第5話

 夜が怖いと思った事は今まで一度も無い。

 なんていうのはただの子どもの強がり。本当のところ夜、というか闇が怖かった。

 無意味に広い家でただ一人、手元にあるカンテラを片手に頼りない灯りで夜が明けるのを待つ。

 眠ってしまえば大して怖くはないが、眠るまでの間は大変だった。

 足下に転がっている物に躓いて転んだり、トイレに行く時に鏡を見て驚いてその場で粗相をしてしまった事もある。成長して大人になるにつれ、ダンゴはまだ子どもだと言うだろうが、大人になって怖くはなくなった。

 そう思っていたのだけれど――――。


「夜って、こんなに怖かったんだ」


 窓から入る月の光だけが唯一の灯りとなっているダンゴの家の中で、私は布団に包まった状態で震えていた。

 寒さから来る震えではない、恐怖から来る震えだった。

 大人になった今の私が、勇者として世界を救う為に旅立った勇者である私が、こんな幼子の時に感じていた既に克服したものが心の底から恐ろしいと思ってしまっていた。

 いや、怖いという感情に蓋をしていただけで克服したと思い込んでいただけなのかもしれない。

 それが仲間に裏切られた事で蓋が外れ、勇者になるという理想を剥がされた事で幼い時と何も変わっていない事を突き付けられた。

 暗闇は怖い、ひとりぼっちは怖い、そして裏切られるのはもっと怖い。

 そんな事はしないと分かっていても、もしかしたらダンゴが帰って来ないかもしれない。

 約束を破ってここに戻ってこないかもしれない。

 そんな考えが頭の中いっぱいに広がっていき、胸の動悸が激しくなる。


「早く…………帰って来ないかな?」

「なんだ。眠ってなかったんだ」


 心細さから出た弱音に応えたのは、自分が待ち侘びていたこの家の家主だった。


「あ、おかえり」

「ただいま。それで、僕の言い付けを守れず眠れなかった悪い子の言い訳が聞きたいなぁ」


 ダンゴはニヤニヤと人が見れば可愛いとしか思えないような笑みを浮かべながら尋ねてくる。

 本人としては精一杯の意地の悪い笑みかもしれないが、私からは可愛いとしか言いようがなかった。


「暗闇が怖いのとひとりぼっちが怖くて寝れなかった、って言ったら信じる?」

「信じる」


 間髪入れずにダンゴは頷く。


「布団に包まっているのを見れば寝ようとしてたのは本当だし、寝れない理由もありえない訳じゃないからね」

「…………ダンゴ。私の事、そんなに幼く思ってるの?」


 怖いのは不本意ではあるものの事実だし、言い返す事は出来ないがそこまで幼く見られているのだろうか?

 こう見えても13歳だというのに。


「違う違う。暗闇を怖いと思うのは人間として当たり前のことだからだよ」


 少しだけ不貞腐れた私にダンゴは笑みを浮かべながら呟く。


「人は夜闇を灯りを使う事で退けて来た。それは暗闇が怖いと言う人間の思いがあったからだ。だから闇を恐れるのはごく自然なことなんだ」


 子どもに教えるようにダンゴは優しく告げる。


「怖いという感情はとっても大切だ。それは笑うものじゃないし、むしろ大事にしておくべきものだ。恐怖があるからこそ勇気が生まれるんだから」

「恐怖があるから勇気…………?」


 それは、どういう事なんだろうか?

 恐怖と勇気は全く別の感情だと思うんだけど。


「ルーナにもいつか分かると思うよ。それで、眠れそうかい?」

「うん。何とか」


 何時の間にか身体の震えは止まっており、安心感から眠気が襲ってくる。

 ついさっきまで眠る事を忘れてしまったかのように眠れなかったにも関わらず、瞼が重くなってこれ以上目を開けていられなかった。

 あれだけ激しく鳴っていた胸の動悸も今では収まっている。

 まるで私の気のせいだったみたいだ。


「そっか」


 ダンゴは短く呟き、私の手を優しく握る。

 とても暖かい人の手だった。男の人の手とは思えない程に柔らかく、優しく、綺麗な手だった。


「子守唄でも歌うかい?」

「流石に遠慮する。と、いうか私の事幼く見過ぎ」

「ごめんごめん」


 そう言って笑うダンゴに少しだけ怒りたくなったが、襲い来る眠気に耐えられず私の意識は眠りに落ちていく。


「おやすみ――――」


 意識を手放す直前、最後に見たものは私を優しい瞳で見下ろすダンゴの姿だった。

 その姿に父親らしさを感じるのと同時に、彼は私を通して誰かを見ているような気がした。


   +++


 僕の手を握り締めて眠りについたルーナの姿を見下ろし、ホッと一息つく。

 戦いに行ってたのに気付かれたらどうしようかと考えてたけど、そんなことにならなくて良かった。

 僕の手を握るルーナの手を離し、彼女の頭を撫でる。

 安らかな寝息を立てて眠るルーナの姿を見て、過去の記憶を思い返してしまう。

 それはもう通り過ぎてしまった遥かな昔。僕が父親だった頃の記憶。


「本当にそっくり。当然と言えば当然だけど」


 失礼な話だと分かっては居るがルーナを自分の子どもと同一視してしまいかねない。

 あれからもう何年も経っているにも関わらずにだ。


「我がことながら本当に女々しい奴だよツキミ・ダンゴ。過去に思いを馳せ、懐かしむ資格なんて無いのに」


 引き出しの中にしまっていたチーズとワインが入った瓶を取り出し、コルクを抜いて封を開ける。

 瓶の中に入っていた液体をワイングラスに注いで呷る。


「まあ、それはそれとして…………思ってたよりも時間が掛かりそうだなぁ」


 つまみのチーズを食べながらさっきまでのルーナの様子を思い返す。

 僕がここに帰って来るまで彼女は眠る事が出来ないでいた。

 彼女を拾ってから今までの間、僕が彼女の傍から離れる事が無かったから発覚が遅れてしまった。

 本当に言い訳にもならない。


「心の傷は専門家ってわけじゃないからどうしたものか」


 流石にここまで危ない状態だとは思ってもみなかった。

 出来る事なら僕が居なくなっても元気でやっていけるようになってほしいんだけど。


「僕しか居ないこの状況もあまり良くないだろうし」


 傷付いた年頃の少女が大の男と二人暮らし――――こんななりだから大人として見られているかは正直不安だが、これが続くのは彼女の為にならない。

 と、いうか僕に依存して下さいって言ってるようなものだ。

 健全な成長には他者との関わり合いが必要不可欠。

 こんな僕以外人っ子一人居ない場所で過ごすよりかはずっとマシな筈だ。


「それにそろそろ買い出しもしとかないとだしね」


 僕一人ならチーズとワインがあればそれだけで幸福だが、ルーナはそういうわけにもいかない。

 保護者として栄養バランスとかしっかり考えた食事を取らせなくちゃ。

 飲み干したワイングラスに再びワインを注ぎながらチーズを食べ、これからの事を思案する。


「出来る事ならもう少しだけこの平和が続けば良いんだけど、そうもいかないよね」


 窓の外に視線を向け夜空を見上げる。

 空には相変わらず星は一つも無く、月だけしか浮かんでいない。

 しかし、不自然な紫色の瘴気のようなものが少しだけ漂っていた。

 それはこの前見た時よりも大きくなっているようにも見える。いや、実際に大きくなっていた。


「せめて彼女が立ち上がれるその時まで大人しくしていてほしいよ」


 例えそれがどれだけ弱々しいものであったとしても、他者から見ればどれだけ頼りないものだったとしても。

 ルーナならきっと立ち上がれると信じている。

 尤も、この信頼も彼女からしたら重いものでしかないのかもしれないが。

 そんな事を考えながらワインを呷り、夜が更けていくのを窓から見ていた。


   +++


「――――近くの村に買い物に行くけど、ルーナも一緒に来るよね?」


 ダンゴが作った朝食に舌鼓を打っていると、彼は唐突にそう言った。

 拒否権等無い、とまではいかないが私が断る事を想定していないような言葉だった。

 当然、断る理由も無い私は頷く。


「うん。良かった。じゃあ外出の準備をしなくちゃね」


 彼はニコニコと笑みを浮かべながら立ち上がり、小躍りしながらタンスに向かう。

 タンスを開けるとダンゴが普段着ている特徴的な黒い服が何着も入っていた。

 当然それだけじゃないが基本的には似たような服ばっかりで、後は私が着ているような何の特徴も無い普通の服ぐらいしかない。


「好きなんだね、その服」

「僕好みの改造長ランは無いからね。基本的に一張羅みたいなものだし、自作するしかなかったから」

「長、ラン…………ってのが何なのかは分からないけど、服を作れるんだ」


 鼻歌を歌いながら服を取り出していく彼を見て少しだけ笑う。

 ここで生活を始めてから結構経つけど、ダンゴは色々と出来る人だ。

 料理は勿論の事、裁縫に釣りに農業。果てには数学や魔法学についても精通している。

 戦う事しか知らない私と違って、彼は何でも出来る。

 恐らく、多分ではあるけど、戦う事だって私よりも出来る人だろう。


「はい、これ。プレゼントだよ」


 その事実に少しだけ悔しいって思っていると、ダンゴは笑みを浮かべながら私に服を差し出してきた。


「これは…………?」

「きみの服だよ。ここにあるのは僕の服だとサイズがちょっと大きいからね。ぶかぶかだと困るし、それに女の子だから可愛い服が良いと思ってさ」


 ダンゴから渡されたものを広げてみる。

 それはとても可愛らしく、女の子らしい服だった。

 色合いはダンゴが着ている服の色とは正反対で青、白、銀の三色で構成されており、フリルのついた非常にお洒落な服だった。


「これを、私に? 良いの?」

「良いよ良いよ。きみの為に作ったんだから。あ、その為にきみのサイズとか色々測ったのはごめんね」


 申し訳なさそうに言う彼の言葉が耳に入らないくらい、渡された服を見つめる。

 初めてだった。女の子扱いされた事とか、こんな可愛い服を着るとかもそうだけど――――、


「ありがとう、ありがとう。ダンゴ。大切にするよ」


 初めて人からプレゼントを貰った事がとても嬉しかった。

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