~桜和 椿 (4)~

 時刻は夕方。夏が始まると17時でもまだまだ日は高い。

 今朝、家を出て太陽の暑さに気が滅入った私の足は、学校とは違う方向に歩き出した。

 ファストフード店に入りトイレで、リュックに入れてある半袖のパーカーとジーンズに着替える。背が高めなのと、顔立ちが大人びているのか服装を変えるだけで高校生だとは気づかれない。ドリンクを買って店を出て、ゲームセンターやコンビニ、カフェや本屋なんかをぶらぶら周りながら気付けば私は代々木公園に来ていた。

 公園には小学校低学年くらいの子達が3人遊んでいた。母親達は近くのベンチで談笑している。犬も連れている所を見ると散歩だろうか。

 親子を遠目からベンチに座って眺めていると、私の傍らに知った顔が近づいて来ていた。


 「何?何の用?」

「あっいや~・・・たまたま見かけたから、挨拶でもしようかと・・・」

「そんな訳ないでしょ。何?ストーカー?警察呼ぼうか?」

「いやいや!それは止めてっ!本当にストーカーとかじゃないからっ!」

 私のそばに来ていたのは、先日何故か知り合った細身の男だった。

「じゃあ何の用?言わないなら、本当に警察呼ぶよ」

 目の前の男は私がそう言うと長い前髪で顔を隠してしまった。男が狼狽えているのが分かる。何か話せない事情があるのが目に見える。こんな怪しい男、普通は事情を聴くまでもなく不審者認定でアウトだろう。でもなぜだろう、この男から危険な感じはまるでしないそのひょろひょろとした見た目のせいだけではない。それももちろんあるのだが・・・

「えっと、その、僕は、子供に関わる仕事をしているんだ」

「ふーん・・だから?」

「児童養護施設にいる子なんかに勉強を教えたりしてるんだ。だから、この前あんな昼間に一人でいたのがちょっと気になって、声をかけたの」

男は自信がなさげに言葉を濁してそう言った。

 どこか言い訳くさく、それだけが理由ではなさそうだが、全部が嘘という訳でもないようだった。

「余計なお世話だね」

「うん。そうだね。」

 余計なお世話だ。そもそも、会った赤の他人にわざわざ自分の話なんかする訳ない。

「じゃあ何?あなたに悩み相談すれば解決してくれる訳?」

「・・・それは、・・できないけど、・・」

「だろうね。」

「でも、それでも、話すことで少し楽になることもあると思うんだ。」

「あなたが言っている事は間違えていないと思うけど、本気で今の状況が変わって欲しいと思っている人に『話せば楽になる』なんて言葉は少しばかり残酷なんじゃない?そりゃ、話した時は楽になるだろうけど、結局それで何かが変わる訳じゃない。変わらないことが分かっているのに、それでも自分の胸の内を曝け出す意味って何?」

 私の言葉に目の前の男は押し黙ってしまった。何も言えなくなった男を置いてこの場を去ろうと立ち上がった時、男が口を開いた。

「ごめん。確かにそうだ。僕も本当は心ではそう思うし、そう思ってたよ。どうせ変わらないって。」

男は語り出した。前髪から覗いた淡い瞳が何かを遡るように揺れていた。

「でも、最近になって思うんだ。少しの勇気を出していれば少し何かが変わっていたのかもしれないって。あの時あの瞬間に一歩踏み出していればって」

そう話す男の顔には後悔が浮かんでいた。

「もちろん言いたくないことまで全部話したほうがいいとは言わない。けれど、言える時に言える人に伝えておいたほうがいいと思うんだ。」

 男は俯きながら真っ直ぐにその言葉を放った。その目はどこか遠くを見つめていた。私には、彼の目に何が映っているのか分からなかった。


 「・・・じゃあ先ずあなたの話からしてよ。」

「・・・・えっ?」

「私、自分の話をする人なんていないの。あなたが話を聞いてくれるんでしょ?でも、私だけが話すなんて嫌だから、 先ず言い出したあなたから話してよ。」

彼は俯いていた顔をあげて目を見開いて驚いた顔した。そんな彼をじっと見つめると、彼は視線を逸らした。

「はぁ。・・・分かったよ」

見つめ続けていたら、観念したのかベンチに座った。

「えっと何を話すといいかな?」

「じゃあ、さっきの一歩踏み出しておけばって話を聞きたいかな」

彼の小さく息を呑む音がした。

「あれはあなた自身の話?」

「・・・・うん。そうだよ。」

「聞いていい?無理な時はいいけど。」

「いや、言い出したのは僕だし話すよ」

一瞬暗い顔をしたが何かを振り切るように話し始めた。

「裏切ったんだ。たった一人の親友と呼べる人を。僕が少し勇気を出していれば何かが変わったのかもしれないのに。僕は臆病者で声を挙げる事も出来なかった。結果、大切にしなきゃいけなかったものを失った。・・・できる時に行動しなきゃいけなかったのに・・。だから君にはそうなってほしくないって思うんだ。後からやっておけば良かったって」

彼は真っ直ぐな目で私を見た。どうやら彼は本心でそう思っているらしい。だがやっぱり・・

「余計なお世話だね。」

「ごめん・・・」

彼は申し訳なさそうに俯いた。

本当に余計なお世話だ。・・だが少し、ほんの少しだけ何かが動いたような気がした。


 その何かに釣られるように、まだ俯いている彼に前置きもせず私は話し出した。

「夢があるの。小さい頃から叶えたい夢が。」

急に話し出した私に驚いたように彼が顔をあげた気配を感じた。

「でも、それは叶わないんだ。」

「・・・どうして・・?」

そう聞いてきた彼に、私はなんの言葉も返せなかった。そして立ち上がり去ろうとする私を見て慌てて彼は立ち上がった。

「僕、福寿って言うんだ!また話したいと思ったら聞くから!この辺にいるからっ!」

彼の必死な声に思わず少し吹き出してしまった。

「あんまりそう言うこと大声で言わないほうがいいよ。変な目で見られるかもしれないから」

少し揶揄うように言うと彼は慌てて周囲をキョロキョロと見だした。そういうのが不審に見られる事に気づいてないらしい。面白い人だなと思った。

「私は椿。気が向いたらまた来るよ」

そう言い残し、目を背けていた自分にバッタリ会ってしまったような心地の悪さを少し感じながらそれを振り払うように歩みを早め、私は帰路についた。気づけばもう、夕焼けの赤が身を潜め始めていた。夜の青に染まり始めた空に浮かぶ三日月が、そんな私を見下ろしているような気がした。


 彼女は、椿さんは話してくれた。夢があると話した彼女は初めて心の底から楽しそうな優しい顔をしていた。だが、それが叶わないと言った彼女の笑顔には今にも消えてしまうのではないかという何かを感じた。

 その顔と去っていく椿さんの後ろ姿が、空に浮かぶ月と重なってしまう気がして、僕は少しの間ぼーっと立ち尽くしていた。

日が落ちたからか、少し寒いような気がした。


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