第2話「出立の日まで。唐突に知る衝撃の真実」

 あの知らせから十数日、冬の寒さも和らいですっかり暖かい気温になってきた。


 庭に植えられた木々もつぼみが膨らんできて、春の訪れに備えてゆっくりと準備を始めている。


 朝稽古の空気の冷たさもだいぶマシになり、門下生たちが吐く息も白さが薄まっていた。


 俺にとっては何よりも井戸水を浴びた後がかなり楽になった。


 いちいち湯を沸かしてもらう訳にもいかないので水浴びを続けているが、かなり寒い事には変わらない。


 身体から湯気が立ち上る様はちょっと面白いが。正直、前世の死因を思えば遠慮したいものではある。


 しかし、やらないと気分が悪いのも事実だ。前世の衛生感を思い出して以来、俺はこっちの価値観ではちょっときれい好きな男になっている。


 父に告げられた皇都への訪問を見据えた予定の組みなおしは、特に手間はかからず終わった。


 道場で割り振られる俺の仕事は雑用が多く。代役はいくらでもいる業務がほとんどで。少し頼めば皆が変わってくれた。


 本来は、時たま来る道場破りに対応する事が俺に割り振られた仕事なのだが。十四の時に仕事を承って以来。来る人来る人丁寧に指導して返したところ、数年で挑戦者が激減したので。すっかり暇になってしまった。


 そういえば、妙に道場破りが多い事にも理由があった。

 父曰く、この世界には「頸力」と呼ばれる力が存在する。それは生命力由来の力でそれを自在に操ることで様々な現象を起こすことが可能なのだ。


 俺が父から学んだ「相魔灯籠流」も頸力を利用する武術の一つで。そこそこ歴史の深い流派らしい。


 だからこそ跡継ぎの問題で色々と周囲からの干渉があるわけなのだが。俺個人に関しては九つの時に父から一本取って以来「コイツはほっといた方がのびのび育つだろう」と認識され、放任状態にしてくれたのでとても助かっている。


 それは置いといて。この世界には不思議パワーが実在し、人類を含めた生物全般が強靭になっている。


 なので人によってはちょっと頑丈に生まれただけでも無意識に頸力を利用できてしまう。力を手にするハードルが極端に低いのだ。


 要するに武芸者を名乗る者の中には、誰かに師事することなく頸力に開眼した野良武芸者も数多くいるとのこと。


 そういった自称天才は、大きな自信を携えて道場破りを試みる。そしてキッチリ鍛えられた武芸者によって鼻っ柱を叩きおられるのが、この世界ではよくある話になっているという事だ。





 武芸者がたまり場にしている酒場にその地の人々から相談事が持ち込まれる事がよくある。それを利用したのが「武林所ぶりんじょ」という制度らしい。


 酒場や宿場に「武林の認定した相談所」という看板を貸し出すことで、一般民衆が依頼を相談する窓口を集中させ。武芸者の活動に協力させているのだ。


 古くから名を連ねる我らが道場も、居を置く街にある武林所へ門下生が出入りしている。


 依頼をこなすと内容に応じて国から定められた額の謝礼が支払われるほか、店によっては一食タダになったりするので。金欠の者には生命線になっていた。


 俺と共に父に同道する事になったセイシュウは。近頃、時間を見繕っては町の武林所で妖魔退治の仕事を探してはこなしている。どうやら修行の様だ。


 一人で出かけては夕暮れに帰ってくるたびヘトヘトになっているセイシュウを見かけるのだが。その時に必ず迎えに出てきては詰め寄る妹リンドウと、それにタジタジになるセイシュウの姿は。俺にとって昔から見ていて面白い一幕だった。


「あの二人は昔から変わらんなぁ。背丈は伸びてもやはり根は子供の頃のままなんだろうな」

「えっ?アロン兄。もしかして気づいていない?リン姉とセイシュウ付き合ってるよ?」

「えっ?」

「あっホントに……やば……」


 屋敷の一室でコマ捕り遊びに興じる俺と末の弟フェイロンは、窓から見える二人を見ながらとりとめのない会話に興じていた。


 生意気盛りの年代にしては。フェイロンは落ち着いているほうで、それは物腰にも表れている。


 動きやすい短髪に、ぱっちりした丸い目。目鼻立ちが良い顔。それに加えて武術の覚えも良いので、町では密かに人気が高い事を俺は知っていた。


 そんな弟の何気ない一言に俺の思考は一時停止した。


「……まさか、そうなのか?あの二人が?」

「うわーしくじった……俺から知ったって言わないでよ?」


 フェイロンの念押しもそこそこに聞き流し、俺は思考の内へと潜っていく。


 妹リンドウは顔がいい上に器量も良いが、それを上回るほど性格がきつい。


 基本的には優しく利発なのだが、一度火が付くとひたすら理詰めで此方がどれだけ間違っているかをゆっくりと諭してくる。


 何を隠そうこの俺も。昔、深夜徘徊を咎められたときに泣かされたことがある。


 そんな妹が誠実に手足が生えたような男であるセイシュウに想いを寄せていたのは知っていたが。まさか知らぬうちにくっついていたとは……。


 嬉しい事は嬉しいが。しかし、それはそれとしてのけ者にされたのは面白くない。俺は教えてもらっていないぞセイシュウ、リンドウ。お兄ちゃん悲しい。


 一人で百面相する兄の顔から何かを察したのか、フェイロンはいつの間にかいなくなっていた。


 仕方ないので、こっちがやや優勢だったコマを片付けた後。俺は屋敷の方へ歩いていく二人に付いてゆき、尾行を開始するのだった。




「張り切るのは結構ですけど、もっと自分を大事にしてくださいます?心配したんですけど?」

「ははは……ごめん、リンドウ」

「何笑ってるんですか?私は全く面白くないですよ?」

「ご、ごめん……」


 少し機嫌が悪い妹とそれを刺激しないように話すセイシュウを横目に、俺は屋敷の中で掃除しながら尾行していた。


 父の二番目の子で長女のリンドウは、身内のひいき目抜きで美しい容貌をしている。


 それは「父母のいい所を更に磨き上げたかの様」と詩人に称される程で。猫っぽい目の形も、顔の輪郭も、真っ黒な髪の光沢まで美しいのだからよくできている。


 そんな美人が不機嫌そうにしていると。元がいい分、余計に怖く見える。


 全く当然無許可の尾行なので。武芸者であるセイシュウと、護身程度には武芸を仕込まれているリンドウには気づかれてはならない。その為、今俺は本気の隠形術を発揮している。


 何も知らない二人には、俺はただの掃除している人にしか見えないだろう。


「それじゃあ「私が」手当しますので医務室に行きますよ」

「え?そんなの一人で出来るよ。大丈夫、君の手を煩わせるほどじゃないさ」

「ふんっ!」ドスッ……!!

「ウ”っ!?」


 低い音を立てて、リンドウの拳がセイシュウの腹に吸い込まれる。いい一撃。流石俺の妹だ。


「すいません、照れ隠しです。あなたと、二人で、手当てにかこつけていちゃつきたかったんですよ。すみませんね分かりづらくて」

「さ、察しが悪くてごめん!」

「いいえ、こちらこそ手を出してしまってごめんなさい。あなたと結ばれてから、ちょっと私も浮ついているようです」

「大丈夫。むしろ君のかわいいところを知れたから僕も嬉しいよ」

「歯が浮くようなこと言わないで?舞い上がっちゃうから」


 妹ともう一人の弟同然の男のじゃれあいに思わず胸やけがしてきた。いくら付近に俺以外の人がいないからといって、ちょっと甘すぎない?


 廊下を歩く二人の距離は、心なしか入口にいた時よりも近づいている。いつの間にか腕まで組んでいるのだからこそばゆい。


 実の兄には「やっぱり頭おかしいんですね」とか「同じ親から生まれた生き物と思えません」とか言ってくる妹が醸し出す桃色の空気に、俺は結構なショックを受けている。


 あの妹をここまで解きほぐすとは……流石だぜセイシュウ。


 知らない間に俺からの評価を上げているともつゆ知らず。二人は目的の部屋に到着した。


 流石に同じ部屋へもぐりこむわけにはいかないので。俺はこっそりと近くの部屋へ入ると、そこから屋根裏へと忍び込んだ。


 俺は医務室の天井裏に移動すると。上手い事気配を馴染ませ、天井の板を僅かにずらして室内を覗き込む。


 しょっちゅうけが人が出る稼業の為、父は医務室に結構なお金をかけて整備している。


 簡易的な木製の寝床がそこそこと、清潔な布がたくさん。皇都で仕入れてきた薬が収められた薬棚と調合の道具。大体は前世にあったものと変わらない設備だ。


「それじゃあ、傷口を見せて?」

「はい……」


 リンドウはてきぱきと慣れた手つきで手当の用意を進めていた。


 妹は元々薬師だった母から医療の術を学んでいる。


 なかなか評判も良く、妹の外見も手伝って門下生からも人気が高いのだが。流石に当主の娘にちょっかいをかけるものは少なく。俺も浮いた話は聞いたことが無かった。


 しかし、それもこれもセイシュウという心に決めた者がいたのなら話が早い。真面目な妹の事だから、真っすぐに想い続けていたのだろう。


「あらあらまあまあ、これは針鼠の妖魔かしら?皮がキレイに裂けてますね。痛そうです」

「……そうだね、結構手ごわかったよ。あっ痛」

「あらそうですか。私には無駄な危険を冒してできた傷に見えますけど」


 消毒の薬をわざとしみるように塗りたくるリンドウ。傷口の切れ口を見るに、どうやらセイシュウが実戦で技の練習をしていることに怒っているようだ。


 言われた方も「無駄」というリンドウの一言にセイシュウの纏う空気が少し剣呑な色を帯びてきてる。おっケンカか?


「……無駄じゃないさ。おかげでまた少し僕はアロンさんに近づけた」

「あの人に近づく事のどこが無駄じゃないの?よく解らないから教えてセイシュウ?」

「……まだ僕は未熟だ」

「自覚していないなら断言してあげます。あなたは十分優秀な人よ」

「……そんな事は」

「頸力の量も質も、兄を除けば同年代で一番。流派の技だってほぼ全て修めてる。今のあなたには私だってかなわないわ」

「それは……そうだけど……」

「お父様だってあなたに期待している。「このまま修練を積めば私を超えることは確実だ」って言ってらしたもの。本当よ?」

「先生が……」

「そんなあなたが。あの人を引き合いに出して無茶をすることを。あなたの妻になる私が。許すと思っているの?」

「でもリンドウ」

「何?」

「僕はまだあの人に一度も勝てていない……」


 何だ、そんなことを気にしていたのか。


 思わず口を出しそうになるほどカワイイ理由だった。


 二人はちょっとした口論を行いながらも、妹の手当を行う手つきに乱れはないし、セイシュウは動く気配はない。どうということは無い、ただのお悩み相談だ。


 しかし、だからこそ。こういう何気ない対話を積み重ねることが、この二人には必要なのだろうと納得した。


 二人ともため込みやすい性格だからな。こうやって吐き出す機会は多い方が良いかもしれない。


「だから何?それが血を流す理由になるの?」

「っ……」

「いいですかセイシュウ。アロン兄さんはもうお父様よりも強いの」

「うん……」

「それなのにお父様が兄さんを後継者に指名しないのは。あなたにも兄さんに匹敵する長所があると考えているからです」

「それは……君の恋人が僕だからじゃ…「ハッ!」痛ったぁっ!?」


 落ち込んで弱音を吐くセイシュウの腹に妹の拳が刺さった。思わず同じところをさすってしまう程良い音がした。あれは痛いぞ……。


「もう一度私の恋人を侮辱するなら、アナタでも許しません。良いですね?」

「いや、僕その当人……」

「………………」


 うわ。すっげぇ顔怖……


「は、はい……」

「よろしい。では続きを話しましょう」


 うーん……これはもう完璧に尻に敷かれている……。


 妹よ。兄はセイシュウの未来が心配だぞ。


「兄さんの力にあこがれを抱くのは別に良いです。でもあなたがまず目指すべきなのは、兄さんではなくお父様ではないかしら?」

「……」

「あなたは兄さんにならなくていいの。私が好きになったのは、人に寄り添えて優しくてカッコいいセイシュウ。それが何か不満?」


 そう言いながら妹は両手でセイシュウの手を包み込み、柔らかく握りしめた。


 眉尻を下げた悲しそうな表情の恋人の顔に何を感じたのかは分からない。しかしその手を上から握り返すセイシュウの顔は。険のとれた、俺の見知ったあいつの顔になっていた。


「……ごめんリンドウ。ちょっと焦ってた」

「ええ、大丈夫です。何度でも焦ってください。その度にこうやって可愛がってあげますから」

「毎度は勘弁してほしいかな……」

「あらあら、うふふ」

「ははは……」


 どうやらこれ以上は無粋極まるようだ。


 俺はこっそりと天井裏から離脱し、しばらく医務室近くに人を寄せないように頑張って動き回った。


 夕食時には二人とも姿を見せて夕飯づくりを手伝っていたが。その表情は柔らかく、陰りは去ったという事だろう。


 一仕事終えた俺は結構な満足感を得ていた。やはり人の色恋を野次馬するのは面白いな。それも身内の者とくれば最高だ。


「あっアロン兄。どうだったリン姉達は」


 夕食も終えて各々解散していると。フェイロンがこっそり近づき、先ほどの顛末を聞きに来た。


「いやー……若いって良いな!聞いているこっちが照れくさくなる一時だったぞ」

「えー……ホントに盗み聞いてるよこの人。良くバレなかったね」

「二人の世界に入っていたからな……流石に俺の存在は予想外だったのだろう」

「そりゃそうだよ。想像できてる方が怖いよ」

「まあな!」


 呆れた顔で俺の話を聞く末弟だが。本当のところコイツも興味津々なのはバレバレだ。


 今年十二歳になるこの弟は。結構、こういう話題が好きなのだ。


 俺はくれぐれも妹カップルにばれぬようにしつつ、弟と恋愛談議にいそしんだ。


 前世では兄弟がいなかった俺が、こんなにカワイイ弟妹に恵まれたのは本当に良い事だ。


 いるか分からない神に感謝しながら。俺は今日の残りを楽しく過ごした。


 出発まであと二十日を切っていた。

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