【Ⅸ】

撫子なでしこちゃん…待たせた。結婚しよう」俺は眼の前の撫子ちゃんに言う。


「今更?わたしは待ってたよ、貴方あなたがそういうの」大学院のドクターを終えたばかりの彼女。研究者としてのキャリアはこれからだろうが―区切りの1つとしてはちょうどいいのだ。

「だよな。…ごめんよ、待たせて」と俺は珍しく素直に言う。

「しかし。プロポーズが桜の樹の下…どういうセレクト?」と彼女はくが、これは責めてる訳じゃないと思う。

「ん?俺達の象徴かと思ってな?」知恵の実の木ではないが、花の色は彼女と同じ名を持つ。

「…アダムとイブ。そう言いたい?」と彼女は言う。

「ああ。。俺は俺だって」と俺は言う。この娘は俺に人間でも良いと教えてくれた。自動人形オートマタであろうが関係ないと。『俺』というソウルを持つのなら良いと。

「…わたしは貰ったものを渡したなのかもよ?」そそのかす蛇。賢きもの。

「別に良いさ。渡したって事の方が重要。君が渡さなきゃ俺は―まだ自動人形だったのだろうから。若林一郎わかばやしいちろうに成ってなかった…ほんと、感謝してる。だから。今度は俺が君を助ける番だ」なんとまあ歯の浮くセリフか。しかし、言うべき時に言うべき事を言うのは人生にとって重要なことなのさ。

「あのさ、わたしは貴方に世界に連れ出してもらったの。10の時。その時から宿命みたいに貴方を想い続けてきた…もう助けは要らない、ただ側に居て…ずっと」そういう彼女は可愛らしい。でも何処かに芯を感じさせる。

「俺は―多分、は生きてらんない」テロメアの短縮。可能性は低くはない。無理矢理の発生の置土産だ。

「…何時までも。時のことわりの許す限りは居させる、貴方を。だからわたし、生命科学で博士取ったんだよ?しかも細胞死に関する研究でね」まあ、薄々感づいちゃいたけど、やっぱそうか。俺のせいで人生選んじまったか。

「俺が―君に道を与えてしまったんだな?」俺は訊く。こたえを知りながら。

「そう。でもわたしは自分の意思で選んだことだから。1ミリも後悔してない」真っ直ぐな目が眩しいぜ。ったく、なら―

「俺が隣で見ててやるから、」と言ってやるともさ。


                   ◆


 俺は不妊だと思っていた。自らの精子を。だってクローン体だぜ?体は。


 分娩室の外のソファで俺は祈りを捧げる。どうか、撫子をお守り下さいと、産まれてくる男の子が健康でありますように、と。

 こういう時、男は何もすることがない。撫子は―

「出産中…絶対荒れちゃうから入んないでね?入ったら…恨むよ」と言っていた。俺は、

「せめて側で手を握ってやることは許されんの?」と訊いたさ、夫として。

「手をにぎり潰されたくなきゃ、わたしに罵詈雑言ばりぞうごん吐かれたくなきゃ―絶対入らないで」俺は日本神話のアマテラスを思い出す。引きこもる女神。暮れる世界。…分娩室の前で踊ろうかな、なんて阿呆な考えしか浮かばん。第一子が生まれようって時に!!


 分娩室はプライバシーに考慮してあるのか、妙に防音がしっかりしているらしく、中の様子はうかがええない。

「神様、仏様、キリスト様、なんか諸々もろもろ八百万やおよろずの神様―お願いだから無事にすましてくだせえ…」と無神論者の俺は世界中の神に祈る。全く、滑稽ですわ。

 時間は遅々として進まない。病院の廊下のアナログ時計の秒針が意地悪して、ひとマスに5秒くらい滞在しているのでは?と思えてくる。ああ、脇の下の汗が気持ち悪い。


 とか考えて。ソファの上で尻ををもぞもぞさせていれば―ウチの嫁の居る分娩室のドアがガラガラと開く―

「おめでとうございます、元気な男の子産まれましたよ」と。


                  ◆


「本日発表された国際連合の世界人口推計によると―2070年代までに地球人口は100億を超える見込みだと言います…これは持続的な成長を前提に施策を行ってきた各国政府の方針に大きな影響を与えそうです…」もうそんなに居るのか…人類は。

「一方で。国際宇宙連合こくさいうちゅうれんごうが行ってきた火星へのテラフォーミングプロジェクトは佳境を迎えています。来年…月面基地から火星基地建造プロジェクトの自動建造船じどうけんぞうせん『デミウルゴス』が打ち上げられます…場所は赤道沿い、マリネリス渓谷…メラス・カズマ東部…かつて生命の兆候が見られたあの大地です…」船の名前が微妙だな、おい。そいつは偽者の神なのに。


「なあ。とうちゃん?」と5歳になる息子は問う。

「ん?どうしたおう?火星の話?」やっこさんは最近何故何故うるさい。しかも撫子の息子だからなのか妙に賢くもある。お陰で阿呆あほうの俺はタジタジである。

「火星に地球から誰が行くの?」人の話らしい。

「まずは国際宇宙連合の宇宙飛行士たちだろ…」NASAとロスコスモスと欧州宇宙機関と中国国家航天局とインド宇宙研究機関と他諸々を合体させた国際宇宙連合は阿呆みたいに宇宙飛行士を抱えているのだ。

「その後は?」と目をキラキラさせながら言う桜。

「んあ?テラフォーミングだから―そうだな、桜が大人になったら行くのかもなあ…しかし…火星はマジで危険だぞ?」どうせ行きたいとか言い出すからな。釘は刺しておく。大凡おおよそ火星は生命の住む場所ではない。常時じょうじ放射線が降り注ぐ大地では、普通の人間は生きていけない。だからこそ基地を作るんだが。

「んじゃあ…お母さんに改造してもらう!」と桜は言う。勝手にお母さんをマッドサイエンティストにしないように。

「あのなあ…出来るわけない…訳でもないが。所謂いわゆる開拓者ってのは寂しいぞお」と俺は脅す。火星で地球人類が繁栄するのは何世代…いや何十世代はかかるだろう。その間は少ない人間でやりくりしないといけない訳で。

「それでも!!見てみたい。宇宙とか…火星の月のフォボスとダイモスとか!!」おおう、我が息子は宇宙少年だ。

「止めはせん…が勧めもせんなあ。大丈夫か?お母さんに会えないぞお〜」と俺は脅す。こいつは極度のかあちゃんっ子だ。ま、息子はみんなそうだけどなあ。最近は桜と撫子を取り合ってる。情けない。

「…それはいちだいじ」と真剣な顔をする桜。まあ今はそうだが―そのうち親離れして…行ってしまうのかも知れない。

「好きに生きてきた父ちゃんが言うこっちゃ無いが―あんま無理はしてくれるなよ、桜」と俺は彼に言っておく。君は―。普通に生きれるかも分からない。で―テロメアに異常を抱えるか、はたまた不妊になるか?わからないのだ。そして、そんな事を俺は愛ゆえに―しちまった。

「むり?しないしない」なんてお前は軽く返すけど。俺は心配極まりない。

「母ちゃんを泣かせるな…俺との約束」と俺は右の小指を桜に差し出す。

「まもる!」と桜は左手の小指で受けてくれる。


                 ◆


 俺は―親父おやじとの約束を守れるのだろうか?『母ちゃんを泣かせるな』遠い昔にした約束。

 親父は…随分ずいぶん早くに亡くなっちまった。やはりクローン体のテロメアは短縮しており、40過ぎた辺から老化が早まり70になる前にがんで亡くなった。まあ、母ちゃんのお陰で随分寿命が伸びたみたいだが。


「一郎さん…わたし…やるだけはやったから…」父のひつぎの前で母がつぶやいた。

「…母さん?」と俺は訊く。

「何?桜?」と俺に顔を向けるのだけど。涙で一杯で。

「俺も―こうなっちまうのかな…体」秘密は20になった時に聞かされている。俺は自動人形オートマタと人間のハイブリットなのだと。

「分からない…わたしの遺伝子を混ぜて…普通に産んだ子だからね…ま、定期的にモニタリングはするから安心して。一郎さんと同じような目には遭わせない」

「それは有り難いが―済まん。1つ言うことがある…こんな場で言うこっちゃ無いけど…」と俺は話を切り出す。母の定期モニタリングは―しばらくは続くだろうけど…俺は…

「…行くんでしょ?」と母は言う。まあ、大学の学部や属してるゼミ的にそうだ。卒業したら、国際宇宙連合の適正検査を受け…受かれば…俺は火星移住団の一員になるだろう。

「まだ受かっても無いけどな…宇宙連合のテスト」と俺は言うが。受かるつもりで居る。

「ま、精進なさいな。さあ。この儀式終わらせよっか」と母は案外に早い切り替え。

「良いのか?もっと親父の顔見とかなくて」名残惜しさなくはないと思うんだが。

「ん?良いんだよ…彼は―わたしの中に在るから。何時でも会えるよ」と母はほのかな笑顔で言う。

「…そうか」と俺は応えるしかなかったな。親父と母ちゃんの間には俺の入る隙がない。いわく、運命的な出会いで宿命的に愛しあった。俺はそのようなパートナーと出会えるだろうか?


                  ◆


 火星。

 その赤き大地を俺は月面基地のスタッフルームの監視モニタから眺める。

 思えば遠いところへ来た。地球に置いてきた母は心配だが―。それを学んだ俺は…火星に手を伸ばす。テラフォーミング第二陣。居住エリアの開発と―…思えば皮肉だ。クローン体の子孫の俺が…クローンを創るはめになろうとは…


「火星で生殖はするな」それがプロジェクトが出した結論で。

「じゃあ…やれってんですか?俺の父のような人体のクローニングを…」父はクローン体であることを、クローン体なのに子孫を遺したことを、自らの引け目だと言っていた。

「現在の人類では―火星の環境に適応不可能…しかし、居住区は作って置かねばならん…我々は有限の命、その上時間も足りない…やるしかないのだ。効率的にプロジェクトを進める為には、な」リーダーはそう言う。

「…特攻部隊と変わりない。カミカゼアタックなんて冗談じゃない!!」親父は…クローンでも、自動人形オートマタでも…人間だった。俺の大事な親父だった。でも…自分の生まれを引け目に感じていた。と、常々言っていた。

カミカゼ特攻させる訳じゃない…彼らにも生存は保証する…」

「…種の断絶の始まりだ。放射線耐性遺伝子をノックインするんだろ?そこから…俺ら人類とトランスヒューマンクローンの断絶が起こる…」

不稔ふねんにしてしまうさ。1代で死んでもらう…現世人類への放射線耐性遺伝子のノックインが終わるまで、な」ああ。こいつは―神気取り極まりない。りにって俺が、そんなもんの片棒を担ごうとは。

「お前ら…俺と母と父をこっちに引き込むために―俺を採用したな?」もう。こう思うしかない。

「当たり前だろう?君ら家族みたいなおあつらえ向きの物件を逃すもんか」俺は―自らゴキブリホイホイにかかったようなもんだ。餌につられて―死ぬ。しかも絞り尽くされて、だ。

「俺はど阿呆あほうらしい…夢を追って墓場に来ちまった」そう愚痴らざるを得ない。

「いいや。

阿呆あほ言え、自ら現世人類の生存に―クローン自動人形つかい潰すつもりの連中がよ…」そう、彼らのプロジェクトは功利主義の基、為される。大多数の幸せの為に…少数のクローン体、自動人形オートマタ達をすり潰すつもりだ。

「じゃ?君に代案だいあん在るのかな?」

「…ない。恐らく最速、最善の手だ」ああ。感情は否定してるってのに。

「やってもらう。君の母親にも協力を取り付けろ…君らは、このプロジェクトに必要だ…」


                 ◆


 かくして。俺は―赤い星への一方通行の旅に出る…タロットのアルカナ『愚者』のように。

 しかし、その旅路は祝福されたものではない。目的地のない―一歩通行の道…


                 ◆




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