第6話「ふっと湧く興味。やっとこさ皇都」

 一泊のセンバード橋滞在は滞りなく終わり。俺たち一行は、乗合馬車で一路皇都を目指し出発する。


 早朝の出発にもかかわらず、父とセイシュウが訪れた道場の人たちが見送りに来てくれたのには驚いたが。どうやら一試合して仲良くなったらしい。


 ちょっとそれは見てみたかった。でもその時俺はこっそり橋の天頂へ上る遊びの真っ最中だったので、素晴らしい景色の対価が試合観戦だったんだと諦めるしかない。


 どうやらセイシュウもその一戦で何かを手にしたらしい。とてもいい事だ。


 あいつは地力はあるので、経験さえ積めばもっと強くなるだろうと見ていた。

 実際にその通りの成長をした奴にはさらに期待をしてしまう。


 尚、向こうの道場の人と俺は初対面なので微妙に気まずい事になった。あちらの当主だというお姉さんとは会話も続かなかったし、余計に気を使わせてしまったかもしれない。


 ちょっと大げさなほどの人達に手を振られ見送られながら、俺たちを乗せた馬車は大橋を超えて河を渡り。いよいよ皇都に続く街道に入った。


 とは言え。昨日、出発する時には存在した目新しさはすでに消滅しているため。ある意味、ここからが馬車移動の本番であるとも言えよう。


「む、いかん。早速気分が悪くなってきたぞ……」


 父上がまた乗り物酔いになりかけている。とりあえず窓を開けておく。


「セイシュウ。母上から預かったという薬はあとどれくらいある?」

「結構な量が残っていますよ。何せ奥様が自ら調合なさったので、帰りの分まで包んでくださったのです」


 どうやら俺の用意した薬は出番がなさそうだ。


 ユエシェイの家へ嫁ぐ前は薬師として働いていた母アニファは、今でも薬を作ることがある。


 主に外傷向けの軟膏だが、父にはこうして乗り物酔いの薬まで作ってくれるのだ。


 俺も前世を思い出してから行った色々な訓練法や、師匠との修行で様々な生傷を作っていたので。大変お世話になった。


 それだけに母謹製の薬品の効能は信用している。ただし、母の薬はその味のひどさもまさしく「良薬は口に苦し」を地で言っている。


 効き目があると分かっているのに、父がさっさと薬を飲まないのもそのためだ。


 結構な甘党の父は苦いものが嫌いなのだが。母の薬だけは何とか飲めると言うのだから、全くお熱い事だ。


 両親が仲睦まじいのは大変結構な事なのだが。時たま、それが表出すると子供である俺たちが気まずくなるのだ。


「先生。今のうちに酔い止めを飲みましょう。今なら大分マシになるはずです」

「いや……安易に薬に頼るのは良くない……もう少し耐える……」

「でも先生、すでに顔が青くなっています」

「……まだ大丈夫……まだ行ける」

「しかし……」

「介抱するセイシュウの身にもなってください父上。さっさと飲んで、ほら」


 嫌がる父に困りながら薬を進めるセイシュウに甘えた父の手へ、机に置いてあった粉薬の包みを押し付けた。


「アロン……お主は良いな、苦い味が平気で……」

「どういたしまして。お水もどうぞ?」


 水筒の水を差しだすと、とても恨めしそうな顔で拗ねたことを言う父も観念して薬を呷った。


 そして一気に薬ごと水を飲み込むと、眉間にしわを寄せて黙りこんで我慢した。いつも通りの飲み方だ。


「では、横になってお休みください。セイシュウも俺も静かにしていますので」

「うむ……」

「お休みなさいませ先生」

「うむ……」


 寝台に横になった父に布団をかけると、少ししてから寝息が聞こえてきた。どうやら薬はよく効いているようだ。


「アロンさん、少し先生に厳しくないですか?」

「そういうお前が甘すぎるんだ。この人は結構頑丈だぞ」

「いやいや。体調が悪いときは丁寧に扱うべきですよ。身体だけでなく心も弱りますからね」

「そうか……。そういうもんか?」

「そういうもんですね」


 そうだったのか……。じゃあ、今度からは少しだけ柔らかくいってあげよう。


 机越しの対面に座る俺たち二人は。各々、窓の外を見たり持参した本を広げたりして静かに過ごした。


 遠目に見えていた大連山も、今では大分その威容を増大させ。空がほとんどを占めていた景色をその岩肌で浸食していた。




 結局、風景にも飽きて暇になったので特に意味は無い遊びをする。 


 今乗っているのは乗合馬車なので、当然だが俺たちのほかにも乗客はいる。


 これまでの旅程では特に接点が無かったのだが。そこそこ時間がたつにつれて、どの部屋にどんな人がいるのかだんだん興味が湧いてきている。


 俺たちの部屋は廊下をはさんで三部屋ずつある所の向かって右列、その真ん中の部屋を使っているため。盗み聞きするのにはちょうど良い。


 仕切りの壁はそれなりのものだが、武芸者特有の強化された五感で部屋の音をこっそり聞くことは難しくない。


 どうにも下品な暇つぶしだが。ぐったりと寝込んでいる父の手前、セイシュウとおしゃべりするのも悪いので。あくまでこっそり、寝たふりをしながら楽しむことにする。


「セイシュウ」

「はい?」

「ちょっと寝るから頼んだ」

「どうぞ。本、読ませてもらっても?」

「いいよ」


 近くの二人に気づかれないようにせねばならない為。聴覚を強化する頸力に加えて隠蔽の技もこっそり施さねばならない。


 師匠との修行で、野生動物にも気配を悟らせること無く毛づくろいをしてやれる気配消しの技を身に着けた俺は。隠密だけでなく隠蔽も得意だ。


 全身全霊をもってその技を駆使しつつ寝たふりしながら、周囲の会話を聞き込んでいく。この馬車くらいの広さなら、どこでも自由に狙い聞ける。


 早速、目を閉じて意識を集中させる。まずは右隣りの部屋からだ。


『旦那様。御者に聞きましたところ、予定通り本日の夜半に皇都へ到着するそうです』

『うむ。ならば商談には間に合うと見てよいな』

『はい。事前の打ち合わせ通りに会談会場も確保していると、連絡が来ております』

『よろしい。なら後はこの旅を楽しむだけでよいな。酒はあるか?前祝をしよう』

『こちらにご用意してあります』


 どうやらどこかの商売人の様だ。部屋の気配は二人分なので、連れている従者は一人だけの様子。


 皇都に到着する時刻を知れたのが収穫といえるかな。では、次は左隣の部屋に行ってみよう!


『んあっ!だ、だめよアナタ……他のお客に聞こえるわ……』

『これだけ音がしているんだ。聞こえやしないさ。それにオマエもしっかりその気じゃないか?』

『そ、それは……』


「ンごふっ!?げほっげほっ!」

「大丈夫ですか!?」

「ああ、ちょっとむせただけだ大丈夫。ありがとう」


 はい、ここまでー!!盗み聞き中止ー!!なにやってんねんっ公共の場やぞっ!!


 こっちの部屋も気配が二つだけな所を見るに夫婦なんだろうけど。こんなところで盛るな!普通に迷惑だろ!一般常識が無いのか!


 まったくもってはた迷惑な連中だ。とりあえず気を取り直して、今度は向かい側の部屋を狙い定める。まさかここでもお楽しみ中という事はないだろう。


『先ほどの華扇群狼流の見送りは何だったんだ?当代の「花軍堅楼かぐんけんろう」まで出てきていたぞ。向かいの部屋には何処のお偉方がおられるんだ?』

『少し探りを入れたが……どうやら相魔灯籠流の当代殿が……跡継ぎ候補二名を連れて……定例の参列に赴いているとか……』

『ほう、あの名門か。一言だけでもご挨拶に伺うべきか?』

『やめておけ。我々のような根無し草に寄って来られても、向こうの迷惑になるだけだ』

『違いない……』


 どうやら旅の武芸者の一行のようだ。軽く探った限りでは、気配が希薄なのが一つ、几帳面に整えられているのが一つ、力強そうなのが一つあった。


 話の内容からすると。仕事をこなして路銀を稼ぎ、あちこちの道場で腕試しをする武者修行の武芸者かな。道場破りではなく、お客人として扱われる方々。


 確かに。今、挨拶に来られても寝込んでいる父を見せる訳にもいかないので。気を使ってもらえてありがたい。


 しかし、やはりというか、今朝の見送りはだいぶ目立っていたようだ。そりゃそうか。


 向かって右側の部屋は一人だけ気配を探れたが。どうやら寝ているようで、聞くに堪えないイビキしか聞こえなかった。


 せめて寝言でも言ってくれればもう少し面白かったのだが。時折、イビキの合間に呼吸が止まっている様子を聞き続けても、心配ばかりが積もってゆくので。とりあえず彼の今後を祈って聞き耳を終えた。


 反対側、左の部屋を探ってみると、何やらごそごそと動く音が聞こえる。……まさかこの部屋にも色ボケが?


『火は土を生み、土は金を生み、金は水を、水は木を、木はまた火を生む』

『光なくば影は無く、影無くば光は光として成らざる』

『えーと、西方に座す四つを司りし火、水、風、土はそれぞれに隠されし秘を解くことで最後の一つを……』

『うーん。やっぱり、難しい。僕に道士なんてできるかなぁ……』


 どうやら勉強中の様だった。


 聞いた内容を見れば。彼は道士になるべく、皇都の学び舎を目指す学徒と言った所か。


 道士はこの世界でちょこちょこ見かける魔法使いみたいな人たちだ。仙人になるために修行しているらしい。


 大体の彼らは大連山の頂にあるという庵で修行の日々を送っているのだが。たまに人里で暮らし、人々の生活を手助けしてくれたりする。うちの道場にいる職人みたいな人たちもそんなクチだ。


 どうやら彼は皇都に仕える道士になろうとしているようだが。あそこは相当なエリートぞろいと聞いている。つまり彼も結構な俊英なのだろう。


 彼の挑戦に応援だけして聞き耳をやめた。なかなか面白い一時だったが、ちょっと変なものも混ざっていたな。


「アロンさん、アロンさん、起きてください」


 セイシュウの呼びかけに。俺はすぐ起きず、少し眠そうな演技をして目を開けた。


 父を起こさないようにヒソヒソと小声のセイシュウは、意識を窓の外に置きながら俺に話しかける。


「お休み中にすみません。ちょっと気になる物が見えたので。起こさせてもらいました」

「なんだ?外か、どの辺りだ」

「あの上の方です。ほら、あそこの」


 セイシュウの指さす先を見れば、確かに何か黒い影が見えた。


 それは武芸者の視力をもってしても爪の先くらいの大きさしか見えなかった。はためく紐の様にも見えるし、蛇の抜け殻にも見える。しかし、その動きにはどこか規則性と意思が垣間見え。ただの漂流物には思えない何かをうかがわせた。


「あれは生き物か、な?」

「おそらくは。俺も見たことが無いのでアロンさんなら、と」

「そういわれても、俺も結構物知らずだからなー」

「先生にも聞いてみますか?」

「いや。せっかく熟睡しているんだし。寝かせておいてあげよう」

「それもそうですね」


 そんな感じに駄弁りながら俺たち二人は遠目に遠ざかる謎の紐を見送った。


 そうしているうちに今度はセイシュウが眠そうにしていたので。俺は持参した本を読みつつ、二人が休んでいる間一人で時間を潰した。




 こっそり聞いた通り、夜も更けた真夜中に馬車は皇都の門前へと到着した。


 馬車から降りるときにそっと他の乗客を見てみた。


 最初の主従は中年の主人と壮年の従者。二人とも仕立ての良い服に身を包み、随分と足早に停留所を去っていった。取引とやらに出かけたに違いない。


 次に馬車の中で仲良くしていた男女は思ったよりも若かった。


 丁度、セイシュウとリンドウぐらいの二人組はやはり夫婦だったらしい。迎えに来ていた親類と思わしき一団に囲まれて、楽しそうに話しながら歩いて行った。どうかもう少し自重してもらいたい。


 武芸者の一行は思った通り中々使えそうな雰囲気の三人組だ。


 棍棒を持つ力強そうなのと、両腰に剣を佩いた几帳面そうなの、全身に暗器を仕込んでいる気配が希薄なの。きちんと三人組で、俺でも気づけない達人とかいなくて良かった。


 彼らとは互いに一礼して別れた。きっと今頃、宿を探すか酒場で飲んでいる。


 イビキの人は予想通り不健康そうな体形の中年だった。馬車であれだけ寝ていたのに目の下にクマをつけてフラフラと町の中へ消えていった。どうか無事でいて欲しい。


 勉強していた青年はこっちでは珍しく眼鏡をかけている。背中に手に鞄を持ち、手にした地図とにらめっこしながら住宅地方面へ向かっていった。きっとそこに宿のあてがあるのだろう。


 夜半についたにもかかわらず。皇都周辺にはまだまだ人の営みの声がそこかしこに聞こえている。


 我らが皇国の首都である皇都は、百万の市民を抱える最大の都市にして政治の中心。全国から人と物が集まり、それぞれの予定が重なり合う事で。皇都は一日中誰かが動く不夜城となっているのだ。


 二日を過ごした馬車ともこれでお別れ。俺たちは皇都の外縁にて宿をとった。


 これから皇都に滞在する宿は別にあるのだが。流石に深夜帯に押しかけるのは大変失礼なため、明日の朝に装いを整えて改めて訪問するのだ。


 俺も六歳くらいの時に一度、父に連れられてきて以来の皇都だが。正直、全く覚えがない。


 今見れば、異国情緒あふれるアジアンチックな街並みに感動を覚えるのだが。当時の俺は頸力という不思議パワーに魅せられていて。鍛錬にしか興味が無い子供だった為、旅行を楽しむという高度な活動が出来なかった。


 宿に着くまでキョロキョロと周りを見ていたセイシュウの反応こそ、人間として正しい反応だろう。


 「飛び上がる鯉」亭という宿に、部屋は三人寝れる部屋を一つとった。既に夕飯時を過ぎているので素泊まりだが。部屋の感じは悪くない。


 乗り物酔いですっかり弱っていた父も、平地に下りればあっという間に体調を取り戻し。部屋に着いたらすぐに寝てしまった。


 それに倣って俺たちも寝たと思ったら。セイシュウはこっそり起きて窓辺から下方の様子を見ている。


 明日の朝きつくなるだろうが、これはしょうがない。


 俺は布団に潜り込んでさっさと目を閉じる。明日の朝は俺が一番に目を覚まし、お湯でも用意してもらおうと考えて。

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