2 第二の実験?

その翌週、私と立花先生はいつものように島本刑事に呼び出された。その時の島本刑事の顔は、いつもよりもさらに深刻そうだった。


「どうしたんですか?顔色が良くないですよ」と私は島本刑事を気遣った。


「一色さん、とんでもない事件が起こった・・・ようなんだ」と島本刑事。


「例の、太ももが縛られていた人たちの話ですね?」


「そう。有田教授に三人の太ももの緊縛痕を鑑定していただいた。正式な鑑定書はまだできていないけど、立花先生におおよその見解を聞いてきてもらった」と島本刑事が答えた。


「死んだ人の死因はやっぱり緊縛性ショックで間違いないようだよ。まだ検査を続けているけどね」と立花先生が言った。


「有田教授が生きている二人も診察したところ、三人とも太もものほぼ同じ位置に強く縛られた痕があった。死ななかった二人の痕跡は治りかけていて多少判別しにくくなっていたけど、縛ったのはいずれも同じ太さの荒縄と考えて矛盾がない」


「同一犯の犯行のようですね」


「そう。そしてこちらも予想通り、死んだ人の絞め痕が一番ひどく、死ななかったけど具合が悪くなった人がその次にひどく、異常をきたさなかった人が一番程度が軽かった。僕も写真を見せてもらったよ」


「ということは、絞めた力の強さが違っていたのでしょうか?」


「絞める力の強さを手の感覚で調整するのは難しいと思う。むしろ目いっぱい強く絞めた後、縛めを解くまでの時間に違いがあったんじゃないかな?」と立花先生。


「となると、例えば死んだ人は六時間、具合が悪くなったけど死ななかった人は四時間、異常が生じなかった人は二時間という感じでしょうか?今いった時間は適当ですけど」


「その方が調整しやすいだろうね。もしそうだとしたら、やっぱり誰かが人体実験をしたとしか考えられなくなる」


「でも、手や体は縛られてなかったんですよね?酔っぱらっていたとはいえ、酔いの程度は人によって違っていたかもしれないので、途中で目を覚ませば簡単に縛めを解けそうな気がしますが・・・」


「おそらく置いてあった酒の中に睡眠薬でも混ぜてあったんじゃないかな?一度寝たら簡単には起きられないほどの量の睡眠薬がね」と島本刑事が言った。


「薬物の有無については現在、科捜研で精力的に検査してもらっている。近いうちにはっきりしたことがわかるだろう」


科捜研とは科学捜査研究所の略で、警視庁の刑事部に所属する分析機関のことだ。全国の警察本部にも設置されている。事件解明に役立ついろいろな検査を行っている。


「で、問題は誰がこんな人体実験めいたことをしたかだ」


「白神の時のように、法医学の知識がある専門家、つまり法医学教室の関係者か警察関係が疑われますね?」と私は言った。


「発見現場は都内だから、関東地方在住の専門家の可能性が高いんだが、山梨、静岡など、比較的近い距離にある大学や警察の関係者の可能性も否定できない」と島本刑事が言った。


「ただ、白神の場合は盛岡市の事件が最初だったから、盛岡市で開催された法医学の地方集会の参加者で、最近勤め先を退職した人物が怪しいと当初から絞り込めた。今度は何を手がかりにしたらいいと思う?」と、島本刑事が私と立花先生に聞いてきた。


「緊縛性ショックによる死亡例って、けっこう多いのですか?」と私は立花先生に聞いた。


「実際例としてはほとんど聞いたことがないね。むしろ実験動物を用いた外傷性ショックの再現方法として緊縛が用いられてきたように思う」


「なら、近隣の県警に緊縛された変死者の検視事例がないか調べてもらっても、あまり意味がないか。手がかりなしだな」


「白神は医師ではありませんでしたが、法医学に興味を持っていて、それでいろいろな実験を行ったと思われました」


「そうだね」


「背後に黒幕というか、指南役がいたということはないでしょうか?」


「・・・誰かが白神に実験をするよう指示をした、ということかい?」と島本刑事が聞いた。


「指示とまではいかなくても、白神に何らかの暗示を与え、自ら行動するように差し向けたのかもしれません」


「そ、そうなると、白神の近くにいた法医学者が怪しいということかい?白神は陸羽医科大学法医学教室の解剖技師だった。その線から考えると、陸羽医科大学法医学教室の教授か教室員ということになるけれど・・・」と立花先生は言って、知っている人の顔を思い返しているようだった。


「・・・さすがにそんなことをしそうな人たちとは思えないけど」


「都内で事件が起これば都内の法医学教室で司法解剖を行う。東北の先生が黒幕なら、実験結果を確認しようがない・・・」と島本刑事。


「今回の事件の犯人が実験結果を知りたければ、有田教授に解剖結果を聞いてくるはずだな。一度、有田教授に確認しに行かなくては」


「そうですね。既に有田教授に問い合わせがあったのか、あるいは今後あるのか、僕も気をつけておきます」と立花先生も言った。




その翌週、私たちはまた島本刑事に呼び出された。この日も島本刑事の顔は曇っていた。


「何が起こったのですか?」とさっそく聞く。


「実は二十四日の夜中にある会社の古い倉庫で火災が起こって全焼した。屋根や壁も焼け落ちた。その焼け跡からひとりの男性が焼死体で見つかった」


「放火事件ですか?」


「そのようだな。元々火の気のないところで、消防が焼け跡を調べたところ、灯油がまかれて火を着けられたことがわかった。会社の人間に聞いたら、その倉庫にはストーブも灯油缶も置いたことはないと言っている」


「亡くなったのはその会社の人ですか?」


「いや、社員にいなくなった者はいない。全身が焦げていて、身元は未だにわからない。その倉庫は社員ですら滅多に出入りしないところなので、最初は浮浪者がねぐらにするために潜り込んだんじゃないかと疑われた」


「死因は焼死で間違いなかったのかい?」と立花先生が聞いた。


「都立医大で解剖したところ、全身黒焦げになっていて紅斑性火傷や水疱性火傷の有無はわからなかった。気管の中に煤を吸っておらず、血液から一酸化炭素ヘモグロビンも灯油成分も検出されなかった」


「以前に焼死した人の所見を教えてもらいました。皮膚が赤くなる紅斑性火傷と水ぶくれができる水疱性火傷は、生きている時にしか生じないやけどだと。また、火災現場で発生した黒煙を吸うと、気管の中に煤が付き、血液から一酸化炭素ヘモグロビンが検出されると」(第1章第12話参照)


「そう、その通り」


「ただし、灯油を全身にかぶって火を着けると、火だるま状態になって即死してしまい、紅斑性火傷、水疱性火傷、気管内の煤は認められないことがあるとも聞きました。しかしその場合でも、灯油の成分が血液から検出されるということでしたね?」(第3章9参照)


「そう。この事件ではどの所見も認められないから、焼死の可能性は否定的だ。・・・死因はわかったのかい?」と立花先生が島本刑事に聞いた。


「頭蓋骨が割れていて、頭蓋骨とその内側にある硬膜との間に血腫が認められた」と手帳を見ながら説明する島本刑事。


「燃焼血腫かい?」と立花先生が聞いた。


「燃焼血腫とは何ですか?」と私は立花先生に聞いた。


「死んだ後に火災で頭部が焼かれ続けると、高熱の作用によって頭蓋骨が焦げて割れることがあるし、頭蓋骨の内側にある血管内の血液が滲み出て熱凝固することもある。熱凝固した血の塊を燃焼血腫、あるいは火傷血腫と呼ぶけど、生前の出血ではない。死体を焼いても生じる死後の現象なんだ」


「都立医大の解剖医も最初はそう思ったらしい。ところが血腫と同じ位置の脳の表面が圧迫されて凹んでおり、脳と硬膜の間と脳の表面にも出血したような痕跡があったそうだ。焼死の所見がなかったことを考え合わせて、死因は火災発生前の頭部打撲による急性硬膜外血腫で、死後放火されたと鑑定されたんだ」


「殺人の後で火を着けて、犯行を隠蔽しようとしたんですね?」


「そうだね。もっとも司法解剖をすれば死因を間違えようはないけどね」と立花先生が言った。


「普通なら被害者の身元を調べ、放火した殺人犯を捜すという捜査になるけど、何か懸念するようなことがあるのかい?」


「実は被害者の血中からアルコールと睡眠薬が検出されたんだ。だから例の、法医学の実験じゃないかと思うんだが」と島本刑事が言ったので私たちははっとした。


「つまり、頭部を殴ってできた頭蓋内血腫を、死後遺体を燃やすことで燃焼血腫とごまかすことができるかという・・・」


「それはどうかな?」と立花先生が島本刑事の言葉を遮った。


「ただの証拠隠滅のための放火じゃないか?それならよくある話、とまではいかないけど、今までにも稀にあったことだから」


「ところがこれを見てくれ」と言って島本刑事がポケットから折り畳んだ紙片を取り出した。


私がそれを受け取って開いてみたところ、最近の新聞記事を切り取ったものだった。


「え・・・と、『五月十七日夜十時頃、横浜市港北区の郊外の空き地で火災が発生し、身元不明の男性の焼死体が見つかる。灯油をまいた痕跡があり、司法解剖で硬膜外血腫の所見があったため、港北署は殺人事件として捜査を始めた』?」


「もう一枚あるぞ」と言って島本刑事が二枚目の新聞記事の切り抜きを渡しきた。


「これは・・・『五月十六日深夜、千葉市内の空地で不明焼死体が発見される。灯油による放火の疑い。死因は頭部打撲による頭蓋内出血。千葉南署は殺人事件として捜査本部を立ち上げる予定』」と、私は二枚目も読み上げた。


「同じような焼死体がほぼ同じ時に横浜と千葉でも見つかっている。これは偶然かな?」と島本刑事が私たちに聞いた。


「二件なら偶然と言えるけど、三件も立て続けに起こったら偶然とは言いがたいな」と認める立花先生。


「いずれも一週間以内に起きている。これはやっぱり法医学の実験では?」立花先生に確認する島本刑事。


「実験だとしてもかなり雑な実験だよ。頭を殴ったとしても頭蓋骨と硬膜の間に硬膜外血腫が必ずできるとは限らないからね。焼死体の頭部に血腫が生じたとしても、打撲による血腫か燃焼血腫なのか、実際に解剖してみないと区別できない。この三件は東京、神奈川、千葉と異なる都県で発生し、別々の大学で解剖されている。全部の解剖に立ち会うことはできないから、犯人には実験が成功したかどうか知りようがない」


「殺人事件と判断されればこのように新聞に記事が載ることもありますが、燃焼血腫と誤って火災事故による焼死と判断されれば血腫の有無までは書かれないでしょうね。やっぱりそれぞれの大学と関りがない第三者には確認できません」と私も言った。


「法医学を少しかじっただけの半可通はんかつうが、確認することを考えず、ただの思いつきでやった実験なのかな?」と島本刑事。


「そうだと思う。僕たちは医学研究者だからね、意味のない実験はしないよ」


「となると、白神の実験とは直接関係はないんだな?」


「そうだと思うけど」と立花先生。


「白神は十五種類の実験を行うとメモに残していましたね?何を実験しようとしていたか、逮捕後の取り調べでわかったのでしょうか?」と私は島本刑事に聞いた。


「最初想定していた十五種類の実験をノートにメモしていたらしいが、大学を辞めた時にそのノートはなくしてしまったと言っている」


「そのノートをどこかの誰かが拾って、自分で実験をしてみようと考えたということはないのでしょうか?」


「普通の人なら人を死なせるような実験を自ら行おうとは考えないだろう。快楽殺人犯なら別だろうが」


「いずれにせよ、まともな法医学者でないやつが実行したとしか考えられないね」と立花先生が繰り返した。同業者でないと考えて、ほっとしたような表情になっている。


「仮に白神のノートを拾った犯人がいるとして、誰がどこで拾ったのだろう?陸羽医科大学の関係者か、当時の下宿の近くの住人か、あるいは神奈川の実家の近所の者か、白神が勤めていた輸入ワインの会社の関係者か、どこかの旅先か・・・。本当に白神が知らないのなら、どうにも絞れないな」と島本刑事が困惑顔で言った。


「いずれにしろ、東京、横浜、千葉の、火事を起こしても延焼しないような場所を選んで遺体を焼いていますから、そのあたりの地理に多少は精通している人でしょうね」と私は言った。


「適当な空地なら、初めて行った場所でも見つけることができるかもしれないよ」と立花先生。


「でも、先日の緊縛性ショックの実験のようなことをしたやつなら、被害者となった浮浪者たちのねぐらや、彼らを放置した公園の地理をよく知っていたのかもしれない。今回の事件も同じ犯人のしわざとしたら・・・」


「犯人は都内に潜んでいるのか?」と島本刑事が聞いた。


「犯人が法医学の関係者なら、この三件の遺体を解剖した大学に詳しい解剖所見を聞いてくるかもしれません」と私は言った。


「そうだな。問い合わせがあれば誰から来たのか、こちらに連絡してもらうよう手配しておこう」


「それで犯人の目星がつけばいいですけど」

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