6話 望み叶わば(1)
ラケは起きた後もしばらく、寝床の温もりを確かめるようにじっとしていた。目蓋を閉じて、さっきまで見ていた夢をもう一度思い
眠っている間、あの髪飾りを強く握りしめていたようだ。歯が手のひらに食い込んで、点々と跡が付いている。ふと櫛が奇しい光を帯びていることに気がついて、途端にはっと目が冴えた。照り返しなどでは断じてなく、自らほのかな輝きを放っている。
――髪飾りには持ち主の魂が宿ると言うでしょう?
祭祀長の言葉が呼び覚まされる。そうなのであれば、マヤ様の中にいた蛇神の記憶が移ってもおかしくない。もしくは、彼が信ずるに足るのだと示すために、あえて収めたとも考えうる。いずれにせよ、やはり初めから現人神様の中には蛇神がいたのだ。
寒くはなかったが、なんとなく上掛けを首元まで引き上げる。金色の耀いは眺めるうちに少しずつ弱まり、やがて本来のつやだけを残して消えてしまった。
(あいつ……)
これからどうやって、彼に接すればいいのだろう。自分の経験をひけらかす輩も扱いに困るが、黙っているのもまた鼻につく。思えば、恨みたければ恨めばいいなどと、よく事もなげに言えたものだ。落ち度は多少あれど、嵌められた末の行いだったというのに。
やるせなさを吐息に込めた。マヤ様と蛇神が育んだ愛情は、きっと尊い。その中で編み出された
なにせわずか十一歳の子が、この瞬間にも自らの命を削って、守り神たらんとしている。天へ力をお返ししたとて、一体いくつまで生きられるのか定かではない。たしか前任者も三十歳ほどで亡くなっていたし、寿命が短いと知らぬわけではないが、改めて現実を突きつけられた思いだ。
これがもし自分だったら、妹だったら。くるくると忙しなく泣いたり笑ったりするお茶目なアニタと、お役目に縛られた現人神様とでは、どこが違うというのか。あの小さな体の中には、蛇神の魂と一緒に、この道を進む苦しみと責任を何世代分も抱え込んでいる。
そして、
外からは、夜通し焚かれていた篝火の爆ぜる音がする。雰囲気からして、床を離れるには少し早そうだが、寝直す気にはあまりなれなかった。体中が引き攣るような痛みに気怠く包まれていても、とりあえず動けなくはない。ラケはゆっくり体を起こして、所狭しと雑魚寝する父やみんなが目覚めないよう、静かに寝具を畳んだ。
天幕を出ると空はやはりまだ暗く、どんよりと垂れ込める雲が、気持ちまで重く淀ませる。半ば無意識に東の彼方、
(どうか、これから成すことが上手くいきますように。なにとぞ、お力添えください)
蛇神に聞こえていたら嫌だなと思うも、今さら取り下げるのもおかしな話だ。昨日の朝には彼の人となり――いや、神となりとでも言おうか、それを知りもしなかった。何にせよ、挨拶くらいはしておいて損はないだろう。
篝火の隣では、早くも見張り兼炊事担当が朝食の支度をしていた。
「おっ、おはよう。まだ休んでりゃいいのに」
気さくな笑顔にいくばくか慰められる。
「んー……あんまり横になってる気分じゃなくて。それに、二度寝したら余計疲れそうでさ」
「まあ確かに、こんな時にぐっすり眠れる奴はいないだろうなぁ。じゃあ顔洗ってこいよ。戻ったら火ぃ見ててくれ」
「うん」
身なりを軽く整えて、ラケも煮炊きに加わった。沸いた湯で
昨晩は暗くてよくわからなかったが、真っ白だった壁はあちこち茶色く泥汚れがこびりついて、崩れたところ以外もひどく傷んでいる。空いてしまった穴には、急拵えで天幕用の布があてがわれていた。心なしかひしゃげた戸越しに声をかけると、すぐにイサニが出てきて二人分の器を受け取る。
「すでに身支度は大方済ませてあります。食事が終われば発てますよ」
お香が
幸いなことに夜のうちは何事もなかったものの、いつ第二波が訪れるかわからない。焦りは抑えつつもなるべく急ぐ。それが今できる最善だと、みんな思っていた。
ひとまず戻ろうとしたところで、ディヤに手招きで引き止められる。祭祀場へ歩み入ると、彼女は懐から丁寧に八つ折りにされた赤い布を取り出して、目の前でふわりと広げた。
「あ……そういえば、お渡ししたままでしたね」
母からのお守り。小蛇たちを追い払ってくれた、災い除けの旗だった。ディヤはそれを細く畳み直して、元どおりにラケの右腕へくるりと巻く。薄い布一枚だというのに、なんだか温かい。
「ありがとうございます。お願いですから、現人神様もご無理なさらないでください。必ず、みんなと集落へ帰りましょう」
彼女がはっきり頷いてくれたことに、ほんの少し救われた。
***
出立の準備が整うと、いつものようにディヤを抱き上げた。すると、どこからか雲がもくもくと湧いて、中から蛇神が現れる。うんと伸びをする姿に、魂だけでも肩をほぐすのかと、くだらないことを思った。腕を下ろした彼は、白い牙で笑う。
「よう。よく眠れたか?」
「いや……」
曖昧に返して、さっと顔を逸らした。この感じだと、あの記憶をラケが見たことには気が付いていないらしい。それでいいのか、悪いのか。もやもやした気持ちを忍ばせて、みんなの待つ方へと歩き出した。
「ま、気張ってこうや。頼んだぞ神の御脚」
「俺はおまえの脚じゃない」
「おんなじことじゃないか。つれないなァ、我だってちょっとは凹むのだぞ?」
一歩あとに控えるイサニがラケの態度に驚いているのが目の端に入って、しまったと口を閉ざした。どうにも調子が狂う。
程なくして、シェカル隊に護られた現人神一行は、川の祭祀場を発った。先頭には父ともう一人隊員が立ち、後ろにディヤを携えたラケが続く。次に荷物とイサニを背に乗せたヤクたち、そしてその轡を取りながら、もう二人がしんがりを務めていた。
残り二人は別行動だ。現人神様がご無事であると伝えるために、ヤク一頭を連れて集落へ戻った。こちらの安否がわかれば、きっとみんなも心強いだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます