《3》

 人生はままならない…あたし達が選べることは何もない。

 もし、真実とやらに気づこうが―それをどうにかすることは不可能―とあたしは諦念ていねんの中に居た。


「どうしろって言うのよ」校舎の屋上、あかね色の夕日が憎たらしい。人間の概日がいじつリズムを乱さないように24時間の周期に管理された照明システムが憎たらしい。

「どうした?お前がここに居るとは珍しい」おっと来やがったか、

蘇芳すおう…いやね。夕方の灯りが憎たらしくなってたのよ…」とあたしは言う。

「…ロマンティックな表現だな?」とニヤニヤしながら言う蘇芳。この娘は自動人形オートマタにしては感情豊かだ。

「あたしだって感傷にひたるわよ…」とあたしは言う。そこに皮肉さを感じながら。

「…悪かったって、相棒よ」と彼女はこたえる。妙に斜めな視点を持つ蘇芳だけど、心根こころねはまっすぐしていると思う。

「良いわよ…んで?調?」とあたしは世間話を振る。

「ん?ああ。おう阿呆アホからなんぼか役立ちそうなものパクってきてやった」と得意げに言う彼女。

「あのねえ…目立つことはするな、って言ってあるでしょう?で?何を拝借してきたのよ?」蘇芳は考えずに突っ走る。危険な事をえてするタイプ。何時か捕まってファクトリーリセットされそうな気がしてならない。

 ファクトリーリセット。それはあたし達の人格の白紙化を意味する。人格を司るとされる前頭前野への強制フォーマット…行われた後は模擬人格を打ち込まれることもある、そうなると廃人はいじんそのものになる。この処置は…意外と行われてたりする。学校の無味無臭なAIじみた同級生は…かつて反抗し、この処置を受けてしまい…いまやになっている。

「桜って阿呆だよなあ?情報端末携帯けいたいしてないでやんの。机に置きっぱだったから借りてきたぞ?」おい。んなモンパクって来んなや…ああ。これはまずい。ファクトリーリセットが目に見えてきた…この阿呆アホ蘇芳の。

「馬鹿しないで、って言ってあったじゃない?」あたしはなじりつつも。その端末に興味がない訳ではなく。

すみれ…言葉と体が合致してない。ワクワクしてんだろ?」あきれた顔で蘇芳は言う。

「まあ…ね。なんせ外部のネットワークとの唯一のノードだから」

「どうせ阿呆みたいに回線は遅いだろうがな」と蘇芳。どうせ、いくつもの中継が挟まるから、速度は期待しちゃいけない。

「ねえ…地球のネットに繋いでみてよ」とあたしは催促する。蘇芳は慣れない手付きで情報端末を操作しているのだが。

「…桜のヤツ、パスコードかけてやがる。生体認証じゃなく数字すうじ数桁のやつだ」それはまあ、アナログなセキュリティだな。

「桁数決まってるの?」決まっていれば組み合わせの数を絞れる。

「…無制限みたい」と萎れながら言う蘇芳。ああ。甘くはないわよね。

「とは言え。人間が瞬時に自由にできる数字は7桁程度…」ワーキングメモリの限界はその辺だ。それ以上はチャンクと呼ばれる工夫を使って圧縮するしかない。例えば語呂合わせ。

「アイツ安直あんちょくな数字にしてねえかな…」と1111とか試しだす蘇芳。あんま試行してるとロックがかかるのではなかろうか?入力し放題だとセキュリティの役目を果たさないだろう。

「とりあえず入力を止めなさいな」とあたしは釘を刺す。

「なんでよ?」と手を止める蘇芳。いや、少し考えてから行動しなさい。

「あんまり打ち込んだら―多分だけどロックなりなんなりかかる…ウチの宿舎の扉のパスコードもそうでしょ?」私達の宿舎も何故か生体認証ではなく、数字のコードでロックされていて―忘れようもんなら締め出される。

「うむ。そいつは一理あるなあ…うし。紙出せ」このご時世にも紙メディアはある。人間にんげん手を動かして字を書くのは重要、という地球の考えに沿って、この火星でも製紙は行われている。まあ、木が少ないから貴重品だけど。

「…ノートの切れ端で良いかな」とあたしは授業で使ったノートの1ページを差し出す。

「うわ。お前のノート細かっ」と蘇芳は驚く。

ね。全部書かないと覚えらんないの」蘇芳は天才型ですべて書く必要がないらしい。こいつのノートはいつも簡略な要約が書かれていて…その余りは思索の場と化している。一度見た時そうだった…

「悪かったわね…んで?何か思いつくかしら?」

「ううん…自分の名前の語呂合わせ…わかばやしおう…0(わ)8(ば)8(や)4(し)0(おー)」『か』はどうした?と言うか短すぎない?

「08840…パスコードが違います」と端末は告げる。

「もっと長い…生年月日は?ていうか試行回数あと何回よ?」

「あと―8回まではいけそうだ。案外ぬるいセキュリティだな…」あたしもそう思う。

「いっそ生年月日とかは?」とあたしはやけになりながら言う。

「誰の、だよ。アイツのオリジナルか?それともアイツ自身か?」おっと。そういう面倒な話を忘れてた…がもう。めんどいしダメ元だ。どっちも試してやれ。

「試行回数無駄遣いしよう、どうせダメでもともと」とあたしは蘇芳を急かす。

「…馬鹿か?菫。しかし…まあ」と蘇芳は数字を打ちだす。


「パスコード解除…操作をどうぞ」そう端末が告げた…


                  ◆


「地球のサーバに繋いでくれ…あ、ニュースサイトなんかが良い…」と早速さっそく蘇芳は言う。

「本当に―解けるとは…意外」とあたしは阿呆あほみたいに呟く。

おうが阿呆で良かったよな」と蘇芳。

「USP通信のサイトを表示します…」と端末は告げ、端末のスクリーンには、火星の通信社のモノとよく似たサイトが表示される。

「っと英語かいな。翻訳かませんか?」私達は世界連合の日本地域のオリジナルがもとになっているから母語は日本語。英語も多少は出来るが、スラスラ読める訳ではない。

「通信速度が低下します。よろしいですか?」

「…よろしくない…がやれ」と蘇芳は言う。英語くらい読んでよね。あたしが言うことじゃないけど。

「表示まで5分ほどお待ち下さい…」と端末。画面には砂時計のマーク。ああ、もどかしい。

「さて。地球では何が起こってるのかしらね?」とあたしは蘇芳に問う。

「さあ?地球はもう戦争なんかは起きないだろから―あれじゃね?経済の話とかがトピックになってんじゃねえか?」地球は緩やかな統一国家に統一された。何時までも少ないリソースの取り合いをしている場合ではないと気がついたらしいのだ。

「そら無味無臭なネタを見せられそうだ」とあたしは言う。統一された世界での金のやり取りなんて、内輪で金を融通しあってるのと代わりない。国家的にはつまらない話だ。人としては真剣なんだろうけど。

「…取得した内容を表示します…」端末を見れば、ニュースサイトのトップなのだが…何かがおかしい。

「…おい?ある日を境に…」と蘇芳は言う。

「そう…ね。この通信社…潰れたの?」

「分からんが―このサイト、金はかかってる。簡単に倒産するような会社ではないと思うが…」眉をひそめながらサイトをスクロールしていく蘇芳。そして。私達は気になる見出しを見つけてしまう。


『巨大な飛翔体ひしょうたい…地球に接近。国際宇宙連合こくさいうちゅうれんごう迎撃げいげきの準備を進める』


                     ◆


 地球のアメリカ大陸ユカタン半島とその近くの沖―そこには巨大なクレーターが存在する。チクシュルーブ・クレーターと呼ばれるそれは過去最後の大量絶滅の証拠だという。

 白亜紀末に飛来したそれは、直径が少なくとも10kmで、衝突した時にかなりのエネルギーの衝撃を引き起こした。おかげで地球の種の76%が絶滅したのだという。


「まさか」とあたしは蘇芳に言う。

「まさか…だろ?いやあ。クソサーバに当たっただけだよ…繋ぎ直して―」と蘇芳は端末の操作を再開するのだけど。

「もし…地球に巨大な隕石が衝突してたとしたら―」

「……よな?」と蘇芳。その顔は緊張に満ちていて。

「あたし達は―宇宙上での唯一の―」一気に言い切れない。

「…人類だな。絶滅してりゃ、だが」しかし。これは間接証拠しかないのも事実…


「よ。レジスタンスども」と声。これはおう先生の声だ…

「…よう桜センセ。端末置きっぱは感心しない」と悪びれる事なく言う蘇芳。

蘇芳すおう…お前、手癖てぐせ悪いのな」と平坦な感じでこたえる桜先生。

「警戒心が薄れてるセンセが悪いぜ?」と蘇芳は応じる。

「んで?何を見てしまったのかな?お前たちは…」はと桜先生はあたしたちに問う。ここで認めてしまったら。ファクトリーリセット行きなのは分かってる。

です」とあたしは斜めの回答で逃げることにした。

「…わざわざ地球のポルノ見てたのか?」あきれた調子で言う桜先生。

「火星では―レアですからね」とあたしは言う。一応真実だ。この火星にはポルノが不足している。思春期のガキが居るというのに。

「…管理者として検討しておく…が。すみれ咄嗟とっさの嘘というのは陳腐ちんぷだな?」そういう桜先生の声は冷たくて。

「無理ですかね…言い逃れは」とあたしは白旗をげることにした。ごめん、蘇芳。後は任せた。

「あー菫…お前阿呆あほだなあ…」と蘇芳は呆れた調子であたしを見る。

「蘇芳…これ、ごまかせるんなら、私ティーンエイジャーなんてやってない」とあたしは吐露とろ。もう少し賢くありたかったものだ。

「ったく。お前らガキは」と桜先生。口調が荒れてる。

「私達ガキは好奇心の塊だ…舐めてたお前が阿呆なんだ…桜センセ」と蘇芳は煽る。


                   ◆



「さて。お前らも―リセット行きかな…これで蘇芳は何回目だったかな…」桜先生。それって―

「いい加減ニューロン焼き切れるんじゃねえか?」と蘇芳は特段とくだん驚きもせず言う。

「…蘇芳。貴女あなたの?」そんな話聞いたことが…ない。

「あのな?使なんだよ、菫…私はお前より阿呆あほうだが―脳科学だけは自信があるんだな」と蘇芳は言う。ゼネラリストかと思ってた。一極型ではなく万能の天才…あたしがひっくり返っても叶わない存在。

代償回路だいしょうかいろをこじ開けたか…」桜先生は驚いてる珍しく。

「いやあ。今度は海馬かいば…全部焼ききっちまえば?」と蘇芳は言う。恐怖をにじませることもなく。

「んな事したら人格にさわるぞ…宣言的エピソードな記憶ってのは人格の基礎だ…分からんお前ではあるまい?」

「知ってる…だが。私をのさばらせて見ろ、何回でもよみがって―お前が私達に知ってほしくない事実を暴くぞ?」

「そうだよなあ…お前らは2人つるんで嫌なとこ触ってくる」とあたし達を冷めた目で見る桜先生。

「知りたがりのガキさ、私達はさ…なんで人格をイジらないんだ?不思議だ…弄れんわけじゃないだろ?こんなぎょしがたいガキ2人をのさばらせておく理由、それは何だ?」と蘇芳は聞いた。

、って理由はどうだ?さっき見てたもんと繋がる」と彼は言う。とても冷めた声で。

「つまり?センセは使命を果たせずねてると?」と蘇芳は切り込んでいく。

「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない…。この火星でお前たちとコロニーの管理…娯楽に欠けてると思わんか?パンはあれどサーカスはなしってところだな。暴動が起きる…」と歴史的な事例に引っ掛けて言う桜先生。昔、あたしは桜先生に自身のみを吐露したが―本当に病んでしまっていたのは彼なのかも知れない。孤独に耐えかねた自動人形オートマタ

「はは、冗談キツイぜ。管理人が病んでどうするんだ…」と蘇芳は乾いた笑い。

「…それに暇なら私達をリセットしてる意味が分かんない…気に食わない子には模擬人格ほうりこんでる…大凡おおよそ大人のすることじゃない」と私は口を挟む。そう。この人は高い倫理性を見せるのと同時に、びっくりするくらい子ども臭い真似もする。それが

「お前ら―俺に神を期待すんなよ…」と吐き出すように言う桜先生。

「アンタが神みたいなもんだって言ったんでしょうに」とあたしは言う。あの日の言葉、忘れたんだろうか。

「人の意見はうつろいゆくもんだ、菫…お前、それも分からんか?」

「分かるけど、曲げちゃいけない部分もある!」とあたしは怒鳴る。

「んなもんすぐ折れるぞ、弾性だんせいがないもんはもろい」と彼は即座の反論。

「で?折れたの?あのニュースで?」とあたしは問う。

「折れたな、ポッキリと」と言う彼は悲痛で。

「…くっだらね」と蘇芳が口を挟む。「ガキじゃねーんだ。拗ねてねーで未来を見ろよ。みっともない…ってガキに言わすな、若林桜わかばやしおう」と。

「未来、な?俺不稔ふねんのクローンだけの―この宇宙に何の未来がある?時制ってのは人類の発想、発明…意味がなくなるんだよ」と彼が言ったけど…そこには重要な示唆しさがある。

不稔のクローンだけ?」とあたしはこぼさずには居られない。

「お前らには教えとくが―地球人類がクローンだけに全てを任せるとでも?」と彼は言いやがった。あの日の言葉は―

「嘘だった、と」とあたしは呟く。

「あの日は嘘じゃなかったが―状況が変わった訳で。俺も1つのモンを何時までも信じていられるほど強くはない」



                   ◆


「さて。お時間だ」そういうと先生は―情報端末とは別の端末、小型のスイッチを押す。


 ああ。あたしはここまでか―と思うのだけど。


 意識が続いていて。隣には蘇芳が倒れていて。

「蘇芳だけで良いだろ…面倒だ。お前までリセットかけると」そう先生は言う。

「…蘇芳よりも阿呆あほだから残した?まだ御しやすいから…残したの?」とあたしはく。

「ま。そうかな…蘇芳みたいに海馬の代わりに代償回路開いたりしないだろ?お前は」

「そこまでのガッツはない」認めてしまうのは虚しいが、その通り。あたしにあるのはせいぜいが好奇心くらいのものだ。

「…ゲームのパターンを変えたい」そう先生はつぶやく。

「パターン?」と言うか他人ひとの人生をゲームにたとえて巻き込むな。

「どうやってもお前らはつるむ…ワンパターンになりがちだ…このままだと俺が飽きる」

「…アンタの脳みそをリセットしなさいよ…」とは言ってみるが。執念のある人間は記憶を取り戻すこともある。蘇芳みたいに。

「俺はあくまで管理人役を降りるつもりがない」おおう。わがままボーイもいいとこだ。

「役…ね。果たして役目の役なのか、はたまた劇の役なのか…どっちかしらね」とあたしは嫌味を投げる。

「どっちも、だな。この劇は―使命を果たす劇だ…世界を造るという」…貴方あなた。自分が言ったことに縛られすぎてない?

「…そんな事知るかで幕を引くってのも手じゃない?」とあたしは問うてみるのだけど。

「かくして人類滅亡せりってか…まあ、悪くはないんだが…」

「だが?」

」抽象的な物言い。逃げの一手にも見える。


 …そもそもあたしは問いたいことがある。


「貴方―この世界にオートマタを創りなおしたの?」


                 ◆


「ん…もう数えてない」と先生は言う。

「数えてないくらいにはやり直したと…って事は地球が隕石で無くなったのは―」

「もう随分ずいぶん昔で…あんま感慨かんがいも無くなってきた…」そういう彼は妙に老成ろうせいして見えるけど。

「…普通の人間の貴方が何故生きているの?とっくの昔にヘイフリック限界迎えてるはずでしょ?」体を構成する器官、その構成単位が細胞で。その細胞には分裂限界がある。それが寿命と呼ばれるモノの一部だ。

「ま、色々やらせたのさ…」と彼は言う。

「もしかして―意識を他の体に移植でもした?」いや。荒唐無稽こうとうむけい過ぎるか。

「いや…ほれテロメアーゼあるだろ?」遺伝子の末端。折り返されたヌクレオチド。それがテロメア。細胞分裂する度にマーカーみたいに遺伝子に出来て、塩基えんきの鎖を縮めていく。それが限界を越えると…細胞は分裂しなくなる。致命的ちめいてきなエラーを起こして。それの補修をになうのがテロメアーゼ。人体では特定の部分でしか発現しない。

「アレを改良して…不老化ふろうした、と?」そんな単純な話だろうか?

「実は原理は分かってない…たまたまがヒットしただけ…いやあ。賭けだったがな?下手したらがん細胞みたいに意味のある器官をさない状況になってたかも知れん」

「Hela細胞みたいにね」地球で活躍していた世界初のヒト由来の培養物。根源の人間が亡くなっても元気に生きていたがん細胞。増えはしても意味のある器官を為さなかった。それは生きものへのステップを踏めないのと同義だ。

「そう。ま、死ななくてラッキーなんて最初は思ったし、ある種、神のようだと思ったけど―いやあ。悠久ゆうきゅうの時を与えられてみろ…暇で仕方ない」そういう彼は神にすには余りに俗っぽい。

と?」ああ。何ともガキ臭い話だ…

「そういう事だな―むかしむかしに在った惑星発展シュミレーションゲームをやるようなもんさ」彼はそういう。子どもが遊びを教えてくれる時のように。

「…くっだらない」とあたしはコメントする。男にありがちなかみ気取り。それをリアルにやってしまったのが、この男、若林桜わかばやしおうだ。阿呆あほうに権力を与えた時の典型例みたいな事しやがって。

「くだらないよなあ…俺もそう思う」と彼は言えど。自動で返答してるのと変わらない情報量。もっと改悛かいしゅんでもしてくれ。頼むから。自らの限界を知るようで―虚しいから。


「…ねえ。カミサマ。頼みが出来たわよ」あたしはこの偽者の神デミウルゴスにこう乞う―「」と。

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