第15話 東北の妖怪(一寸法師)(5・駐在所)

お昼どきになったので私たちは階下に降りた。


私はさっき描いた犯人の似顔絵を柴崎さんと坂田さんに見せた。


「こんな顔の男がいたら、確かに妖怪と見間違えかねないわ」と柴崎さん。


私はスケッチブックの新しいページを開いて、その男の顔を描き写した。


「また描くの?そんな気持ち悪い顔を」と坂田さん。


「何枚か必要になるかもしれないからね」


「私の絵もまた描いてほしいな」ぽつりと言う白井さん。


「いいわよ。空いているページに後で描いてあげる」


「この男の顔を描いたページの向かい側に小夜の顔を描くと、スケッチブックを閉じるたびにこの男と接吻するわね」と柴崎さんがからかって、白井さんが嫌な顔をした。


似顔絵を描き終わった頃におばあさんがそうめんを出してくれたので、私と白井さんはおいしくいただいた。


二日酔いの柴崎さんと坂田さんも食卓に着いたが、そうめんを少しはすすりつつも、あまり食が進まないようだった。


「まだ気持ち悪いの?」


「ええ。・・・そうめんなら比較的食べやすいけど、吐き気が治まらないわ」と柴崎さん。


「お酒を飲むと体の水分と糖分が減るらしいから、甘い飲み物を摂ったらいいかもね」と私はいいかげんな助言をした。医学的に正しいかよくわからない。


「おばあちゃん、冷えたサイダーをちょうだい」私の言葉を信じて柴崎さんがおばあさんに頼む。


おばあさんが冷蔵庫から三ツ矢サイダーを持ってくると、二杯のコップに注いで坂田さんと一緒にすすり始めた。


「ちょっと落ち着いてきたみたい」と坂田さん。そんなにすぐに効かないと思うけど。


そのときおじいさんが帰って来た。座卓の前に座っておばあさんが用意したそうめんのつゆを受け取ったときに、


「おじいちゃんが見た妖怪は泥棒で、あのとき人形が盗まれたみたいよ!」と柴崎さんが言った。


「人形?・・・どこにそんなもんが?」と心当たりがなかったようなので、大きな市松人形が物置部屋の長持ちの中にしまってあったらしいこと、おじいさんが見た妖怪の体はその人形の体と考えられることを私が説明した。


「そんなものを盗みに入ってたのか」愕然とするおじいさん。


「あることを知らなかった人形など、盗られてもかまわんが」


「そんなことないわよ。高さが一メートルもあるような市松人形なら、安くても十万円以上するんじゃない?」と柴崎さんが言った。


「じゅ、十万?」驚くおじいさん。


「だから、警察に届けた方がいいわよ」


「・・・だが、盗まれた日、つまり妖怪を見た日から半年以上経ってるぞ。今さら警察に届けて、まともに取り合ってくれるかのう?」


「盗難に気づいたのが今日なら、出してもかまわないと思います」と私は言った。


「ただ、盗まれた人形が戻って来るかわかりませんが・・・」既に売り払われているのかもしれない。


「犯罪者を野放しにすると、別の人まで被害に遭うわよ、おじいちゃん。だから、面倒でも盗難届だけは出しておいた方がいいって」と柴崎さんが主張した。


「わ、わかった。飯を食ったら駐在所に行って話してみるか。・・・藤野さんだったかな、一緒について来てもらえるかの?」


「わかりました。私も警察の人に事情を説明してみます」と私は言った。


おじいさんは昼食を終えると、軽トラックを出して来た。駐在所は駅の近くにあるそうだ。白井さんも柴崎さんも坂田さんも行きたがったので、白井さんが助手席に座り、私たち三人は荷台に乗った。


まもなく軽トラックが発車する。舗装されていない道を小刻みに揺れながら進むうちに、柴崎さんと坂田さんの顔色が悪くなってきた。


「また気持ち悪くなったの?」と聞くと、二人とも声を出さずにうなずいた。


三十分くらいかけて駐在所前に到着する。道端に軽トラックを停めると、柴崎さんと坂田さんはふらふらしながら荷台から降りた。


「そこのお店で、ラムネでも買って飲んでるわ」と柴崎さんが言って、坂田さんと一緒に軽トラックから離れて行く。何をしに来たんだろう?


「おや、荒木さんじゃないか?」と駐在所の中にいた駐在さんがおじいさんに声をかけた。知り合いのようだ。


「また妖怪でも出たのかい?」とからかう駐在さん。


「実はその妖怪のことなんだが、この娘さんがあれが泥棒だったことを調べてくれたんだ」とおじいさんが話すと、駐在さんはとても驚いていた。


「この娘さんは?」と私を見ながらおじいさんに聞く駐在さん。


「孫娘の友だちで、賢い娘さんらしい」


「私は藤野美知子と申します。実はおじいさんのお孫さんの、こちらにいる白井さんに例の妖怪のことを相談されまして、遊びに来たついでに調べてみたら、大きな人形がなくなった痕跡を見つけたんです」


私はそう説明してスケッチブックを出した。


「首が取れた人形の上に泥棒の顔があって、それを見たおじいさんが妖怪だと誤解してしまったと思います。おじいさんの記憶にある泥棒の顔がこちらです」


じっくりと私が描いた似顔絵を見つめる駐在さん。そして私の顔を見た。


「あんた、絵がうまいね。・・・だが、今の犯罪捜査ではモンタージュ写真を使い、似顔絵を利用することはないんだ」と駐在さんが言った。


「モンタージュ写真?・・・それはどんな写真ですか?」


「わしも説明を聞いただけだが、人間の顔の写真を目、鼻、口などの高さで分割して、いろいろ組み合わせるんだ。そして犯人に一番よく似ている組合せの写真を捜査に使うんだ」


「へ〜」と私は感心した。


「とりあえず荒木さんには盗難届を出してもらい、この絵を付けて本署に送っておくが、時間が経っているから人形は戻って来ないかもしれんぞ」と駐在さん。


「それはかまわん」とおじいさんは答えた。「ただ、泥棒に入られたことを黙っていたら良くないと孫たちに言われてな」


「高価な人形だったら都会で売り払われて、犯人もこの県にはおらんだろうなあ」と遠い目をする駐在さん。あまりまじめに捜査する気はなさそうだ。


「ただ、人形は修理が必要な状態かもしれません。市松人形を修理できるところを調べるといいかもしれませんね」とだけ言っておいた。


そう言えば一色が刑事さんとも交流があることを聞いた。一色に相談してみようかな?


おじいさんが盗難届に、盗まれた日(妖怪を見た日)、保管していた場所(二階の物置部屋)、保管していた期間(終戦直後から去年まで)、盗まれたと気づいた日(今日)、盗まれた人形の情報(男の子の着物を着た市松人形で、価格は十万円以上)を書いていった。ちなみに人形の情報は推測だ。


最後にハンコを押すと、おじいさんは駐在さんにあいさつして駐在所を出た。


前の道路に停めてある軽トラックの横で、柴崎さんと坂田さんがラムネを飲んでいた。


「終わったの?」と聞く柴崎さん。


「一応盗難届は出してきたわ。私が描いた似顔絵も一枚置いてきた」と私は言った。


「ごくろうさま〜」と坂田さん。


「ねえ、おじいちゃん、明日は湖まで行こうと思うんだけど」と柴崎さんがおじいさんに言った。


「軽トラックじゃきついぞ」とおじいさん。荷台に乗ることを言っているのだろう。


「だから鉄道で行った方がいい」


「は〜い」と素直に答える柴崎さん。


「藤野さんたちもラムネでも飲んだら?」と坂田さんが言った。まだすぐには軽トラックの荷台に乗りたくないのだろう。


私と白井さんとおじいさんは駐在所の近くにある、食料品や雑貨を売っている小さな酒屋に入った。そこで私と白井さんはカップアイスクリームを買い、軽トラックの荷台に座って木のさじで冷たいアイスを口に入れた。


「冷たくておいしいね〜」と言って白井さんと笑い合う。


おじいさんもラムネを飲んでいた。一息つくと再び軽トラックに乗って家を目指す。


荷台の上で柴崎さんが、「これで犯人が捕まって、人形が戻ればいいわね」と言った。


おじいさんの家に着くと、柴崎さんと坂田さんはまだ体調が回復していないらしく、客間でごろごろしていた。おじいさんはまた畑の方に出て行った。


私が約束通り白井さんの似顔絵を描いていると、突然家の外から悪魔のような悲鳴が聞こえた。これにはさすがに柴崎さんと坂田さんも飛び起きて、家の外に向かった。


「こ、今度はほんとうに妖怪が出たんじゃないかしら?」とおびえる白井さん。


それでも私に続いて白井さんも靴を履いて庭先に出た。


「きゃ〜!」その瞬間、叫び声を揚げる白井さん。私もその光景を見て硬直してしまった。


首を半分切られた鶏が、頭を片側に傾けながら、血を噴き出しつつこちらに走って来たのだ。


その鶏は私の目の前で地面に倒れ、そのまま絶命した。


「すまん、すまん」と、血の付いたなたを持ったおじいさんが小走りで近づいて来た。おじいさんの様子もちょっとしたホラーだ。


「夕飯用に飼っている鶏を絞めようとしたら、首を切り損なって逃げられた」


「怖いじゃない、おじいちゃん。小夜なんか青ざめて、今にも倒れそうよ」と柴崎さんが言った。


私は白井さんが倒れないよう肩をそっと抱いた。


「これをどうするんですか?」と意外に平気な坂田さんが聞いた。


「首を切り落としたら、しばらく逆さ吊りにして血を抜くんだ。血抜きが終わればお湯にくぐらせて羽毛をむしり取る。そして肉と内臓を切り分けるんだ」とおじいさんが淡々と説明してくれた。


柴崎さんと坂田さんがその作業を見たがったので、私は白井さんをつれて家の中に戻った。そしておばあさんに冷たい麦茶を出してもらった。


白井さんは精神的ショックを受けていたが、しばらくしたら落ち着いてきた。そこで私は松葉女子高校の夏休みの宿題に話題を振った。


「私が二年生のとき、一学期に作った白いブラウスに合うスカートを縫ってくるって夏休みの宿題があったけど、白井さんの宿題は?」


「私たちも同じです」


「もう手をつけているの?」


「いえ、まだです。生地だけは買っておきましたが」


「どんなのを作ろうと考えているの?」


「プリーツスカートです」・・・ひだ付きのスカートだ。私がかつて作ったフレアスカートよりも手間がかかるやつだ。


「そのスカートと一学期に縫ったブラウスを着て先生に見てもらうんでしょ?」


「そうです。藤野先輩もそうでしたか?」


「ええ。・・・ただ私は赤いハンカチと一緒にブラウスを洗っちゃって、ブラウスがピンク色に染まってしまったの。スカートは元々ピンク色だったから、全身ピンクになったところを見られて、とても恥ずかしい思いをしたわ」


「藤野先輩でも失敗することがあるんですね」いえ、失敗はしょっちゅうです。


「ずっと忘れない思い出になるからいいですね」今でもたまに悪夢を見ます。


そんなことを話していると、柴崎さんたちが帰って来た。客間には寄らずに直接台所に行くようだ。


料理にはちょっと興味があったものの、白井さんにはショックだろうから、夕飯のことは話さないように努めていたが、次第にいい匂いが漂ってきた。


その日の夕飯は、鶏肉の水炊きと砂肝の炒め物だった。夏場に鍋は暑かったが、ポン酢で食べる水炊きはとてもおいしく、汗を拭きながら堪能した。


地鶏の肉はブロイラーよりも弾力があるが、咬めば咬むほど味が滲み出てくるようで、とてもおいしかった。


コリコリした砂肝も味付けが絶妙でおいしかった。ニンニクを使っているようだ。


白井さんは食が進むかな?と心配したが、料理はおいしそうに食べていた。


「やっぱり夏場は冷えたビールね」と言って柴崎さんと坂田さんはおじいさんと一緒にコップに注いだ瓶ビールを飲んでいた。今日一日二日酔いで苦しんでいたのにまた飲むのか、とあきれてしまう。


明日は遊びに出るので体調は万全でいてくれと、麦茶をすすりながら心の中で願った。

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