第43話 美知子の卒業式〜校歌と送辞〜

月曜日、卒業式の日の朝になった。私はいつものように起き、顔を洗って着替え、用意していたスカーフを手に取った。朝食の準備をして食べ、家を出る。両親も一緒だ。


今日も天気がいい。まだ緑の葉は見えないが、いつもと同じ風景だ。


学校に着くと両親は昇降口でスリッパに履き替え、そのまま体育館に向かった。私は階段を昇って教室に入った。・・・椅子がない。土曜日に体育館に置いてきたからだ。


既に来ていたクラスメイトは所在なげに立っていた。そして廊下を二年生が整列して歩いている。一、二年生は先に体育館で待機するからだ。


二年生が通り過ぎると、「じゃあ、みんな、廊下に整列して」と私がみんなに声をかけた。


ぞろぞろと廊下に並ぶクラスメイトたち。私はその先頭につく。


しばらくすると一組が私たちの横を通り過ぎた。喜子と目が合う。


一組が通り過ぎると、二組が後に続く。こうして三年生は体育館の入口前に並んで待機した。


やがて体育館の中から、上毛こうげ先生の「卒業生入場!」という声がかすかに聞こえた。


喜子を先頭とする一組が体育館の中に入って行く。その最後尾に私が続き、二組も体育館の中に入る。


体育館内に並べられた椅子に一、二年生、父兄、先生方が座っており、入場する私たちに惜しみない拍手を送ってくれた。


父兄席をちらっと見ると、両親はどこにいるのかわからなかったが、黒田先輩と水上先輩が並んでいるのが見えた。若くて美人だから目につきやすい。


さすがに手を振ったりはできないので、私はまじめに進んで所定の椅子の前に立った。


「卒業生着席!」上毛こうげ先生の指示で椅子に座る。


「これより、昭和四十三年度松葉女子高校卒業式を開式します。


 校歌斉唱。卒業生、在校生起立」


立ち上がる私たち。がたがたと椅子が鳴る。


「松葉女子高校校歌は『常緑ときわ希望のぞみ』と題され、作詞・作曲は、松葉好高まつばよしたかとなっています。しかし松葉好高まつばよしたかは、字を見ればわかるように実在した個人ではありません。この校歌は、戦後、松葉高等女学院が松葉女子高校に改名した当時に生徒たちが集まって考えたものです。この歌詞に込められた建学の精神を思いながら斉唱してください」


へー、作詞者・作曲者は特定の個人じゃなく、共同ペンネームのようなものか。私もそれにならえば良かった。


そんなことを思いながら、吉野先生が弾くピアノの伴奏に合わせて、うろ覚えの校歌を精いっぱい斉唱した。


紫雲棚引しうんたなび山並やまなみの 裾野すそのひろがる學舎まなびや


 婦女子ふじょし理想掲りそうかかげ きよらで醇美じゅんび處女おとめつど


 松葉まつばごと常緑ときわ希望のぞみいだき まなべよはげめよ 松葉女子高生まつばじょしこうせい


 えぬながれのかわの いらか波打なみう學舎まなびや


 婦女子ふじょし鑑範かがみはんとして 優美ゆうび楚楚そそたる處女おとめかこ


 松葉まつばごと雲居くもいたかみをあおぎ ならへよつとめよ 松葉女子高生まつばじょしこうせい


楽譜はこちら。

https://kakuyomu.jp/users/henkei-p/news/822139836734904268


校歌を歌い終わると、再び上毛こうげ先生がマイクに向かった。


「着席!」私たちはまた座ったが、どうせすぐに立たせられるはずだ。


「卒業証書授与。卒業生起立。各クラスの代表は順に卒業証書を授与するので前に出なさい」


校長先生が壇上に上がり、喜子が立ってその前に進む。そして校長先生が卒業証書の文面を読み上げた。


「卒業証書


 本校において高等学校の課程を修了したことを証する。


 昭和四十四年三月十日 山際喜子ほか、三年一組四十名。・・・卒業おめでとう」


喜子が代表して自分の卒業証書を受け取る。その瞬間、みんなが拍手した。


次は私の番だ。喜子と入れ替わりに校長先生の前へ進む。


「卒業証書


 本校において高等学校の課程を修了したことを証する。


 昭和四十四年三月十日 藤野美知子ほか、三年二組四十名。・・・卒業おめでとう」


私は校長先生から卒業証書を受け取った。拍手の中、一礼して校長先生を見ると、右手をさし出していた。


私はあわてて卒業証書を左腕で抱え、右手を出して校長先生と握手した。


「一年間、生徒会長、お疲れさま」と校長先生が微笑みながら私に言った。


「ありがとうございます」私が答えてさらに拍手が強くなった。


私に次いで、三組と四組の委員長が代表して卒業証書を受け取った。しかし握手をしたのは私だけのようだった。えこひいきはまずいんだけど・・・。


四組の委員長が席に戻ると、再び上毛こうげ先生がマイクの前に出た。


「卒業生着席」がたがたと椅子に座る。


「校長式辞。卒業生起立」がたがたと立ち上がる。


再び校長先生が壇上に上がる。


「卒業生のみなさんは昭和四十一年の四月に本校に入学し、女子の範となるべく教育を受けてきました。・・・」


その後、松葉女子高校が女子教育の場として優れていること、卒業生が身を以て証明してくれたことなどをだらだらと話し、緊張していた私たちにもさすがに睡魔が襲ってきた。


それにしても立ちっぱなしは辛い。長々と話をするんだから、座るよう指示をしてくれればと思う。


「・・・そして今年の卒業生は特に記憶に残る業績があります。それは、本校の第二校歌を製作してくれたことです」


校長先生のこの言葉を聞いて私は目が覚めた。私のことか?私のことだけを殊更に取り上げないでくれ。


「第二校歌は後ほど斉唱してもらいますが、この業績は本校の歴史に永遠に記憶されることでしょう」


未来の松葉女子高生よ、私を笑うことなかれ。


長かった校長式辞が終わると、また上毛こうげ先生がマイクの前に出た。


「卒業生礼。・・・卒業生着席」


私たちはやれやれと思い、がたがたと音をたてて椅子に座りなおした。


「在校生送辞。在校生代表、二年一組、古田和歌子」


古田さんが立ち上がり、卒業生の前に立つ。中村先生がマイクスタンドを古田さんの前に運んだ。


「卒業生起立」


上毛こうげ先生の指示でまた起立する。座ったばかりだが、古田さんのために頑張ろう。


古田さんが送辞を書いた奉書紙を開く音が聞こえる。まもなく古田さんの声が体育館に響いた。


「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる、と枕草子に綴られているように、朝遠くの山々を眺めると、明るくなるにつれて徐々に紫色の雲がたなびいているのが見えてきます。梅の香りもどこからか漂ってきます。少し寒さが緩んできたなと春到来の喜びを感じ始めた今日、私たちの元から先輩方が旅立っていかれるのがほんとうに寂しく感じられます」


なかなか文学的な送辞だと感心してしまう。次期部長として文芸部をあずけられるね。


「思い返せば入学式の頃、まだセーラー服が初々しい中学生のままのような私たちを優しく導いてくださった先輩方は、とても大人びて見えました。私たちも先輩方のような淑女になりたい、そういう想いを胸に抱いて勉学に努めて参りました。


 そして私たちが二年生に上がると、先輩方は最上級生としてさらに私たちを導いてくれました。


 ここで私事を述べますが、私は二年生になって早々に生徒会の書記に選ばれました。その私に優しい背中を見せてくれたのが生徒会長でした」


その言葉は嬉しいけれど、みんなの視線を感じる。


「生徒会長は私に細かく指示することはいたしません。生徒会の仕事があると真っ先に前に出て、身を粉にして働いていました。


 体育祭での獅子奮迅の働きは言うに及ばず、松葉祭しょうようさいでは進行をしながら自分たちの最高のパフォーマンスを私たちに見せてくれました。


 私はそれを見て、松葉女子高生のあるべき姿を知りました。私も、生徒会の仕事だけでなく、勉強や家事の手伝いに至るまで、何ごとにも生徒会長のように身を惜しまずに取り組もうと決意させられました」


私はこの間顔を伏せていた。普通ならこのあたりで一部の学生からすすり泣く声が聞こえてくるはずだが、みんながぽかんとしている。


「また、最上級生である先輩方は、受験や就職に向けこの一年間努力されていました。その姿には敬意を払わずにいられませんが、ただ努力されているだけではなく、同時に高校生活を楽しんでおられました。


 友だちどうしで語り合い、歌い合い、笑い合い・・・。努力の一方で青春を謳歌するその強かさに何より感銘を受けました。先輩方は高校生として、女性として、そして人間として、私たちが見習うべき目標でした」


ここでようやくすすり泣きが聞こえてきた。特定の先輩を想って悲しくなった在校生がいるのだろう。


「私たちも先輩方のようになりたいと強く思います。松葉女子高生としてのこの三年間が人生の最良の時期になるよう、先輩方を見習って楽しく精進して参りたいと存じます。


 これまで公私にわたってお世話になり、ほんとうにありがとうございました。私たちが憧れていた先輩方が、これからさらに幸福な人生を送られることを祈念して、私の送辞といたします。


 昭和四十四年三月十日 在校生代表 二年一組 古田和歌子」


「卒業生礼」上毛先生の声が響く。嬉しいけど恥ずかしかった。


古田さんが送辞の奉書紙を畳むと、校長先生が壇上に上がり、古田さんから送辞を受け取った。


「卒業生着席」また私たちは一瞬だけ椅子に腰かけた。


「卒業生答辞。卒業生代表、三年二組、藤野美知子」


いよいよ私の出番だ。私は一人立ち上がると、卒業生全員の前に進んだ。マイクスタンドの前で卒業生を始めとする出席者の方を向く。


卒業生の席には喜子や二組のクラスメイト、三組の恵子や麗子たちの顔があった。


二年一組の席には今送辞を読み上げたばかりの古田さん、一年一組の席に明日香と真紀子、四組の席に森田さんの顔が見えた。


父兄席では黒田先輩と水上先輩、そして美知子の両親の顔が確認できた。みんなが私を凝視している。


「卒業生、在校生起立」上毛こうげ先生の声が響く。


がたがたとみんなが立ち上がるのを待ち、私は手に持っていた奉書紙を開いた。

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