【Ⅴ】
「君に若いなんて言われたくないね。8歳児じゃないか。せいぜい小2じゃない」彼女は腰折りに対して、混ぜっ返しで応答する。
「肉体と精神のベースはもう36…俺を創った時のお前より年上になっちまった」
「自分が36にもなるなんて想像もつかなかった。どうだい?30代後半は。少しは生きやすくなったかな?」いや、全然生きにくい。魂の不調和を感じる。間違った入れ物に間違ったモノを注ぎ込んだような。
「体と精神の分裂を感じるね。まったく。萌黄は先の事なんて考慮してなかったように思えるぜ。
「短期的
「…なあ?」俺は話を変えようとしてみる。
「なんだい?まだ悩みがあるのかい?」と彼女は信じられない、といった様子で聞き返す。
「お前は…いや正木萌黄は、どうやって周りの人間の束縛から逃れられたのだろう?」俺の製造。それに関する迷い。ジレンマ。アンビバレント…俺が振り切れぬ思い達。
「そんなことも分からない
「お前にゃ昔から馬鹿扱いされてるからな。思ってる通りだよ。だから教えてくれ」
「…愛だよ一生君への。一方的で、重く、報われず、空回りする」また大層なワードだが…まあ、そうなのかな。人を動かすのは自己保存欲求であり、それはとどのつまり生殖で。それが端的に現れるのが恋愛だ。
「…愛、ときたか。
「愛はね。与える事さ。見返りがなくても。ただその人であるだけで自分すら与えてしまいたくなる」そうして萌黄は俺に体と命を与えた。自らの事を
「そうして相手に自分を与えて
「無私ってのは語弊があるよ。相手の中に埋め込み一体になる―君が思い浮かべてる男女で正解。我々は神の
「我々は遺伝子に支配された哀れな生きもんだな。んな言い訳まで作り出しやがって」と俺は神話チックなイメージを
「そういうデザインだ…というより神がそうであるから人間もかの
「自らを与える覚悟…か。何かセクシャル論で申し訳ないが、それは女だから出来る所業なのでは?」と俺は思った。男という性別は精子以外与えられないように出来てる気がしてならない。
「女が乳を初めとする自らを子どもに与えるからかい?
「…一応。女性器の原型がまず出来、その後男性器への変化因子がなければそのまま女性器が形成される」
「乱暴に言えば人は女から男になる君も発生の初期段階では女性器みたいなものを持ってたわけだ。出来ない道理は無いだろ?」そいつは
「つっても持ってたのは一瞬だし、今や乳房も子宮もない。出来るか、んな事」と俺は乱暴に反論する。
「人は誰でもアニマ、アニムス…自分の性の対局存在を心に持ってるもんだけどな」ユングの理論。あくまで心理的側面での話―いや。別に心理さえあれば与えられるのか?
「アニムス…ね。そいつはあるが…なんでか、いや、撫子ちゃんの存在が俺を押し止める。一方では彼女なんて利用してしまえば良いと思い、一方では彼女を守り側にいてやりたいという感情がある…お陰で俺は欲望を素直に叶えられない」素直な吐露。それは2つに引き裂かれた自我。
「…君はもう。私なんか必要ないはずなんだけど」と彼女は
「そのつもりだったんだがな。歳を食ったせいかな、妙にお前が恋しい。
「君も人生を折返し、過去が増えてきたからね。嫌でも目につくんだろ」そう言い
「まあ、な。得るものは少なくなり、失うものが増えてきた。すると過去が妙に輝いて見えてタイムマシンでも開発したくなるんだ」
「君は時間の理論を知らない訳でも無いだろ…増えた乱雑さ、エントロピーは減らない。依然として宇宙は秩序を無くす。それが時が一方にしか流れない
「集めてこね上げるさお前を…迷いがなくなれば」と俺は呟く。いやまだ迷ってる。
「人のままで居たいなら止めときなさい。人を増やすのは人の中では女の仕事なの」
「そうやってドライに切り捨ててぇよ…こんな感情」俺は迷ってる。人という世界の車輪にのみこまれつつある今は。
「切り捨て決別し、君には―普通になってほしいよ。産まれ方はおかしかったけど。でも、君は人を模したものだ。神様に魔法をかけてもらわなくても、君の思い次第で『ただの』人間に成れるはずさ」萌黄は子どもを諭すようにいうのだ。まったく。
「俺が『ただの』人間に、か…夢みたいだ。記憶喪失でもしない限りできそうにない」
「すればいい。私の資料があるじゃない。君が
「なあ。萌黄…のフェイクさんよ」と俺は俺のイマジナリーに
「はいはい?何かな」と萌黄。
「お前は―母としてでなくなら俺に何を望んでいた?」そう、母としてなら遺した遺品に説明のつかないモノがある。
「私個人?そうだなあ…月並みな言い方だけど…君のお嫁さんさ」と彼女は…いや俺の妄想物はそういう。
「…俺が再現してる萌黄がそれを言うのは気持ちが悪いな」と正直にこぼしてしまう。
「君は常々疑問に思ってたはずだよ…そのロケットの中身のあるものの存在を」
「だな。『一生との』間に何かを遺したかった萌黄が―俺に、別の存在であると認めた俺に凍結卵子と自分の分のDNAシークエンシングデータを遺したのは疑問だったな」まあ最初は一生のオルタナティブではなく、そのものにするつもりだったから?
◆
「なんと言いますか―」と言い
「何だよ、何聞かされても驚かん」こういうイマジナリーの中なら別に何を聞いたところで驚かない。と言うかそういう話をする為の場でもある。
「私もね…人の道を踏み外しはしたけど―やはり人という枠組みからは逃れられなかったって事かな」
「人という枠組み?」こいつも人としての何かに縛られていたのか。
「と言うより遺伝子を乗せた生物の本能かも知れない」生きものの本能…それは、
「自己の保存…継承…DNAを
「そ。もう良いよ人生は。あまり思い残すことはない」20代後半で死んだヤツのセリフではない。
「悟ってらっしゃる」茶化してしまう。こういうシリアスなセリフは。
「悟らざるを得ない。苦に満ちた世界を脱した者は」苦に満ちた世界。仏教的世界観だな。
「しかし。最後の思い残しが遺伝子の保存…ね」なんというか。人を創れてしまった人間なのに、と思わないでもない。
「君の中身は相当弄り回したからね…私の卵子ベースとは言え。私の配列は保存されてない。人工的に合成した君の親のDNAをノックインしまくった」
「…お前の痕跡は、お前のコードは、この世界にこの凍結卵子を除いて残ってない。人類という巨大なコードの集まりから外れちまってる…世界というプログラムから外れちまってる…なるほどそりゃ孤独だ」
「だろう?そう思うと悲しくなってね…私が在った事が、痕跡が、消えて無くなるのは悲しいよ」と切なげに言う彼女。
「寂しんぼだっただな、28にもなって」と俺はからかってみる。
「そうさ。しかも死の直前にデザイナーベビーだったって知らされでしょ?アレ結構堪えたんだ…自分の存在の希薄さが増したようなそんな気持ちになってしまった」
「そうして…何がなんでも遺したくなっちまった、と。知人が死に絶えた後でも残る何かを」人は他人の中で生きれるが、それは一次的でしか無い。直接知る人間が居なくなれば、そいつを知る者はいなくなり。世界から直接的な痕跡が消えていく。
「そう。人類の歴史の中にひっそりとでも残りたかった」
「そう、か…俺が今望んじまってることをしてしまえば―遺るかも知れんが…」
「もう一度の人生は要らない」んだよな。こいつは。
「さて。どうしたもんかね」と俺は呟き、無い頭を
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