《6》

 あたしはその文を読むと。人格抑制エディタ―蘇芳すおう曰く無意味なシロモノ―を呼び出し、当該部分を削除する…っとログも消しとかないと痕跡が残るか。後でチップのマスタデータのログもいじらなきゃな…


 ああ―あのはやはり。あたしには追いつけない領域に脚を突っ込んでいる。

 昔から方向性の違いはあれど、すごいな、と思っていたけど…ここまでやってたか。 

 あたしがこの繰り返しの輪に気付く前から―あの娘は仕込んでいたのだ。この状況を。

 一方で頼もしいと思うんだけど。妙に悔しいと言うかてのひらの上で転がされている…と感じるこの気持ちはなんだろう?


 ―それは。嫉妬だ。

 あたしは―知へ向かう、真理へ向かう、蘇芳に嫉妬しているのだ。

 ああ。情けない…けど。この思春期特有とくゆうの気持ち。抑えきれない。

 それに。あの娘はあたしに執着してる、と言うけど。それもまた仕込まれているかと思うと複雑だ…一応。あたしと蘇芳はをした事もある。思春期の行くあてもないむなしい感情。それを。その時…あたしは…あの娘を確かにしまっていたのだ。混乱してる時の勘違いかも知れないが。

 …そんな事思い出してる場合じゃない―とは言え。思い出してしまったものは仕方ない。これは後でどうにかするとして。

 今はあの蘇芳の遺産をどうするか考えなくては。


 蘇芳は人格に仕込みをしている…だからとりあえずはおうのアホの望みを叶えとくとして…今、追加で何かしておくべきか?

 蘇芳は識別ナンバの謎をあたしにたくした。…ふと思う。、と。今まで一度もそういうポイントに目を向けなかった…

 あたしは、蘇芳を寝かせてるリラクシングチェアに向かい、彼女を一次的に床に寝かせる…体が近くて思ってしまったが、今はそういう時間じゃない。

 そして。チェアに座り。ヘッドギアを頭の上に寄せ。

「―あたしのチップの例外処理パネルを開いて」とコンソールに告げる。

「自動人形 第一期 個体名『くれ すみれ』、識別ナンバ「001―050」へようこそ」とコンソールから声。

 火星のコロニーに居る自動人形は50。要するに。私はラストの個体らしい…確認ついでだ―「例外処理パネル展開。3のヴューアー起動…結果を私の視覚野に出力…」パチパチという音が、私の鼓膜こまくを揺らし始め―視界は溶けて消えていく…


 そうして。

 あの白い部屋は何処かに消え。私の体はコードの中…無意味な文字列があたしの裸足にまとわりつく…それをかき分けて。あたしは進む。何かを求めて。


 頭に微かな痛みを感じる。脳内のニューロンが創る磁界じかいを無理やりかき乱しているのだから仕方ない。

 文字は。もうあたしの腰の辺まで来ている。

 ああ、本当ほんと人格は海に似ている。表面上はシンプルだが、その中身は驚くほど複雑で。そんな物を解体しようとした地球人類は無謀だったよなあ、と思う。

「かみpdsんどいfjなKusんdフィオんばおsdhんふぃあぽSFpklsibndんぽAIs」そんな水のようなモノにあたしは潜る―


 沈んでいく体―それが何処を目指すのかは、分からない。ただ…私の勘は告げている。、と。


 体は重力に従って。落ちていく…重力に?いや。あたしの存在の引力に、の方が適切かも知れない。

 繰り返される無意味な文字列。それがうねって、流れを作り、あたしの近くを通り過ぎていく。

 不思議と。体には感覚がない。と言うよりフォーカスがボケた感じ。文字があたしの体に当たるんだけど、痛くはない。むしろ、水とたわむれているかのような感じだ。

 ああ。このまま―自分の中に沈んで居たいな、とか思っちゃうんだけど。

 あたしはここに目的を持って来たのだ。このジャンクの中にあたしが…過去のあたしが何か仕込んではいやしないかと。それは蘇芳に対する対抗心でもあるが、同時に好きな娘の事を信用しているという事でもある。

 さあ。呉菫…


                 ◆


 記憶。

 それはエピソードの断片が人格に統合される事で蓄積されていく。

 普段は引き出しみたいにバラけているけれど…『あたし』はそれを自在に開けれるはずなのだ。

 人は脳の機能を局在きょくざい論で考えがちだが―それは違う。脳の機能は局在しているが、並列処理も行っている…そう。記憶だって。海馬かいばだけに蓄積されるものじゃない…何時か蘇芳が言ったように脳は色々な回路の使いまわし。だから。あたしは出来る限り頭を研ぎ澄ませる。そして引き出しをそこら中に広げる。鍵がかかったやつも無理やりこじ開け、中身を全部、白日はくじつもとさらす―


 いつの間にかあたしは。

 意識の底への緩慢かんまんな落下を止めている。そして。眼の前には前時代がかった映写器…そいつはいる…あたしは。足元に落ちたフィルムを缶から出し。リールに備え付ける。そして回し始める―


                  ◆


 映写器のリールはカタカタと廻り始める。そしてレンズが眼の前にあたしの記憶を繰り広げる―


すみれ…ドジっちまった…」そう言う蘇芳が見える。書割かきわりはコロニーの搬出入ハッチ。ああ。こいつは初期のあたしかな。

「あんたね…」と今のあたしより少し大人びた声のあたしは言うのだ「考えもせずに補給船の排出コンテナに侵入するから…」となじっている。

「お前が躊躇ちゅうちょすんのがわりぃ…私は我慢が苦手だ。それに…クローンだしな。死んだってえはく」ああ。この蘇芳はカミカゼアタックをかましたんだ。過去のあたしが慎重過ぎた故に。

「…で?何かつかめた?」と過去のあたしは冷静にく。なかなか非情と言うか、お互い換えが効く故に

「…ああ。地球人どもはアホだってな」「からかわない」

「…あいつら。私達に何の期待もしてねえ」「何で?」

「補給の内容…明らかに期待されてない感じの低予算ぶりだ」「…距離を問わなきゃあたし達の星よりもマシな惑星はあるからね。木星のガリレオ衛星のエウロパとか」エウロパは全体が氷で覆われた惑星だが、その氷の下には豊富な水があり、生命の存在が示唆されている。あたし達の惑星かせいのプロジェクトと並行でテラフォーミングの先遣せんけん自動建造船じどうけんぞうせんが向かっていたはずだ。水の存在をできる近い火星と確遠いエウロパ…大人の好きな保険がけというアレだ。

「ま、何にせよ―自動人形オートマタで開発される火星はプランBってトコだな」「全くね…で?蘇芳、どうする?あたしが『』あげようか?下手に治療するよりは―」

「済まん。頼んで…いいか?色々ボコボコにされてて修復出来…そうにない。脳にもダメージが行き始めてる…済まんが…さくっとってくれ…」「…分かった」

 そして。あたしは何故か持っているスタンガンで彼女を―殺して。フィルムは終わる…


                  ◆


 …フィルム。あたしの封じられた過去。。消され、上書きされたはずの記憶をあたしは今、無理やり垣間かいま見る。

 足元には無数のフィルム。余り意識してなかったが、。それを意識させない道具ツールは―あのデミウルゴス偽の神に与えられていた。彼の失敗は道具をあたしに貸した事に尽きる…いや、えてそうしているのか?正直読みきれない。狂人の思考を追えるのは狂人だけだ、もしくは神の思考を追えるのは神だけ…


あたしはフィルムを片っ端から見ていく。そして自分が如何に何も知らなかったか知らされていく…

 コロニーから出る少し幼いあたしと蘇芳…諦めて戻ったあと、自らの遺伝子がズタズタになっていることに気付く…体の怪我が再生しなくなっていく…体のリセット処理…脳区画を保管した状態での再生…シナプスネットワーク保存技術でそれはる。らしい。脳と同じように。では?か?コピーのコピーのコピーの…以下『あたし』まで続く。

 また別のフィルムでは―あたしは自動人形達のレジスタンス組織のリーダー…その隣には…蘇芳が居る。が。そのたくらみの先はジェノサイドだ。おう阿呆アホに纏めて『キル』され―時間をかけて再生されていく。

 はたまた別のフィルム―ではあたしと蘇芳が…うん。これは良いです。ベットでしたい派なんでノーサンキュー。

 

 どれくらいの時が経ったかは分からないが。

 今、あたしの体の中に、ソウルの中に、スピリットの中に、魂の中に、。そしてあたしは『あたし』になる…全てのあたしの記憶を統合した人格に…


                  ◆


 あたしはまばゆい『星』の明りに導かれ…『あたし』になれた…のは良いんだけど。

 とりあえずは元の現実に復帰する前に…どうにかおきたい。アホ天才の蘇芳がやれるなら…あたしに出来ない道理どうりはない。

 だが。あたしは分析力と応用力に欠ける…正直閃きとセンスと粘っこい姿勢でやって来たど文系なのだ。

 一番楽なのは―めておくことだ。人格の表面ではなく、に埋めて隠してしまうこと。桜のアホもここまで手は伸びてないし、蘇芳もシステムを分析し裏をかいているだけ…なら。あたしは。無理筋むりすじをこじ開ける―


                  ◆


「っはあ…」とあたしは現実かえってくる。この白い部屋がこの世界のミニチュアに思えてくる。

 頭が自然と上を向いてしまっていたので下げれば。

「よう…菫。『』やって来た?」桜か。まったく。勘の良いやつだ。うっとおしい。

「ちょいと過去に旅をね」とあたしはこたえる。ごまかすつもりは―。どうせ、この先には記憶の消去やら何やらがあるが、もう『あたし』は怖くない。

「過去、な。まあ、良いだろ…これもまた展開としてはアリだ」と桜は余裕ぶって言う。

「…で?ここまで来て何の用?」

「いや?お前なら何を見たか教えてくれると思ってな?」ああ。この自然とマウントを取るあたりがオスだな、と思う。マウンティングは雌雄しゆうを問わないが、のはオスだけだ。

「教えるわけないでしょ…を思い出してたんだから」と私はふくませた言い方をする。

「色々っても色々あるよな?その中身を俺は問うている」

ですよ…知ってるでしょ?あたしと蘇芳はに成りがち…で。近くで寝てるのを良いことに―あたしは自分を慰めようと思ったけど―物足りなくてね?記億を探っていたのよ…これで良い?」さあ。け。この童貞臭どうていくさい神気取きどりなら、色々躊躇ちゅうちょしてくれるだろう。この猥談わいだんに。

「お前は誤魔化ごまかしたい時はいつもエロネタに走る」と桜にあっさり見破られる。あたしに嘘の才能はないらしい。今回は真実を混ぜて見たのだが。

「…黙秘権を行使する。どうせイジられるし、不都合ないでしょ」この後は表面上は記憶をかれるんだ、あたしは。

「いーや。不都合だな。ゲームってのは情報が鍵を握る…マスクデータの存在はうっとうしい」

「あからさまなものより隠されたモノの方が興奮しない?」とあたしは猥談攻勢こうせいを緩めない。効かなくても煙に撒く時間くらいは稼ぎたいのだ。

「パンチラってか?お前は何歳の性別は何の人だ?」と突っ込みが入る。

ここ火星では性別なんて関係なくない?なんせ私達は思春期から出ることがないからね」男女で行為するメリットもない。子孫というベネフィット抜きならのだ。性的なツボは同性の方がよく抑えてる。生物学的な縛りが無くなると、創られたジェンダーは簡単に崩壊すると思うのだ。のだ…過去に異性としたから分かるのだが。あの頃のあたしは掛け値なしの頭からっぽだった。に負けて―この眼の前のアホとしまっているのだ…


「―じゃ、何で俺とった?」おいおい…撹乱かくらんを真面目に取るなよメンタル童貞野郎が。

「男性器に興味があった…今はない。以上」とあたしは顔を半分赤らめながら言う。

「…お前。時間稼いでるだろ?」と桜は言う。

「…まあね。頭いじられる身になりなさいよ…あれ存外ぞんがい気持ち悪い訳で」

「やる側は征服欲が満たされる」と桜は言うが―

「…アンタ。そこまで性格悪くないでしょ?」とあたしは同情を狙うラインを始める。

「…そう思うか?」何故なぜ嬉しそうなんだ。非情にてっせ、このアホタレが。

り方で分かる…」またエロネタに逃げるあたし。何とも情けない。

「もう触れるなそれ…」おっと掛かったか?

「優しくくれるもんね―」とか言いながら。あたしは蘇芳を眼の端で探す。桜がどっかやってくれてなきゃ良い…うんまだ居る。ならば―


「識別ナンバ『001ー001』再起動…」とあたしは蘇芳を起こすコマンドをコンソールに向かって言う。

「っと。これ待ちだったか」と桜は言いながらパンツのポケットをまさぐっている。

 …しょうがない。『アレ』をやるしかない…のか?再起動までの時間を少しだけ稼ぐ奇策きさく―それは。


                   ◆



 …うん。あたしはやったさ。時間を稼ぎたいが為に。あのアホタレの股間をまさぐってやったさ。

「お前、何する―」とか言いつつするのは男の悲しいさがだ。産まれた性別を呪うが良い。

「まだ、かかるの?再起動?いつもの処理じゃなくていい!処理の2、3飛ばしてよ!!」とあたしはコンソールに向かって叫ぶ。

「[#########…[90]%]所要時間は残り30秒…」ああ。まだこのを触ってなくちゃいかんのか?

「早く…」と私は言う。

「させるか…」桜のリアクションのズレは…ギリギリだ。

「処理完了…例外処理パネルを終了します…」コンソールから音声が流れる―「蘇芳、早く起きなさいよ!!」桜の後ろに転がされている蘇芳に呼びかける。

「…んあ?菫呼んだ―って…」と頭をゆっくりと起こした蘇芳は続けてこういった―「…ごゆっくり」うん。

「違うからっ!!」あたしは柄にもなく、叫ぶしかなかった…

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