第9話「試合。どつき合い」

 唐突に始まった国家の頂点である皇帝陛下との邂逅だが。急ごしらえの礼儀作法は今のところ正常に稼働している。


 その証拠に、御所の各所に立つ兵士の皆様や時折すれ違う政務官の皆様からは、今のところ同情の視線しか受け取っていない。


 胸の内に思うところがある人もいるだろうが。そんな彼らも上の都合で振り回されている二人の青年に対し、気の毒だという思いが勝っているらしい


 緊張がぶり返してきたセイシュウが、いくつかの作法のど忘れを見逃してもらっているのは。そうした皆様の暖かい人情によって大目に見てもらっているのだ。


 都会の暖かさに感謝しながら。俺たちは試合が行われる武舞台へ案内されている。


 皇帝御所は流石の豪華さだ。足元にある絨毯の柄から、壁に施された彫刻の精密さから、天井の明かりの謎技術まで枚挙に暇がない。


 小庭園だけでも六つほど確認できたし。内部でどう循環させているのかは知らないが川があったし、魚も亀も泳いでいた。


 内部の防衛にも手抜かりは無さそうで。その辺をうろつく小鳥や、猫に着けられているのは探知用の護符だった。師匠に教えてもらった物の一つで、あれ一個で屋敷が建つ値段の物と見受けられる。


 贅の限りを尽くした造りは。この国が持つ豊かさを象徴するだけでなく、その技術力や文化の水準をも表した国力の化身とでもいうべき物になっている。


 学んだ限りでは国外からの使者が訪れた記録は少ないものの。この御殿を一目見たならば、どれほどの大国であろうとも侮る事は無いだろう。


 という事は勿論、俺たちが試合する場所も同様の豪華な造りである事は言うまでもないだろう。




 唐突だが、俺たち武芸者は全力で動くことはほとんど無い。


 頸力の恩恵を受けた肉体は、様々な環境下で十全の動作を保証し、その出力を何十倍にも引き上げる。病気は勿論、回復力にも作用して寿命まで延びるのだから万能と言って良いだろう。


 しかし、その恩恵は操作までは及ばない。超人たちの感覚は、並の人間と全く同じものであり。その調整を怠った者は例外なく不幸な結末を遂げている。


 この世界で武術という系統だった肉体操作の手引きが発達したのは、そのような背景があったからだと推測しているが。それは先の話につながる。


 たとえ自分の力加減が出来ていても、周りがそれに耐えられるかはまた別の話だからだ。


 こればかりは魔法でもないとどうしようもない。


 似たような技を扱う道士の術法には、物に紋様を刻み強度を上げる技術が存在する。しかしそれはとても高度なもので。しかも継続して効果を発揮するには、対象の立地も関係する。


 なので一般的な武芸者たちは。普段の稽古ではおのれの肉体を鍛え上げ、身体の使い方と頸力の加減を学び。妖魔との戦いでやっと全力の出し方を覚える。


 実際、俺も道場や街中での活動に頸力を用いることは少なく。そのほとんどを自分の筋力と技術で行ってきた。


 他流試合は頸力を用いて行うが、その出力には大幅な制限が定められており。制限時間や武装の質を抑える事で、可能な限り早く決着がつく仕組みになっている。


 幼少期に俺が見た、父が道場破りを吹き飛ばしていた光景は。実は結構な危険行為だったのだ。


 まあ、道場破りはあの後、普通にウチの門下生として加わって。今も元気なので大事なかったのだろうが……。


 なぜこの話を思いだしていたかと言えば。それは眼前に映る舞台がその前提を覆す代物であることがあげられる。


 御所にある武舞台。それは数少ない、武芸者の全力を受け止め切れる施設なのだ。




「では、陛下がおいでになられるまでそれぞれの開始線でお待ちください」


 ここまでの案内をしてくれた兵士に一礼する俺たち二人。


 道中、緊張でそれどころではなかったセイシュウは。やっと落ち着きを取り戻したのか、今は目を閉じて静かに気を休めている。


 一方俺は物珍しい武舞台を見物するのに忙しく。キョロキョロと目だけ動かして周囲を観察していた。


 実際に試合を行う場所には俺たちしかいないが。少し上に備え付けられた観客席にはいくつかの人影が見える。服装から察するに、どうやらここに努める人の様だ。


 こんなところに来る観客とかどんな客層だと思ったが。成程、御所には年替わりで十二流派が詰めるのだから、時にはここの人たちの前で試合を行うのだろう。


 そう考えれば。そこかしこに足れ下げられた旗や、壁に飾られた大きな家紋は。昨日、お世話になった神将戌依流のものと一致している。


 俺たちと共に汗を流した彼らも、ここでその技を披露していたのだろうと考えれば、わずかにあった緊張もほぐれた。


 だいぶ余裕が出てきたので、今度は皇帝陛下の席がある方向へ視線を向ける。勿論隠形マシマシだ。


 そこはまさしく皇帝が良く居そうな場所で。赤いカーテンに囲われた居心地良さそうなソファーが一つ。その前には彫刻だらけの机が一つ。周りを囲うのは道術の結界だろうか?触媒を兼ねた貴金属で、金ピカ銀ピカ宝石でピカピカって感じだ。


 あれほど光物で装飾しておいて下品になっていないあたり。一流の職人が生み出した設計の妙技がうかがえて大変眼福。良いモノを見せていただきました。


 そうこう観察しているうちに、落ち着いたセイシュウがこっそりこちらに話しかけてきた。


「アロンさん。とうとう、僕たち。どちらが後継者が決まってしまうんですね」

「そうだな」

「なんか色々と、とんでもない事になってしまいましたけど」

「ホントにな」

「でも、俺はきっと今日という日を忘れないと思います」

「俺だってそうさ」

「……」


「一同、起立。皇帝陛下の御成りである!」


 こそこそおしゃべりをしている所へ聞こえたのは。銅鑼の音とそれに負けない兵士の声。


 即座に膝をつき頭を下げて来賓を迎える体制をとった。観客席からも次々に席を立つ音が聞こえてくる。


 ここからはおふざけ抜きで行かねばなるまい。セイシュウもきちんと出来たようだ。


 ゆっくりと足音が聞こえてきた。この御所で足音を立てるのはただ一人。皇国のトップ、皇帝陛下の御成である。



 チャリン、チャリン、と装身具の音を鳴らして皇帝陛下は武舞台へと入ってきた。


 顔を上げられないので音と気配でしか察知できないが。どうやら陛下に付いてスキロスさんと父上も入ってきたようだ。


 それとあと一つ。どうやら一人、年若いものがついてきたみたいだが。それは俺の知らない人だろう。少なくともザンナさんではない。


「一同、出迎えごくろう。楽にしてくれ」


 ボスッとソファーに腰を下ろす音が聞こえた後、陛下の一声に反応して客席の人たちは席に着いたようだ。俺たちはまだ駄目だよ。


「今日はな。後ろに控える相魔灯籠流が後継を決める。その試合を見たい私が昨晩命じて、そこの者たちに来てもらった」


 声を聴く限り陛下は父と同世代の様だ。落ち着いた声色はゆったりとして聞きやすく、すんなりとその言葉を飲み込む気になれる。


 陛下の話に反応して、会場の全てから視線が注がれるのを感じる。


「亜流筆頭の相魔灯籠流が、どちらを選ぶか悩ましいと考える程の輝きを、この試合に見ることを期待する。カジャ!」

「はっ!!!」


 陛下の呼びかけに応じ、この数日で聞きなれた大音量が耳に飛び込んできた。


「では!!!ここからは神将戌依流。カジャ・スキロスがご案内いたす!!!」

「相魔灯籠流アロン・ユエシェイ!!!セイシュウ・フウビ!!!」

「「ハッ!!」」


 名前を呼ばれたので、あらかじめ決まっている通り二人同時に見えるように立ち上がり。両手を組んで前方へ突き出した。


「双方!!!陛下の御前である!!!日々の鍛錬の成果を、存分に発揮するべしっ!!!」

「「ハハッ!!」」

「向き合い構えっ!!!」


 スキロスさんの掛け声に応じて俺たちは向かい合う。


 セイシュウの顔は先ほど見た時よりも大分調子が戻ってきていて。懸念だった不調の気配は感じられない。


 むしろその目は闘志でらんらんと輝き。その意思を反映してか、練り上げられた頸力による余波で空気が揺らいで見えた。


 よし。これならば、俺もだいぶ本腰を入れて相手する必要があるな?


「制限時間十五分!!!場外あり!!!有効打一本勝負……始めぇいっ!!!!」


ガァーンッ!!!


 銅鑼の音が届くや否や、俺たちは開始線を飛び越え相手に向かって一撃を繰り出した。


 さて、全開でセイシュウと闘るのは初めてだ。結構楽しみだったから、頑張れセイシュウっ!




 かつてセイシュウはリンドウに聞いたことがある。「アロンさんが先生より強いって、どれくらい強いの?」


 並んで座りながらお茶をしていた秋の一幕。その質問に少し眉をひそめたリンドウは、一口茶をふくみのどを潤すと。少々、面倒な気配を隠さずに告げた。


「お父様と兄さんは十戦やって十戦、兄さんが勝ちます。あの人はちょっとおかしいんです」


 その言葉を聞いたときは、何かの冗談のように感じていたセイシュウは。今現在、彼方の故郷で帰りを待ってくれている恋人に心の底から謝っていた。


(速いっ!巧いっ!そして何よりも力が強いっ!?込められた頸力が普段とは桁違いだっ!)


 試合開始直後。ほぼ同時に飛び出した二人の激突は。空気を震わせる衝撃音と共にアロンが空中に投げ出されたところで。早くも決着か、と見誤るものと目を見開き前のめりになる者に分かれた。


 激突の際、発生した衝撃を全て受け流し。跳躍の動力に転じさせたアロンと。手ごたえからそれに感づき、すぐさま追撃に転じたセイシュウの実力に。武芸者の観客はこの攻防だけで、二人は後継者に足る力の持ち主だと認めた。


 足場の無い空中でそのまま場外に落ちていくと思われたアロンと、それに追撃を行うセイシュウの姿は。瞬きする間に攻め手と守り手が入れ替わっていた。


 頸力を足の裏から放出することで簡易的な空中機動を行い、急制動で無防備な追撃手に付け込もうとしたアロンだったが。相手もさるもの。その場で急停止し、その勢いを流用した受け技で中空からの蹴りを捌き切った。


 一連の交差を終え、再び距離をとる二人の姿を見る観客たちの目は。既に最初の頃の侮りはすっかり消え去っていた。


(最初から全開で攻めようとしたのに。全部先手を取られて潰されている?)


 一方、早期決着を狙っていたセイシュウは。思い通りにならない戦況にも負けず。如何にか突破口を開かんと隙を伺う姿勢を見せる。


「シャアァッ!」


 当然、それをアロンは許さない。


 先ほどよりも鋭さを増した踏み込みで、彼我の距離を詰めると。間合いを気にせぬとばかりに超近距離から迫撃を繰り出す。


 頸力によって強化された武芸者同士の戦いは室内の空気を激しく振動させる。


 重低音と錯覚するほど芯を打つ攻撃の連続。しかし、それすら超えて逆転の糸口を手繰り寄せんとするセイシュウは。勝利を目指し足掻いていた。


(やはり!確実にこちらの攻めの気配を感づいている!まさか、頸力の流れを読んでいるのか!?)


 苛烈な攻勢を散らすセイシュウの両腕は既に血がにじんでいる。攻防の際に頸力の瞬間量を増大され、自身の頸力のガードを抜かれているからだ。


 現在感じる限りのアロンの頸力は、セイシュウのそれを僅かに上回る量だった。つまり、その傷は。頸力量に任せた物ではなく、純粋に彼我の頸力操作の技が劣っていることの証明でもある。


(最初から分かっていた事だが、やっぱりアロンさんは強い!だけど、僕もまだ全ての力を出していないっ!)


 終わりの見えないアロンの連撃は。始まった時と同様、唐突に終わりを迎えた。


 先ほど見せた踏み込みを、今度は距離を離すために使ったのだ。


 その彼の頬には一筋の傷と、そこから湧き出る血のしずくが見える。


「ふぅー…すー…はー…」


(何とかあの速さでも成功した……これでやっと、勝ち負けの領域に入れる!)


 深い呼吸を繰り返し、神経にかかった負担を和らげるセイシュウ。傷には全く意を介さず、それを無機質な目で観察するアロン。


 鮮烈な攻防が繰り返された一時は、ここで次の段階へと移る。




 思っていたよりも義弟セイシュウが強い。具体的には父と十戦やれば四勝五敗一分けくらいの実力だ。


 この大舞台で俺相手に速攻を決めようとする根性もだが。この皇都への旅でセイシュウの実力は確かに増している。出発前とはほぼ別人だ。


 頸量をセイシュウより一回り多めに使っているのに、ほぼ互角まで食いつかれているのは。明らかに技量で差を詰めてこられている事の証明だ。


 俺としては今後、妹がセイシュウとの婚姻を望んだ時に周りに反対されない程度には、奴の力を引き出しておく予定だったが。このままでは手加減したせいで負けかねん。


 しかも最後のアレは、父の得意としている技「呼応拳こおうけん」。


 撃たれると意識されずに繰り出される。無意識の隙間を通って殴る、防御を抜くための技だ。


 こちらの攻撃を、疑似的な防御の構えと解釈して出してきたか……。セイシュウめ!相魔灯籠流の奥義、キッチリものにしているとは嬉しい予想外しだった!


 となれば。ここは一つ、観客の度肝を抜く決着をお見せせねばなっ!




 異例の重ね掛けに多大な事務処理をかけて実現した御前試合は。今のところ大成功と言っていい盛り上がりを見せている。


 武舞台で繰り広げられる攻防は若手の武芸者のそれを凌駕しており。国家の中枢に相魔灯籠流ここにありと示すことが出来ていた。


「ほぉ……これは、中々悪くない」


 皇帝のこぼす言葉一つとっても、それが自分の息子と弟子に向けられたものだという事にクロン・ユエシェイは感無量の心地であった。


「ここまで使えるとは嬉しい誤算だ。ユエシェイ」

「はっ。ありがたきお言葉にござります」


 開始直後から身を乗り出して試合にかぶりついた皇帝は、今の膠着すら次への布石だと信頼する程度には二人の力を評価していた。


 実際、その見通しは的を得ている。


 この場にいる武芸者の目には、二人の中で渦巻く頸力の脈動が感じられ。次の一合が勝負を決するものになると確信していた。


「お二人とも見事な戦ぶりにございまするが!!!殿下の見識はいかがなものでしょう!!?」


 皇帝専用の観覧席に詰める最後の一人は皇帝の実子。今この時も冷静に試合を睥睨する少女は、順当にいけば彼女が次代の皇帝になる。


 そういう事もあって。カジャ・スキロスが同世代の戦いぶりを聞こうというのは、何もおかしい事ではなかった。


「ま、まあ結構やるんじゃないかな?わたくし程じゃないけど?」


 そしてその当人は眼前の芯に響く衝撃の余波で完全にビビっていた。しかし、それでも虚勢を張れる根性は大したものだ。


「ほう?流石は私の子だ。お前が彼らを従える日が来るのが楽しみになってきたぞ」

「とと当然ですわたくしはこの国を守り慈しむ皇帝になる者ですのでっ」

「頼もしいな。だが、もう少し……おっ?動くか」


 皇帝が娘への言葉を述べようとしたその時。じりじりと立ち位置を変えていたアロンが体勢を変える。


「あれは、我が流派が一つ「無尽の構え」にございます」


 説明を聞いた者たちにクロンはなるべく簡潔に説明した。


「我が流派の基礎「縦の構え」「横の構え」を修めしものに許される応用の型です。攻防一体の基礎から、戦況に応じてそのどちらかに特化する事が可能となります」

「成程!!!では、ご子息はここでどちらへ偏るとお考えか!!?」


 状況が動くことに観客が湧いている。その中でもよく聞こえるカジャの質問に、クロンは自信ありげに宣言する。


「勿論、攻勢に打って出るでしょう。あれはそういう性格ですので」


 それが周囲に聞き取られたか否かの瞬間。アロンは初手を思い出させるような踏み込みを見せて、そして天井から落ちる瓦礫をはじき返した。


「はぇ?」


 皇女の間の抜けた声が、一気に静寂を取り戻す武舞台へと広がる。


 注意深く天井へと視線を巡らせる舞台の二人。


 漆黒の大蛇が天井を突き破って出てきたのは。試合を止めようとカジャが口を開くまさにその瞬間だった。

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