【Ⅷ】
今日は大学の入学式だ。わたしは着慣れないスーツに
今日は珍しくお母さんが来てくれた。前代未聞のことである。わたしの区切りの儀式を
「
「お母さんは相変わらずだよね…綺麗。わたしよりフェミニンで…」とわたしは言う。相変わらずのベリーショートの髪のせいでわたしにはフェミニンさが欠けている。
「ま、そういう仕事してるからね。色々気使ってるのよ。よる
「あそ。でも―なんで今日、ここに来てくれたの?」素直な疑問。この時間帯だと仕事にさわるのだ。
「…あんたの彼氏に説教食らってね」とお母さんは意外な方向から理由を出してくる。
「…
「家に尋ねて来たのよ。一週間前くらいかしら」意外な攻め方に驚く。一郎さんは面倒くさがり不
「彼、そんな性格じゃないはずなんだけどなあ」とわたしは疑問だ。あの人は妙にのらりくらりしている。
「いや。熱ぅーい説教だった。まるでじっくりとした
「そんなに熱い説教だったの?…いや、別人の話してない?仕事相手とごっちゃにしてない?」失礼な言い方だが、そう思える。
「いや…もう。じっくりとっくり舐めつくされた感じ」この人…わたしをからかって遊んでるな?まったく。
「…一郎さんに関する事で性的比喩使うの止めてよ」とわたしは釘を刺す。いい気分はしない。彼とそういう事をするのはわたしだ。これは誰にも譲れない。
「いやあ。娘からかうのって面白いわね」と初めてそんな事をしたこのように言う母。これ、結構異常だ。
「そりゃ良かったね」とわたしは嫌味たっぷりで
「…若林くん遅いわね」と母は言う。いい加減ホールでの長い長い式が始まろうとしている。
「仕事抜けるのに苦労してるんじゃない?さっきメッセでそう言ってた」
「…
「おじさん、良いように
「…今日くらい休みにしろって、久々に連絡すべきだった」と母はこぼす。
「それ。わたしも言ったよ。3秒で却下されたけど」おじさんは仕事に関してはわたしにも甘くなってくれない。
なんて。久々に…いやほぼ初めて母との会話を楽しんでいれば。
よれたツナギのまま一郎さんがやって来た。せめて着替えて欲しい。
「済まん。商談が長引いた!まだ―始まってないよな?式?」と息を少し弾ませながら言う一生さん。
「あと10分は余裕あるかな」とわたしは
「遅かったじゃない?私にあんだけ説教しといて」とお母さんは一郎さんを
「しゃあないでしょう?『自警団』の皆様に熱いモノ喰らわされてたんだから」と一郎さんは言う。あまり詳細は
「ウチの娘と付き合うなら…あまり危ない橋を渡らないでね」とお母さんは…言った。初めてかも、こんな風に想われるのは。
「…とは言え稼がにゃならんですから」と一郎さんは照れながら返す。なんだかこの会話に違和感があるのはわたしだけだろうか?
「私の付き人にでも転職する?最近辞めちゃったから」ああ。あのトランスジェンダーな男の人、辞めたんだ。家にお母さんを拾いに来ていたのを何回か見ている。
「それは―安全そうだなあ」と一郎さんは言うのだけど。
「お母さんの付き人になんかなったら『味見』されるから絶対ダメ」この女はやりかねないのだ…母に言うことではないが。
桜の淡い撫子色の花びらがわたしの近くを落ちていく。
「そうだ。写真撮ろうや」と母の熱い何かに引いた一郎さんは言う。
「記念写真?良いわね」とお母さんは言う。
「もう…記念撮影って歳でもないけど」と慣れてない私は照れてしまう。今まで写真という形で区切りを、過去を
重力に支配された撫子色の花は不規則な軌道で落ちていく。
「俺だって慣れてねえ」と一郎さんはわたしに笑いかける。その笑顔は温かい優しさに満ちていて、そしてわたしをまっすぐ見つめていて。
「写真撮り慣れてないってどんな人生だったわけ?」とお母さんは一郎さんに突っ込んでいて。
撫子色の花は地面に落ち。地面と一体になる。
「まあ。良いじゃん。やってみよう。とりあえず、ね」とわたしは言ってみる。過去指向は私のモットーに反する。時もわたしも進んでいくのだ。何時までも過去の在り方に囚われ、呪ってる場合じゃない。
「…スンマセン、こいつのシャッター頼めます?」なんて一生さんはそこら辺の新入生を捕まえている。
「良いっすよ。んじゃあ…そこの桜の木のしたに皆さん集まってもらえます?」と捕まったちょいやんちゃ風の新入生くんは私達を桜の木の下に
『桜の樹の下には
そう、桜は綺麗すぎて。その下に屍体が埋まっている、なんて主張したくなる気持ちも分かる。
その花の色と同じ名を背負ったわたしは。いまいち名前に馴染めずいたものだけど。
そんな事を忘れさせるくらいに、桜の樹は、花は、美しくて。
下から見上げれば枝が無数に別れながら空に向かっていっていて。こいつは世界の比喩じゃないか?とか思いつつ―もう一つ別のイメージが浮かんでいた。
タロットのアルカナ『恋人』の絵だ。知恵の実の下で
アダムとイブはわたしと一郎さんで―お母さんは…大いなる存在に押し込んどいて…そして。蛇は…やはり
そう。
私は正木萌黄という蛇に唆されたイヴなのだ―「この実を食べて―知りなさい。別に死にはしないわよ?」
その果実の甘美な甘さで…わたしは変わった。それはキリスト教的価値観では罪の始まりだという。しかし、またグノーシス的な解釈を持ち出すなら、男と女が合一し、
わたしと一郎さんは分かたれた半身同士。それは蛇の導きにより桜の木の下に。
いずれは成すだろう。子を。これは予言。
そして連綿とした人類の歴史の中にコードを遺して消えていく。そこに虚しさがない訳では無いけれど。矮小なわたしたちは、その
―これより先の人生に幸いあれ。私は写真を撮られながらそんな事を考えていた。
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