『praeteritum―過去』

 記憶なんて曖昧なものだ―なんて言うけれど。曖昧だからこそ可塑性かそせいがある、とも言える。粘土よろしく『元』のカタチに戻せるような。

 しかし。体験そのものの手触り―哲学屋ならクオリアというだろう―はその一瞬とそのあとに続く存在の中にしか無い…というのが私の信条だったはずなのに。


 どうしてこうなった?いや、どうしてこうした?何故、彼を黄泉帰らせた?そも、失われた者を黄泉よみまで追うのは男性のさがなのに。

 私にとって、彼は特別ではあったけど。彼の為に多くのごうを背負うはめになってしまった。そこまでする価値はあったのか?問わずにはいられない。


 人の行動に合理性を求めるのは筋違いである、と誰かは言う。私はそれにノーと言わざるを得ない。誰かに私は問う、とは何か?と。そんなものは、倫とか言う大多数の為の言い訳に過ぎないのではないか?と。

 しかし。そんな問いかけもまた陳腐だ。ではお前は何様なのか?という問が返ってくるに違いない。

 

 私は為してしまった。否応なく。自らの狂気と執着によって。

 命を為す母という古い呪いの続きの、命を創るという呪い。

 命を為すのは―女ではなく神ではないか?、そんな問が頭に響く。私は問うた者にこう言うだろう―神もまた、人と同じで、たかがではないか。それと同じわざをして何が悪いのか?と。


「答えなんてない」私はPCの前で頭を垂れ、つぶやく。


 DNAをいじくり回せるようになった今、命を神気取りの阿呆あほうが出てくるのは時間の問題だったはずだ。それを禁じる枠組みはあったにせよ。

 錬金術師はホムンクルスを創り、ヴィクター・フランケンシュタインはフランケンシュタインの怪物を創った…それは人の想像力の行き着くはてではあった。しかし、そういうアイデアがあった事自体が問題の種。

 しかし。神なんてものを創った人類は―自らを創るのに酷く難渋なんじゅうした。それはそうだ、宇宙に似た混沌が人という何十億の細胞の積み重なりなのだから。その中身は更に多くのタンパク質―さらにそれを為すアミノ酸…分け入るにはやぶが深すぎた。


 0から1を為すのは自然という神である。カオスの中を分け入るにも似る。

 それならば。元からあるものを使うべきなのだ。


 私には―卵があった。産まれたその日に何千と持っていて―初経を迎えると月にひとつずつ出てくる命の種が。

 道具があったからそれを為した…言い訳じみてる。

 道具を活かす知恵があったからそれを為した…詭弁だ。

 違う。私は―為すために、道具を揃え、知恵を付けたのだ。

 

                  ◆


 時を刻むチャイム。あかね色の夕刻の教室には彼だけが居ない。

 彼のもの机の上には花瓶と写真。それが彼という続いてきた何かが終わったのだ、という事実を告げているのだが。

 私には不思議と現実感が―いや彼の不在が―欠けていた。

 葬式というのは時間をかけ、その人が世界から消えた事を確認する儀式である、と誰かから聞いていた。でも、そんな形式張った儀式も私には陳腐に思えたのだ。

 白く、蝋燭ろうそくの蝋のようになった彼の顔を見た。そのタンパク質の塊になった彼の亡骸を焼く匂いもかいだ。そういう出来事達が彼と言う存在を世界から切り離した、というのが大多数の人々の総意であった。

 しかし。そんな事を納得して飲み込めるかといえば、ノー。

 今すぐにでも泣き喚きながら彼の名を呼びたい気もする…がそんな気持ちもまた、形式張った儀式同様無意味に思える。


 私の気持ちはどっちつかずだ。

 一方では彼と言う存在が星にかえったと思い、一方では星のどこかに揺蕩たゆたっており、呼び戻せるのではないかと思ってる。

「どこに行ったの?ねえ?」なんてつぶやいてしまう。

「兄ちゃんは俺達と違う所に行ってしまったんだ」と頭の後ろから答えが返って来る。

「…ごめん。居るとは思ってなかった…あきら」彼は―『彼』の弟だ。2つ違い。だから、いつも私達が学校を卒業する前に彼が入学してくる…兄の後ろを愚直ぐちょくに追いかけるタイプらしい。私も人の事をいえたクチではないが。

「萌黄ねぇが居る気がしてね」と彼は言う。心配されていたらしい。

「なんとなく見ておきたくてさ」と私は半分の事実を告げる。

「兄ちゃんが死んだ、って分かんないんだろ?」と彼は言う。そう、顕も?

「ああいう―ふざけたヤツが簡単に死ぬのかと思うと不思議でね?」と濁してしまう。今は素直にはなりきれない。

「違いない…あんな斜めな兄ちゃんが死なんてまっすぐしたトコロにハマるのが信じらんねえ」散々な言い草だが私もそう思う。

「最後の最後までふざけてた。気がふさぐから学校サボる、って言って…その後でこうだものね?」私の彼を学校にひきもどす努力は水の泡になって、弾けて消えた。

「大学…志望校受かりそうにもないからねてたんだよ、きっと」と顕は苦笑いしながら言う。

「ああ。お祖父ちゃんの病院の」そう、彼は我が祖父が所属する病院の付属大学に行きたがっていた。昔世話になった時にかっこいいと思ったらしい。

「医学部行ける脳みそしてなかったくせにさ」なんてくさして言う顕。

「とは言え、夢に対してだけは正直なヤツだったから」それ以外は正直さなんてなかったと思う。屈折した男だったのだ。

「自分の実力の把握にもそれ位真摯しんしであって欲しかったわな」と顕は言う。本気で腐して居るわけではない。

「そう言ってやりなさんな」と私ははくを置く、これ以上話すと、涙腺が危ない。

「…っと悪い。萌黄姉のこと考えれてなかった…無理に話過ぎたな」と殊勝しゅしょうに言う顕。彼と違って察しのいい方らしい。

「そろそろ行きましょうか、私も貴方もこのクラスの部外者だし」そういって私は教室を後にする。彼の残り香と顕を残して。

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