第10話 農家の青年アリと考古学者キャロル

  その一か月ほど前、オーツピエ国の穀倉地域で小規模な小麦農家を営むアリは朝から畑に出てその日の農作業の準備を進めていた。

 アリは主食であるアエーシの原料となる小麦を生産している。もう一月もたつとこの畑で小麦の収穫が始まる。今年はここまで順調に作物が実っていてこの数年で一番良い収穫となるかもしれない。

 しかし嫌な予感があった。隣の家の隣の家のアキールが彼の家の畑で悪魔バッタを見たと言うのだ。そのバッタは赤銅色でその赤みがかった背中の羽に不気味な文様がある。悪魔のバッタはこのあたりの言い伝えによると、何百年かに一度大発生し、畑の小麦を喰い尽すと言う。そして3年ほど前から近隣で現れているらしい。それが小麦畑で飛び交い始めるとものの数時間で畑の小麦が跡形もなくなると言う。

 アリは昨年亡くなった父の跡を継いで今年から畑仕事の一切の責任者として、ここまで何とか小麦を育ててきた。今年の小麦は何が何でも育てきらなくてはならない。

もし悪魔バッタが畑に現れて、小麦を食い荒らすのであれば命を掛けてもそれらを殺してしまおうと思った。アリは強い思いで悪魔バッタの殲滅方法を毎日考えていた。

収穫作業を明日に控えた夜、彼は不思議な夢を見た。

 夢の中でアリはいつものように畑に出て広々した麦畑を眺めていると目の前に灰色の影が現れた。その影はやがて人の姿となった。それは死んだ父親に似ていた。父親は右腕で重そうな石板を掲げ、左腕で西の方向を指した。その時突如何かが彼の頬にぶつかり、アリは目を覚ました。それは開けてあった窓から飛び込んだ赤銅色のバッタであった。


 キャロル・ワルターの研究室は研究所のコンクリートの平屋建ての建物の入り口のすぐそばにあった。中は遺跡から発掘した石や木の破片などが所狭しと置いてある。奥にデスクトップパソコンを載せた執務机があって、その前に髪の毛を無造作に後ろでまとめた、Tシャツに作業ズボンのキャロルが時々ずり落ちそうな眼鏡の位置を直しながら何か書類を読んでいた。

 その日、キャロルはアリから相談したいことがあるので訪問したいという連絡を受けた。彼女は三年ほど前に古代文明の発掘をするキャンプで雑務のための助手としてまだ少年だったアリを雇ったことがあり、真面目で働き者の若者の相談を受けることにした。

 キャロルはドアを開けて入ってきたアリの姿を見ると、ちょっとの間に大人になった彼の姿を見て驚いた顔で言った。

「アリ君、大きくなったね。朝は電話ありがとう。電話はどうやってしたの」

アリは、少し照れたようにポケットからセルラ―ホンを取り出してキャロルに見せた。

「このセルラ―で。この前先生からもらった給料で買ったのです」

「凄いわね。さっき電話をもらった時、アリ君の村の共同電話からかなと思ったのだけど」

 アリは笑いながら言った。

「それは、いったい何時の話ですか。今は一家に一台はセルラ―があるんですよ。有線の電話はないんですけどね」

「そうなの。で、アリ君の持っているそれが電話で話していた石板ね」

「キャロル先生ならこれに書いてある事わかるかもしれないと思って持って来ました」

アリは懇願するような目つきでキャロルに石板を渡した。キャロルは渡された石板を見ながら言った。

「うーんそうね。この辺りで三千年以上前に使われていた文字で書いてあるようね。でもまだわかっていない字が多いのよ。これはどうかな」

 キャロルは暫く石板を眺めていた。アリの話のことを考えている内に、思い立ったことがあった。この地方では古来より悪魔のバッタを歌で駆除する言い伝えがある。

この石板にバッタ駆除の歌のことが書かれているのであれば、それを手掛かりに解読できるのではないだろうか。但、それは他の膨大なデーターとの照合作業などに多くの時間と人手を要するだろう。そしてバッタ駆除に関して仮説を組み立て検証し、また新たな仮説を構築する優れたセンスと知識が必要とされる。

「アリ君。これ少しの間貸しておいてくれる」

 そう言うとキャロルは先程まで読んでいた手紙をプリントアウトしたものに目を落とした。暫く前に、日本のアイシーという名のスタートアップ・カンパニーがAIを用いて古文書の解読を請け負うと言う主旨の手紙が来ていたのだ。

 それはキャロルにとっては、目新しく、画期的な結果をもたらす可能性があることを感じさせるものであった。それによってこの石板に刻まれた文の解読が成功すれば、考古学的に、そして現代にも通じる未知の古代技術の発見ということで大きな学術的成果をあげられるかもしれないのだ。

アリはキャロルがすでにその美しい顔にきりっとした決意の表情が現れたのを見て言った。

「どうぞ、よろしくお願いします。それは僕たちの先祖の言葉で、僕の父さんが僕に言い残せなかったことのようなのです」

 そういうとアリは立ち上がり研究室を後にした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る