《7》

「…で?すみれ。この有様はなんだい?」と蘇芳すおうはあっさりと切り替えあたしにく。

「ちょっとアンタの頭をイジってたんだけど」とあたしは言う。ここで嘘をつく理由はないからね。

「んー?ああ。うん。お前はこのセンセイの手先かよ…」と蘇芳は言う。まあ、んだから仕方がないと言えば仕方ない。

「ま、優等生だからね…色々あるわけ」

「詳しくは聞かんけど…まあ後で頼む。んで、センセイの股間を握って―してたのさ?」少し引き気味に問う蘇芳。

「何も?とりあえずこいつをぶっ飛ばしたいわね。今は」

「…情緒不安定な感じが最高に意味分からんが―頭に2、3入れれば良いかな?」

「お願い」


 今、あたしは桜と密着中。そして蘇芳はその後ろにいる。あたしがもうちょい頑張れば…キルスイッチくらいは封じられる。

「お前らあ。マジで面白いな」と股間を握られているおうは乾いた笑い。

「…伊達にに反抗してない」とあたしは股間の手を緩めず言う。いい加減手放てばなしたいけど…蘇芳が桜をぶん殴って気絶させるまでは…やらねば。なってきていて、うっとおしいが。

「あのさあ…菫」と蘇芳は言いにくそうに言う―「握り潰せ、その手の」と呆れながら言う。

「はい?」ああ。うっかりしてた…オスの生物学上の弱点の1つだった。ぶら下がった臓器は衝撃に大変弱い。何時いつか股間にヤクザキックかましてたあたしは何処行った。

 …そんな訳であたしは、に手をわせた上で―力を込める。感覚が気持ち悪い。

「痛っうううううううう」と桜は悶絶もんぜつ。前かがみになってあたしから離れていく。そこに蘇芳が近づき、後頭部に2、3良いのを入れた。

「さって。百計ひゃっけい逃げるにしかず、な訳で逃げるぞ!菫」と後ろの蘇芳が叫ぶ―


                  ◆


 あたしと蘇芳はこの施設の中を駆け抜ける。延々と続く廊下。ココは無駄に作りがっているのだ。

「お前は優等生だと思っちゃいたが―何とまあ。私達をとは意外だな」とかたわらを走る蘇芳は言う。こいつ…運動神経もそこそこあって、こういう持久走的なのも得意だ。神は人に二物も三物もお与えになる…なんせ神の前では個々人の区別などつかないのだから。

「あの馬鹿に…やらされてただけ…喜んでやってた訳じゃない…」一方のあたしには運動というモノの才が与えられていない。神は細部に現れたらしい。どうでも良いディティールにはうるさいのだ。

「お前性格悪いから、楽しんでそうだけどなあ」と蘇芳は言う。それを言うな。あたしが陰湿みたいでがっくりくる。

「んな訳ないでしょ…さて?そろそろ抜けれるはず何だけど…」何かがおかしい。


 この施設の通路はびっくりするほど見分けがつかない。というのも、上も下も白くてドアの数も一定だから。それが迷路みたいにはり巡らされている。いかにも何かやましい事をしています、といった調子の建物。知らない間に廊下をき直しても気づかないかもしれな―ああ。もしかして?

「蘇芳…アンタどういう風に廊下進んだか覚えてない?」とあたしは聞いてみるが。蘇芳は記憶という物をめったにしないんだよな。覚えるより考えた方が早い、が口癖だし。

「んー?とりあえず前進してたから覚えてねーわ」と言う。期待はしてなかったが。問題は私も走るのに必至で道のことなんか覚えちゃないって事だ。いつもと違うルーティングをしてるのは分かるが。

「参ったな…ごめん。迷った」とあたしは認める。まあ、最悪、お互い何らかの処置を受けようが、人格は何とかなるわけで。ココはエネルギー浪費の少ない方法を取るべきかも知れない。

「…左手法で何とかならんかな?」彼女は言う。左手を壁に付けてそれを這わせながら進んでいく方法。時間はかかるが確実に入口か出口に導いてくれる。

「…っきゃないかな」とあたしは言う。まだ余り知らないはずの蘇芳に「やられても問題ない」と言うのは気が引けるのだ。


                   ◆


 で。結局の話なのだが。左手法を試したあたし達は。望む方向と逆の方向に導かれていたのだった。

「お前らは間抜けか?」と復活している桜になじられる。

「間抜けらしいな」「ね」なんてあたしと蘇芳は言う。反抗心の塊みたいなティーンエイジャーだけど非は認められる。

「…お前ら纏めて処理すっかな。でもなあ…持ちゴマ減るのはどうだ?盤面ばんめんは安定してるが…」チェス盤みたいに世界を形容されるのを見るのは気分が良くない。

「…カミサマ気取りか?センセイ?」と蘇芳は言う。

「…カミサマみたいなもんだろ」と悪びれず言う桜。

「ほーん?お前が神ねえ…なあ」と蘇芳はあおぐせを出している。

「まあな。そこは否定しない。大したことないから神を気取りたがる。元来がんらい。言語を発明し自我と他我たがが出来た時、だ」無神論的な反駁はんばく。神気取きどりがすると皮肉だ。まさしく桜の有りさまそのものじゃないか。孤独に耐えかねて、という部分。まあ、彼は神を外部化するのを止めて自分の身に宿した訳だが。


「で、神のご高説をたまわったあたし達、どうする?」と話を纏め始める。

「…ううむ。菫は遺して…蘇芳はいいや」と彼は子どもじみた声で言う。

「だってさ。菫良かったな。存在がもちそうだぞ…」とか余裕ぶる蘇芳。ああ。少し痛ましい。

「股間だけじゃないけど?」とあたしは言う。どうせ消える記憶でも―というのが末期の印象ってのは頂けない。

「ま、お前はマネージャーだもんな自動人形の…一方私は浅学非才せんがくひさい…跳ねっ返り…邪魔もん…ま、致し方ない」とか悟った台詞いっちゃって。

「少なくとも―邪魔じゃないよ、蘇芳。あたしはアンタが居ないと張り合いがない」とあたしは言う。忘れられるとしても、思いは伝えておきたい。

「さよか…じゃあな菫」とか末期まつごの言葉みたいに言わないでよ。

「心温まる友情…じゃ蘇芳、。菫…やっといてくれ」と桜は興味なさ気に言って…この白い部屋を去っていった。直接見てなくてもあたしはやると思ってるらしい。

 

                   ◆


 聖書いわく。人類は天を突く『塔』を創った。それは自らの力を顕示けんじするための行為であったという。

 また、タロットのデッキの大アルカナ『塔』。それは正位置でも逆意味でも破滅的的な意味合いを帯びる。


 そう。あたし達は。。何時か来る地球の同胞をむかえんとして。それはかつて名を上げようと『バベルの塔』を造ろうとし、言葉を引き裂かれた地球の民とどう違うのか?

 火星では言葉を引き裂くよりも過激な記憶を引き裂く行為が行われている。それは存在そのものを引き裂いているのに似る。


「ああ」とあたしは風があまり吹かない夕方の屋上で独りごと。昨日、結局蘇芳の記憶を引き裂いた訳だが―


                  ◆



「…私はだから―信じて頭をイジられてやる。だが。少しくらい話しても良いだろ?」白い部屋のリラクシングチェアに自ら座り、ヘッドギアを頭に寄せる蘇芳は言ったのだ。

「愛の睦言むつごと?気分じゃない」そうあたしは言うけど。愛の睦言でもしてるほうがなんぼかマシだとも思う。今からこの娘を自ら害する。そこに倫理的なディレンマがある。

 ―別にここで何をしたって蘇芳は戻ってくる

 ―そうであろうが。愛する人間の頭をおかすのは人としてどうなのか?

「そう言うな、菫。お前結構、酷い顔してるんだから」心配そうに言う蘇芳。

「…誤魔化ごまかせないなあ。あたし嘘下手だし」

「知ってるよ…お前は率直なタイプだ…だからいつも損する」

「率直さは美徳だと思わない?むしろ表面じょう当たりさわりのない事言う優しい人の方が裏では性格ひねれてる」例えば桜…アイツだ。アイツはまあ。普段の表側は良いやつなのだ、良いことを言う。しかしそのひずみが裏で蓄積され、病んでしまっている。?たまにそう思う…。近くに居る大人が病んだティーンエイジャーは悲惨だ。病んだ者に養育されたものは病んだ魂を育むのだ。

「お前…?」とか蘇芳はくのだけど。話のポイントがズレてる感覚がしないではない。

「…異性としては…まあ意識したこともある」とあたしは認めておく。思春期、と言うかメスは基本多情だ。何故か?それが進化上の戦略だからだ。多くのオスと性交渉を持ち、より良い遺伝子を自らの系譜けいふに取り込む。古くから続くメスとオスの戦いは進化を駆動させる原動力だったわけだ。

「しゃあない。年上に憧れんのは思春期のさがだしな」と彼女は言う。あっさりとしたリアクションが彼女らしい。

「ま…一回てみたけど…蘇芳との方が良かったし…アイツ内面が荒れすぎててね」行為の相性は蘇芳との方が良かった。それはあたしが処女だったせいかも分からないが。それともレズビアンとしての傾向があるのか?よく分からない。特にこの火星においては有精生殖ゆうせいせいしょく

「私は―ま、お前の見てきてるからな。何処が良いかとか順序とか、抑えてるんだよ」頭の良いやつはエロいという俗説はあっているのだろうか?と彼女の言葉を聞いて思う。性交渉もまたコミュニケートの一形態いちけいたいなのだ。こちらが語り、相手も語る…それで気分が良くなったりする…性は大仰な形容詞とくっつきがちだが、実は大したことではない。井戸端会議に似る。まあお互い色々いろいろさらけ出すから秘密の香りがただようが。

「なんかそう言われると―があるわね」とあたしは言う。地球の性産業せいさんぎょうに従事している人間に相手をような。

「んな訳あるかい…あのな?私もってこった」と何の気もなさそうに、つまらない事実を言うように、彼女は言った。


「それは…蘇芳。過去の貴女あなたが自らにに書き込んだ結果でない」とあたしは言った。言うべきことではなかったが、確認したい気分もあるのだ。彼女はあたしを『本当に』求めているのか?もしそうなら、その感情は何処から湧いたものなのだろう?


                    ◆



「インプリンティングされた好意である―と菫は言いたい訳だ」と早くも話の筋を追ってくる蘇芳。こういう勘の良さが彼女にはある。あたしにはない。凡人と天才の分水嶺ぶんすいれい

「…鳥の雛が最初に見たものを親と認識するように…貴女にはあたしへの執着が、埋め込まれている訳」とあたしは始める。

「記憶ではないよな?」

「記憶じゃ飛ぶからね…ように」とあたしは先に言っておく。何にせよ記憶を飛ばすと。後が面倒になるからだ。桜はまだ健在な訳で。

「となると―人格しかない」と蘇芳は言う。あっさり気づいていく辺が鋭い。

「一番脳機能で複雑な部分だからね」とあたしは半可はんか知識で言ってみる。

「複雑というかをするから、そう見えちまう、が正解だ」

「貴女は脳の機能は局在きょくざいしてないろん派な訳だ」この辺、実はなかなか議論が割れる部分でもある。

「と言うか必然的にそうならん?」「ならないから議論が割れたのでは?」私は疑問をていす。

「統一された意識なんていうモンを哲学から密輸みつゆしたからそういう論が起きたわけで。普通に考えたら小さなモジュール機能の集まりがに緩く統一されてるって方がしっくりくる」小さな機能が…いっぱいあってそれが器に入っている絵が浮かんでくる。

「そしてそれは人格である、と」もしくは魂、存在、ソウル…


「そ…で?何の話だっけ?」真面目な話の途中で別の議論の森にいざなわれる。これが蘇芳ぶしだ。

「ええと。だから蘇芳の好意は…あまり根拠がないかもねって話」とあたしはまどろっこしい言い方で言う。

「んな事かい」と蘇芳は言うのだけど。

「んな事?こっちは割と真剣」とあたしは膨れて言う。

「そういうさ、事に気がつけよ…菫」と彼女は言うのだけど。あたししはまどろっこしく重たい女でもある訳で。

「どういう意味?あたしが鬱陶うっとうしいって言いたいの?」

「ん〜うん。色々すっ飛ばして言うならそう」と彼女は言い切るのだ。

「…いつもの事だけど。アンタにレトリック修飾は無いわけ?」言葉は飾れ、最低限は。

「無い。んなモンにも意味はない」と詰まらなそうに言う蘇芳。

「ったく…」とあたしは言わざるを得なかった。怒るよりも先にあきれてしまう。

「そういう『本当は』ってヤツ…延々と続けられるからな…私はもっとシンプルに現象を見るさ。菫を見たらドキドキするし、たまには気分ももよおす。それで良いじゃん」こいつはアレだ。男子みたいな思考回路してるんだ、と思った。

「あーもう!!分かった」と言うしか無いじゃない。


                   ◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る