7 後任教授について

「興味本位で殺人?・・・それって実験という意味ですか?」と私は島本刑事に聞いた。


「そう。空気塞栓症の実験と同じだよ。過去にペニシリンを射ったことがありそうな年配の人をターゲットにして、どういう反応が出るか実験する。・・・先日、腕に注射痕があったけど何の異常を示さなかった人が二人いたと言っただろ?ひとりは空気塞栓症の実験で、もうひとりはペニシリン・ショックの実験だったのかもしれない」


「なるほど。外から見たら注射痕以外の異常はないので、そのふたつの実験は区別ができないですね。確かその二人は・・・」


「二十一歳の大学生と五十七歳の会社員だった。年齢から考えて、会社員の方にペニシリン・ショックの実験を行ったのかもしれない。今となっては証明できないけど」


「一連の実験の被害者に有田教授がたまたま犯人に選ばれたということでしょうか?」


「そうかもしれないし、実験ではなく有田教授を恨んでいた犯人のしわざかもしれない。だから、他の実験の被害者と同じく、誰かともめていなかったかの捜査も平行して進めているんだ」


「私は有田教授とそれほど親しくはありませんでしたから、個人的にもめていたかどうかは知りません」


「有田教授と親しかった刑事調査官に聞いたけど、特にもめ事があるとは聞いてないそうだ。まだ捜査は続けるけどね」


「恨みを買われるような相手がいなければ、実験の可能性が高くなるのでしょうか?」


「恨み以外の動機もあるだろう。だから、有田教授が亡くなって得する者がいないかということも調べている」


「得すると言うと、例えば遺産相続とか?」


「あるいは、教授の座を狙っての犯行かな?」


「教授の座?」


「教授が空席になれば別の誰かが教授に就任する。・・・さすがに昇進目的で恨みのない相手を殺すなんて事件は経験がないけどね」と島本刑事。


「それに、これは前に立花先生に聞いたことがあるんだが、教授が空席になったとしても誰が次の教授になるか確実なことはわからないそうだ」


「と言いますと?」


「誰を教授にするかはその大学の教授会で審議して決めるんだけど、多くの場合は教授候補者を公募する」


「公募?」


「全国の大学や関係機関に教授の適任者がいれば応募してほしいという通知を郵送するんだ。それに応じて応募してきた候補者がいれば、その人の業績を調べて教授にふさわしいかを審議する。複数の応募者がいれば、その中のひとりを選ぶことになるけど、教授にふさわしい応募者がいなければ再公募をすることもあるそうだ」


「なるほど」


「大学の方で特定の優秀な先生に直接教授にならないか打診する、一本釣りと呼ばれる選抜方法もあるそうだけどね」


「いろいろあるんですね。・・・有田教授が亡くなられた今、教授選に応募する資格がある人のひとりは上野先生なんでしょうね?」


「上野先生が応募すれば、業績があるから有力な教授候補者になるだろうね。ただ、教授に選ばれるにはもうひとつ重要なことがあって、それが学閥なんだそうだ」


「学閥?」


「どこの大学の出身者かということだよ」


「出身大学がそれほど重要なんですか?」


「そうらしい。選ぶのは教授たちだけど、自分の出身大学と同じ大学の卒業生を選びたがる教授が少なくないと聞いている。要するに、教授会の中に出身大学別の派閥があって、その人数を増やしたいんだ。大きな派閥になれば、自分たちに都合の良いように教授会を誘導できるからね」


「そんなことがあるんですね?」


「明応大医学部の教授は明応大出身の先生が多い。だから明応大卒の候補者が選ばれる可能性が高くなる・・・」


「上野先生は?」


「上野先生は都立大の出身なんだ。だから、明応大卒でそれなりの実績のある先生が応募すれば、上野先生は有田教授の後任になれないかもしれない」


「・・・そんなことがあるんですね。『白い巨塔』を思い出しました」『白い巨塔』は山崎豊子が著した小説だ。医学部の教授選も描かれている。映画化もされた人気作品だ。


「『白い巨塔』の中で教授夫人会の話があってね、そんな集まりがあるか以前立花先生に聞いたことがあるんだ。少なくとも明応大にはなさそうだと言っていたよ」


「それはともかく、そういう事情であれば上野先生が明応大の教授になりたくて有田教授を亡き者にした、という動機は成り立たないですね」


「そうだね。上野先生はその日の夜に有田教授と立花先生と一緒に飲んでいたそうだから、一応は調べているけどね。・・・ちなみに立花先生は明応大の出身だ。助教授だったら教授に昇進する可能性が高かったんだが、さすがに助手から一気に教授になる可能性は低そうだ」


「立花先生を容疑者に入れるのはやめてください」と私は島本刑事に文句を言った。


「すまん、すまん。冗談だよ。ただ、そういう動機もありうるという話をしただけだよ」


立花先生がすぐに教授になることはないだろう。ただ、上野先生が教授になれば、スライドして立花先生も講師に昇進する可能性がないわけではない。しかし、立花先生は昔、地方の大学の教授になることもあると言っていた。まだお若いから、昇進をあせる必要はない、と私は自分に言い聞かせた。




その日はそれで島本刑事と別れた。そして一週間後に私は久しぶりに法医学検査室に行って立花先生に会った。


「お葬式のお手伝いとか大変でしたね」


「まあね。もっとも僕は単なる手伝いだったから、大変だったのはご遺族と中心になって手伝った上野先生だけどね」


「こんなことを聞くのは気が引けますが、有田教授の後任はいつ頃決まりそうでしょうか?」


「教授がいないと学生教育に支障が出るからね、教授会の方で急いで公募の準備をしているようだよ。解剖は僕と上野先生が交代で担当しているから、今のところ支障はないけれど」


「島本刑事も後任の教授について心配されていました。上野先生以外に有力な候補者はいそうですか?」


「誰が応募してくるかまだ予想はできないね。全国の大学から応募してくるかもしれないし」


「そうですね」


「その中で有力だと僕が考えているのは、上野先生と矢島先生かな?」


「矢島先生?」


「東京都立医大の法医学の助教授の先生だよ。上野先生より一、二歳若いけど、明応大医学部の出身なんだ」


「有田教授を解剖したのは矢島先生ですか?」


「解剖したのは近藤教授じゃなかったかな?矢島先生が解剖に立ち会ったのかもしれないけど。金丸先生もね」


金丸先生とは、一連の実験の容疑者の可能性があると言われていた都立医大法医学教室の助手の先生だ。いろいろややこしくなってくる。


「もし矢島先生が明応大の教授に就任されたら、上野先生はいろいろやりにくいでしょうね?」


「そうだね。別の大学に移籍するかもしれない。どこかの大学で教授の席が空けばすぐにでも応募するだろうね」


・・・その場合でも立花先生が講師に昇進する可能性がある。「いやいや」と私はすぐにその考えを頭から振り払った。


「話は変わりますけど、上野先生や立花先生が司法解剖を執刀された場合、その鑑定書や死体検案書は執刀された先生が書くのですか?」


「そうだね。解剖所見は執刀医が一番よく把握しているから、鑑定書や死体検案書は執刀医が責任を持って書き上げるよ。ただ、今まで僕が執刀した場合は、名目上の執刀医を有田教授にしていたから、有田教授の名前で鑑定書や死体検案書を書いていたけどね」


「上野先生はいつも自分の名前で鑑定書や死体検案書を書いておられたんですね?」


「そうだよ。有田教授にチェックしてもらっていたようだけどね」


「・・・そうですか」私は考え込んだ。


「どうしたんだい?何か気になることがあるのかい?」


「いいえ。今の説明で納得しました」と私は答え、それ以上のことは言わなかった。




翌日は日曜日だったので、私は朝、公衆電話をかけた。着信音の後、受話器が外される音が聞こえた。


「もしもし、島本でございます」と島本刑事の奥さんの声がした。


「おはようございます。一色千代子です」


「あら、一色さん?おはようございます」


「本日は島本刑事はお休みでしょうか?」


「ええ。昨夜は遅くまで仕事で、今日は休めるので、昼まで寝ていると言ってましたが」


「では、お昼過ぎにお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「わかりました。島本に伝えておきますので、気兼ねなくお越しください」


受話器をかけ、私は外出の準備をした。お昼になって下宿を出、何度かお邪魔したことがある島本刑事の自宅に行った。


「こんにちは、一色です」玄関戸を開けて中に声をかける。すると奥さんがすぐに出てくれた。


「いらっしゃい、一色さん。主人はさっき起きたところで、あなたが来るのを待っているわ」


「それでは失礼します。あ、これをどうぞお受け取りください」と私は言って手みやげのお菓子を差し出した。


「いつもお世話になっているから気を遣われなくてもいいのに」と奥さんは言ったが、それでも手みやげを受け取ってくれた。


「どうぞ、お上がりくださいな」と言われて玄関に上がる。その奥の居間に入ると、疲れたような顔をした島本刑事がくつろいでいた。


「お休み中にお邪魔してすみません」


「かまわないよ。一色さんなら大歓迎だよ」


お茶を出してくれる奥さん。私はさっそく用件を切り出した。


「今日お邪魔したのは、昨年の事件のことを教えてもらいたいと思ったからです」


「昨年の事件?今度の法医学の実験をしたような一連の事件か、有田教授が亡くなられたことに関係するのかい?」


「確信はありませんが、気になることがありまして」


「わかったよ。明日出勤したら調べておくよ。一体どの事件なんだい?」


私が説明すると、島本刑事は驚いた顔をした。「それが今回の事件と関係するのかい?」


「まだわかりません」と私は口ごもった。


「・・・まあ名探偵の直感を信用するか。しかしその事件なら、法医学教室に解剖記録が残ってるんじゃないかな?」


「立花先生にも頼みにくくて」


「よくわからんがわかったよ」と妙な言い方をして島本刑事が微笑んだ。


「ところで、あの三人の容疑者候補の先生方について、何かわかりましたか?」


「えっと、金丸先生、滝井先生、藤田先生のことだね?」


「はい。白神と交流があって、法医学の実験をしそうな人たちです」


「今アリバイを調べているところだよ。ただ、薬科大の滝井先生は、すべての実験に関与することは時間的にも経済的にも難しそうだな。平日は朝九時から夜七時過ぎまで大学に出勤しているし、仙台からの往復にはお金がけっこうかかる。金丸先生と藤田先生は都内に住んでいるから犯行は可能で、確固たるアリバイは今のところはない」


「三人が共謀して、手分けして実験を行ったということは考えられないでしょうか?」


「不可能ではないが、これまでに何件も殺人が起こっている。三人が三人とも白神のように頭のネジが外れているとは考えたくない」と島本刑事。


「そうですね」と私も同意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る