第3話「深夜の密会。もう一人の師匠」

 先日初めて知った妹の交際発覚からしばらく。それをネタにセイシュウをからかっていたら。妹に薪で頭を強打されたりはしたものの、いたって平和な日々が過ぎていった。


 肝心の参列はあと十日ほどで出発するのだが、もう準備も済んでしまっている。


 旅の荷物も用意できてしまって、後は前日に用意が間に合う物ばかり。馬車の手配も旅費の工面もとっくの昔に終えてしまった。


 道場内部での派閥問題も。父が今回の決定を皆に知らせてから、納得したものがほとんどで。微妙に張りつめていた空気がそれ以前の居心地の良いものに戻ってきている。


「いやぁ、まったく。みんなして贅沢な悩みだと思わないか?どこかの道場では、跡継ぎがボンクラでどんどん寂れていく流派もあるというに。ウチでは「どっちを選ぼうか」なんて余裕があるんだ」

「一理ある。が、お前が言うそれは他所の家の話だからな。話の種にはしても、ウチの問題と同列で語る事じゃない」

「そうだけどさぁ……」


 いつも通りの稽古終わり。一通りの日課を終えた俺は、門下生で友人のロウと縁側でお茶していた。


 ロウは通いの門下生で。実家が茶碗とか壺を作る焼き物屋の三男坊だ。


 二メートル近い背丈と頑強な体格は道場でも随一で、ゴツい顔つきが特徴の優しくて寡黙な男だ。ちなみに道場で俺の次に腕相撲が強い。


 俺が参列に出ているときに仕事の代理を頼んでいるのだが。その事で少し確認しておきたい事があるようで、ちょっと話していたのだ。


 それは道具の補充先についての話で、すぐに終わったのだが。その後の予定を聞くと、特に何も無いとの事だったので、炊事場でお茶をもらってきてゆっくりすることにした。


「俺にとってはどちらも友人だから遠慮していたが。お前がそこまで言う程ひどかったのか?」

「そりゃあおめぇ、人の目の届く所じゃ取り繕うだろ。俺がこっそり盗み聞いたのはかなりヤバかったぞ?」

「それこそ盗み聞くな。人には不満を吐き出す場所も必要なんだ」

「わかってるさ。変な空気になってなきゃやらねぇよ、俺も暇じゃないんだ」


 そう言ってお茶を飲む俺を、ロウは呆れながら見ていた。


「お前はいつも暇そうに見えるがな。……跡取り筆頭の長子がこれだから、セイシュウを支持する者が出るのだぞ?」

「まあ、さっきの話じゃないが。奴らからすると、俺はそういう人間だと思っているのだろうな」

「傍から見れば変わらんだろう。これで実力はあるのが質が悪い」

「はっはっはっ!全くなっ!」


 自分が落ち着きのない人間なのは良く知っている。そしてそれに対して不満、もしくは不安を覚えている人間がいることも分かっていた。


 しかし俺がこうなのは生まれつきで、今後も改める気はないので。彼らには今後ももやもやしていてもらう事になる。


 俺のこの話題に飽きたと認識したのか。ロウは次の話を始めた。


「最近やっと暖かくなってきたからか、妖魔の数も増えてきているな」

「ああ、それは俺も出先であったわ。でっかいカエルのやつ」


 妖魔は基本的に負の頸力である「瘴気」によって生まれると考えられている。


 負の頸力とは。命ある者の病気や死、不安や不満などの想念が降り積もり。固まった力が混ざり合い、地上へ現出したものだと言われる。


 そうして瘴気になって、生き物の亡骸や生まれたばかりの生物に宿り。体が瘴気に適応した姿に造り替えられると妖魔になるのだそうな。


 どういう訳か、妖魔はこの国でしか生まれないという。


 それを呪いだとか言う国外の勢力もいると聞くが。俺の調べた限りではこの国がとても豊かだから自然とそうなっている可能性の方が強そうだった。


 先日、農家のおっちゃん達と共に畑の見回りに出たとき、土手から這い上がってきたカエルの妖魔も、冬眠明けにもかかわらず肉付きが良かった。


 倒した後解体した所、鹿を始めとした動物の骨だけが出てきたので、犠牲者はいなかったが。この土地の命の豊富な環境が競争を呼び、結果的に敗者の思念で妖魔が発生するのではないか?


 それが俺の仮説だが、今のところその証明に足る物証が用意できていないので。誰にも話せずにいる。


「そうか、話には聞いていたがお前がいた班の話だったのか。その妖魔も運が無い」


 黙って話を聞いていたロウは口元にうっすらと笑みが浮かんでいた。


「なかなかびっくりしたぞあれ。穴から顔を出した妖魔と俺、目が合ったもん」

「ぶふっ!くっくっく……お前……想像させるなよ……」

「いやーおっちゃん達も腰抜かしててさー結構危なかったんだぜホント」


 実は頸力の力は無意識でも作用するため、この世界の人は結構丈夫だ。それらの補正を除くと、前世のそれとどっこいどっこいだが。


 なので意外と撃たれ弱く。武芸者が護衛をするときに一番気を遣うのは、対象の頑丈さを確認する事だったりする。


「だから昨日までやたらと護衛の仕事が増えていたのか」


 ちょっとした疑問に答えが出たので、ロウは得心した様子でお茶を飲みほすと椅子から立ち上がる。休憩はここまでという事だ。


「じゃあ、俺はそろそろ帰る。お前もそれなりで切り上げろよ」

「勿論。また妹に薪を食らうのは勘弁したいからな」

「全く……。あまり年下を困らせるなよ」


 実家では最年少のくせに、ロウはやたらと堂に入った貫禄で俺をたしなめた。


「あと分かっているだろうが、皇都への参列は認定流派の義務。正式な公務に数えられている。向こうでおふざけは程々にしておけよ」

「解っているさ。身内にしか通用しない事を余所で言っても面白くないからな」

「……本当に頼むぞ?友人が皇都でとっ捕まるなんて経験、俺は御免だからな」

「どんだけ信用無いんだよ!」


 最後に小言を言い残し、町へと帰っていくロウを見送って。俺は残ったお茶を飲み干して炊事場へ返しに行った。


 丁度、洗い物をする手が足りないところへ出くわしてしまい。そこから夕飯の手伝いまでやる羽目になったが。味見にありつけたし、こんな日も良いだろう。




 その日の深夜、月明かりのさすところ以外は真っ暗な闇の中。俺はこっそりと屋敷を抜け出し、近場の森へと入っていく。


 この辺りでは未だに蠟燭や松明でしか明かりを確保できない為。日の落ちた後は結構な速さで皆寝入る。


 未だ賑やかなのは町の酒場位なもので。俺の目的地には人っ子一人の気配もしない。


 当然、森の中は夜の闇に加え、木々によって視界のさえぎられた空間なのだが。鍛錬を積んだ武芸者であれば、このような空間であっても活動することは難しくなかった。


「流石にここで明かりをつけると目立ちすぎるからなぁ」


 別にやましい事をするつもりはないのだが。人に見られても面白くないので。俺はここへ来るときには必ず夜を待つことにしていた。


 それはここで出会いがあった時刻が、夜であったことも関係しているし。単純に自分の時間が空いているのが、この時だけというのもある。


 するすると木々の合間を進むこと数分。俺は目的の場所へとやってきた。


 そこは森の中にポツンと開けた広場。小さい池があり、その脇にとても大きな木が生えているのが目印だ。


「さてさて、久方ぶりに来たが。どうなっているかねぇ……っと」


 丁度、月明かりが雲の切れ間から顔を出した。一筋の月光が池の水面に反射してあたりを照らすと、散った光で広場が少し明るくなってきた。


 影にのまれて見えなくなっていた物はすぐに見つかった。大木に寄り添うように建てられた石の祠。俺の目的地はここだ。


「おっ、結構きれいじゃないか。これなら補修はしなくてもいいかな」


 石を削り、形を整えたものを組み合わせて作ったこの祠は。かつての俺が修行した時の産物だ。


 中は背が伸びた俺でも、余裕をもって入れる程度の広さを備えており。其処へ鎮座する物を風雨から守っている。


「よう、師匠。また来てやったぜ」


 そう言って俺は祠の中心に悠然と佇む墓石に話しかけた。


 ここは俺のもう一人の師匠の墓。誰にも教えていない。この世界で唯一、俺が全てを話した人の眠る場所だ。




 師匠との出会いは、九年前。俺が組手で父から一本とれた、九歳になった日の事だった。


 あの時の俺は、自らが身に着けた力に酔っており。その指標であった父との試合で勝ってしまったことで、過去最高にメチャクチャ調子に乗っていた。


 だからこそ。誰にも言わず、秘密の特訓と称して夜の森で妖魔狩り何て馬鹿な事を試みたのだが。

 良い気になっていた俺の興奮は。そこで出くわした場面に呑まれて消え去り、当初の目的はすっかり忘れてしまったのだ。


 見ず知らずの老人が妖魔に襲われ今にも死にそうだったからだ。


「大丈夫ですかっ!今助けますっ!」

「何っ!?」


 勘違いしないでほしいのだが、俺にだって人並みの良識は持ち合わせている。


 他人と身内の線引きはしているが。流石に目の前で殺されそうになっている人を助ける義務感くらいは、今世の武芸者としての教育で培われていた。


「これで最後ぉっ!」「gisyaaaa……」


 妖魔を退けること自体は特に問題なかった。ごく普通にそこら辺をうろつく小規模の群れだったし、その時の俺は最高に調子に乗るだけあってまあまあ強かった。


「うわっ!思ってた百倍ひでぇ……すぐに助けを呼んできますっ!」

『待てぃ!!!』


 問題はそのあとだ。助けた老人は全身血みどろの上、右腕と左足が無く。俺が人を呼ぼうとすると大声で静止してきたのだ。


「あれは今でも引きますよ師匠。幼気な少年にガチな殺気を向けてきやがって」


 それで動けなくなった俺に師匠は何やら術を施すと。俺を操り人形にして作り方の分からない、いくつかの道具を作らせ。特徴も知らない薬草を採取して調合させると。それを用いて自力で手当をし始めた。


「ぎぃ……おのれ「破戒我童はかいがどう」小癪な技を……うぐっ……」


 そうして一息付けた師匠は、初めて俺に興味を向けたようで。色々尋問された上に、此処へ来た目的を知るとその場で説教された。


「愚か者め!どれだけの才があろうとも所詮は雛鳥。貴様の父君は野獣を育てたかったのか?」

「いや、その獣に助けてもらった人に言われても……」

「むっ……だまらっしゃい!!!」


 それはそれとして。俺は師匠の服装から武芸者と看破し。治療に使った俺の身体の使用料と、今後の生活の手助けを対価に、彼の技術を教えてもらう事になった。


「お主、おそらく頸路が異様に発達しておるな。だが、それだけでこの武の道は昇り切れんぞ!」


 師事した成果はすぐに出た。師匠は俺が元々学んでいた相魔灯籠流の技に影響することなく指導を行い。今まで無意識で出していた頸力の変な癖や、効率的な操作の方法を付きっきりで教えてくれたのだ。


「ほお、基礎は仕上がっておる。良い。良き師に学んでいるようだな」

「父が師です。この間一本取ってから俺が勝ち越してますけどね?」

「図に乗るな小童ぁ!その性根叩きなおしてやるっ!」

「うぇ!?師匠、もう動けるんですかっ!?」


 傷の具合が落ち着き、義手と義足を用意してからは立ち合いも取り入れた修行を行った。


「ほぁたぁ!」「ぐえっ!」

「せぃはぁ!」「ぎょぺっ!」

「おぉりゃぁ!」「うぎゃあ!」


 相手は深手を抱えた老人だというのに、俺は自分の事ながら面白いように散々転がされ、投げられ、関節をきめられた。


「さあ、お主はこの構え。どう攻略する?」

「……隙ありっ」

「無いわ馬鹿者」「ふぎゃ」


 あからさまな誘いの隙にも引っかからざるをえない立ち回りや、技の応酬での読み合いも徹底的に鍛えられ。その観察眼は今でも戦闘だけでなく様々な応用をさせてもらっている。


「儂はあくまで仮の師。お主の師にまず学べ」


 師匠との修行はとても楽しかったが、師匠は俺に必要以上に関わることを禁じ、週に一、二回しか来ることを許さなかったし。たとえそれ以外の時に訪れても姿を現さなかった。


「なんで返事してくれなかったんですか?せっかく良いもの持ってきたのに」

「馬鹿者。お主は自分を付ける者の気が分からんのか」

「えっまさかつけられてました?」

「作用。「儂とお主の間を気づかれてはならぬ」という契約のもとに行動しただけの事。儂に落ち度は一切ないわ」

「なんか情けない事言ってません?」

「……あぁたぁ!」「アブねっ!?」


 俺はこの時に散々高くなっていた鼻を叩きおられ、修行以外遊びまわっていた生活態度も相当改善するように努め始める。


「成程。どうやらお主は大した秘密を秘めていたようだ」

「しかし、それを磨かずして儂に勝とうなど笑止千万!」

「新たな技、新たな術にかまける暇があるなら。今の己を形作った全てを知り、完全に我がものとせい!」

「そうでなくば!この死にぞこないの儂一人超えれんぞ!」


 それは師匠の訓示でもあったが。彼の言う「家族や同門。自分を育んだ全てを大切にしろ」という言葉に、今まで感じたことの無い悲しみを読み取ってしまったのもある。


 師匠に出会ってから、急に大人しくなった俺を訝しむ者もいたが。その時、俺は弟フェイロンの一部指導を言いつけられていたため。「弟の指導の中で自分を見つめなおした」「先日までの自分は舞い上がっていた」と言えば大体は納得された。


 それから数年間、師匠には技術と鍛錬法を始めとする様々な事を教えてもらった。今は墓石のあるこの祠も、修行の一環で俺が素手で石を加工したもので、師匠が住むための家づくりを兼ねていた。


「師匠。普通の人間は素手で岩を切り出せません」

「今更常人ぶるでないわ。早くやれ」

「へーい」


 俺は屋敷では父に、この広場では師匠に武術を学び。実戦形式で隠形や技量の誤魔化し方、人の目を盗む方法、武林での社交を学ぶ。


「同じ武の頂を目指す者同士。相手を尊重した礼を学べ」

「はい」

「だが、それをわきまえぬ礼儀知らずは叩きのめしてやれ。獣はまずどちらが上かを教えてやらねば話を聞かんからな」

「はい!」

「返事が良すぎるっ!」「ぐへっ」


 色々とお世話になった師匠だが。出会う切っ掛けになった怪我の理由は最後まで教えてくれなかった。


「師匠。結局その手足、誰にくれてやったんです?」

「……今のお主には刺激が強すぎるでな。教えてやらん」

「えー!」


 師匠ほどの達人にあれほどの深手を与えられる使い手の事は知っておきたかったのだが。師匠はこのことに関しては頑なに口を閉じ、結局その事を聞けぬまま俺の前から去った。


「うむ。儂の教えられることは全て伝えた。後はお主自身が、自らの手で研鑽せよ」

「はい!今までありがとうございました!」

「技はくれてやる。名も全て好きにせい」


 それは唐突に起こった。やっと俺が師匠へ一撃見舞えるほどに成長した三年前。師匠は俺に卒業を告げると、置手紙一つなく姿を消した。


 今までにも何度か居なくなる時期があったものの、師匠はそうする時は一言教えてくれていたので、俺は今回は何か違うとすぐに分かった。


 しかし、その行先は全く分からず。誰かに助けを求めようにも事情が事情だ。そうして手をこまねいているうちに、師匠は再び俺の前に姿を現した。


「師匠!……ああっ……そんな……」


 物言わぬ躯となって。


 俺はあの時ほど自分の無力を後悔したことは無い。


 初めて出会った時のようなボロボロに壊された師匠の身体を。俺は泣きながら清めて埋葬し。静かに眠れるよう、師匠に教わった結界術で広場を隠した。


「あれからもう三年ですか……全く……」


 恩人が無惨にも殺されて黙っているような真似は出来ないと。俺はすぐさま下手人の捜索を開始した。


 時には変装し、時には領主の屋敷に忍び込んでも。この三年探ってきて、師匠の身体に残された傷を再現できるような流派はおろか。かつて一度だけ聞いた「破戒我童」の通り名すら見つからない。


 勿論、今の俺の行動範囲では限界があることは理解している。「だが、それで師匠の仇を見つけたとしてどうする?」という考えもまた俺の中にはあった。


 師匠は俺に何も見返りを期待していなかった。命を助けられた礼としてのみ技術を提供してくれたが。結局俺は師匠の扱う流派の名すら知らない。


 そんな俺が勝手に仇討ちを目論むことこそ、何も言わず一人で動いた師匠の遺志を無下にした行いなのではという思いもある。


 だがどうしてもあきらめきれない。


 では、考え方を変えよう。師匠の事をより知るために俺は仇を見つけるのだと。


 俺に名も知らせずに逝った師匠の名を知るべく、俺は彼の人の痕跡をたどり。その過程で仇の事を知るのだ。


「勝手にいなくなったんだ。こっちが飽きるまでは勝手に調べさせてもらいますよ」


 新たな指標を定めた俺は、師の墓前に一礼しこの場を去った。


 いつの間にか月明かりはまた雲の中へ沈み。森の広場は再び暗闇の中に戻っていった。

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