《11》


 生命の発生に卵子と精子のセットは必須か?―。これを単為たんい発生という。

 哺乳類では具体例はないが―例えば七面鳥やハシリトカゲ、ギンブナなどのらんを体外排出する生きものではそれなりにみられる。


 哺乳類で精子卵子がセットじゃないと命が発生しない原因はゲノムインプリンティグ刷り込みというエピジェネティクスな現象が関わっている。卵子の遺伝子と精子の遺伝子はアレル、対立遺伝子を形成するのだが、その際、お互いがお互いの発現を抑制する。これは子どもの遺伝子がモザイクを描く…両親のどちらかに似る現象の一部だ。

 しかもヒトを含む哺乳類では、使ので―まあ、単為生殖は原則不可能…だが。私は地球の生き残りのサーバをいじってる時に面白い論文を見つけた。

 『二母性ぼせいマウス』―コイツは遺伝子改変を使って、『』卵子と母親由来のゲノムインプリンティングが『完全に』卵子を使って―


 

 

 私は。どうしても。すみれに執着していて。最近は寂しい思いをしている…おうにべったりだからな。

 ?そう思うとゾクゾクする。この実験ではマウスの生存率はあまり良くなかったが、生き残ったものは子孫を為せたらしいし。

 …この実験は―あいつらに知らせず。私だけのモノにする。あのふたりには知られたくないのだ…


「いやはや」と私は施設の自分の実験室のコンソールの前のチェアで伸びをする。

 最近すわり仕事をし過ぎた。

 その原因は―を見たからだ。

 嫌なもの…そう、すみれおうが―個人の研究室で…してるところを垣間かいま見てしまった。わざとではない。たまたま何かを借りなくちゃいけなくて―菫のところにいったのがまずかった。


「おーい。菫、済まんがアレ貸してくれ〜」なんて能天気にノックもせずに開けたのが間違いの始まりで。

 がっつりがっぷりあの2人が私の視界の端に入っちまった。ま、やっこさんたち盛り上がってたから気付いてなかったけど。本当、ドア開けた側に阿呆みたいに棚置いてくれてて助かった…アレなかったら私はモロにバレてただろうからな。


 それを見て―何故か下半身が熱くなる私がいた…

 菫を取られた、という想いの方が強かった。

 これが過去の私に埋め込まれた仕組まれた好意であろうと―やはり拭えないのだ。本人の前では言えないけど

「私は…自分が思ってた以上にアイツに訳か」帰り道につぶやく独り言。それは白い空間に飲み込まれていく。届くこともないだろう。

 

                   ◆


 最近。蘇芳すおうの様子がおかしい。話しかけても上の空なことが多い…

「蘇芳?蘇芳?」と私は休憩している蘇芳に声をかけるのだけど。

「…ああ。菫、何?」と眠そうな、何処か焦点のあってないようなそんな返事をされる。

「アンタ―生理?」なんて阿呆なことを聞いてしまう。何故か既視感のあるシチェーション。

「んな訳ねーだろ?もしそうだとしても―特になんもない」と彼女は言う。まあ、そのとおりではある。

「じゃあ…どうかした?」こういう聞き方ってなんか阿呆みたいだが仕方ない。

「どうもしないさ」と遠い眼の蘇芳。

「完全に何かあるでしょ」そう…モノ言いたげな眼ではある。

「あったとして、だ。さ。要するに放っといて」なんて釣れない返事を頂いてしまった。

「…まあ、色々あるわよね」なんてあたしはかわすけど…相手は蘇芳だ。のだ。

 そこに桜がやって来た。

「お前ら何サボってんの?」と。

「サボってねーよ。コーヒーブレイクだっつの」と菫はむくれて返して。何処かに去っていった…


                    ◆


 3人寄り合えば文殊もんじゅの知恵と俗に言う。しかし同時に、3人集まれば派閥が出来る、ともいえる。

 私達のチームもまた、その運命には抗えず。自然と私が孤立していったのだった。

 もともと、私は協調性が高い方ではない。蘇芳と桜もスタンドプレー好きだが―実は案外あんがい協調性があったりする。

 そんなもんで。私は次第に彼らのプロジェクトから距離を取るようになってしまった。方向性は一緒だ。子孫を増やす能力がある者を我々から生む。しかし手法は違う。向こうはオーソドックスなやり方をしているが、私は個人的な感情に基づいた変化球。

 今日も今日とて―インキュベーターに向かう。

 そこにはくびきを解き放つ喜びがある。まるで…なんて思考が鬱陶しいのだが。拭えないのも事実だ。

 この道に関わってきた人間がそういう神気取りをしたがる理由の一端が見えた気がする。

 そう。

 造物の神は―私達の中にいたのだ。

 地面から手を開放し、石を拾い、それらをぶつけ、薄片はくへんを道具にした時から。

 

 だから、今の私にはぴったりだ。孤独な…それが私で。

 手には道具…遺伝子という石を今日も砕く…その薄片で何をしようというのか?

 友との―証を残そうとしているのだ。


                    ◆



 世界は間違いによって産まれた。まさしくそうだ。

 そもそも正しいとは何なのか?貴方あなたは自らに問うたことはあるだろうか?

 もし無いなら一度やってみると良い。そして―その結論を私に教えてよ。

 私は―結局。。それを利己主義だとあざけってくれても良い。

 しかし。貴方には見えてないの?社会的な建前タテマエだって自己の快楽を追い求めるための方便ほうべんである事が。相手が私の邪魔をしない限りは尊重する。それが社会的なお約束で。


 ああ。

 自分の中の獣なんてキリスト教的なモノの見方は嫌なんだけど。

 それが上手いことハマるからこそ、あの教えは広まったわけで。


 つくづく自分が嫌になると同時に、正しいことをしているという思いがある。

「私は―あいつと同じてつを踏んだ訳だ」と私は独り言。若林桜わかばやしおう、そのオリジナルと同じ偽者の神デミウルゴスだ、私は。


 思春期の頃は―自分が一番正しくて賢いって無根拠むこんきょに思い込めたものだ。

 しかし、もう30を迎えようという私は。。知力は―あるのかも知れない。でもそれはだ。知恵ではない。

 私は偽者の神だから、道具知識を誰よりも巧く使える…そういう自信はあるけども。正しいことをしているという思いはどんどんてのひらからこぼれ落ちていく。


 それでも。私はつちを振るう。そして。遺伝子という岩から、私と貴女あなた彫琢ちょうたくするのだろう。私1人で。そこには狂気が見えるかな?

 そう。

 何に?

 、だよ。

 

 

                  ◆


 創作は狂気をはらむ。誰かはそう形容したそうな。

 しかし。あたしの創作はと言えば―実に実利じつり的で狂気が混じる余地はない…

 ああ。今日も今日とて塩基の鎖を解き、組み直したりするのだけど。

 …集中して、針に糸を通すみたいに、作業をこなしていく。

「なあ。菫」と後ろから蘇芳の声。

「…」今は返事が出来ない。今声を出したら―この作業は台無しになる。

「勝手に喋るぞ…」と彼女は言う。あたしの背中の向こう側で。表情は当然読めない。

「私は―」…冗談か。

「最近―考えがまとまらん。やりかけの仕事が増えていくんだよ」そういうのはメンタルケアプログラムに投げなさいな。

「―メンタルケアは受けたさ…うつの傾向ありだと」と彼女はそういう。

「…しばらく休みなさいよ」あたしはやりかけの作業を止めてそう言って。

「分かってるさ―…手が止まらないんだよ…」彼女のそういう声は切実で。

「そういう時に手を止める勇気を持ちなさいよ」なんてあたしは言いながら。安全キャビネットから顔を上げて。

「…よお。元気か?」なんて言う蘇芳。それは貴女に向けたい台詞。顔に締りがない。眼だけが爛々らんらんと輝いていて。

「ぼちぼちね…貴女の『プロジェクト』順調なの?」と彼女の秘密のプロジェクトの進捗を尋ねる。

「…進んでるさ。だから手が止まらなくて―困ってる」と彼女は眉を萎れさせながら言う。

「うん。別に今、手を止めたからって―全てが台無しに成るわけじゃないでしょう?」そうあたしは問う。

「今な。ちょうど良いところなんだよ」そういう蘇芳の有様は矛盾に満ちている。のだ。

「あたしの話聞いてた?」と問わざるを得ない。

「―どうだろうな?」そう言って蘇芳は去っていった…


                ◆


※二母性マウスに関して以下のを明記しておきます。


・『初期胚細胞を用いたクローンマウスの作出』 河野 友宏, 権 五龍

@https://www.jstage.jst.go.jp/article/jrd/43/6/43_97-436j107/_article/-char/ja

・『ng/fg単為発生マウスの誕生』 河野 友宏

@https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmor/22/2/22_2_83/_article/-char/ja

・『ゲノム―生命情報システムとしての理解― 第4版』 T.A.Brown 石川冬木・中山潤一監訳 メディカル・サイエンス・インターナショナル

・『エピゲノムと生命―DNAだけではない「遺伝」のしくみ―』 太田邦史 講談社ブルーバックス

・『カラー図解 進化の教科書 第二巻 進化の理論』 カール・ジンマー ダグラス・J・エムレン 更科功 石川牧子 国友良樹訳 講談社ブルーバックス

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