5話 愛おしき者(1)
つらい。くるしい。さむい。さみしい。
毎日毎日、そんなことばかり思っていた。己には輝かしいものなど、ひとつとして無い。痛みも、月日も、意識さえも、いつのまにか曖昧にぼやけていた。気付けばずっと、頭の中で嫌だ嫌だと自分の声がこだまし続けている。何が嫌なのかも、もうわからずに。このまま消えてしまえば楽なのかもしれないと、何度頭をよぎったことか。でも、願いがあった。他人から見れば、そんなことと笑い飛ばされるような、小さな願いが。
ただ『ここに居ていい』と。誰かに言ってほしかった。
***
蛇神は生まれついて醜かった。大地を力強く駆ける足を持たず、天を雅やかに舞う翼も無い。誰からも眉を顰められる、見るほどに無惨な異類異形。周囲には、いつも煩わしいほどの雲が立ち込めている。大きな体は居るだけで周りを圧倒して、むくつけき化け物に関わろうとする者など、一人としていなかった。あらゆる畜生の中でも、よりによって悪名高い蛇だなんて。せめて五体を得れば、何か変わるだろうか。いや、今更だろう。
母は蛇神を産んだときに
卑しい。恐ろしい。穢らわしい。
毎日のように心無い言葉を浴びせられた。どんなに泣いても見向きもされず、笑っていると正気を疑われる。何をしても、周りはいっそう目くじらを立てるばかり。卑劣な扱いに慣れきってしまったことこそが、無性に胸を締め付ける。
ならず者を屠ろうとする輩もいたが、力の差は歴然。襲い来る全てを蛇神は軽々と退けた。しかし、恐れを成して逃げようとした者が、運悪く足を滑らせて崖下へ消えた。剣を受けようとした尾に吹き飛ばされて、打ちどころ悪くそのまま息を引き取った者もいた。
触れ合いを知らなければ、力加減も当然わかるはずがなく。傷付ける意図は少しもなかったというのに、いっそう神々からは疎まれる。嘆き悲しんで申し開きの機会を求めたが、聞き入れる者はやはりいなかった。
そこで蛇神は一縷の望みを胸に、天の神の元へ向かった。天から世を統べる、光り輝く秩序の神。生きとし生けるもの全てに、慈しみを与える彼女なら、自分のことも受け入れてくれるかもしれない。そう願い、空へ昇った。
館の門を叩くと、開いた隙間からみるみる光があふれ出して、暖かく蛇神を包み込んだ。直々に天の神が出迎えてくれたのだった。あまりの輝かしさに目が眩んでしまって、お姿をしかと捉えることができない。しかし体中で感じる温もりは、すぐそこに佇む彼女が天の神であることを、十二分に証明していた。ここで礼を欠けばもう生きてはいけないだろうと、なるべく丁寧に、うやうやしく頭を垂れる。だが心配をよそに、いきさつを聞いた天の神は快く蛇神をもてなした。
「なんて憐れな子。その身は強く荒らかなれど、心には
柔らかな腕が、土埃に
「天の神様。我は多くを傷付けました。そしてこれからも、きっと傷付けます。だから、そんなお言葉をかけていただける資格など、我には……ありません」
自ら訪ねたにもかかわらず、自信なく体を丸めた。
「ふふ、私とおんなじね」
天の神はくすりと笑う。蛇神は驚いた。尊い神と醜い自分が、同じであるはずはないと。
「たしかに私の光と温もりは、あらゆる者を豊かにしてきたのでしょうね」
彼女ほど恩恵を授ける存在はいないだろう。おおらかで慈愛に満ちた、正しさそのもの。蛇神は黙って相槌を打った。
「でもね、時々加減を間違えてしまったり、意識を向けなかったが故に、みんなを苦しめてもきた。私がほんの少しはめを外しただけで、地上が日照りに見舞われることもあるのです。……それでもなお、誰かが慕ってくれる。赦してくれて、頼ってくれる。私はそんな人たちのために、努めたいと思うのですよ。程度の違いはあれど、みんな過ちを犯します。もちろん神とて同じこと。だから、私はあなたの罪を受け止めた上で、赦しましょう。もう大丈夫。あなたには天の神が付いていますよ」
蛇神の頬にふわりと熱が触れる。それは天の神の頬だった。驚いて身を引こうとすると、優しげな笑い声が彼女から漏れた。
「そんなに畏まらないで。ずっと寒かったでしょう。つらかったでしょう。気付いてあげられなくて、ごめんなさい。これよりは天の神を母と思い、大いに頼りなさいな」
眩しくとも、情に満ちた眼差しでこちらを見ているのがよくわかった。生まれて初めて与えられた真心で、虚ろだった胸の内はたっぷりと満たされる。蛇神はこの上なく幸せだった。今まで受けた仕打ちも忘れるほどに、ゆっくり解けるように安らいでいく。力んでいた口元からも、やがて自然と笑みがこぼれる。その
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