〜桜和 椿 (9)〜

 夏休みに入り、私の高校では希望者を募った夏期講習が行われる。別に私は出なくてもなんの問題もないのだが、夏休み前5日ぶりに顔をあわせた父親に「椿、成績を維持することが大切だ。塾に行ってない分、学校の講習などは積極的に参加しなさい。」そう言って学校から渡されたプリントに勝手に夏期講習に参加すると書いてしまった。提出しないということも考えたが、もしバレた時に面倒くさいので渋々提出した。そのため今日も私は、学校に来て聞かなくても問題のない話を聞いて過ごす。と言っても参加することにはしたが、この講習も毎回毎回出ている訳じゃない。三分の一ほどはサボっている。本当はもっと休もうと思っていたが、それもできなくなってしまった。というのも_______


「桜和さん・・・今ちょっといいですか?」

 担任の西方先生が話しかけてきた。

「はい。なんでしょうか?」

「夏期講習が始まりましたが、桜和さん二日に一回くらいの頻度で休んでいますよね。いつもの授業も欠席が多いですし。」

「・・成績が危ないですか?」

 その辺は考えて休んでいるつもりだったが。

「いえ、成績に支障はありませんが、医学部を目指すなら欠席はなるべく減らして勉強の時間を増やした方がいいと思います。勉強をしとくに越したことはないですから。」

 驚いた。先生達が私が学校をサボっている事に何か言いたそうにしているのは気づいていた。だが、まさか西方先生が言ってくるとは思ってもみなかった。

「大丈夫です。休んだ分、家での勉強で補っているので。」

「それでも、欠席、遅刻はない方がいいです。桜和さんの将来のためにも。」

「・・・・」

 先生は珍しく力のある目をして食い下がってきた。そんな先生を見て私はこれ以上話しても無駄なことを悟った。

「・・分かりました。」

「よかった」

 その場しのぎで言った言葉を先生は受け入れてくれたと思ったのか、安堵したような顔をした。その言葉にはどんな意味があるのか。

「それでは失礼します。」

 この場にこれ以上いたくなくて、お手洗いに行こうと席を立つ。

「あっ!あと、桜和さん進路の紙まだ提出されてないから出して下さいね」

 いつもより明るい声でそう言う西方先生の声を無視して私は歩みを進めた。



 若干沈んだ気持ちのままお手洗いから戻ると、教室から話し声が聞こえた。

「彩〜黒板消すの彩の番でしょ?消さなくていいの?次、中西先生だから消してないと怒られるよぉ?」

「えぇ、・・面倒くさいんだよね。制服汚れるし・・」

「確かにねぇ・・。あっねえ薬立さん!黒板消してくれない?」

「えっ。あの・・・」

 また、高橋さん達だ。やはりこの前のことを反省していなかった。だが私がいるとまた口を挟まれるだろうと、私がいないのを確認してから薬立さんに仕事を押し付けようとしていた。と言っても、この前は自分でもらしくない事をしたと思っていた。たとえ今教室にいても、私は手を差し伸べる事はしないだろう。

「やってくれるよね?」

「・・えっと・・・その・・」

 薬立さんの困った声が聞こえる。と思ったら、彼女は一つ深く呼吸をした後、口を開いた。

「・・・ごめん。手伝わない。」

「・・はぁ?」

「今まで断る勇気がなくて、高橋さん達のお願いを聞いてたけど、もう、・・やめる。ごめんなさい。」

 今まで、自分の主張などしなかった薬立さんが自分で断った。私だけでなく、高橋さん達も驚きのあまり一瞬固まった。震えながらそこに懸命に立っている彼女が、私にはとても眩しく見えた。それと同時に私が、私自身が______________

「黒板を消すのは名前順にみんなやる事だから、ちゃんとしよ?」

「・・・ちっ」

 高橋さん達は無言で彼女を睨み、黒板を消しに席を立った。

 薬立さんはまだ少し、震えていたがその顔には達成感が滲んでいた。


 今日最後の授業が終わり、帰りの支度をして帰ろうと席を立つと薬立さんが黒板を消していた。それを見た私の足は、自然と彼女の方へと足を進めていた。黒板消しを持って彼女の隣に立つと、薬立さんは驚いた顔をして私の顔を見た。

「えっ・・桜和さん。この授業は私が当番だから、やらなくていいよ」

「いい。手伝う」

 何がいいのか分からないが、やらなきゃいけない気がした。

 薬立さんは私の顔を見たまま固まった。とても戸惑っているようだ。私は手を動かし続けた。

「桜和さん。どうしたの?・・」

 彼女の問いかけに、私の手は止まっていた。

「・・・ごめんなさい。」

「・・ぇ?」

 私の口から出ていたのはその言葉だった。私の言葉に、薬立さんはさらに戸惑った顔をした。

「なんで、謝るの?・・」

「この前、私、薬立さんにきついこと言った。」

「なんだ、いいよ。本当のことだし」

「違うの。私あの時、薬立さんのこと臆病者で弱い人だって、馬鹿にしてた。でも、今日、ちゃんと高橋さん達に言い返してるの聞いて、私の認識が間違っているって気づいた。薬立さんは弱くない。あんなこと言ってごめんなさい」

「そっか。・・でもやっぱり間違ってないよ。私がちゃんと言いたい事を言わなかったことが問題なんだから。むしろ、桜和さんには感謝してるの」

「え?」

「あの日、桜和さんに私が断らないのがいけないて言われて、最初こそ凹んだけど、私今まで自分の気持ちをなんにも言わないで生きてきたなって思ったの。嫌なことを嫌と言わず、ただ流されて生きてきたなって。でも、自分で流されたくせに、不本意に感じてた。でもそれって卑怯だなってことに気づいたんだ。だから、怖くてもしっかり自分の意見を言おうって。変わろうって思ったんだ。だから、そのきっかけをくれた桜和さんには、感謝しかないよ。ありがとう」

 彼女はそう言って花が咲くように笑った。とても可愛らしい笑顔だった。

「薬立さんは強いね・・」

「そんな。私なんてまだまだ」

「いや、強いよ・・・」

「そう?桜和さんに褒められると嬉しいね」

「ふふ。なにそれ」

 私たちの間に暖かな優しい空気が通った気がした。私たちは2人で黒板を消して、一緒に校門まで歩みを進めた。

「じゃあ私こっちだから」

「うん!手伝ってくれてありがとう」

「いいよ」

 家に帰ろうと足を進めると、後ろから呼び止められた。

「桜和さん!」

「・・・何?」

 彼女は緊張した面持ちで口を開いた。

「私と、友達になって下さい!」

 私はその場に固まった。しばらく呆気にとられて、彼女の顔を見つめていると、何を勘違いしたのか彼女は焦りだした。

「あっ!いやっ!いきなりすぎるよねっ!ごめんなさい私何を舞い上がってるのか、私なんかと友達なんていやだよね?ごめんなさい。忘れてもらって、」

 返事も聞かず矢継ぎ早に話す彼女を見て、私は思わず吹き出してしまった。

「・・・・ふふ、ふふふ」

「え?」

 お腹を抑えて笑いをこらえる私を見る彼女の目は点になっていた。

「いや、ごめん。はぁ。いいよ。友達になろう」

「いいの?!やったぁ」

 満面の笑みで喜ぶ彼女を見て私も思わず顔がほころんだ。

 今日の太陽はなんだか心地よい。

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