第8話「参列参内。大変だい」

 翌朝。皇都滞在二日目の朝は質のいい寝台のおかげですこぶる好調だ。


 まだ寝ている父とセイシュウを残して。俺はこっそりと部屋を抜け出すと、顔でも洗ってさっぱりしようと水場を目指した。


 透き通るような空気の中、未だ日の出前の道場は静けさに満ちている。


 この環境を独り占めしている事に贅沢を感じながら。俺は昨日利用した水場に到着した。


「あっ!アロン様ではないですか。もうお目覚めになられたのですね!おはようございます!」


 水場には既に先客が利用していた。俺たちの滞在中、色々世話してもらっている武芸者のクロル・ザンナさんだ。


 彼女はどうも朝の支度をしていたようで、水の入った桶で顔を洗う最中の泡まみれで朝の挨拶をしてきた。


「おはようザンナさん。俺は大丈夫だから、まずは泡を流してはどうかな」

「お見苦しい所をすみません!では、失礼します!」


 ザバザバと洗顔を終わらせると、泡に隠れていた彼女の顔が姿を現す。一日ですっかり見慣れた顔になった彼女は、スッキリした顔でこちらに向き直った。


「プハーッ!はーさっぱりした!あっ!アロンさんもここに用があったんですよね!すいません、すぐにどきますね!」

「いや、そこまで急がなくていい。俺もすぐに済むから」


 遠慮して場所を譲ろうとする彼女を窘めながら、俺はさっさと一連の事を終わらせた。


「アロンさん朝がお早いんですね!皆さんにお湯をご用意しようと思っていたんですが、もうお持ちした方が良いですか?」

「まだ大丈夫だよ。俺が特別早いだけで、うちはもう少し後に目覚める」

「了解です!アロンさんは朝の鍛錬ですか?」

「そんな感じ。屋敷の周りをちょっと歩いてから軽く流すつもりだけど。朝稽古の邪魔になるかな?」

「いえ!今日は参列の日なので、朝稽古は無い日です!ご遠慮なくどうぞ!」

「ありがとう。朝食の前には部屋に戻るから」


 「はい!それではまた後で!応援してますっ!」と言って残りの準備を始めたザンナさんとはそこで分かれて。俺は再び早朝の散策に戻った。


 屋敷のある神将道場の敷地内は広大で。うかつにうろつくと迷ってしまう可能性があるので、あらかじめ言った通り屋敷の近辺を軽く走ってみる。


 ここは外縁部よりも標高の高い場所でもあるので。少し遠くを見てみれば延々と連なる大山脈がその先端をのぞかせている。


 そのふちに沿ってゆっくりとなぞるように光の線が引かれてゆき。それから少しも経たずに朝陽が顔を出した。


 俺はその光景を目にしながら、走る速度を更に上げた。


 言ってしまったため、軽く鍛錬する必要があるので。出来るだけ朝食が美味しくなるように動いておこうという心持だ。


 要約すると食い気が湧いてきたのだ。




 昨日、あの合同稽古から何とか空腹に耐えて迎えた夕飯は、歓迎の意味も込めた豪華な献立だった。


 旅館で出てきそうなお膳に乗った品々はとても美味しそうで。実際、その期待を全く裏切らない味だった。なんか肉料理と魚の煮込みと卵でとじた何かが見た目もキレイで、すきっ腹で食べた事を鑑みてもメチャクチャ美味しかった。


 途中から味わう事に集中していて、食事中にしていた一皿ごとの説明も、食べながら話した会話もろくに覚えていない。


 確か今日の参列に関する予定がどうこうだったはずだが。いまいちあやふやなこの状況は良くない。結構重要そうな話題を聞き逃すのは、我ながら怠慢と言わざるを得ない。


 流石に聞いていませんでしたでは済まないので。朝食が終わった今。部屋には俺と父しかいないこの時間を使い。雑談を装って確認しておく。


「父上。昨日の夕食の時にお話しされたことですが」

(何するか教えてくれ!)


「うむ。あの事か。それがどうした」

「いまいち飲み込め切れないのですが。本当の事なんですか?」

(何も知らないので是非!)


「その気持ちはわかる。急に予定が変わってお前たちにも酷な事をしたと思っている」

「では!」

(予定?参列がどうかしたのかな?)


「しかしなアロン。それでも私はこの機会はお前たちにもいい経験になると確信しているのだ」

「そこまで……」

(もしかして、俺たちも参加することになったのかな)


「うむ!確かにこのような事は前代未聞。我らが相魔灯籠流の歴史でも類を見ない事態ではある」

「…………」

(これはほぼ確実だな。でも、宮廷作法なんか本で少し見ただけだし。付け焼刃になるけど、教えてもらわないとな……)


「だがこれは絶好の好機。お前もセイシュウも、私が見込んだ齢に見合わぬ実力の持ち主。必ずやこの難題を突破できると信じている!」

「はい!必ずや満足いただける結果を勝ち取って見せましょう!」

(まあ、ここの人達も教えてくれるだろうし。何とかなるか)


「ふふふっ頼もしい返事をするではないか。それでこそ私を超えた男よ」

「いえ。俺はまだ父上を完全には超えていませんよ。まだまだ壮健でいてもらわなければ困ります」

(ついでにそろそろはっきりと教えてくれてもいいんですよ?)


「そうか?お前がそこまで私を買ってくれているとは思わなかったぞアロン」

「まあ、これからこなす難題の結果如何によっては、超えたと言い切るかもしれませんけどね?」

(結局、俺たちは参列するだけなのか否か教えてくれ!)


「はっはっはっ!確かにそれは認めざるを得んな!道場の者達も何も言えんさ」

「でしょう?」

(これ、やっぱり何かさせられる奴だな)


「では、陛下の御前で情けない戦いをするなよアロン」

「はいっ!」

(はい?)


 思わず心の声を出しそうだったが、何とかこらえた。


 いや、むしろ出してしまった方が良かったかもしれない。


 父の話す事を整理すればするほど。昨夜の自分に腹が立ってくるのだから。正直に話して怒られておけばよかった。


 道理で朝食の時もセイシュウの顔色が悪いわけだ。


 どうやら俺たち二人は。今日、この国で一番偉い人の前で試合をするらしい。




 未だ現実を飲み込めない俺たち若者を他所に。周囲はドンドン俺たちを運んで行くのだ。


「何と運が良い!!!いや!!!これが君たちの天命か!!!陛下の御前で技を競う機会を得られるとは!!!」

「とても名誉なことなのです!!ですが、だからこそ失礼の無いようにしなければいけません!!ですので!!」


 応接間に連行されていた俺とセイシュウの目の前にドンッ!と分厚い本が現れた。


「完全に付け焼刃になるが!!!我々が宮中での作法を伝授する!!!安心召されい!!!無茶を言っている事は向こうも承知!!!よほど酷くなければ罰は下されん!!!」

「私も全霊で協力します!!あとわずかですが頑張りましょう!!」


 気合が入って余計に声量の上がった「神将戌依流」当主のカジャ・スキロスさんと、ザンナさんが俺たちの希望だ。


 流石に腹をくくったのかセイシュウの目にも光が戻り。俺たちは応接室を教室に突貫工事でお作法の勉強を詰め込み始めた。


 勿論のこと、相魔灯籠流も結構な名門であるからには、それなりのところで通用する礼法の勉強はしている。


 しかしそれはあくまでそれなり。その程度で皇帝陛下の居城へ挑むのは、チュートリアルの途中でラスボスに挑むことに等しい。


「違う!!!その礼は最後の一つ手前だ!!!」

「お待ちください!!膝をつくときはまず右から降ろすのです!!」

「手順は暗記するしかない!!!語呂合わせでも良いから覚えよ!!!」

「陛下の前では目線は床に固定です!!絶対に目を合わせてはなりませんよ!!」


 彼らの指導は丁寧でわかりやすいのは助かったが。どうにもこうにも時間が無い。


 父などはさっき余裕綽々な風を見せていたが。時間がたつにつれてじわじわと焦燥感が増したのか、俺たちに向かって祈るような視線を見せていた。


「午後一番の参列に父君が向かったのち、君たちも御所に入る!!!試合は今日の参列が終了したのち行われるが。開始前に陛下が直々にお言葉をかける予定になっている!!!」

「あくまで内々の観覧との事なので、陛下以外の賓客はいない筈です!!なのでどうか落ち着いて試合に臨んでください!!」

「私が陛下に君たちの話をしたが故にこのようなことになった!!!済まない!!!だがそれでも、君たちの奮戦を期待しているっ!!!」


 どうやらカジャさんが皇帝陛下に俺たちの事を話し、それに興味を持ったのが原因らしい。


 なってしまった後なのでしょうがないが。俺的にはもっと静かなところで試合がしたかった。皇帝陛下の御前とか、絶対にたくさん人いるじゃないか。


 既に言葉遣いの礼法は問題なさそうとの事で。今は細かい動作を見てもらいながら所作を修正する段階に入っていた。


「御所内部で扉は開けていい物か!!?否か!!?セイシュウ殿!!?」

「専属の人員がついているので不要です!扉の前で一声かけるのか、案内役に任せます!」

「よろしい!!!では、アロン殿!!!陛下がおいでになる前に貴殿らはどのようにそれをお迎えする!!?」

「必ず片膝を立ててその場で座し、拳は両方地に立てた状態で一礼する!許しが出るまではその場で待機!」

「よろしい!!!だが、動作が乱れている!!!慣れない動きだろうがしっかり覚えてくれ!!!」


 一問一答しながら各動作の順番を体で覚える訓練をする。俺たちは午前中をそれに費やし、出発寸前まで身支度も交えながらギリギリまで勉強した。




 皇国は大陸を横断する大連山によって分断された三つの地域のちょうど真ん中に位置している。


 分かたれたその中で最も豊かな土地を持つこの国は。分断されてなお広大な地域すべてが皇国の名のもとに統一されており。皇帝の元で日々を豊かに過ごしている。


 そしてその国の中枢を担うここ皇都のさらに中央。皇帝が住まう御所の中では。今日も、国のかじ取りを任された各地からの選り抜きの人材たちが粛々と政務をこなしていた。


「どうしてただでさえ忙しい春先に、参列の時期に、予定にない観覧を盛り込んでいるのですかっ!?」

「言いたいことはわかるがなシュレンよ。陛下直々に所望されたのだから仕方ないだろう」

「それを諫めるのもあなたの仕事だと思いますけどねぇ!」


 大勢の書記官が筆を持ち。関係各所、公務執行、徴税納税書等々、様々な書類に向きあう部屋が連なる内政所。


 その総監室と掲げられた看板の部屋の中で、一組の男女が喧々囂々の言い合いをしていた。


「大体、亜流の後継者選定試合を見てどうしたいんですか陛下は!そんなの好きな場所でやらせてあげれば良いじゃないですか!陛下にしかできない仕事は幾らでもあるのですよ!」

「俺に言われてもどうしようもないだろ。そんなに文句があるなら陛下に直接上奏しろよ」

「貴方がダメというなら諦めると仰ったからここへ来たのよカルドーゾ!」

「成程ね……」


 説明を求められた男は得心して座っている椅子のひじ掛けに頬杖をついた。シュレンと呼ばれた、机越しに立つ女はその様子を見て。ただでさえ吊り上がっていた目じりを更に上げて男に詰め寄る。


「解ったならさっさとスキロスさんに頭下げてきなさい!ユエシェイ殿にもそのお弟子さんにも迷惑でしょうが!」

「おいおい、迷惑だなんて人聞きの悪いこと言うなよ。陛下の御前で技を披露するのは全武芸者の誉だぜ」


 少し言葉が気に障ったのか、男が指摘した一言に。女は更に怒りを猛らせる。


「前日っ!急にっ!何の心構えもなくっ!そんなこと言われても迷惑以外の何だというのっ!」


 ドンドンと自分の机を鳴らしながら怒り狂う同僚の姿に。男は内心で同意しながらも、主の望む方へ話を進めるべく口を開いた。


「いや、まったくその通りだ。お前の言う事は全て正しい。しかしなシュレン。既に話はあちらにも通って、向こうもそれを受諾した以上。そこから更に無かった事と告げるのはいささか無責任だと思わないか?」

「私はその無責任に憤っているの。お分かりになられるかしら?」


 男の同意から始まった反論に、女は先ほどの激情から一転、座った眼で意見を述べる。


「こっちで始めた話なんですから。泥を被ればいいのは貴方と私で済む以上、無駄に負担をかける必要性を見つけられません」

「でもなぁ。これは殿下にもいい機会になられるはずだぜ?」


 男のつぶやくように放たれた一言に、女の視線が僅かにぶれた。


 その気を逃さぬよう、男はさらに続けて言葉を放って意見を補強していく。


「殿下も十五になられて、指南役の指導だけでは物足りないとお考えになられる時期だ」

「今年のお相手は戌の者が担当するが。殿下にはそれだけではなく同世代の試合を見学することも必要だと陛下はお考えらしい」

「いや。お前の懸念も分かっている。それにユエシェイ殿の後継を巻き込む理由が分からぬのだろう?」

「だがな。自身と変わらぬ齢の甲乙つけがたい二人の後継者が、試合を通して選定される様をお見せするのは。亜流の重要性を殿下に認知していただく絶好の機会なのだ」

「勿論、無理を強いてしまった彼らには十分報いることは確定している。多少の出費をしてでも彼らには望む褒美を受け取ってもらう」

「この後はどうしても方々からお𠮟りが来るだろうが。それは俺が主体となってこの名に懸けて調整する!」

「殿下の、そしてこの国の未来の為に、どうかお前も一緒に泥をかぶってはくれまいか」


 急に誠実な態度と言葉を重ね掛けた男の姿を見せられた女は。それに懐疑的な姿勢は保ちつつ、一応の納得の姿勢を見せていた。


「そこまで言うのでしたら私も子供ではないので一旦矛は下げましょう」

「解ってくれたか!」

「ただし」


 そこまで言うと一度呼吸を整えてから女はジッと男の目を見て告げた。


「万が一これが参加する方々への傷となり後に引くようでしたら私は貴方を許しませんからね」

「当然だ。それくらいは俺だって承知の上さ」

「結構。では、共犯の証として後の調整に関しては私も嚙ませてもらいますよ」


 話は終わったと女は踵を返して部屋から立ち去った。


 一人残された男は流すのを止めていた汗を流しつつ、自分たちの望む方向へ誘導できた事で一息つく。


「ふぅー……やっぱあの人怖いねぇ……流石は武林衆司ぶりんしゅうじ灼血しゃっけつシュレン」すごい剣幕」


 とりあえず自分の仕事は終えたので、男は机の鐘を鳴らして部下を呼ぶと、お茶と今日の業務の書類を持ってこさせた。


 男の名はカルドーゾ・ジョン・リュウジョ。異例の若さで昇格し、文官の頂点に上り詰めたこの国の宰相である。


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