アンティストロペー

「八木ちゃんが悪いよ、あんなところで転んだんだもん」

「まあそうだな。ホロロは八木にそそのかされたみたいだった。それに今回は運が悪かっただけだ」

 いつでもケンとホロロは彼女のせいと納得していた。なぜなら自分達が正しいと信じていたから。

 それは御幸を悪者にするには十分な力だった。悲しみは些細ささいな選択が招く。

 出会いはいつでも特に理由のないもので、それは九郎とケンとホロロもそうだし、御幸と二人もそうだった。ただ偶然同じ空間にいる瞬間があり、そこで偶然同じ方向を向く。


「サッカーは一人じゃできないだろ」

 小学五年生の時だ。あいつらは初めて会う僕に何の気遣いもなく話しかけた。

「リフティングなら一人でもできるよ」

「楽しくないでしょ、楽しくないと意味ないじゃん。ほらパス、ちょうだい」

 嬉しそうな、頭の悪そうな、でも悪い奴じゃなさそうな。それがホロロに抱いた最初の印象だった。

 パスを出すとホロロは、いとも簡単に僕が練習していた技をやってのけた。

「まあ、三人でもサッカーはできないけどね。」

「僕はケン、取島乾とりしまけん。こいつはホロロ。ほんとは膠幌にかわほろって名前だけど」

 唐突な自己紹介に驚いたが覚えやすい。

「僕は渡九郎、数字の九に太郎の郎。九郎でいいよ」

「ケンとホロロは何小なの?僕は西小。」

「東小だけどたまにしか行ってない」

 ケンはサッカーの時とは違う顔で答える。それは触れてはいけない話題、というようなホロロの顔も視界に入る。なぜたまにしか行っていないか、なぜそんな苦い顔をしているのか、僕には聞けなかった。

 しかし彼らも小学生、その日からほとんど毎日この公園に集まり楽しそうに遊んだ。いろんな遊びをして、いろいろなものに飽きた。新しい遊びを探して、それはすぐに古い遊びと使い捨てた。それでも時間はただ過ぎる。中学校に上がっても彼らの生活はほとんど変わらなかったが、場所はいつしか「アーク」に変わっていた。

 アークに初めて行ったのは中学校に上がって初めての夏休みだった。ケンとホロロの案内で行ったのをよく覚えている。

 陸橋を渡ってずっとまっすぐいくと市役所と併設した図書館がある。そこを左に曲がって少し行くとアークはある。毒々しくも見える、古びたネオンが目立つゲームセンターだ。中学校にもきっと二人は行っていない。学校がおわると僕はアークに行き二人はいつもレトロアーケードをやっていた。

「くっそお、ホロロ、もう一回」

「ええ、ケン何回目だよお」

 誰も寄り付かない、古びたゲームセンターだが夕方はいつも悪そうな人が大勢いて賑やかだった。

「店長、これクーラー壊れてない?あつすぎるよ」

「ケンはゲームやってるからだよ、早く代わってよ」

 ある日、いつもと同じように自転車でアークに向かっていると図書館の角で御幸を見かけた。もう帰ると言うからアークに誘ってみた。店の雰囲気は暗めだし、ケンとホロロの顔もあって御幸はその日ずっと落ち着かない様子だった。

「あ、あんな人たちとつるむのやめなよ、悪そうだし」

 帰り道、珍しく御幸が強めに言ってくる。確かに、見た目は悪いけどいい奴らだし、もしかしたら御幸の性格と合うんじゃないか、とも思っていた。

 中学三年生の時、確かアークに御幸がきたのと同じ夏ごろ、所長に職員室に呼ばれた。

「九郎くん、お母さんのこと覚えているよね?」

「もちろん覚えてますよ、どうしてですか?」

 母さんは隣のまちで暮らしていて、父さんとは離婚したらしい。そう所長に伝えられたが、前に聞いた話では母さんは悪くないと思ったし、母さんのところに戻ることに嫌な気持ちはなかった。

「朝野くんとも話したんだけど、保護期間は今月末までってことでいい?」

「ああ、わかりました」

 母さんと暮らすのはとても嬉しかったし御幸と離れるのはとても寂しかった。多分少し、僕がいなくなって大丈夫かな、とかも思っていた気がする。


「この前の店から持ってきたんだよ」

「やっぱりケンはすごいな、よく盗めたねこんなの」

 二人は高校にも行かなかった。ホロロはこの地域で一番評判の悪い高校に入学はしたが二年生になる前にすぐにやめてしまった。二人はアルバイトしかすることがなかったのでお金と時間には困っていなかった。

「八木には言うなよ、あいつ絶対嫌な顔するから」

「そうかなあ、こんな楽しいのに。ちゃんと言ったら手伝ってくれるかもよ」

 退屈な二人は新しい楽しみに熱中していた。

 自動ドアが開き、御幸が店に入る。彼女はいつも高校が終わると児相には寄らずにアークに向かう。

「あ、八木ちゃんきた、今日も学校?」

「うん、ていうか、普通の高一はそうでしょ、ケンくんとホロロが普通じゃないだけで」

 一瞬、妙な間が空く。

「八木、その普通ってなんだよ」

「え?普通は普通でしょ、毎朝ご飯を食べるとか、学校に行くとかさ。アルバイトするのはいいけど、いつも遊んでいるのは普通ではないよ」

 今日は店にお客さんが誰もいない。

「え、えっと、まあね、八木ちゃんの言う通り普通じゃないよねえ。でも楽しいんだぞ?」

 笑いながらホロロは緊迫きんぱくした場の雰囲気を男にしては甲高い声で和まそうとした。その声はアーケードのゲーム機が出すいつもよりも大きいピコピコ音と重なり、息が抜ける。

「ごめんね、確かに退屈だよ。学校。退屈で疲れるから気が張ってたのかも」

 さっきとは違う間が空いた。

「じゃあ、お前の知らない普通じゃないことやってみるか?」

 ホロロの口角こうかくは上がり、待っていましたと言わんばかりに嬉しそうな顔をしていた。


「まずは練習がてら、すぐに終わらせたいからコンビニだ」

 もうすでに断れない雰囲気がある。

「別々に店に入る、ホロロ、八木、俺の順番だ」

「八木は店内うろついてて。店員が俺に近づいて来たら咳払せきばらい」

 いつもより饒舌じょうぜつなケンはどこか頼もしい。

「いい頃合いに俺が店員さん困らせるからさあ、何人か」

「万引きの手際には自信がある。」

 何度も彼らは「何回もやってる、うまく行く」と口にした。なぜか私はそれを信じる。愚かな選択。

 どこから湧いたか、もちろん心は不安で震えるようだったが、それと錯覚するほど不思議な高揚感こうようかんがあった。夜遅くまで図書館で勉強していると、所長に嘘をついた時でさえ心臓の音でうるさかったくらいなのに。


 決行日、土曜日の昼間、十二月にしては暖かい日だった。アークからかなり距離のある街の隅(すみ)のコンビニを目指す。

 途中は何も覚えていない。気づいた頃にはアークに戻っていた。ずっと怖かった悪事は思ったよりも早く済んだ。何もなかった私は見違えるようにそれに染まる。

 ケンとホロロは水を得た魚のように、毎週、次はどこでやるか、どうやるかを私に話した。私はうなずきながら聞き、何か案を出すことはなかった。私は一度だけ本屋で万引きをする案を出した。好きな作家が新作を二月に二部構成で出版するらしい。社会現象にもなるような作家だから、きっと人並みに乗じて簡単にできる。

「人がいっぱいいるとなあ、それに八木ちゃんそれ一人でやれるじゃない」

 ケンもホロロに、被せるように言う。

「欲しいものはらない。そういうものは買わないといけない。」

 そういうわけで私は案を出さない。

 確かに、ケンの作戦はいつもうまく行く。自分達が上手なように感じるほど失敗しなかった。アークで立てた作戦を、毎週土曜日に決行する。アークに戻ってまた次の、やり方を変えた作戦を立てる。

「来週から冬休みだよね、八木ちゃん?」

「そうだよ、よく知ってるね。言ったっけ?」

「じゃあ次はデパートだなあ、八木、ヒールでも履いてったらどうだ。あと長袖でダボっとした服、上に羽織ってきて」

「じゃあ俺もおしゃれしてこっと」

 もう私たちは、悪事を楽しんでいた。

「誰が一番取れるか勝負だね、私化粧品けしょうひんコーナー行こ。あと本屋」

 二月二十七日だ。次の決行日が決まった。月曜日、平日、人の少ない駅前のデパート。それだけじゃない、なんだっけ?何かを忘れている気がする。


 入口の大きなからくり時計が十二時を知らせる。お昼の合図、始まりの合図。

 二階の化粧品売り場、気になるものを数点手に取り、袖に滑り込ませる。

 ケンはアクセサリーショップ、ホロロは食品コーナー。

 いつもより高価なものを手にして三人の心はおどる。

 落ち合うのは誰も用のない四階のカフェで。

 無事三人ともカフェに集まり、成功を確信し、乾いた喉を潤す。ホロロはきっと試食をたくさん食べたのにパフェを頼んでいた。食べ終わるのを待ち、会計を済ませる。店を出ると廊下の少し先、警備員が見える。ゆっくりこっちに向かっている。

「合図で走れよ」

 小声で聞こえたケンの声で、ホロロと御幸の背筋は伸びる。

 エスカレーターまであと数歩。警備員の一歩は大きい。みるみるうちに数メートルの距離になっていた。

「走れ!」

 三人はエスカレーターをりる。とにかく手すりに、手を掛け走る。

「危ない、」

 後ろばかり気にした私は前の老夫婦に気づいていない。自分と一緒に転げ落ちる大きな何かが人間であることがわかるまで数秒かかった。


「なんでこんなことしたんだ」

 警察署は暖房が効いていて暖かい。私は震える。

「それもあなた、八木御幸さん?今日誕生日じゃない、なんで?」

 ああ、そうだ。私今日十七歳になったんだ。元々祝われるのは好きじゃないけど、それでも最悪な誕生日。


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