【Ⅵ】


 人の発生は複雑怪奇ふくざつかいきだ。受精卵から出産までの妊娠も発生学という学問が出来るくらいには複雑だが、精子と卵子の出会いである受精とその後のプロセスも複雑怪奇。

 細胞の増殖は通常は普通にコピーを増やす分裂を行うが、生殖細胞の増殖は二度の減数分裂をともなう。1つの細胞核、染色体を4つに分割し、その過程で遺伝子の組み換えが起こる。これは獲得された進化だ。

 そう。人類は単細胞生物よろしくクローニングで子孫を増やさない。そして遺伝的多様性を獲得するため減数分裂を2回も行い、核の中身の染色体をかき回し、混ぜる。

 だから。二親ふたおやとは微妙に違った遺伝子を持つことになる。まあ、ある程度はお互いに似るが。


 萌黄もえぎは俺を創る過程で…あきらの染色体をばらし、一生の両親のシークエンシングデータを参照しながら、元の精子と卵子の配列を再現し、その組み直した精子と卵子をつかって受精卵を創った。その過程で自分の卵子を土台にしただろうが―そのモック似せものに自分の配列を混ぜ込む余地はなかった…だって俺の両親の配列と同じに組むのが前提で。その後は受精卵を俺のシークエンシングデータ通りに寸分たがわず組み直したんだから。


「お前は―分かっていたし、目的は呉一生くれいちおの再生だった…しかし。出来できあ上がった者―『俺』―の意思により、呉一生の再生は失敗した…んで…色々あって思うところが出てきて今度は自分の遺伝子をのこしたい…ねえ。いや心変わりしすぎだろ…『俺』に凍結卵子を遺したのは『俺』とお前の子どもを創って『自分萌黄が』生きた証を残すため…」女性は彼岸ひがんの存在。そんな言葉が頭によぎる。発想が俺達オスとは違いすぎるのだ。

「要約どうも」と彼女は言う。いやしかし、皮かぶせた俺のイマジナリー…にしちゃあ。女性感情が強すぎる。

「もしかして」俺は思う。こんだけすらすらと彼岸の存在の思考をトレース出来る理由。


「…って大事だよね。心理学かじった私にはお茶の子さいさい」そう。こいつは俺の心理的なアニムスの隙間に『自分』をやがった。


「俺が―いや一生がアニムスをお前として創ってて良かったな」友達の少ないやつだったから為せた業だ。

「まあね。お陰で私の人格を丸々書き込む荒業をせずに済んだ」まったく。自分の体の何から何までこいつに創られっぱなしだ。後からの人格以外全部メイド・バイ・萌黄じゃねえか。

「お前…よく隙間見つけたな俺の脳に」人の脳は緊密に張り巡らされた細胞群のコンプレックスな訳で。あんま余裕はない…はず。

「私との記憶も利用したからね…後は成人してからの行動・思考ルーチンを与えておくだけで良かった…ま。完全に正木萌黄まさきもえぎと言えなくても大凡おおよそは正木萌黄だ。そんな訳で、今回の件、君の類推るいすいではない。正木萌黄はそれを望んで居なくなった…最後の願いくらい叶えてくれよ…」俺は母としての正木萌黄が分からなくなってきた…

「いくらお前が母親みたいなもんだからって―何でもは叶えてやれない」一応のエクスキューズ。

「こいつは―母の呪いだね。子どもには期待してしまうのさ。お腹を痛めて―いや私は痛めてないけど―産んだ子なのだから」俺は代理母を使わないフル培養のクローンだ。産みの親は孵卵機インキュベーターとも言える。

「今更親離れ子離れってかい?勘弁しておくれ」と思春期の子どものようなセリフがでてしまう。


「じゃあ言い方を変えようかな…、と」


 強硬きょうこうで押し切るつもりか?俺はこいつにまた会いたいなんて呑気のんきに考えてた事を後悔する。こいつは地母神じぼしんに似ている…そうイザナミのような。恵みと破壊を同時に併せ持つような。

「勝手にやっといてそれはないな」とまたもや思春期だ。

「言い返せないのはやぶさかだが―君のも私が恵んでやったものの一部のはずだよ?」そいつは言い返せない。萌黄が俺を創ってなきゃ『俺』は産まれず。撫子なでしこちゃんに出会うこともなかった。

「お前、今までえて出てこなかったんだな」この状況。撫子ちゃんが『俺』に好意を寄せてるこの状況。俺に彼女を説得させてあの凍結卵子で代理出産させる―ああ、最悪だ。撫子ちゃんの好意を踏みにじる所業だ。利用しようと考えてた俺が言うこっちゃないが。

「そうだね。敢えて放っといた。君がつがいを作るにしろ、作らないにしろ―代理母だいりぼの問題がある…君の技術と知識のみではインキュベーターの開発もままならないし、培養だってまた」ご指摘どうも…そういや。インキュベーターって完全にメカニカルなのだろうか?バイオを使うにしろ受精卵の母親由来の細胞がいくらか必要になる。出産までの呼吸と栄養補給を担う胎盤のモック似せものに。

「インキュベーターはバイオだよ」と俺のリークした漏れた思考を拾う萌黄は言う。

「やっぱそこは如何いかんともし難いんだな。今になっても」出産は生命の神秘…まだ人類はそこをこじ開けるのは無理らしい。

「ほんと、君を創れたのも1個の奇跡…君の誕生実験…第何次だったか知ってる?」知るか、んなもん。「第12039次…まあ初期のエラーも含めてるけど」まあ…そこそこ数字は積み上がっているのか?よく分からん。

「正木の爺様が居なきゃ資金ショートで解散してただろうなプロジェクト」んなしん宇宙に乗り込むようなプロジェクトは国家レベルの資金を要するだろう。

「まあね。君が流失した以外は大成功ってなもんですよ」

「スマンな」大した謝意は込めてない。

「謝る気はないでしょ…謝意の籠もってない謝罪に意味はないよ」



                  ◆


 

「さてまあ。そういう訳だから」と萌黄は話を纏めだす。「撫子ちゃんを適当にコマして―後は私の望みを叶えてね…」と萌黄は命令口調で言う。

「『俺』にそれをする義務もメリットもモチベーションもない…」どうせ。こいつは俺の頭に住み着く幽霊なのだ。

「無視したら―君の脳の血管2、3本破裂させちゃうよ?」と脅し。そんなことも出来るのか?たかが心理的な写像しゃぞうに。

「そこまでは出来ないだろ…流石に」と俺は希望的観測をにじませながら言う。

「どうだろう?たかが写像でも―感情の喚起かんきくらいは出来て―怒りかなんかで血流を増させ、最後には切っちゃうかも」なんとも回りくどい。

「…」俺は一旦黙り込むことにした。口を動かしながら考えるのは大層面倒くさい。


 はてさて。如何いかにしたものか?この小うるさ地母神じぼしん様を。

 言うとおりにしとくほうが穏当ではある。

 しかし。

 俺は―かの女の言い様に腹を立てている。文句がわんさか湧いてくる。

 人間的な価値観で言えば、産んで貰った母に感謝すべきなのだろう。ところがどっこいこっちは自動人形オートマタと来た、クローンと来た。

 悪いが―俺はいわゆる人とは違う道で産まれ、地母神の導きでこの世界に来た。

 んな俺に道理とか倫理とか仁義とかにもとる動機があるだろうか―ない。まったくない。『オートマタ』は俺の体にんぎょうと関係なしに産まれた。お前にこれを恵んでもらった覚えはなく、俺の存在はただ在った。このように。だから―


「お断りだ、萌黄。お前の凍結卵子は使わない」


                  ◆


「そう言うと思った」彼女は平板な表情でそういう。

「予想はされてただろうが、それにいたる思考は『俺』のものさ」『俺』のユアセルフ…魂とでも呼べる何かが出した結論。

「いやあ。立派に育っちゃったな」と萌黄は呟くように言う。

「育ちもするさ。8年経った」と俺はこの地母神に告げる。生成と破壊の女神が最後に産んだモノはその存在から分離する。『俺』は俺だ…誰に何してもらった訳でなく、ただ在り、そしてこの先も生きていく。何をすべきかは―運命は―自分で選び取る。

「なんでだろうね、嬉しくないのに嬉しい」と萌黄は言う。

「悪いな。言わせてるみたいで」と俺は謝っておく。一応恩義はなくはないのだから。この人形の体肉体を創ってもらった恩が。

「言わせては無いよ…本当に母親やってるみたいで生前の後悔を1つ潰せた…いや、…多分彼女もそう言うし思うよ」目元に涙を浮かべながら言う萌黄。

「泣くな…さっきまで俺を脅した人間が」と俺はやっぱり茶化してしまう。最後までこいつには素直になれなかった。

「悪かったよ…アレは女としての最後のわがままさ。月並みだけど子ども。欲しかったんだ」

「…そう言われちまうと困る」

「そう言わないで。困らないで。君が選ぶ事、やる事に誇りを持って生きなさいよ」と母みたいに彼女は言う。

「そうかい。ま、全然どうなるか、どうしていいか分からんが―とりもあえずやってみる」と俺は根性論丸出しの言葉を母に告げる。

「失敗しても―まあ、それもまた人生だから、好きにしなさい。そうすれば私みたいに後悔しながら死なないだろうから」やっぱり彼女は死を受け入れてたんだな。納得はしていなくても。

「わかった―そろそろ俺、起きるわ…かあさん」と俺はいとまの言葉を彼女におくる―

「そういう事言わない」と彼女は言い、像は曖昧あいまいになり、崩れ落ちていく…


                  ◆


 

 随分ずいぶん長い夢―を見ていた。

 その夢は俺の中に在る萌黄との対話だった…そいつはある種のオートマトンAIだったが。でも同時に俺のアニムスをベースにしていて。

 何とも不思議な夢だった。他我たがを相手にしていたはずだが、どうしても自己との対話でもあったと思う。

 俺達人間のユアセルフ、自我、魂は複雑だ。普段覚醒している領域の反対側もまた俺自身で…今回、矛盾した思いを抱え込む事がおかしくないってことを初めて気付かされた。

「最後までアイツにおんぶに抱っこだったぜ」この言葉を吐いたのは一生か?それとも『オートマタ』か?その答えは―どっちも俺で。


 今まで俺は分けることばかり考えきた、呉一生を。

 でもやっぱ『俺』のベースはどうしようもなくアイツで。

 でもそんな事どうだっていいのだ。本当は。ウジウジ悩むための言い訳にしてたんだ。

 俺は、自分に自信が無いからって、自分の外部的な属性を言い訳にして、世界に向き合ってなかった。それは撫子ちゃんにもまた。

 ああ。言わなくちゃいけない事がたくさんある。今まであの娘にしてやらなきゃいけなかった事がたくさんある―だから。俺は起きなくては。まだ見ぬ明日へと。



                 

 

 

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