8話 賜物を織り継ぐ(1)

 あの後ラケは力を使い果たしたのか、そのまま動けなくなってしまった。人々に支えられてなんとか家路につき、その後家族の話では三日は寝込んでいたらしい。


 している間は最悪だった。頭は重く、年甲斐もなく熱を出して、常にぼんやりとしていた。そんな中でも、多くの人が見舞いに来たことは、なんとなく覚えている。しかし返事をする余裕はなく、それをわかってか、戸口からこっそり様子を見ているだけだった。それとも、誰かが人払いをしてくれたのだろうか。


 気怠さが消えても、しばらくは体の至る所が痛んで仕方なかった。とりわけ足はひどく、歩けるようになるまではさらに二日を要した。災いを祓うお力でも治らなかったということは、しき神に当てられたのではなく、単に疲れていたのだろう。


 立ち上がれるようになった頃合いにスニルが訪ねてきた。あちこちに負った傷へ軟膏が塗られ、布があてがわれている。普段の親しさからか構うことなく家に入ってきて、身を起こしたラケに白い歯を見せた。


「よ。なんか意外と大丈夫そうだな」


「たしかにおまえの方がよっぽど重症だ」


 看病のつもりでそのまま眠りこけてしまったパダムを少しずらして、座るように勧めた。寝台の淵に用心深く腰掛け、口の中でイテテと溢しつつそっと足を伸ばしている。どうやら膝もやったらしい。


「まあなんだ。お互いお疲れさんってことで。そっちの足取りは親父さんたちから聞いた。その……すまねえな」


「何が?」


 詫びることなど一つもないはずだ。それとも預かり知らないところで、やらかしたのだろうか。聞き返されると思っていなかったのか、ふらふらと視線をさまよわせている。


「あ〜……ちょっとカッコつけちまったかもってよ。考えなしに突っ込んで、託すだけ託して……。あん時のオレを見る目が、ずっと頭にこびりついてたんだ。役目をまっとうするだけで大変だってのに、要らん気苦労になってたら死んでも死に切れねえからよ」


「……おまえもそうやって、悩んだりしたんだな」


 何気なくこぼれた一言に、スニルは血相を変えた。


「はあ!? おまっ馬鹿にしてんのか?」


 大声にパダムがびくりとするが、眠気には勝てなかったらしくむにゃむにゃ言いながら再びまどろむ。なぜ怒っているのか一瞬わからず、身を乗り出す友をぽかんと眺めた。まるで鈍い奴だと聞こえることに気付いて、慌てて誤りを正す。


「あっごめん! 違うんだ。俺も似たようなこと考えてたから、そっちもそうだったのかって思っただけで。むしろすごく助けられたよ。一人ではとてもあの場から動けなかったし、走り続けることもできなかった。だからその――ありがとな」


 疑いは晴れたらしくスニルは大きなため息をしたが、それで収まりは付かず不満げに唇を尖らせた。


「んだよ。心配して損したわ。じゃあ、もっとありがたがれ」


「えー? 自分で謝っといてそれ? その口ぶりで敬えるかよ」


 相手の物の見方を知るからこそ、普段はここまで腹を割って話さない。故になおこそばゆく、自ずと語気も強くなる。


「ほお……言うじゃねぇか。だったら新しい川の名前を『ラケ川』にしようぜって、そこいらに触れ回るぞ」


「うわ、絶っ対やめろ」


 したり顔にうんざりする。そんなことになったら、せっかく取り戻した心安らかな暮らしは夢と散り、集落での肩身が狭くなってしまう。これは、輝かしいおとぎ話ではないのだ。むしろ、仮初の穏やかさに甘んじて日々の慎みをなおざりにしたことを咎めるために、語り継がねばならない。よほど苦い表情をしていたのか、逆に気遣われる。


「正直なところ、止めるならお袋さんだと思うぜ」


「あ……」


 ――そう、母なら息子の勇姿を残すべく、張り切って織絵巻タペストリー作りに励むだろう。それどころか、すでに下絵に手を付けていることすら想像に難くない。初めは付きっきりで看病してくれたが、ここ二日ほど、昼間は留守にしていることが多かった。もう嫌な予感しかない。


「怪我してるところちょっと悪いんだけどさ、肩貸してくれない? 機屋はたやまで」


「ハッ抜かせ! おいパダム起きろ。兄貴が出かけるってよ。マニスはどこ行った? あいつの方がオレより支えになんだろ。呼んできてくれ」


 何も知らない末の弟は、昼寝を妨げられて面倒くさそうに目を擦っていた。



***



 新たな川で水がいくばくか治まったとはいえ、災い自体は無くならない。たとえ悪意が介在しなくとも、パスチム山は元より脆く険しいところ。肝心なのは、どう付き合っていくかだ。


 命あることに日々感謝を捧げ、驕らず、いたわり、ひたむきに。それでいきなり住みよい場所になるかといえば違うのだが、多くを顧みるのは、由々しき事態に備えることともいえた。つまりイェンダの在り方は、これからも変わらない。


 現人神様が居なくなってごたついたのも、初めの数ヶ月だけ。今は誉れ高き輝ける雲チャンカヌ・バダルを守り神に戴く。お互いを信ずる証として、彼にマヤ様の櫛が贈られた。みな二人の再会に異を唱えるどころか、我がことのように喜んだ。


 結局、祭祀長の口利きで織絵巻タペストリーには大勢の意見と目が入ることとなった。母の企てはあえなく潰えたが、伝統を預かる者として、そして織り記す者としての使命感が、最後にはまさったようだ。これから要となる大切な記憶は、出来上がりまで早くとも二年はかかるだろう。


 ラケはというと、しばらくは土地の建て直しに努め、雨季が明けると仲間とともに行商へ向かった。傷ついた故郷をいっときでも離れるのは心苦しかったが、行かなければ何も仕入れられない。空っぽの集落には、あらゆる物が入り用だ。それに自分の足で山を歩き、物を売るのはやはり性に合っていた。


 品定めをする客の目がぱっと輝く瞬間、イェンダの魂はきわやかに示される。だから胸を張って、さり気なくかつ細やかに説くのだ。あの愛すべきまほろばのことを。


 かくして、平原での時は飛ぶように過ぎ去っていった。

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