〈5〉歪

 わたしがをし始めたのは―寂しかったからだと思う。


 いつもお姉ちゃんが側に居たのに。ある時期から体調を崩して―最後には亡くなった。原因は遺伝病。なんて名前かは忘れた。でもそれは致命的な病だったみたい。体に必要なものが作れなくなる病気だった。


「なで…しこ」とベットの上のお姉ちゃんはわたしに言う。

「しゃべんなくて良いから寝てて」最後の方はわたしのほうがお姉ちゃんみたいだったな。

「あたしの…ことわすれないでね」と消え入るような声で言うお姉ちゃん。やめて。

「忘れない」とだけしか言えなかったな。


 それから。

 私が2年生の時にお姉ちゃんは居なくなった。意味がわからなかった。でも、お姉ちゃんはかれて小さなツボに収まってしまったのだった。


「こういう時の為に―撫子なでしこを産んだのに」とお母さんは言っていた。意味はよくわからなかったけど…私からよく髪の毛とか血液をっていたのは覚えてる。

「お前!なんて事をいうんだよ!」お父さんはお母さんに怒鳴ってた。なんでかは分からないけど、とても怒っていた。

「あの子の…あかねの…命の為に。命を助けるために私は撫子を―」

「それ以上言ってみろ!」

「やりなさいよ」ああ。喧嘩が始まる…私は部屋に行こう。


 私は部屋でうずくまる。そして腕の中に顔を沈めて世界を暗くしてしまう。


「茜に撫子の遺伝子をノックインするために―産んだの!あの娘を!!」

「それだけじゃなかっただろうが!」

「いいや。私は茜の方が可愛いの!!」

「言って良いことと悪いことがあるだろう!」

「あなたに似た撫子は―私の娘に思え―」と言うお母さんの声と共に鈍い音…ああ。最近はずっとこう…私の事で争っているのだ、あの2人は。


 私はずっと。お母さんからあまり好かれてなかった。薄々感じていた事だけど、認めたくないけど、そうだった。

 見た目がお父さんに似すぎたのがよくなかったのかも知れない。お父さんに似て少し男っぽかったのがいけなかったのかも知れない。

 病気しがちなお姉ちゃんは、儚くて、肌が白くて、髪が細くて綺麗で。わたしより可愛かった…だからお母さんに好かれてたんだと思う。

 わたしは別にその事を気にしてなかった。だってお姉ちゃん優しかったもん。

「撫子は私の王子様!かっこいいもん」とか言ってくれたっけ。


「男の子に生まれれば良かったな」と私は言ってしまう。そうすれば愛してもらえたかも知れない。そうじゃないかも知れない。

「それじゃあ―撫子ちゃんじゃないよ」誰?私は腕の中から顔を上げる。

「私?誰でもいいじゃない?お話しよーよ」やたらフェミニンな見た目のフリフリの女の子が眼の前に居た。

「そんな気分じゃない…」うん。さっきからのお母さん達の喧嘩にてられて私は参っているのだ。

「あんなの気にしちゃダメだよ」と彼女は腰までの髪をふりふりしながら言う。私の近くで髪を振らないで―って。なんで?なんで私の体にあたらないの?

「ねえ。あなた。体…」と私は呆然と言う。


「ああ。貴女あなたんだからないよ」と彼女は何ともなさげに言うのだった…

 これが私のの始まり。



                 ◆



 今日の遊びは撫子ちゃんの家のプードルのこうくんの散歩だ。ねずみ色のタオルの塊みたいな彼は俺達の前を楽しそうに歩いてる。

「なあ。撫子ちゃん」と俺は話を切り出す。高石のおっさんに言われたことをなぞろうって訳じゃないが、もうちょっと彼女の事を知るべき時期なのかもしれないから。

「どうかした?」と応える彼女はこうくんにやや引っ張られている。

「そろそろ、俺、お母さんに挨拶したほうが良くないか?」と俺は前からの懸念けねん穏当おんとうに出してみる。10歳児と遊ぶ28歳児は不審者極まりない。親の公認を得てなかったら―まあ、犯罪者一歩手前だ。

「ああ。その事。良いんだよ、あのひと私に興味ないから」と彼女はなんでもなさそうに言う。おっさんの話が肉付けされていくようであまり良い気はしない。

「ってもな。職質しょくしつされたらアウトなんだよ、この絵」

「職質ってなに?」

「職務質問。警察が怪しいかもって人に話しかけるやつ」

「…友達じゃ通らない?」と彼女はめんどくさそうに言う。

「通んない。シッターさんなら通るかも知れんが」28歳児は肩身が狭いのだ。

「それは―嫌だな。色々と。お母さんと話すの面倒なんだよ」と彼女は漏らす。大凡おおよそ10歳児が言うセリフではない。

「面倒?」と俺は尋ねてみる。

「言葉が届かない…ような感じ。何を言ってもお母さんの理解の中で解釈されるの」歳に似合わず難しい言い方をいするな。

「それは―しんどいな」としか俺は言えない。この娘は安い同情を見抜く賢さはあると思うから。

「昔は―ああじゃなかったんだよ」とプードルのこうくんのおしりを眺める彼女は言う。

「ああじゃなかった?」おっさんの話を丸呑みにするならお姉さんが亡くなる前だろう。

「…好かれては無かったけど、嫌われてもなかった」そういう彼女は悲しそうで。

「それはそれでしんどくないか?」と俺はく。無関心と同義だぞそれは。

「良いんだよ…私は代わりにすらならない…出来損ないだから」と彼女は言う。十歳児に何言わせてんだとも思うが、そうか。彼女俺と似たようなものなのかも知れない。違いは俺がインキュベーターから産まれたって部分だけかも知れない。

「…出来損ないなんて言うな。ごめん、言いたくない事言わせて」と俺は話を引き上げはじめる。

「いいよ、気にしてない」と言う彼女の目は相変わらずプードルのこうくんのお尻に向いていたが、少し潤んでいたのかも知れない。

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