8 容疑者たち

島本刑事には一週間後にまたご自宅へお邪魔することを約束してその日は帰った。


帰り際、奥さんに「今度はお昼を食べにいらしてね」と言われ、一度は固辞したが、押し切られたので来週はお昼前にお邪魔することになった。


ちなみに今日は島本刑事の娘のみちるさんは遊びに出ているらしくて不在だった。


帰途、私はこれまでの一連の事件について振り返った。


まず、最初の実験と考えられた事件では三人の浮浪者が太ももを縛られていた。ひとりは死亡、ひとりは意識を失うほどの体調不良を招いた。緊縛性ショックの発症実験と考えられた。


第二の実験と考えられた事件では、三人が頭部を打撲して殺害された後に体を焼かれていた。三人とも死亡しており、頭部打撲による頭蓋内血腫を燃焼血腫と間違えられるかの実験と考えられたが、司法解剖で間違われることはなかった。


第三の実験と考えられた事件では、血管内に空気を注入されて放置された。ひとりは死亡、私が発見したもうひとりは意識を失っていたが、一命を取り留めた。ほかに酔っぱらっている間に腕に注射痕を付けられた人が二人いたが、無症状だった。この時点で被害者は四人かと思われた。


そして有田教授がペニシリンを注射され、ペニシリン・ショックで亡くなられた。これが第四の実験だったとしたら、年配の人にペニシリンを注射してショックを起こすのかためされたのかもしれない。空気塞栓症の実験と思われた無症状の被験者のひとりが同じようにペニシリンを射たれた可能性があるが、三人目の被験者はまだ見つかっていない。


白神との交友があり、白神の意向を継いで実験を行った可能性があるのは東京都立医大法医学教室の助手の金丸先生、仙台薬科大学中毒学教室の助手の滝井先生、そして現在は臨床医になっている、陸羽医科大学法医学教室の大学院生だった藤田先生の三人らしい。


有田教授が実験ではなく、故意に狙われて殺害されたと仮定する場合、利益を受けるのは後任の教授になれるかもしれない上野先生と都立医大法医学教室の助教授の矢島先生。ただし必ず教授になれるとは限らないようだ。上司が昇進することで同時に昇進する可能性があるのは上野先生の下にいる立花先生。矢島先生の下にいる金丸先生にもその可能性がある。


有田教授の事件を含めたすべての事件が法医学の実験を目的とした犯行なのだろうか?有田教授の殺害動機を隠すために実験のようなことを続けた可能性も考えられるけど、それにしては十人もの被害者は多すぎる。被害者が多いほど、犯行がばれる危険が高くなるから。


一連の実験と有田教授の殺人の犯人は別人で、有田教授の殺人犯は一連の実験を知り、それに乗じて犯行を行ったのかもしれない。法医学の実験を疑っていたのは島本刑事、立花先生と私。上野先生も、金丸、滝井、藤田先生の三人を調べてもらう時にこれまでの事件が法医学の実験である可能性を立花先生に聞いていただろう。


一連の実験の容疑者三人のうち、犯行が困難なのは仙台に在住している滝井先生のみ。仙台から東京まで電車で通うことは不可能ではないが、何人もの被害者を見つけ出して犯行に及ぶためには、何度往復しなければならないことか。金銭的にももたないだろう。共犯でなければ犯人の可能性は低いし、有田教授を故意に殺害する動機はない。藤田先生にも有田教授を殺害するメリットはなさそうだ。ただ、複数の要因が絡み合ってこの一連の事件が起こったとしたら・・・。


翌週、私は法医学教室に行き、秘書の方に上野先生に最近来客がなかったか尋ねた。その答は、私の予想通りだった。


一週間後の日曜日になると、私は再びひとりで島本刑事の自宅を訪問した。お昼前に着くと家族総出で出迎えてもらい、奥さんの手料理をご馳走になった。


食事が終わると奥さんとみちるさんは居間から出て行き、島本刑事がお茶をすすりながら私に報告してくれた。


「まず、一色さんに頼まれたことではないけど、今週仙台に行ってきた」


「仙台ですか?」


「そう。一連の実験の犯人である可能性が低い仙台薬科大の滝井先生にかまをかけた」


「かまをかける?」


「白神の実験計画を知っていただろう?協力したやつはいるのか?とかね」


「それでどんな答えが得られたんですか?」


「滝井、金丸、藤田の三先生が集まっている時、白神は自分が知りたいと思っている項目をノートに書いたものを見せて、意見を聞くことがあったそうだ」


「その項目が十五のためしなんですね?」


「そのようだ。もちろん三先生は白神が実際に実行するとは考えず、あくまで机上の議論だったそうだ。とても楽しかったと言っている」


「探偵小説に書く殺人方法を考えるようなものだったのでしょうね。探偵小説作家が実際に殺人を犯すなんて、誰も思いませんからね」


「で、学会で上野先生と会った時は、上野先生の意見を聞いたこともあるらしい」


「上野先生も参加されたのですか?」


「金丸先生と同じ都立医大出身だから、金丸先生とはもともと親しかったようだ。その関係で、法医解剖の経験豊富な上野先生の意見を聞きたがったんじゃないかな?」


「白神が起こした犯行のことを聞いた時に滝井先生はどう思われたんでしょう?」


「とても信じられなかったと言っていた。今年の法医学会の全国集会で金丸先生、藤田先生の両名と会った時は三人でその話題が尽きなかったそうだ」


「そうでしょうね。二人の反応は?」


「金丸先生は白神の気持ちがわからなくもないと言い、臨床医になっていた藤田先生は否定的だったそうだ」


「人を死なせるかもしれない実験ですからね。学問的な興味があったとしても、患者さんを救う臨床医にはとうてい考えられない行為ですよ」


「さらに、最近また法医学の実験めいた事件が起こっていると言ったら、驚いて詳細を聞きたがったよ。捜査中の事件だから詳細は伏せたけど、緊縛性ショック、燃焼血腫、空気塞栓症、ペニシリン・ショックが白神のノートに書いてあったか聞いてみた」


「覚えていましたか、滝井先生は?」


「細かい項目を全部は覚えていないと言ったが、少なくともペニシリン・ショックについては初耳だったそうだ。薬剤師だから薬関係のことが書いてあれば記憶に残るはずだと言っていた」


「なるほど」


「次に昨日のことだが、藤田先生にも会ってきた」と島本刑事。


「さすがに行動が早いですね。それでどうでしたか?」


「白神の実験については『本当に実行するとは思わなかった』と言っていた。そして緊縛性ショック、燃焼血腫、空気塞栓症、ペニシリン・ショックの実験について聞いてみたら・・・」


「白神のノートに書いてあったか覚えていましたか、藤田先生は?」


「そのようなことが書いてあったかな、としか言わなかった。ただ、ペニシリン・ショックについては首をひねっていたよ」


「ペニシリン・ショックは白神のノートには書かれてなかったのでしょうか?」


「そうかもしれない。そこで明応大の有田教授がペニシリン・ショックで亡くなったと教えたらすごく驚いていた。寝耳に水って感じだったな」


「有田教授のことは知らなかったのですね?」


「うん。ただ、『教授の席が空いたのなら、玉突き人事でどこかの大学で法医学教室のポストが空かないかな』とは言っていたな」


「ポスト?藤田先生は法医学教室に戻りたいと思っているのでしょうか?」


「今は都内の総合病院に勤務しているけど、忙しすぎるとぼやいていた。自分のペースで研究をして、たまに解剖を手伝っていた大学院時代を懐かしんでいたよ」


「なるほど。研究が肌に合っているのなら、大学に勤めることは魅力的なんですね」立花先生もおそらくそうだろう。


「未練があるから今年の法医学会の全国集会にも出席したんだろうね。・・・ところで、先週一色さんに頼まれていた事件のことだけど、一通り調べて来たよ」


「ありがとうございます」


「まず、亡くなったのは結城航平ゆうきこうへい。二十歳の大学生だ。友人たちと飲みに行った後、ひとりで帰る途中に亡くなった。健康だったのに道端で死亡しており、顔に苦悶の表情を浮かべていたので事件性を考えて司法解剖になったが、死因は吐物誤嚥による窒息だった」


「酔っぱらって、気持ち悪くなって嘔吐したものを肺の方に吸い込んだために、窒息して亡くなられたんですね?」


「そういうこと。ほかに外傷もなく、事故死と鑑定された。司法解剖を執刀したのは上野先生だ」


「血液型は何型でしたか?」


「鑑定書にはB型と書いてあった」


「明応大学法医学教室との関係は解剖されたことだけですか?」


「いや。結城航平の母親の結城聡子ゆうきさとこは独身時代と結婚後しばらくは秘書として法医学教室に勤務していた。有田教授や上野先生とは顔見知りのはずだ。父親の結城良平ゆうきりょうへいは会社員で、法医学教室との関わりはない」


「結城良平の仕事は医学医療とはまったくの無関係ですか?」


「今の仕事はそうだけど、戦争中は衛生兵の見習いだったから、多少は治療の経験があるのかもしれん。終戦で戦地には行かなかったようだが。・・・一体それが今度の事件とどう関わるんだい?」


「その前にお聞きしたいのですが、有田教授が誰かに狙われて殺害されたと仮定した場合、人の恨みを買うような事実があったのでしょうか?」


「いや、有田教授は学内外を問わず人間関係はおおむね良好だった。金銭トラブルも確認されていない。殺害相手は誰でもいい、というような行きずりの犯行だったんじゃないかな?」


「私はひとつだけ有田教授が恨まれたかもしれない事実を知っています」と私が言ったら島本刑事はとても驚いた。


「実は、去年私が立花先生に最初に会った日のことなんですが、その前日の司法解剖で立花先生が亡くなられた方の血液型を検査しました。そしてB型と判定し、有田教授に報告しました。・・・解剖したのは上野先生だったのですが、有田先生に報告することになっていたようです」(第1章第4話参照)


「それが調べてほしいと頼まれた事件なんだね。鑑定書にもB型と記載されている」


「ところが、立花先生は有田教授から血液型検査をやり直すよう言われたんです」


「そんなことがあったのかい?・・・おかしいね。最初から正しい血液型を知っていなければ、立花先生の検査結果をおかしいと思うはずがないのに」


「そうですね。翌朝立花先生が血液型を検査し直したら、今度はA型という結果が出ました」


「立花先生が検査をミスするとは・・・」


「その日に私と神田君がミステリ研の新入部員として立花先生に紹介してもらったのですが、血液型の検査を実際にしてみせてくれて、亡くなられた方の赤血球を用いて検査したらやはりA型でした。しかし、血液型は血清を用いても検査できるということで実施してもらったら、今度はB型という結果が出たんです」


「赤血球を使うのを表検査、血清を使うのを裏検査と呼ぶことは聞いたことがあるけど、同じ人の試料を用いたのなら同じ結果になるはずなのにおかしいね」


「そうなんです。実は有田教授が誤った血液型が出るように、夜中にこっそり表検査用の抗血清を入れ替えていたんです」


「ええっ!?血液型検査とはいえ、故意に鑑定を誤らせるのは大問題だよ!」


「そうですね。そこで私は立花先生に明日もう一度血液型検査をしてみてはと提案しました。案の定、有田教授は夜中にまた抗血清を入れ替え、翌日の検査ではB型と判定されました。その結果を伝えたら、有田教授はあっさり受入れたそうです」


「どういうことなんだい?」


「正しい血液型を知られたくない人がいたので、有田教授は立花先生が誤った結果を出すように工作したのでしょう。しかし、有田教授は鑑定の重要性を知っていますから、三度目に提出された正しい結果を受け入れざるを得なかったと思うのです」


「しかし、それじゃあ立花先生に誤った結果を出させた意味がない」


「いえ、鑑定書を書くのは執刀した上野先生だと立花先生に聞きました。有田教授は上野先生に誤った血液型を伝えます。鑑定書を書き上げるには日時がかかるので、ほぼできあがった頃に目を通して、『そういえば立花先生が検査ミスをしたそうだ』と言って正しい検査結果を渡し、鑑定書の血液型の部分だけ書き直させたのでしょう」


「だからそれに何の意味が?」


「鑑定書は遺族に渡しませんが、死体検案書、つまり死亡届に付随する死亡診断書に該当する書類は遺族に交付すると聞いています。鑑定書ができあがる前に遺族が上野先生に死体検案書を書いてもらいに来たとします。その際に亡くなった学生の血液型を聞かれることがあったとしたら?」


「その時点では上野先生は誤った血液型しか知らなかったから、遺族にもその結果を伝える。・・・有田教授はその遺族に正しい血液型を知られたくなかったのか?」


「私たちは、亡くなった学生が戸籍上の父親の実子ではなかった、戸籍上の父親はそのことを知らなかったけど、有田教授は知っていたと考えました」


「ということは・・・その学生の実の父親は有田教授だったということかい?」


「かもしれません」


「有田教授の子を実子だと思い込んで育てていた戸籍上の父親、つまり結城良平が有田教授を恨んでもおかしくはない。・・・でも、学生が亡くなったのは一年以上前だぞ。なんで今頃有田教授を殺さなくてはならないんだ?しかも、ペニシリンを注射するという確実性のない方法で?」

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