『Memoria―記憶』

 記憶と言うものは存外ぞんがい曖昧なものらしい。

 バックアップから呼び出された俺が言うんだから、これはマジだ。

 随分と長い眠りからの目覚めは最悪だった…


「まさか28のとしまで寝てるとはな…んまあ目覚めただけ幸運か?」なんて独り言。

 体をベットの上で転がしてみる。寝返りとも言う。それが随分と難しい。体の節々の接続が曖昧な感じなのだ。一瞬で出来るはずの動きが妙にぎこちない。

「これは―さっきのセンセに頼んでアシストスーツ借りにゃな…便所ひとつ行けねえぞ」なんて悪態。

 俺が意識を失った10年前。確か介護の補助をするための外骨格がいこっかく型のアシストスーツが実用レベルで出始めてたはずだ。

「しっかし…萌黄もえぎそっくりのセンセねえ…違和感しかねえ」さっきからひとり言が止まらん…意識を取り戻したばかりだから、ある種のリハビリめいた部分があるかも分からん。


 なんてしている病室に―老教授の男性が入ってくる。ここの病院のお偉いさん、もとい我が幼馴染の祖父、正木まさき教授…というか継史けいしのじっちゃんだ。


「おいっす。元気しとったかー」なんて脳天気のーてんきな事をおっしゃる。

「んな訳ないでしょう?体が全然言うこと聞かねーっす」なんて軽口でおうじる俺。まあ、この爺様とは産まれた頃からの知り合いだから、実の祖父みたいな―いや、むしろ実の祖父よりちかしい知り合いだ。

「神経の接続が甘いんかねぇ…主治医に言っとくわ」なんて言いながら俺のベッドの側の椅子によっこらせっと座る継史じっちゃん。

「しばらくは適当なアシストスーツ借りたいっすねえ。便所くらい一人で行きたいっすわ」と俺は頼みをしてみる。継史じっちゃん主治医じゃないんだ。

尿瓶しびんやらカテーテルやらあるけどー?恥ずいかい?」とゲラゲラ笑いながら言うじっちゃん。

「そらね?カテーテル痛いし」と俺は応える。そう、『』入院の時は使っちまったのだ。楽だが人としての尊厳はゼロだ。ノーサンキュー。

「ああーあん時ね。だるかったしょ?分かった、今回は回してやるよ、アシストスーツ」

「助かるっす。しかし、継史じっちゃん、主治医じゃないの?」と俺は探りを入れる。

「ん?ま。後身に道を譲る時期じゃん?じじぃは研究に戻るさー」と言う。俺はこの爺さん、アテにしてるんだが。

「俺、じっちゃんの治療のが良いなあ…楽だもの」と言ってみる。

「ん?ま、安心しなよ、今回の主治医、割と腕いいからさ」と言うじっちゃん。

「妙に萌黄もえぎに似てないですか、彼女?」と俺は気がかりな部分を問う。

「ん?えーと…うん、親戚の子」とお茶を濁される。

「あそう?」と俺は引き下がる、どうせ問うても答えはない。じっちゃんは軽い調子の好々爺こうこうやだが、決めた事は譲らないタイプだ。教えないと決めたなら、彼から答えを得ることは不可能だ。

「んまあさ…ゆっくりやっていこうや」とじっちゃん。これは話をたたみに来てるな。

「オーケー、じゃアシストスーツは頼んだよ?」と最初の望みは通しておく。

「ん。補綴ほてつ科に言っとく」補綴科…体の欠損部を補助する器具を専門にしているこの病院の科だ。もともと強みがある。



                    ◆


「シナプスの接続の再編…してみたけど?」主治医の彼女。ヘッドギアめいた物を付けた俺の前に座ってる。

「…これさ、分子マシン、ちゃんと動いてるか?妙にガサつくぞ?」と俺は不満を訴える。

「最初の方は違和感出るよ、当然じゃない?」と不満げに言う彼女。

「とは言え。既存の神経ネットワークの強化だろ?こんなに違和感出るかね?」そう、脳の神経ネットワーク(シナプス)のまわしは思春期の後半には出来上がっているものなのだ。あとはリンクの繋ぎ方次第で記憶や学習が為されていく。

「君の場合―ネットワークが安定する前に事故ってる…しかも。そのときにいくらか神経死んでる」と彼女は端末をいじりながら言う。

「よく、戻せたな?」脳の細胞って死ぬと取り返しがつきにくいんだが。

海馬かいば周辺だったから。記憶はいくらか死んだけど…あそこの細胞には再生能がある…後はネットワークの保存のお陰かな」

「そいつはラッキー…なのか?」と問う。記憶の再現は出来る…だが、妙に現実感が伴ってない。

「ラッキーな方。運が悪けりゃこうはなってない」とアンニュイな表情で彼女は言う。

「ありがたや…で?このガサついた記憶―君に語った方が良いかい?」んまあ、言わんと彼女は治療の進捗を把握出来ないだろう。

「そうね…じゃ、事故前から始める?」と彼女は真剣な顔で言う。

「事故ね…一番曖昧な部分だな」そう、記憶の終わりの方だ。バックアップはその前日に切れてるからな。死んだ細胞のあたりのリンクが記憶してたら思いだせんだろう。

「一番ダメそうな部分から行ってみようかと思ってね?」それは…萌黄と似てる。アイツも最低の可能性から当たるタイプだったから。

「んー事故の数日前の記憶なら―あるような…」

 確か。

 俺が記憶のバックアップ処置を真面目にしとこうと思いたった日。

 あの頃―体内に分子マシンを入れるのが流行りだしていたのだが―


                   ◆


 分子マシン。

 タンパク質由来のナノマシンとでも呼べる代物しろもの

 体内の環境に合わせて様々なアミノ酸やタンパク質を合成し、自らの望む状況を創り出す夢の機械。

 俺が脳にソイツを突っ込むきっかけなんてひとつだけ。


「―この無駄な倦怠けんたい感がなくなりゃ何でもいいさ」と俺は萌黄に言う。

「原因分かって無いくせに」に簡潔なコメントをくれる幼馴染。

「うつとかと同じ感じだろうに」と俺はこたえる。神経伝達の阻害。セロトニンやアドレナリンの再取り込みがどうとか…薬屋の受け売りだが。

「それは現象の一部―それをどうにかしたら収まるとは限らない」彼女の家はその手の話に詳しい。要するに医家だ。

「既存の薬が効かないんだよ、汗がアホみたいに出たり食欲は戻る、だが根本は沈んだままだ」お陰で学校、サボりがちだ。こいつは良くも見舞いに来てくれるもんだ。

「行動療法も試して。内部からの治療には限界があるからさ」こいつの言うことはいつも酷く正しい。だが、正しすぎるというのは逆に納得はさせはしない。

「そんだけ知ってるなら―優しくしてくれたらどうだ?」と俺は弱音を吐く。

「私にそれを期待するのは無駄…分かってるでしょ?」うん、知ってた。

「んまあね。甘えんな、って事だろ?」と俺は言う。一般論として男子強くあれ、なんて言うが女性の方がよっぽど強い。

「そう、言い訳しないでさっさと学校に戻れって私は言ってんの」感情的になりつつあるな、萌黄。

「あーあ。お前くらい押しが強けりゃな…」と俺はこぼす。いつも俺の前を歩いてるのはこいつだ。

「私のは押しなんかじゃない…単に真面目なだけ」と彼女は言う。

「俺にはその違いが分からん」とコメント。

「それは私の感情だから」短いレスポンス。

「見て学べってのはキツい」と俺はこぼす。

「君の頭が悪いせい」と彼女は言う。言ってくれる。

「あーハイハイ。俺は頭が悪うございますよ」と俺はつぶやいてしまう。余計な事を言ってしまった。彼女のスイッチを入れるには十分だ。

「もういい」と彼女は立ち上がり、踵を返して俺の部屋を去っていく…それが俺と彼女の最後の会話になるなんて思ってもなかった。


                   ◆


 彼女が帰った部屋は酷くうすら寒く感じた。完全に気の所為せいなのだが。

 寝っ転がっていたベットから立ち上がり、PCを置いてる机に向かう。

 PCのブラウザが立ち上げっぱなしだ。そこには分子マシンのプログラムの開発サイトが写ってる。

「MMーB2069ver1.02」それが俺が頭に突っ込もうとしていたものの名前だ。

 PCから伸びるケーブルにはUSBソケット付きのアンプル。エンターキーを押せば、アンプルにそのプログラムがインストールされる。

「ポチッとな」と俺は考えもせず―リスクを考慮することなく、入れちまう。


 思春期の脳は―未発達だ。神経ネットワークの構成を最終段階に進める脳は酷く不安定で。一歩立ち止まれば分かる事を踏み飛ばす。

 それを言い訳にして良いのは思春期の特権ではあるが―それは一時のことでしか無い。

 何かを求めるなら、リスクを払え。こんな単純な事を考えきれなかった俺はホンマモンの阿呆アホだ。


 アンプルに繋がったケーブルを外し、シリンジに挿し込む。

 手は震えながらも、自らの静脈を捉え。差し込まれた針がその中身を俺の中に―


                  ◆


「これが―多分、記憶だ。事故前の」と俺は言い終える。聞いていた彼女が歯を食いしばっている意味が分からない。

「そう。ありがとう。バックアップの復元は成功…かな」と嬉しくもなさそうに言う。

「なんか―嬉しくなさそうですね?」と俺は問うてしまう。

「そうかな?」と簡潔に応える彼女。

「ああ。望んでもない答えを聞かされてるみたいだな」と俺は問う。

「…」言いよどむ彼女。

「…気のせいだと思いたい。治療は進んでるんだぜ?」とふざけた調子で言ってみる。妙な緊張感が心地悪いのだ。

「進めば良いってもんでもないよ」と謎かけのような答えが返ってきた。

「謎掛けはやめてほしいですね」と俺は言っちまう。


「君は『』の事を思い出してる?」と言う彼女は妙に寂しそうで。


「何を以て『』なんだろうか?」と俺は問う。本当なんて言葉、曖昧で嫌いな気がするんだが。

「君がその手で選び、やったこと」と短い答え。本当、そういう部分、彼女に似ている。

「選んだ事、やった事を忘れてたんだ…機械に頼らなきゃ思い出せもしない」と俺は応える。

「そう…残念」と彼女は俺の頭のヘッドギアを外しだす。

「今日はここまで。ですか?」と俺は聞く。緊張感に耐えられなくなってきている。

「うん」そういう彼女の表情は悲哀に満ちていたように思う。

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