾度か似たような場面に遭遇した結果、俺はこの男が割と押しに弱くて肉より魚が好きで賭け事も少々たしなむことが分かった。割とどおでもいい。
案内されてやってきたのは、町全体を見渡せる小高い丘の上に立つ大きな道場だった。
正門には「神将白巳流」と書かれた大きな看板が立ててある。どうやらここが目的地の様だ。
「ほんなら、ここでオレ等のご当主にあってもらうで」
「いいけど、なんで最初から連れてこなかった?」
「ウチには地下牢屋とか無いねん。座敷牢はあるけど」
「へー」
「反応うっすっ!」
そんなことを言い合いながら門をくぐって道場内部にお邪魔すると。ふんわりと香る薬の匂いが鼻に来た。どうやらここでは薬も扱っているらしい。よその家に漂う生活臭みたいだ。
「おかえりなさいませビンス様。そして、いらっしゃいませユエシェイ様」
「おう、帰ったで」
「お邪魔いたします」
中に構えられている屋敷に入ると、使用人も含めたこの家の人たちに出迎えられた。どうやらある程度は信用されたみたいなので、俺はここからどうやってもう少し仲良くなるかを考えることにした。
皇国内部にあるありふれた洞窟。深い森の中で口を開くその内部に、誰にも知られていないとある組織の拠点が築かれていた。
その組織の名を「武王衆」。
そこに集うのは、武芸者や道士の中でも特に癖の強い、自ら「王」を名乗る変人奇人たち。
様々な事情で武林の中で居場所を失った彼らは、それぞれが己の思惑の為に身を寄せ合い。一時的な共生関係を形作ったのだ。
「それで?実験体はどうなったの?」
洞窟を元に地下に張り巡らせたいくつもの施設。そのうちの一つである会議室にて一人の少女が机に頬杖をついてそう言った。
「正式名は業妖魔五号だ。……「戌」どもとのじゃれ合いで頭が落とされ。帰還指令を副脳に仕込んでいたが、あらぬ方向へ飛び去りその途中で墜落している」
薄暗い会議室にもう一人。道士の装衣に身を包む壮年の男は。少女の呼称が間違っている事を指摘しながら、その問いに答えた。
「は?何それ。それでどうなったのよ、実験体は」
「……反応が返ってこないので消息不明だ」
暗闇の中で尚輝く金糸のような頭髪を編み上げた少女は。絶世の美貌を約束された顔をゆがめて、円卓の正面に座る男に問いかける。
「ふーん。まあ、いいわ。それで?最初に言ってた目的は達成したわけ?」
「御所内部に保管されていた小封印の図面はいくつか手に入れた。最深部には手を出す前に警戒が強まった故、そこで撤収させた」
男の静かな、淡々とした口調で語られる成果の羅列に。少女は少し気分を害したのか、あたりの強い言葉で男の手際を責めた。
「じゃあ、大封印は?結局、小物バッカコソ泥して、本命の物は手に入らなかったの?」
「そもそも、図面の保管場所が絞れなかった。次の機会にはもう少し深く探れる」
「そんなの後で変えればまた分からなくなるじゃない。ちょっと考えれば理解できるわよね?おわかりになるかしら?」
「……図に乗るなよ小娘」
男の口調が少し乱れたことに気を良くしたのか、少女は更に語気を強めた。
「小娘に頼らないと妖魔一匹仕込めない奴が何言ってんの?馬鹿?」
一言、馬鹿という単語が男の琴線に触れたことを理解した少女は、嗜虐的な笑みで蔑みを始める。
「なーに?図星つかれて怒ってんの?馬鹿とか言われ慣れてそうな仕事しかしないからさ、つい口から出ちゃった。ゴメンね?」
「貴様……」
態度と口で心の底から楽しんでいる事が分かる少女の嘲りに、男の我慢は限界寸前だった。
相手が達人級の武芸者でなければとっくに手を出している程の怒りは。男の誇りから退路を断ち、彼女の逆鱗を撫でることを承諾してしまう。
「盟主の覚えが良いからと女王気取りか、このっ!?……」
男の口に突きこまれた剣の先端が、それ以上の言葉を許さなかった。
「ん?何?言いたいことがあるならハッキリ言いなさい?聞くだけ聞いてあげる」
舌の上で撫ぜるように動く刃のせいで男は口を動かせない。
それでも何とか言葉を紡ごうともがく男を見て、少女は満足したらしく機嫌は良くなった。
「ふふふふっ!馬鹿みたいに鳴くのね、やっぱり面白い」
「はががっ……」
「そこまでにしておきなさいレイフィア」
今まで室内に存在していなかった男の出現で、二人の間にあった緊張が消え去った。
男は老人のような少年だった。黒艶のある髪を短く切りそろえ、道士の装束に身を包む彼は、顔に欠ける丸眼鏡も相成って道士を目指す書生にも見える。
しかし、その身から発せられる冷たい頸力と、頭頂部に生える一対の鹿角を目にすれば。彼を見た目通りの印象で判断するものはいない事は確かだった。
先ほどまで暴君もかくやといった態度を崩さなかった少女も、レイフィアと自らの名を呼ぶこの少年の前では大人しくするしかないようだ。
対面の男に突きこんでいた剣を消し去ると、笑顔を取り繕って少年へと向き直る。
「ご機嫌麗しゅうございます盟主様。今日もお会いできてうれしいですわ」
「こんにちはレイフィア。今日も綺麗だね」
表面上和やかな会話の隣で、口内の剣が消え去った男は、恨めしそうに少女を一瞥した後、少年へ一礼する。
「お気づきになれず申し訳ありません。お恥ずかしい所をお見せしました」
「気にしなくて良いよゴシュアク。君たちには無理をさせたからね」
「盟主」と呼ばれた少年は、円卓にある自らの席から二人を見つめる。
その両者が落ち着いたと判断したところで、彼はここに来た要件を告げた。
「今回の計画は、君たち二人の奮戦によって成功と言っていい成果を得た。まずは礼を述べたい」
「恐れ入ります」「ありがとうございます」
それぞれの性格が表れた返答に、彼は首肯して話を続ける
「うん。それで、今回の収穫物によって本格的に我々の活動が始められそうなんだ」
「という事は……」
どこか期待に満ちた男の声に、少年はほほ笑みをもってその期待に応える言葉を口にする。
「ああ。各地の邪神の封印を解くよ。僕たちがそれを打倒するためにね」
「おお……ついに……我々の悲願が……」
「本当にそこまで出来るんですか?図面は全て回収できなかったはずでは?」
感動に浸る男を一瞥し、疑問を述べる少女へと盟主は返答を返す。
「その懸念は当然だね。勿論、大丈夫。持ち帰った図面を読み解けば。他の図面もある程度の予想は出来る」
「計画の進行に応じて確証も増す、図面の理解度も相応に高まる。そうして封印を解いて回って。少しずつ混乱を散らしてゆけば、今度はもっと容易く御所を調べる機会はやってくるさ」
教師が生徒へ啓蒙するように、優しい口調で語られる少年の展望は、少女からして納得のいくものであったようで。礼を言って話は終わった。
「その時も是非、わたくしにお任せください!」
「ふふふ、それは君の頑張り次第かな?」
発奮する男の声に不快そうな顔をする少女を横目に、少年は再び話を始める。
「各地に眠る邪神の死体。それを封印する皇帝と神将十二流。彼らには悪いけど、僕らだって戦ってみたいよね」
「だからやる。邪神の眷属から強大な妖魔まで、封印されている全てを解き放ち。そして殺す」
「その過程で武林の皆さんとぶつかるかもしれないけど……。僕たちの邪魔をするなら仕方がない」
「元々、僕たちを弾いたのは向こうだからね気にすることは無いよ」
ゆっくりと語る少年の計画は、この場にいる二人には既知のものだ。
既存の権力を握る皇帝勢力が、その正統の証とするのが、かつてこの世界へ降り立った邪神とその眷属の討伐そして封印だ。
かの十二流派を率いた初代皇帝が、邪神の封印を保つためにこの国を作りあげた。それは少し調べればわかる事で、だからこそ皇国は数千年平和を甘受できた。
それをあえて乱すこの計画は、彼ら武王衆の我欲にそった悲願ともいえる物なのだ。
だからこそ、この為に武王衆へ合流した男は、感極まった表情で盟主を見つめていた。成り行きで気の向くままに放浪していた少女は、その大望の荒唐無稽さを気に入って協力している。
「おおおっ!まさにっ!これから私たちの栄光を見せつける時!」
「ふふふっ。その涙はすべてが終わるときまで取っておきなよ」
「おお……何とありがたきお言葉……」
感動のあまり涙まで流し始めた光景に辟易した少女は。目線をそらすべく残りの懸案事項を自分たちの顔役に問い合わせた。
「では盟主様。先の作戦で紛失したゴシュアクの実験体はいかがしましょう?」
「業妖魔五号だ小娘!」
再び怒りが再燃したのか、声を荒げる男を無視して、少女は少年の返答を待つ。
「そうか……五号は南西で消息を絶っていたね。どこに落ちたのかはわかるかい?」
「申し訳ございません。既に私の制御を離れておりまして、大まかな予測しか……」
少年の疑問に素早く男が答えた。
その変わり身の早さに少女は気持ち悪く感じていたが、それを察するものはここにはいない。
「うーん……本番の前に手がかりを残すのは遠慮したいな。僕らにつながるものはあるかい?」
「ははっ!体内の副脳に回収地点への座標があります!」
「それはウマくないね。返してもらおう」
少年の方針決断に、再び男が声を上げる。
「わたくしの蒔いた種にございます。回収もわたくしが」
「いや。もう行ってもらう人は決めてあるんだ」
自らを推した男の意見を退けて、少年は静かに告げた。
少年の決定には絶対服従の男を他所に、少女は純粋に興味から問いかけた。
「それはどなたが行かれるんですか?私?」
「ハルワキに行ってもらう。丁度、彼には罰則をこなしてもらう必要があったからね」
少年から出てきた言葉に、両名は揃って微妙な顔をした。
彼が出した名は、武王衆でも屈指の奇人の名前だったからだ。
「彼も奥さんも、いい気分転換になるんじゃない?あそこはいい風景が見れるから」
ただ一人、少年だけが。彼の人物に想いを馳せていた。
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