第12話 東北の妖怪(一寸法師)(2・旅行)

短大の夏休み前の試験が終わった。答案を何とか書けたと思う。点数が合格点未満なら再試験があるらしいが、補習はないということなので安心する。


八月一日金曜日の夕方に下宿を出て、一週間ぶりに両親が待つ家に帰った。


「お帰りなさい」と迎えてくれる母。


私は両親に、「前に言ったようにあさっての朝から東北にある柴崎さんのおじいさんの家へ遊びに行くからね」と改めて断った。


「ちゃんと手みやげを持って行きなさいよ」と注意される。


「明日、買って来るわ」明日は丸一日旅行の準備をする予定だ。


「人様の家で粗相をするんじゃないぞ」と注意する父。「それから夜遊びなんてするなよ。男に誘われてもついて行くな」


「わかってます。・・・それから黒田先輩に誘われて英語研究会に入部したんだけど、八月二十五日から二十九日まで英語を勉強するための合宿があるの。合宿代はいずれバイトをして返すから、少し立て替えてもらえない?」と両親に頼む。


「どこで合宿するんだ?」


「横浜だって」


「男に声をかけられてもついて行くんじゃないぞ」と同じような忠告をする父。「はいはい」と答えておく。


「英語の勉強の足しになるのなら援助はするけど、夏休みなのにあまり家にいないのね」と母にあきれられる。


「九月の前半はずっと家にいる予定だから」と言っておく。


「それにしても、短大に行ったらこんなに出歩くようになるなんて」


「それだけ社会に近いということだろうが、男には・・・」「はいはい」


その後、私は旅行の準備を進め、手みやげのお菓子(最中もなか)も買った。最初、手みやげは日持ちがしそうな草加せんべいにしようと思ったが、柴崎さんの祖父母が歯が悪いといけないので最中もなかに変えた。一週間ぐらいはもつだろう。


そして日曜日の朝、両親に「行ってきます」と断って家を出た。八時前に駅に着く。


来たときはまだ誰もいなかったが、まもなく柴崎さんと白井さんと坂田さんが旅行鞄を持って現れた。


「おはよう、今日はよろしくね」「おはよう」「おはようございます」「おはよう」とあいさつを交わす。


柴崎さんが四人分の切符を買ってくれ、改札を抜けてホームに入った。


「坂田さんも旅費を出してもらうの?」


「坂田さんだけ負担させるのも悪いからね。その代わり坂田さんには藤野さんの助手をしてもらうから、こき使っていいわよ」と柴崎さん。


「何でもご用をお申しつけください」と頭を下げる坂田さん。この調子で続けるのかな?


その時ホームに電車が入って来た。四人で電車に乗る。


「それで今日の予定だけど、電車を乗り継いで上野駅に行き、東北本線の普通列車に乗り換えるのよ」


「普通列車?特急や急行には乗らないの?」と坂田さんが驚いた。


「お金かかるからね。・・・のんびりした旅行を楽しんで」と柴崎さん。


「いつ頃おじいさんの家に着くの?」と聞くと、


「夕方の予定」と言われた。まだ朝の八時過ぎなのに・・・。


そのとき柴崎さんが鞄からレポート用紙を出した。


「私の母と叔母、つまり小夜の母親から子ども部屋について聞いたことをまとめてきたわ。読む?」


「とりあえず読ませて」と言って受け取る。


私がレポートを読んでいる間、三人はおしゃべりをして楽しそうだった。しかし私はレポートの内容に意識を集中させた。


柴崎さんと白井さんの母方の祖父母の家は、戦前は地主だったらしい。大地主というほどではなかったが、それでも小作人を何人も抱えていた。


小作人や親戚やらがしょっちゅう家に来るので、そこそこ広い母屋(平屋だった)にはいつも多くの人がいたと言う。


そこで柴崎さんの祖父と曾祖父は、幼い姉妹、つまり子ども時代の柴崎さんの母親と白井さんの母親が気楽に過ごせるように、屋根裏に子ども部屋を作り、狭くて急な階段を設置した。姉妹は家を出るまでその子ども部屋で過ごしたそうだ。


祖父母の家は農村地帯にあったので、戦争中は大きな被害を受けることはなかったが、近くの村に疎開児童が来たりして戦争の怖さをひしひしと感じ取っていたそうだ。


昭和二十年に終戦を迎えると都会では深刻な食糧不足に陥り、祖父母の家にも都会からわざわざ米や野菜の買い出しに人が押しかけて来たそうだ。そういう人たちは食糧代として着物や骨董品を置いていった。柴崎さんの母は縁側に食糧代として受け取ったたくさんの荷物が乱雑に置かれていたのを未だに覚えているという。


柴崎さんの祖父母や曾祖父母はもともと骨董には興味がなかったので、これらの価値がわからないまま当時敷地内にあった土蔵にしまった。


食糧の買い出しは翌昭和二十一年も続き、昭和二十二年頃からだんだん落ち着いてきた。しかし同年より農地改革が始まり、祖父母が持っていた小作地が国に買い取られ、小作人に売却された。当時のインフレのためほとんどただ同然で土地を取られ、その後は家族で細々と残った土地を耕す生活になった。


この頃、買い出しの食糧代として受け取った着物や骨董品の一部を売却したそうだが、あまり高くは売れなかったらしい。


残った骨董品の類いは価値がわからないまま土蔵にしまわれ続けた。そして柴崎さんの母親と白井さんの母親が嫁いで家を出た頃に土蔵が傷んできたので、中に入っていた物を子供部屋に移し、物置部屋として使うようになった。柴崎さんや白井さんが祖父母の家に遊びに行った時は一階で寝泊まりし、二階の物置部屋に入ることはほとんどなかったそうだ。


以上の経緯から物置部屋(旧子ども部屋)に置かれている箱の中にどのような物が入っていたのか、それが価値のある物だったのか、祖父母も柴崎さんの母親姉妹もよく知らないということだった。


私がレポートを読んでいろいろ考えているうちに電車はターミナル駅に着いた。その駅で乗り換えて上野駅に向かう。


上野駅に到着すると売店で駅弁、お菓子、飲み物を買った。そして東北本線のホームに移動し、下りの普通列車のボックス席に向かい合わせで座った。


駅弁は普通の幕の内だ。飲み物はファンタ・グレープの三百五十ミリリットル缶を買った。この太い缶入り清涼飲料水は、量が多くて飲み切るのに時間がかかるので、旅行に持って行くのにちょうど良かった。


お菓子はミルクキャラメルとチョコレートを買った。チョコは最初「大きいことはいいことだ」というCMソングで有名なエールチョコレートにしようと思ったが、結局板チョコより食べやすいポッキーにした。ついでに酢昆布も買った。


お菓子を持って電車に乗ると気分が高揚する。「東北方面への旅行は初めて」と言うと、坂田さんも「そうね。沿線の風景が楽しみだわ」と言った。


間もなく発車ベルが鳴って電車が上野駅から発車した。電車に揺られながら車窓を眺める。さすがに都内なのでビルしか見えない。そこで白井さんに話しかけた。


「白井さんは何組なの?」


「私は二年三組です」


「じゃあ、二組の森田茂子はあまり知らないのね?その子は美術部の後輩なの」


「森田さんですか?名前を聞いただけでは顔を思い出せません」


よそのクラスの子なんて、そんなものかな?


「ところでろくろっ首の正体がわかったのよ!」と柴崎さんが私に言った。ろくろっ首とは一月に柴崎さんが自宅で見たと言った妖怪のことだ(第5章第2話参照)。


「藤野さんが推理したように、あのろくろっ首は下の兄の彼女だったのよ!」


柴崎さんは改めてろくろっ首みたいな宙に浮く女の顔を見たこと、私に相談したら、喪服を着た兄の彼女を目撃したんじゃないかと解き明かしてくれたことを説明した。


「そして春休み中にそのろくろっ首の女性がうちに来たのよ!」


「そうだったの」


「名前は倉田舞子さん。舞子さんはやっぱり兄がつきあっている彼女だったんだけど、お正月頃に両親が事故で亡くなったらしいの。悲嘆にくれながらもお葬式を開いたところ、借金取りが押し寄せて来たんだって。金がないなら、体で払えとかまで言われたそうよ」


「ひどい話ねえ・・」


「兄がそのお葬式に参列していて、舞子さんが危ないと思って借金取りの目を盗んで我が家につれて帰ったそうなの。でも、舞子さんはやっぱり迷惑をかけられないと思って、夜中に兄と別れ話をしようと階段を昇って来たところを私に目撃されたというわけ」


「ほぼ藤野さんの推理通りだったのね。それでどうしたの?」と聞く坂田さん。


「結局舞子さんはその夜は家にいて、翌朝、舞子さんに同情した父が兄たちと一緒に出かけて遺産の相続放棄の手続きなどを進めたそうよ。それで借金を払う義務はなくなったんだけど、何も相続できないから住む家もなくなったの。そこで将来兄と結婚するという約束で、うちに行儀見習いという名目で住むことになったの」


「やっぱりロマンチックな結末だったのね」と坂田さんが感嘆した。


「それはいいんだけど、上の兄が家に帰って来た時に舞子さんを気に入って、まだ大学生の弟にはまかせられない、俺が嫁にもらうとか言い出して、大変だったのよ」


「兄弟で一人の女性を取り合い?それこそ小説みたい」と坂田さん。


「まあ、結局舞子さんが、今つき合っている下の兄が就職するのを待つってことで決着がついたけどね」


「舞子さんは、柴崎さんに顔を見られた時のことを何か言ってた?」と坂田さんが聞いた。


「私が急に部屋のドアを開けてびっくりしたらしいけど、暗かったし、私がすぐにドアを閉めたから気づかれなかったと思ったって。・・・家族も、受験勉強中の私にはしばらく知らせないようにしようと思ったそうよ。すべて藤野さんの推理通りだったわ」


「さすがは妖怪ハンターね!」と感嘆する坂田さん。


「おじいさんの家のこともよろしくお願いします」と白井さんも言った。


それから柴崎さんと坂田さんは徳方大学の幼児教育研究部という部活の話をしていた。


坂田さんは私と同じ秋花しゅうか女子短大の家政学科に入学し、私も所属している英語研究会に入っている。


坂田さんは将来は幼稚園の先生になることを考えているので、柴崎さんに誘われて徳方大学の幼児教育研究部にも参加した。坂田さん以外にも徳方大学以外の学生の部員がいて、一緒に活動をしているようだ。幼稚園や保育園を回って、お芝居を披露したり、園児と一緒にお遊戯をするなどの活動をしているとのことだった。


その活動中に坂田さんは柴崎さんからおじいさんの家に私が行くことを聞かされて、一緒に行かないかと誘われた。坂田さんがすぐに承諾したことは言うまでもない。


それから女子高の同級生だった一色が法医学の先生と交際しているという噂で盛り上がった。噂の出どころは同じく同級生だった齋藤さんと佐藤さんで、一色の家にお相手の男性が訪問したことまで知っていたそうだ。


「あの一色さんがねえ」と柴崎さん。


「女子高時代は探偵気取りだったのに」と坂田さんも言った。


「あの、『ほういがく』って何ですか?物を置く位置の方位を占う学問なんでしょうか?」と白井さんが聞いた。


「犯罪の被害者を解剖して、死因などを調べる学問だったかしら」と柴崎さんが言って、白井さんが震えあがった。


「そんな人と知り合いになるなんて、一色さんらしいわね」と私も感想を述べた。


「さらに警視庁の刑事さんとも知り合いになって、犯罪捜査の助言をしているとも聞いたわ」と坂田さん。


「ほんとうに、小説に出てくるような探偵になったのね」事件の推理をしている一色の生き生きとした顔が脳裏に浮かんだ。


やがて電車が大宮を過ぎると、沿線に少しずつ緑が増えてきた。東北本線沿いは人家が多いせいか急に風景が変わったわけではなかったが、東京を離れたことを実感して感慨にふけった。


「どこかで蒸気機関車が引く列車に乗り換えるの?」と柴崎さんに聞く。


「蒸気機関車?東北本線は去年全線が電化されたから、蒸気機関車は走ってないわよ」と言われてちょっとがっかりする。


利根川を越えたあたりで柴崎さんが「そろそろお弁当にしようか?」と言った。


みんなで駅弁を広げる。駅弁を食べるのは修学旅行以来だが、やっぱり風情があっていい。車窓に目をやると木々が多くなっており、目に優しかった。開け放した窓から入る夏の風も心地良かった。


お弁当を食べ終わると四人でトランプをして遊んだ。合間にお菓子を分け合って口に入れる。この間は妖怪だか一寸法師だかのことはすっかり忘れていた。


遊び疲れた頃に電車は大きな駅に着いた。ここで支線に乗り換えるようだ。


荷物を抱えて急いで電車を降りると、跨線橋を渡って別のホームに移動した。そこに停まっている電車に乗り換えて席を確保する。


「割と席が空いているから助かるわ」と言うと、


「みんなが車に乗るようになったからね、鉄道を利用している人が減ってるのよ」と柴崎さんが教えてくれた。


乗客が減ると赤字路線になる。そうなると電車の本数が減らされるし、へたすれば廃線になってしまう。


車で旅行するのもいいけれど、鉄道がなくなるのはやっぱり寂しい。もし今、お金と時間に余裕があれば、全国の鉄道路線を巡る旅に出かけてみたいとしみじみ思った。


乗っていた電車が山中のとある駅で停車すると、突然反対方向に動き出して驚いた。


「あれ?もう終点で折り返し?こんな山の中で?」と私と坂田さんはあせったが、すぐに電車が停まって、再び元の方向に進み出した。何だったんだろう?


「ここではいつもこうだから気にする必要はないわよ」と柴崎さん。


「なんでバックするのかよくわからないけど」と、鉄道には興味がなさそうな柴崎さんが言って、白井さんもうなずいていた。


まもなく電車は山中を抜け、左手に湖の水面が見えた。そのまま湖岸に沿って電車が走り、盆地に抜ける。そこをさらに進んでいくつかの駅を通過し、ようやく柴崎さんたちのおじいさんの家に近い、目的地の駅に着いた。

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