『Excitatio―目覚め』

  命。その定義は難しい。

 環境からモノを取り込み自己増殖する物、と簡単に言い切ってしまうのは何か違う気がする。

 では、何が命とそれ以外を区別するのか?

 つまらない人間至上主義ヒューマニズムを振りかざしたい訳じゃない。だが、命とそうではないモノの間には大きな溝が見える―気がする。


 古来。人は命に魂、ないし、スピリット的なモノを感じてきた。それは今やDNAを自己の設計図として見るだけでなく、自己のり方を操作するすべとして使う私達の世代ですら変わらない。

 

 今や―私達は命の発生を操作出来る。超常的な何かに丸投げしてきた神秘的な命を好きに出来る。

 なのに。

 私が再現した彼には―命がないように思えるのだ。

 彼そっくりの見た目と言動、思考形態を備えたはずの『それ』があの彼に似ても似つかないのは何でだろう?


                  ◆


「ねえ」と私は眼の前に居る『それ』に問いかける。

「…はい」と彼の声で答える『それ』。頭には旧時代的な見た目のヘッドギアを乗せてる。それが『それ』に彼の記憶データを書き込んだはずなのに。

「私が誰だか、分かるかな?」と祈りを込めた声で問う。私の名を呼べば、『それ』が彼になる気がして。

「…萌黄もえぎのお姉さん?…でもあいつに姉さんなんて居なかった…はずなんだけど」とこたえる『それ』。記憶の定着はうまくいったらしい。

「私は…彼女の知り合い、て言うか親戚」と咄嗟とっさに嘘を吐いてしまった。

「俺…何でこんなところに?」と少し眠たげな声でう『それ』。

「君は少し…意識を失っていたの。ざっと10年ほど」そう、彼を巻き込んだあの事故から10年。随分時が経ったようにも思えるが、私にとっては最近のようにも思える。

「って、事は?俺はもう、28歳って事か?」と理解が追いつかなそうな『それ』は問う。

「…そう。今は西暦2045年」これは半分本当で半分嘘の答え。時は正解。『それ』の年齢は嘘。『それ』は創られて一年も経っていない。

「…悪いが信じられないな」と困惑する『それ』。

「信じられないのは―当然の反応ね。でも、信じてもらうしかないのよ」と私は告げる。

「インターネット…の日本標準時のサイト、見せてもらって良いかな?」と『それ』は乞う。

「良いわよ」と私は自分の席の後ろの机のPCを操作し、ディスプレイに現在の日本標準時、2045年12月14日10時24分を表示させる。

「…マジかよ」とかすれた声を出す『それ』。

「大マジ。随分眠ったものね?」と私は言う。『それ』にと言うより彼に。

「参ったな…色々迷惑かけてそうだ」と彼は言う。

「そうでもない」そう、彼は―あの事故で亡くなっているんだから。

「色々…記憶が混乱してる」と『それ』は言う。

「それは至極しごくまともな反応。君はあの事故以来寝てたんだから」と私は半ばカウンセラー気取りで言う。

「思い出せそうで…思い出せない…」と『それ』は応える。まあ、そうだろうな。彼の記憶の書き込みは事故前で止まっている。バックアップから復元して、肝心な部分は改ざんさせてもらったから。

「無理に思い出すよりは」と私は一拍いっぱく置く。「徐々に慣れていきましょう」

「そうも言ってられん」と言う彼。焦りが見える。

「あのね、君は10年弱意識を失っていたの。無理すると破綻するわよ?それに体の調子も十全じゅうぜんとは言い難い」

「こういうときに備えてバックアップは取ってたぞ?」と彼は言う。


 彼の言うバックアップ。それは記憶の保全の為の技術。シナプスの長期増強、記憶を為すシナプスのネットワークのパターンの保存を指す。

 あくまでネットワークのパターンの保存、というのがこの技術の難点である。

 記憶の創られ方は解明したが、記憶そのものを創れる訳ではない。あくまでそれっぽいシナプスの繋ぎ方を再現しているに過ぎなくて、完全なものではない。

 記憶をビデオよろしく映像で撮っておくことは出来なかったのだ。感覚として正しい気がする過去の感覚、それを再現するだけ。


「記憶はビデオみたいなものじゃなくて―メモ書きみたいなものだった、って事よ。時間が経てば風化するわけ。どんどん曖昧になっていく」と私は言い聞かせる。

「エピソードの筋書きしか残せなかったのか…」と彼は落胆して言う。

措置そちを取った時に説明があったはずだけど?」と私は言う。措置自体ありふれたものなので、今を生きる人類は皆この説明に触れているはずなのだ。だけど彼はそういう説明を真面目に取るタイプじゃなかったっけ。

「まさかそれに頼る羽目になるとは思ってもなかった」と彼は言う。人間こういうありえないシチュエーションには拒絶反応が出るものらしい。

「しょうがないでしょう?」と私は言う。半ば自分に言い聞かせるように。

「…まあ。しゃあなしだわな」と彼は言う。

「さて。今日はびっくりしたでしょうから…病室に戻っても良いわよ」しばらく一人で考えたい気分なのだ。彼には一人で自分を整理してもらおう…まあ、私が筋書きを変えてはいるけど。


                   ◆


「…教授」と私はPCで先程の問答を文書に起こしながら後ろに立つ恩師に声をかける。

「どうした?もっと嬉しそうな顔をするものだと思ったよ?萌黄」と好々爺こうこうやぜんとした私の恩師もとい祖父が応える。

「お祖父ちゃんは―ズレてる。やっぱりこんな事しても彼は帰っては来ないよ」と私は言う。

「それはどういう意味かな?」とさっぱり理解出来ない、と言いたげな祖父。

「命はそう単純じゃなかった、って感じかな」と私はため息と共に応える。そう、命は単純に再現すれば、再び現れるものじゃなかった。少なくとも私にとっては。

「命にーワンオフ性を感じているのかね?この21世紀に」と彼は笑いながら言う。

「そう。私と共に歩いた彼はやっぱり、もう居ないの」ありふれた事実は陳腐ちんぷ極まりない。

「しかし、それをそっくりそのまま真似た者が居るわけだ、君の眼の前に」馬糞と人の精子のこね合わせから出来ていない体は現代的かつ現実的で。

「まるでテツガクね」と私は嫌味を込めて言う。

「まあ哲学みたいなものだな。何を持って彼を彼というのか?という問題なのだから」顎に手をやりながら祖父は言う。

「まるでお人形遊びしてる気分なの」と私は吐露する。

「お人形にしては高価すぎるがね?」と悪戯っぽい声で言う祖父。

「そりゃ人様のお金使わせてもらってるからね…こんな個人的な研究に」と私は言う。よくこんな倫理スレスレの実験が通ったものだ。祖父のアクロバットな手法で研究資金と設備を引っ張ってきたお陰ではある。

「もうちっと意欲的に取り組んでもらいたいね」と不満げに言う祖父。

「とは言え動揺するな、というのは難しいかな」と私は応える。

「ま。これから君がどうするか、は任せるよ」

「このまま―彼を私の知る『彼』に仕立てあげるか否か…」そこにジレンマを感じ始めている。欲求に従うか、倫理にもとるか?祖父に言わせてみれば詰まらない葛藤なんだろうな。

「ま、彼にしてもらわなけば困るがね?君から『彼』を取り上げるハメになる」と少しも困ってなさそうな口調で言う祖父。

「それに関して私以上に上手く出来る人間、そうそう居ないわよ?」脳関連は私の方が知識が深いのだ。まあ、祖父もそれなりに詳しいが。

「それもそうだ」と読めない表情で祖父は言った。

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