【Ⅸ】
「
「今更?わたしは待ってたよ、
「だよな。知ってた…ごめんよ、待たせて」と俺は珍しく素直に言う。
「しかし。プロポーズが桜の樹の下…どういうセレクト?」と彼女は
「ん?俺達の象徴かと思ってな?」知恵の実の木ではないが、花の色は彼女と同じ名を持つ。
「…アダムとイブ。そう言いたい?」と彼女は言う。
「ああ。君が俺に知恵の実を渡してくれたんだ。俺は俺だって」と俺は言う。この娘は俺に人間でも良いと教えてくれた。
「…わたしは貰ったものを渡しただけなのかもよ?」
「別に良いさ。渡したって事の方が重要。君が渡さなきゃ俺は―まだ自動人形だったのだろうから。
「あのさ、わたしは貴方に世界に連れ出してもらったの。10の時。その時から宿命みたいに貴方を想い続けてきた…もう助けは要らない、ただ側に居て…ずっと」そういう彼女は可愛らしい。でも何処かに芯を感じさせる。
「俺は―多分何時までも、は生きてらんない」テロメアの短縮。可能性は低くはない。無理矢理の発生の置土産だ。
「…何時までも。時の
「俺が―君に道を与えてしまったんだな?」俺は訊く。
「そう。でもわたしは自分の意思で選んだことだから。1ミリも後悔してない」真っ直ぐな目が眩しいぜ。ったく、なら―
「俺が隣で見ててやるから、やってみてくれ。頼んだぜ?相棒?」と言ってやるともさ。
◆
俺は不妊だと思っていた。自らの精子を。だってクローン体だぜ?体は。
分娩室の外のソファで俺は祈りを捧げる。どうか、撫子をお守り下さいと、産まれてくる男の子が健康でありますように、と。
こういう時、男は何もすることがない。撫子は―
「出産中…絶対荒れちゃうから入んないでね?入ったら…恨むよ」と言っていた。俺は、
「せめて側で手を握ってやることは許されんの?」と訊いたさ、夫として。
「手を
分娩室はプライバシーに考慮してあるのか、妙に防音がしっかりしているらしく、中の様子は
「神様、仏様、キリスト様、なんか
時間は遅々として進まない。病院の廊下のアナログ時計の秒針が意地悪して、ひとマスに5秒くらい滞在しているのでは?と思えてくる。ああ、脇の下の汗が気持ち悪い。
とか考えて。ソファの上で尻ををもぞもぞさせていれば―ウチの嫁の居る分娩室のドアがガラガラと開く―
「おめでとうございます、元気な男の子産まれましたよ」と。
◆
「本日発表された国際連合の世界人口推計によると―2070年代までに地球人口は100億を超える見込みだと言います…これは持続的な成長を前提に施策を行ってきた各国政府の方針に大きな影響を与えそうです…」もうそんなに居るのか…人類は。
「一方で。
「なあ。
「ん?どうした
「火星に地球から誰が行くの?」人の話らしい。
「まずは国際宇宙連合の宇宙飛行士たちだろ…」NASAとロスコスモスと欧州宇宙機関と中国国家航天局とインド宇宙研究機関と他諸々を合体させた国際宇宙連合は阿呆みたいに宇宙飛行士を抱えているのだ。
「その後は?」と目をキラキラさせながら言う桜。
「んあ?テラフォーミングだから―そうだな、桜が大人になったら行くのかもなあ…しかし…火星はマジで危険だぞ?」どうせ行きたいとか言い出すからな。釘は刺しておく。
「んじゃあ…お母さんに改造してもらう!」と桜は言う。勝手にお母さんをマッドサイエンティストにしないように。
「あのなあ…出来るわけない…訳でもないが。
「それでも!!見てみたい。宇宙とか…火星の月のフォボスとダイモスとか!!」おおう、我が息子は宇宙少年だ。
「止めはせん…が勧めもせんなあ。大丈夫か?お母さんに会えないぞお〜」と俺は脅す。こいつは極度の
「…それはいちだいじ」と真剣な顔をする桜。まあ今はそうだが―その
「好きに生きてきた父ちゃんが言うこっちゃ無いが―あんま無理はしてくれるなよ、桜」と俺は彼に言っておく。君は―世界で初のクローンと人との交雑体。普通に生きれるかも分からない。俺と同じで―テロメアに異常を抱えるか、はたまた不妊になるか?わからないのだ。そして、そんな事を俺は愛ゆえに―しちまった。
「むり?しないしない」なんてお前は軽く返すけど。俺は心配極まりない。
「母ちゃんを泣かせるな…俺との約束」と俺は右の小指を桜に差し出す。
「まもる!」と桜は左手の小指で受けてくれる。
◆
俺は―
親父は…
「一郎さん…わたし…やるだけはやったから…」父の
「…母さん?」と俺は訊く。
「何?桜?」と俺に顔を向けるのだけど。涙で一杯で。
「俺も―こうなっちまうのかな…体」秘密は20になった時に聞かされている。俺は
「分からない…わたしの遺伝子を混ぜて…普通に産んだ子だからね…ま、定期的にモニタリングはするから安心して。一郎さんと同じような目には遭わせない」
「それは有り難いが―済まん。1つ言うことがある…こんな場で言うこっちゃ無いけど…」と俺は話を切り出す。母の定期モニタリングは―しばらくは続くだろうけど…俺は…
「…行くんでしょ?火星へのテラフォーミングプロジェクトの先遣隊として」と母は言う。まあ、大学の学部や属してるゼミ的にそうだ。卒業したら、国際宇宙連合の適正検査を受け…受かれば…俺は火星移住団の一員になるだろう。
「まだ受かっても無いけどな…宇宙連合のテスト」と俺は言うが。受かるつもりで居る。
「ま、精進なさいな。さあ。この儀式終わらせよっか」と母は案外に早い切り替え。
「良いのか?もっと親父の顔見とかなくて」名残惜しさなくはないと思うんだが。
「ん?良いんだよ…彼は―わたしの中に在るから。何時でも会えるよ」と母は
「…そうか」と俺は応えるしかなかったな。親父と母ちゃんの間には俺の入る隙がない。
◆
火星。
その赤き大地を俺は月面基地のスタッフルームの監視モニタから眺める。
思えば遠いところへ来た。地球に置いてきた母は心配だが―これ以上地球で人類は繁栄できない。それを学んだ俺は…火星に手を伸ばす。テラフォーミング第二陣。居住エリアの開発と―火星産まれの人類を創る為に…思えば皮肉だ。クローン体の子孫の俺が…クローンを創るはめになろうとは…
「火星で生殖はするな」それがプロジェクトが出した結論で。
「じゃあ…やれってんですか?俺の父のような人体のクローニングを…」父はクローン体であることを、クローン体なのに子孫を遺したことを、自らの引け目だと言っていた。
「現在の人類では―火星の環境に適応不可能…しかし、居住区は作って置かねばならん…我々は有限の命、その上時間も足りない…やるしかないのだ。効率的にプロジェクトを進める為には、な」リーダーはそう言う。
「…特攻部隊と変わりない。カミカゼアタックなんて冗談じゃない!!」親父は…クローンでも、
「
「…種の断絶の始まりだ。放射線耐性遺伝子をノックインするんだろ?そこから…俺ら人類と
「
「お前ら…俺と母と父をこっちに引き込むために―俺を採用したな?」もう。こう思うしかない。
「当たり前だろう?君ら家族みたいなお
「俺はど
「いいや。ノアの方舟に乗ったんだ」
「
「じゃ?君に
「…ない。恐らく最速、最善の手だ」ああ。感情は否定してるってのに。
「やってもらう。君の母親にも協力を取り付けろ…君らは、このプロジェクトに必要だ…」
◆
かくして。俺は―赤い星への一方通行の旅に出る…タロットのアルカナ『愚者』のように。
しかし、その旅路は祝福されたものではない。目的地のない―一歩通行の道…
◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます