第26話 横浜の妖怪(打越橋の怪)(1)
翌朝、布団を片づけみんなで軽くお化粧をした後、朝食を食べるために食堂に下りると、長テーブルの上に置かれた籠に食パンが並べられ、近くにトースターが三台置いてあった。自分たちで焼いて食べる形式らしい。
その横にはマーガリンやジャムの瓶がある。空のティーカップも並べられ、コーヒーと紅茶が入った魔法瓶も置かれていた。・・・おかずはなかった。
私たちはトーストを二、三枚食べると、その後でグループ分けがされ、私たち以外のグループに古い地図が配られた。
そして真夏の横浜の街に私たちは繰り出して行った。
私のグループは、坂田さんと昨夜お世話になった三谷美江子さんとの三人だった。
「全員名前の最初の文字が『美』だね。三美人だね」と、私、藤野美知子におちゃらける坂田美奈子さん。
「どこへ行けばいい?」と私は二人に聞いた。
「やっぱり山下公園でしょうね。人が多いわよ」と三谷さん。私たちも賛同する。
桜木町駅前を通り過ぎると、南東の方向に歩を進める。山下公園までは多少の距離があるが、やがて海岸沿いの細長い公園にたどり着いた。
「けっこう広いわね」と感激する坂田さん。
「あ、見て!船が係留されているわ!」と坂田さんが指し示したのは、氷川丸の船体だった。
氷川丸が何で山下公園に繋げられているのか知らなかったが、船体が緑色に塗られているそこそこ大きな船だった。
さらに右前に視線を移すと、赤と白の段々模様に塗られた横浜マリンタワーがそびえていた。
「東京タワーみたいな色ねえ」と思いながらも公園内にいる人々を見回した。英研の合宿なのだから、話しかけられそうな外国人の姿を捜す。
「・・・ほとんどが日本人ね」しばらく見回してから言う。
「そうねえ。・・・まあ焦らず、公園内を見て回りましょうよ」と三谷さんが言ったので、ぶらぶらと歩き回ることにした。
公園内をのんびりと歩いていると、しばらくして向こう側から乳母車を押して来る夫婦に気づいた。奥さんは日本人だが、旦那さんはアングロ・サクソン系の顔だちで、目が青く、金髪だった。
「あの人はどう?」と私は夫婦を指さした。
「優しそうな旦那さんね。私たちの英語が通じなくても、奥さんが通訳してくれそう」
「変な男に声をかけると後が厄介だけど、あの人なら大丈夫そうね」
そう話し合って私たちはおずおずとその夫婦に近づいて行った。
「ハロー」と話しかける。私たちの方を見る旦那さん。
「ウィーアーメンバーズオブイングリッシュスタディクラブオブシュウカガールズカレッジ。キャンウィートークウイズユー?」
「オウ!英語の勉強ですか?」と旦那さんに流暢な日本語で聞き返された。
「イ、イエス・・・」日本語に戸惑う私たち。
「だめよ、あなた。英語で会話してあげなくちゃ」と奥さんが横から口を出した。
「Oh, I’m sorry.」旦那さんはいきなり英語で話し始めた。文字通りペラペラと話すので、耳が追いつかない。
何となく山下公園のことを話している気がしたので、「イエス」とか、「アイシンクソー、トゥー」とか、適当に答えた。苦闘している私の横で、坂田さんと三谷さんは赤ちゃんにばかり気を取られている。
「ベリーキュートベイビー!ボーイオアガール?」と奥さんに話しかける坂田さん。
「女の子よ。名前はナオミというの」
「ナオミちゃん?日本風の名前ですか?」
「ナオミって欧米で普通にある名前なのよ。聖書の登場人物の名前が由来で、英語ではネィオゥミィという発音になるわ」
「へー。でも、かわいいですね」・・・完全に日本語での会話になっていた。
私はしばらく会話を続けたが、まもなく「サンキュー」とお礼を言って会話を打ち切った。手を振りながら離れていく夫婦と赤ちゃん。
「かわいかったね、赤ちゃん」
「ハーフだから将来美人になるわよ」と言い合う坂田さんと三谷さん。
「あなたたち、全然英語で会話しなかったじゃない?」
「だって奥さんが日本語で答えたからね。旦那さん、あんなに日本語が上手だったから、きっと奥さんは英語が話せないのよ」
「英語が話せなくても国際結婚できるのね~」とのんきな二人だった。
「ところでお腹が減ったわね」そろそろお昼どきだ。「どこかで何か食べる?」
「この近くに横浜中華街があるって柴崎さんに聞いたから、そこへ行ってみない?」と坂田さんが言った。
横浜市民の三谷さんの方を見ると、「よく聞くけど、行ったことないから道はわからないわ」と言った。
当然坂田さんも当てにならないので、私は地図を広げた。・・・ホテルニューグランドの横の道を南に進めばいいようだ。
私たちは山下公園の南側の道路を横断し、桜木町グランドホテルとは比較にならない立派なホテルを横目に見ながら歩いて行った。
やがて中華街の入り口らしい三叉路に着いたので右に曲がり、中華料理屋が軒を並べている中華街に入った。
「ほんとうに中華料理屋ばっかりね。・・・どこに入る?」と聞く三谷さん。
「あまり高い店には入れないから、一通り見てから決めましょう」と私は言った。
さほど広くない道をぶらぶら歩いて行く。店頭で豚まんでも売っていたらそれを買って、山下公園に戻って食べてもいいが、食べ歩きの風習がないのか、すぐ食べられる状態で豚まんなどを売っている店はなかった。
中華街を抜けたところに
「何を食べる?」と聞く坂田さん。
私はメニューをしばらく見まわしてから、「サンマーメンにするわ」と言った。
「サンマ麺?にしんそばみたいにサンマが載ってるの?」と私に聞く坂田さん。
「横浜名物のあんをかけたラーメンのはずよ」
「じゃあ私もそれにする」「私も」と二人は私の注文に合わせた。
サンマーメン三人分を注文すると、それを聞いたウエイトレスが厨房へ中国語らしい言葉で伝えていた。中華街っぽくていい。
出て来たあんかけラーメンは、夏に食べるには少し熱かったが、とてもおいしかった。
満足して店を出ると、来た道を逆方向に進んで山下公園に戻った。帰り道で、ホテルニューグランドの向こう側にそびえ立っている横浜マリンタワーを見上げる。
「ねえ、明日、あそこに昇ってみない?」と提案する。
「いいわね。今からでも行く?」と乗り気の坂田さん。
「まだ初日だからね。本来の目的の外国人との英会話をしなくっちゃ」と私は咎めた。
「は~い」と気乗りのしない坂田さんの返事を聞き、再び山下公園内に入る。
「藤野さんってまじめね」と三谷さんが囁く声が耳に入った。
「なんせ元生徒会長だからね」と答える坂田さん。初日から本来の目的を忘れるのはどうなんだ?と思ったが、何も言わなかった。
山下公園の中を歩き、氷川丸を間近で見たり、大桟橋の向こうに浮かぶ舟を見たりしながら会話相手を捜す。朝来た時には英研部員のグループが何組かいたが、今は一組も見えない。みんな、どこへ行ったのだろう?
話しかけられそうな適当な外国人はなかなか見つからず、合間にお茶を飲みながら時間をつぶした。
四時頃になったので英会話をあきらめて桜木町駅に戻ることにした。歩き疲れたので、古い駅舎の中に入り、多くの人が行き交うそばでベンチに座って少し休憩する。その間に坂田さんが三谷さんに昨日の推理のことを話した。
私は切符売り場の上の路線図を見上げた。ここ、桜木町駅から関内駅、石川町駅、山手駅、根岸駅を通って磯子駅まで延びていた。
「・・・なるほど。ここ数年で路線が増えたり減ったりしてめまぐるしいから、地元の人じゃないとわからないわね。お役に立てて良かった」と、坂田さんの説明を聞き終わった三谷さんが言った。
「ところで三谷さんは山下公園とかよく来るの?」と坂田さんが聞くと、三谷さんは首を横に振った。
「私の家は山の方にあるから、このあたりは初めてじゃないけどそう何度も来たことはないの。マリンタワーと氷川丸は小学六年生のときに学校の遠足で行ったことがあるわ。どちらも開業間もない頃だったの。あれから七年経って、あまり覚えていないから、実は明日が楽しみなの。中がだいぶ変わっているかしら?」
「中華街も知らなかったわね?」
「横浜市民としては恥ずかしいけど、今まで来る機会がなかったのよ」
「じゃあ今回の合宿でいろいろ回っても、私たちと一緒に楽しめるわね?」
「そうなの。いろいろなところに行ってみましょうね」
ホテルに戻る。部屋で祥子さんに会ったので、
「今日はどこへ行きましたか?」と尋ねた。
「伊勢佐木町のデパートを見て回っていたの。明日も行くつもり」と祥子さん。
「ショッピングですか?」
「ほとんどウインドーショッピングだけどね」
天野部長も戻って来たので、みんなで食堂に下りた。夕飯は今夜も中華の大皿料理で、メニューは、鶏肉ととうもろこしのスープ、肉野菜炒め、五目焼きそば、餃子、揚げ団子の甘酢あんかけなどだ。
ご飯をよそって食べ始める。坂田さんたちは今日も酒盛りだ。
「外国人と話せた?」と飲み食いしながら部長が私たちに聞いた。
「はい。親子連れに話しかけました」
「そう、どうだった?」
「速く話されると聞きづらかったです」
「いい経験をしたわね。それを繰り返して耳を鍛えることね」
「はい。・・・部長はどこへ行かれたんですか?」
「私は映画館で洋画を観てきたわ。グレゴリー・ペック主演の『0の決死圏』というスパイ映画よ」
「映画鑑賞ですか?」
「そう。字幕をなるべく見ずに、俳優が話す英語を聞くのよ。二、三回観れば聞き取れるようになるわよ」
なるほど、と私は思った。しかし、「映画なら横浜で観る必要はないのでは?」と疑問に思ったことを聞いた。
「それは言いっこなしよ。でも、旅先で観る映画もいいものよ」
「そうですか・・・」若干腑に落ちなかったが、実質四日もあるのだ。観光地巡りに飽きたらそういう時間のつぶし方、じゃない、英会話の勉強法もありかも知れない。
「ところで、今夜は妖怪の相談はないの?」
天野部長の言葉にドキッとして私はあたりを見回した。部員たちは楽しく飲食しながらおしゃべりしていて、私のところに相談に来そうな人はいなかった。
「そんな相談事はそうそうないですよ」と部長に言い返す。
「そう?残念ね」
「残念ですか?」
「だって、推理して少しずつ謎を解き明かしていく過程を見るのは楽しかったから。誰か謎を持って来ないかしら?」
変なフラグは立てないでほしい、と心から思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます