第30話 試着室殺人事件<動機編>

その数日後に立花先生を介して島本刑事からお誘いがあった。


「島本刑事から犯人である渡邉志津子の実家に聞き込みに行くけど、僕たちも同行しないかと誘われている」


「平日ですか?講義を休めるなら休んで同行します」と私は答えた。


その日になると私は立花先生と島本刑事と落ち合い、電車に乗って海辺の漁村を訪れた。ここが渡邉志津子の生まれ故郷らしい。


「実家には母親がひとりでいるようだ。父親は先年亡くなったらしい」と島本刑事。


「私たちもついて行っていいんですか?」と今さらながらのことを聞いた。


「尋問じゃなく、生い立ちを確認するだけだから問題はないよ。君たちは僕の助手という顔をしていてほしい」


島本刑事のメモを頼りにしばらく歩くと、やがて古びた一軒家に到着した。玄関の引き戸を少し開けて島本刑事が声をかける。


「渡邉さん、いますか?東京から来た島本です」・・・警察とか刑事とか言わないのは近所の耳を気にしてのことだろう。


すると家の奥から女性が出て来た。かなりやつれ、白髪も多く、最初は老婆かと思ったが、それほどの高齢ではなさそうだった。


「このたびは娘がご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げる女性。


「どうぞ、頭を上げてください」と物腰柔らかく話しかける島本刑事。


「少しお話を伺いたいので、あがってもよろしいでしょうか?・・・あ、後の二人も関係者です」と私と立花先生を紹介する。


「どうぞ。・・・汚いところですが」と言って母親は私たちを招き入れた。


狭い和室に正座すると、すぐに母親がお茶を出そうとした。


「どうぞおかまいなく」と声をかける島本刑事。しかし母親は茶碗三つに煎茶を注ぐと、私たちの前にひとつずつ置いた。


私たちの前に座る母親に、さっそく島本刑事が話しかける。


「志津子さんは今回亡くなられた女性、太田由子おおたよしこさんとは中学時代の同級生で、太田さんからいじめを受けていたことを知っていましたか?」


「・・・最初は気づきませんでした。志津子は私たち親には何も言わず、普通に生活していました」


「いじめに気づいたのはいつですか?」


「それは志津子が妹の美津子みつこの首を絞めた時です」と母親が言ったので私たちは仰天した。


「そ、その時の状況を詳しく教えてください」


「はい。あれは志津子が中学一年生、美津子が小学六年生の時でした。その日私と娘二人は自宅におりました」そう言って母親はやつれた顔を上げた。


「私が台所に立っていると、突然がたがたっと大きな物音がしました。私が振り返ると、志津子が美津子の上に乗りかかって首を絞めていたのです。その時まで普通に会話していて、けんかなどしていなかったのでわけがわかりませんでした」


「何の前触れもなく?・・・続けてください」と促す島本刑事。


「私はあわてて美津子から志津子の体を引き離しました。『何をしているの!』と私が叱ると、志津子は狂気じみた目で私を見ました。『由子よしこがいじめる。今度は美津子をいじめると言っている。いじめられる前に私が楽にしてあげる』というようなことを何度もわめき散らしていました」


「それは大変なことに・・・。それでどうしましたか?」


「私はこれは尋常ではないと悟って、美津子には兄の家に行くよう言い、私は志津子の手を引いて中学校の担任の先生の家に行きました。そこで志津子が泣きながら太田の娘にいじめられていると話しました。すると先生は『わかった、俺に任せろ』と言って、すぐに太田の家に話をつけに行ってくれました」


「熱血漢の良い先生だったのですね」


「体罰をよくしましたが、正義感の強い先生で、私たち親は信頼していました」


「それでいじめは収まったのですか?」


「はい。先生の強い叱責に太田の娘もいじめを認め、さらに私たちに謝罪させました。狭い村ですからすぐに噂は広まり、まもなく太田の家は引っ越して行きました」


「それは良かったですね。それで元の平穏な生活に戻りましたか?」


「それが・・・」と言葉を濁す母親。


「美津子は姉に殺されかけたことがあまりにも恐ろしかったようで、そのまま兄の家から帰りたがりませんでした。そのうちに志津子の様子が変わっていきました」


「どう変わりましたか?」


「美津子が太田の娘にいじめられて自殺したと言うようになったのです」


「え?」と聞き返す島本刑事。「志津子さんから聞いた話ですが、美津子さんのいじめによる自殺というのはなかったのですか?」


「はい。美津子は太田の娘にいじめられておりません。いじめられる前に志津子が錯乱したのです。しかし私が美津子は死んでないし、いじめられてもいないと言っても志津子は信じませんでした。美津子が家にいないことからそう思い込んだのでしょうか?」


「先生、これはどういうことでしょう?」と私は立花先生に聞いた。


「ひどいいじめで精神錯乱を起こして妹を殺しかけた。・・・今度はそのことが心に深い傷を負わせ、妹の首を絞めた事実を頭の中から消し去ったのかもしれない」


「記憶がなくなると言うことですか?」


「そう。人はあまりにもつらい経験をすると、それを忘れてしまい、まったく思い出せなくなることがあるんだ。脳の自己防衛機能かもしれない」


「でも、志津子さんは妹がいじめで自殺したという嘘の記憶を持っていますね?」


「部分的な記憶喪失が起こると、その空白を埋めるために偽の記憶が作り出されることがある。記憶錯誤とか作話とか呼ばれる症状だね。精神疾患で生じる妄想とは違い、記憶の修正は可能なはずだけど・・・」と立花先生は言って母親の方を見た。


「志津子さんを病院の精神科で診てもらいましたか?」


「脳病院ですか?そんな、体裁が悪い・・・」とうめく母親。精神科病院に対する偏見があるようだ。


「志津子さんは精神疾患ではありませんよ。おそらくは外傷性神経症だと思います」と立花先生が言って私の方を向いた。


「ここでいう『外傷』とは、体のけがではなく恐怖体験のような精神的ショックのことなんだ。それが志津子さんの記憶障害の原因になったと思う」


「妹さんはその後この家に帰って来たんですか?そして志津子さんの記憶錯誤は治らなかったんですか?」と島本刑事が聞いた。


「美津子はこの家に帰りたがらなかったので、やむをえず兄の家で暮らすことになり、まもなく兄の養女にしてもらいました。その方が美津子のためには良いと考えたからです。志津子はその後も美津子が自殺したと思い込んでいました」と母親が述べた。


「妹さんは今はどうしておられますか?」


「美津子はつい最近自殺しました」と母親が言って私たちは再び驚愕した。


「え?志津子さんに首を絞められてから何年も経ってからですか?なぜ自殺なんか?」


「詳しいことは兄に聞いてください。私にはわかりません」


そこで島本刑事は母親に兄の家の住所を聞き、お礼を言って渡邉家を後にした。


志津子の母親の兄の家である金村家を訪れると、美津子の養父母、つまり志津子の伯父と伯母が在宅していた。島本刑事が訪問理由を告げると、歓迎はされなかったものの家の中に招き入れてくれた。


「志津子のことは聞きました。こんなことを起こすとは・・・」と苦悶の表情を浮かべる金村氏。


「それで、美津子のことを聞かれたいとのことですが、なぜですか?」


「志津子さんが中学時代に被害者である太田由子さんにいじめられ、それで錯乱して美津子さんに襲いかかり、その結果美津子さんが実家を離れて養女になったそうですね?その後の美津子さんと志津子さんとの関係がどうだったのか知りたいのです」


「それを聞いて何になるのですか?」


「志津子さんの犯行動機を解明する上で参考にします」と島本刑事が言うと、金村氏はしばらく考え込んでから話し出した。


「あの日、顔を上気させ、首を押さえている美津子が我が家に来ました。志津子に首を絞められたと聞き、姉を怖れている美津子をうちでしばらく預かることにしました」


「美津子さんの姉に対する恐怖は、時が経っても解消されなかったのですね?」


「そうです。太田の娘がいなくなって志津子も落ち着いてきましたが、妹が死んだと言い張る志津子を混乱させないためにも、美津子を怖がらせないためにも、我が家に美津子をずっと住まわせた方がいいという話になって、うちには子どもがいなかったから妹夫婦の許可を得て正式に養女にしたのです」


「美津子さんはその後も姉に接触しようとはしなかったのですか?」


「美津子は二度と志津子に会いたくないと言っていました。妹夫婦にはたまに会っていましたが、志津子に気づかれないように注意していました。志津子はあの騒動で一年留年し、翌年美津子が同じ中学に入学しました。田舎なもので行ける中学校がそこしかなかったのです。そこで学校側に説明して美津子と志津子を別のクラスにしてもらいました。実の姉妹なので二人は顔が似ていましたが、養女になって姓が変わっていた上に、中学校の生徒数が多かったこともあり、学校内では二人が姉妹だと気づく人はいなかっようです。また、親戚で集まる用事がある時は、美津子を自宅に残らせ、志津子と会わせないよう配慮してきました」


「そのまま高校へ進学し、今年の春に高校を卒業し、二人とも東京へ働きに出たのですね?」


「はい。ところが上京して間もなく美津子が死んだと警察から連絡が来ました。下宿で首を吊っていたそうです」


「なぜ自殺を?」


「理由は私らにもわかりません」つらそうな顔をする金村夫妻。


「ご遺体を確認に行かれましたか?」と私は口をはさんだ。私を見る金村氏。


「はい。・・・死んでから発見までに一週間近く経っていたようで、美津子の体は腐って膨れていました。でも、顔の面影をかろうじて確認できました」


「美津子さんは志津子さんの下宿の住所を知っていましたか?」と私はさらに聞いた。


「志津子の住所も勤務先も教えました。偶然会ってしまうことを避けるためです」


「わかりました。おつらいでしょうが、妹さんに付き添って一度志津子さんに面会してあげてください」と私は頭を下げた。


金村家を後にすると、私たちはそのまま駅に向かった。途中で、


「金村さんに面会を勧めたのはなぜなんだい?」と立花先生に聞かれた。


「特に理由はありません」と私は答えた。これ以上は根拠のない想像でしかない。




その何日か後に島本刑事が押しかけてきて、私は法医学教室に呼び出された。


「いや、驚いたよ」と開口一番意味不明なことを言う島本刑事。


「何に、ですか?」


「昨日、渡邉志津子の母親と叔父が拘置所に面会に来て、母親が会った瞬間、『あなた、美津子じゃない!?』と叫んだそうだ」


「え?金村美津子は四月に自殺したんじゃなかったのかい?」と聞き返す立花先生。


「どうやらその時死んでいたのは渡邉志津子だったらしい」


「わけがわからないよ。身元の確認はしたんだろう?」


「それが元々志津子と美津子は実の姉妹だから顔が似ていて、首を吊った方は腐敗していたから、養父母も美津子と誤認したようなんだ」


「ひょっとして一色さんは二人が入れ替わっていることに気づいていたのかい?」と私に聞く立花先生。


「いいえ。でも人の入れ替わりは探偵小説によくあるトリックですからね。そんなことも可能じゃないかと思ってはいました」


私は島本刑事の方を向いた。「ところで、志津子さんが首を吊っていた場所はどこだったんですか?」


「美津子の下宿だった。だから誰もが自殺したのは美津子だと思い込んでいた」


「なぜ美津子の下宿で志津子が自殺していたのでしょうか?」


「美津子の供述では、上京してすぐに姉の志津子に会いに行ったらしい。自分の首を絞めた理由を改めて聞き、その上で姉妹としてやり直したいと思ったと言っている」


「会って自分の下宿に招いたのですか?」


「そのようだね。姉の住所は知っていたから、自分が住んでいる所を教えるつもりだったんじゃないかな?」


「志津子の反応はどうだったんですか?」


「最初は困惑していたらしい。何せ妹の美津子は自殺したと思い込んでいたから。美津子は姉に落ち着くように言い、お茶菓子を買いに近所まで外出したそうだ。そして帰宅したら、志津子が鴨居に帯をかけて首を吊っていたのを発見したらしい」


「なぜ志津子さんは自殺したのでしょう?」


「さあ。わからない」と島本刑事。


「外傷性神経症の再燃じゃないかな?」と立花先生。


「志津子さんは自分の心を守るために妹の首を絞めたという忌まわしい記憶を封印し、妹が自殺したと記憶をすり替えた。ところが妹が自殺してなかったことを知り、封印した記憶が蘇ったのかも。そのため錯乱し、妹に対する贖罪のつもりで発作的に首を吊ったんじゃないかな?」


「じゃあ、なぜ美津子は志津子に成り代わったんだい?」と島本刑事が聞き返した。


「実の姉に殺されそうになった時に美津子も外傷性神経症に罹患したのかもしれない。軽症だったけど、姉の死体を見て一気に重症化した。そしてあの時自分が死んでいれば、姉が死ぬことはなかったと思い込んだんじゃないだろうか?」


「それが姉に成り済ますこととどう繋がるのでしょうか?」と私は聞いた。


「僕は精神科医でないからよくわからないけど、姉の人生をここで終わらせないために姉の下宿に住み着き、姉の勤務先に出勤した・・・」


「初出勤前だったから、職場の人をごまかすことができたんですね」


「死んだ姉が自分と間違われることまでは考えてなかったのかもしれないね」


「美津子さんは自分が志津子さんだと信じ込んでいるのでしょうか?」と私は島本刑事に聞いた。


「面会の後で取調べた時には、自分は美津子であり志津子でもあると言っていた。同時に、美津子も志津子も死んだとも言っていた」と島本刑事が答えた。


「そんな時に太田由子が現れた。美津子はどう思ったのだろう?姉と自分を長年苦しめ、死に追いやった相手だとみなしたのかもしれない」


「志津子さんに成り済ましていた美津子さんは太田由子さんに従うふりをして殺人の準備を進めていたのかもしれませんね。すぐに万引きを告発したら、太田由子さんとの接点がなくなりますから」と私は感想を述べた。


「犯人の精神が異常をきたしている可能性がある場合、裁判の前に精神鑑定をしますよね?」と私は立花先生に聞いた。


「そうだね。犯罪を犯した時点で精神に異常をきたしており、責任能力がないと診断されれば罪を問えないことになる」


「なら、美津子さんは精神鑑定の結果次第で無罪と判決されることがあるのでしょうか?」


「殺人の準備を周到にしていたのなら、責任能力がなかったとまでは裁判官は判断しないだろうな」と島本刑事が口をはさんだ。

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