第18話 校長に目をつけられる(1)

「まあ、かけたまえ」校長室に入ると勧められて布張りのソファーに腰を下ろした。


「君のことはよく聞いているよ」


「え?」私の背筋に戦慄が走った。「な、何のことでしょう?」


「先日、新しい生徒会長の黒田君や書記の山際君と生徒会の話をしたことがあってね、その時君の話題が出たんだ。君には人望があり、努力家であるとほめていたのだ」


「そ、そうですか?それほどでもありませんが」そこまでほめられる理由が思い当たらないが、それよりもなぜ私の話題が出たのか、それが疑問だ。


「・・・ところで君の家族は何人いるのかね?」


家族?なんでそんなことを聞くんだ?「両親と弟の四人家族ですが」


「そうか、そうか。弟さんがいるのか。じゃあ、婿をとる必要はないんだな」


「はあ?」


「お父さんのご職業は?」


「普通の会社員です」


「君はここを卒業したらどうするつもりなんだ?」


「はい、短大に進学して、その後は、できれば秘書を目指そうと考えていますが」


「・・・なるほど、なかなかしっかりした物言いをするね。それに勉強だけでなく、家事もしっかりこなしていると聞いているよ。・・・いや、話を聞かせてもらってありがとう」


そう言って校長先生が立ち上がった。私も教室に戻らないといけないので立ち上がる。


「まあ、頑張りたまえ」そう言って校長が私の肩を二回たたいた。げっと思う。


「し、失礼します」私は会釈をして校長室を出た。背後からの視線を感じながら。


校長室から出ると、ちょうど階段を上がってきた担任の中村先生と出くわした。


「あら、藤野さん、今、校長室から出てきたわね?」と中村先生に聞かれた。


「は、はい。・・・突然呼び込まれて、私のことをいろいろ聞かれました。家族構成とか、将来の進路とか」


それを聞いて中村先生は「あちゃー」と天を仰いだ。


「どうかしたんですか?」


そう聞くと、中村先生は私を廊下の端に呼んで、小声で話し始めた。


「校長先生にはね、三十歳くらいの無職の息子がいて、前から身を固めさせようと手頃な相手をさがしてるの」


「身を固めるって、結婚相手をさがしてるんですか?」


「まあ、そういうこと」


「それが私と何の関係が?・・・まさか、私を息子さんの嫁候補と考えたんですか?」


「そうでしょうね。この間も私に藤野さんのことを聞いてきたからほめておいたのよ。・・・もちろん一般論としての話で、嫁として推薦したわけじゃないけど」


「当たり前ですよ!だいたい、何で私なんですか?生徒会長のような美人もいるのに?」


「黒田さんだと高望みすぎると思ったんじゃないかな」


「はあ?何それ?私ならぐうたら息子の嫁にふさわしいということですか!?」


「まあまあ、藤野さん、落ち着いて。ちょっと言葉が過ぎるわよ」


「三十歳くらいって、ひとまわり年が離れているじゃないですか。・・・あ!」私はひらめいた。


「中村先生となら年が同じくらいだからちょうどいいんじゃないですか?」


「私にごくつぶしの嫁になれと言うの!?」


私よりひどい言い方だな。中村先生も興奮したのを恥じたのか、声のトーンを落として言った。


「授業が始まるから、これくらいにしましょう。そんなに心配することはないから」


二人とも気を落ち着かせると、順に教室に入った。


昼休みになって藤娘たちと弁当を食べる。


「今朝、校長先生に呼ばれて困っちゃった」つい愚痴を言ってしまった。


「え、何で?委員長、目をつけられているの?」と須藤さんが聞いた。


「べ、別に私は悪いことはしていないけど、家族のことまで聞かれたわ」


「じゃあ、あれじゃない?」と佐藤さんが言った。「校長先生は息子の嫁をさがしているけど、なかなか見つからないそうよ」


生徒が知ってるほど有名な話だったのか。


「え?委員長が嫁候補なの?」と齋藤さんが驚いた。「校長先生の息子ってどんな人?」


「顔や背格好は校長先生に似てるけど」と佐藤さんが説明した。頭が薄いのかな?「問題は定職に就かず、作家か何かを目指しているそうよ」


そういう人か。ごくつぶしかもしれないが、ぐうたらではないかもね。いや、興味はないけど。


「まあ、生徒に今すぐどうこうとはしないでしょうから、当面無視しておけばいいわよ」と斉藤さんが言った。


「そうね」と私が答えた時、須藤さんが廊下の方を指さした。


校長先生が廊下を歩いてきて、二組の教室を窓越しにのぞき込んだ。


私と目が合ったので、しかたなくにっこりと微笑んで会釈をした。


校長先生はうんうんと得心したようにうなずき、廊下を歩いて行った。


「馬鹿ね、無視しなきゃだめじゃない!」と斉藤さんが忠告した。


「目が合ったからしかたなく・・・」


「出会ったらそうそう無視はできないわよ」と佐藤さんも言った。


「話は変わるけど、もうすぐプールの授業があるわね」と齋藤さん。


「楽しみね」と私が言ったら齋藤さんは肩をすくめた。


「最近胸が大きくなってきたから、恥ずかしいの」


え?・・・ちなみに私は自他ともに認めるまな板だ。


「胸が大きいのは恥ずかしいわよね。外を歩くと男性の視線を感じるし」


胸がなくても視線を感じて、性別を確認されて、いっそう恥ずかしいです、はい。


「でも、学校のプールなら男性はいないわよ」


その時、私の頭にひとつのアイデアが浮かんだ。


「どうかしたの、委員長?」私の様子を不審に思う斉藤さん。


「あ、いえ、何でもないわ」私はあわててごまかした。


その日の放課後、私はすぐに家に帰った。


そして、母親から台所用スポンジの使い古して捨てるやつと端切れの布をもらった。


ハサミでスポンジを直径八センチくらいの円形に切り、角を切り落として薄いお椀型に整形した。中央の厚さは一センチくらいだ。これを二個作る。


今度は布を直径十センチくらいの円形に切る。これを四枚作る。


次に布二枚の間にスポンジの切れ端一個を入れ、端を手で縫っていった。


押し入れからスクール水着を出すと、胸の部分の裏地に今作ったものを当て、数か所を針で縫って固定した。そう、自作の胸パッドだ。


胸パッドをつけた水着を体に当ててみる。うん、主張し過ぎない程度に胸の膨らみができていた。


これでプール授業が楽しみだ。台所用スポンジはちょっと不潔かなと思ったが、乾いていたから問題はないだろう。


梅雨が明け、七月になって夏を思わせる風が吹き、待ちに待った体育のプール授業の日になった。


プール横の脱衣所で、みんなで水着に着替える。大き目のタオルで胸を隠しながら上半身裸になり、体にタオルを巻いて下半身も脱ぐ。そして足から水着をはき、肩ひもを肩にかける直前に体に巻いたタオルを取る。


総じて、家に風呂がある生徒は裸を極端に恥ずかしがり、銭湯に通っている子は多少見られても気にしないようだ。


私も銭湯組だが、胸を見られるわけにはいかない。お尻が見えても気にしないが、胸だけは死守し、胸パッド入りの水着を何とか着終えた。


「あら、委員長って着やせするタイプ?」斉藤さんが私の胸を見て目を見張った。


「ま、まあね。成長期だからね」私はほくそ笑んだ。この胸が偽物だとは誰も思うまい。


脱衣所を出ると、みんなできゃあきゃあと騒ぎながらシャワーを浴びた。心なしか胸が重くなったように感じる。これが胸の重みか・・・。


シャワーを浴びたらプール際に集合だ。プールの周囲は丈の高い灌木で囲まれ、学校内外からプールが見えにくくなっている。


まもなく体育の先生が現れた。四十過ぎのおばちゃん先生で、私たちと同じような紺色のワンピースの水着の上にTシャツを羽織っていた。


「はい、準備体操をします」


先生の指示に従って屈伸したり、手首や足首を回したりする。そして、今年初めてなので、足からゆっくりと水に入るよう指示があった。


「ひっ、冷たい!」


七月のプールはまだ冷たく感じられた。しかしプールに肩まで浸かると、徐々に水の冷たさが感じられなくなっていった。


先生の指示で、泳げる人はプールの半分を使って、順番に二十五メートルをクロールまたは平泳ぎで泳ぎ始めた。


私は顔を水につけるのが苦手なので、顔を水面の上に出したまま平泳ぎをした。そしてすぐに違和感に気づく。去年より、水の抵抗を強く感じるのだ。・・・そうか。胸の大きな人は水の抵抗が大きいのか。


その時、プールサイドにいた生徒が「きゃーっ」と悲鳴を上げた。私たちは何ごとかと思って泳ぐのをやめた。


「どうしたんです?」先生がすぐに近寄って行った。


「木の陰から男性がのぞいていたんです!」


すぐにきゃあきゃあと騒ぎ出す生徒たち。


先生がプールサイドからプールの外側を眺めたが、誰も見えないようだった。


「誰もいませんから、練習を再開して!」


先生の言葉を聞いても生徒たちのざわめきはおさまらなかった。


「出刃亀かしら?」


「でも、女子高の敷地内まで入ってくる?」


「静かに!練習を再開して!」


私も痴漢がいないか心配だったが、先生の指示もあり、再び泳ぎ出した。


泳ぎきるとプールの端からプールサイドに上がった。まだ胸が重く感じられる。


私より先に上がった斉藤さんが、私に話しかけようとして振り返った。そのとたん、ぎょっとしたような顔をした。


「い、委員長、胸が!」


「え?」


私が胸元を見下ろすと、胸パッド内のスポンジが水を吸って重くなり、垂れ下がっていた。


あわてて両手で両胸をつかみ、ぎゅっとしぼる。とたんに水着の胸の位置から白い泡があふれ出てきた。


「きゃあっ!?」


両手を離すと泡まみれになっていた。元が台所用スポンジだから、洗剤が残っていたのか?あわててプール際からプールに飛び込む。


「こらっ、藤野さん!危険だからそんなところから飛び込んではいけません!」


先生に怒られて再びプールから上がる。今や生徒全員に注目されていた。


胸パッドのスポンジはまたも水を吸って垂れ下がっている。


そっと胸に両手を当て、今度は静かに水をしぼった。やはり胸から泡が吹き出てきた。


「い、委員長!」


その日、私のあだ名は泡胸姫となり、やがて省略されて泡姫と呼ばれるようになった。


「そんなに胸を大きくしたいの、委員長」事情を聞き出した斉藤さんが私に尋ねた。


「はい・・・」


「なら今度、蕗子をつれて行こうか?蕗子におっぱいを吸わせていれば、大きくなるかもよ」


私はくやしくて言い返した。「蕗子ちゃんに片方だけ吸われて、片方だけ大きくなったらどうするのよ!?」


「じゃあ、月子もつれて行くけど」


= = =


(お知らせ)


この作品に関連して、『藤野美知子の関西旅行(大阪万博EXPO’70に行く)』を短気集中連載しています。来年開催される関西万博の55年前に催された大阪万博を訪れるお話です。お立ち寄りいただけたら幸いです。


https://kakuyomu.jp/works/16818093083399799898

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