第10話 王軍
洞窟を抜けた一向は、下山の前に野営を挟み疲れを癒した。
結局山越えの間、人国軍の追手はなく、全員が無事に国境近くまで辿り着くことができた。
その後、森国についてはハイエルフたちの方が詳しいということで、隊列をハイエルフの兵を先頭に組み替える。
ラゼルディオ率いるハイエルフ兵の最後尾にサシュティアを挟み、レイドとアリオス率いる狼族の奴隷兵が続いた。
下山した一向は北に進むこと二日、さらにそこから西へと進路を変えて一日半。
日暮れ前には目的地である森国東部国境砦へと辿り着こうかという頃、それは一行の前に現れた。
「サシュティア殿下。前方になにか……あれは王軍の旗!?」
ラゼルディオが行軍する一行の足を止め、ようやくと見えてきたまともな街道のその途上、長い列を作りこちらの様子を窺う集団に目を凝らすと、その集団は確かに森国セルティアの王軍の御旗を掲げているではないか。
「あの旗を掲げるのが許されているのは陛下かエルディア兄上殿の軍のみ。どうやらこちらを警戒しているな。ラゼルディオ、数人連れて先行し、我らが友軍であると伝えよ」
「はっ。そこのお前とお前、ついて来い。行くぞ!」
王軍を刺激せぬようにサシュティア軍もまた歩みを止め、ラゼルディオがあちらに合流するのを待つ。
それに何があったのかとレイドがサシュティアの元へとやってくる。
「何かあったのか?」
「友軍だ。こちらを警戒しているのでラゼルディオを遣いに出した」
「なんで警戒されてるんだ? 王女サマなんだろ?」
「我らは作戦の都合上、旗を持っていない。それに、いま生き残っている兵の殆どは狼族ばかり。遠目では私たちが味方かどうか測りかねているのさ」
「そういうものか。お、ラゼルが戻ってきたな」
レイドが馴れ馴れしくサシュティアと接している間に王軍と接触したラゼルディオたちが戻る。
「サシュティア殿下。王軍を率いているのは森王陛下とエルディア王太子殿下でございます。こちらの事情を説明したところ、サシュティア殿下から詳しい話を聞きたいとのこと」
「……ちっ。よりにもよって父上と長兄殿どちらもか」
「サシュティア殿下?」
「あ、いや、すまない。そうか、わかった。陛下と兄上がお呼びならば仕方があるまい。全軍を進ませよ。レイド、お前は問題を起こさぬようにアリオスの元に戻っていろ」
「あいよ」
森王や王太子といった途端にあからさまに不機嫌そうな顔をしたサシュティアの取り繕うような様に、面倒事の気配を感じたレイドは素直に言うことを聞いて後方へ戻って行く。
普段は好き勝手に我が物顔で過ごしているくせに、こういう時には素直に従って自分だけ逃げるのだからラゼルディオからしたら恨めしいものである。
なぜ、自分だけ明らかに不穏な王女の元に残されなければならないのか。
ラゼルディオが内心で嘆息している間に、やがて一行は街道にて待ち構える王軍の元へと辿り着く。
「陛下、エルディア兄上、お久しぶりでございます」
「サシュティアか。遣いの者から話は聞いたが、先ほどのことは本当か? 国境砦のオセルノディアたちからはお前は消息不明と聞いていたが」
跪いて頭を垂れるサシュティアに、馬上から語り掛けるのは森国の王――アタラ=クラティア・セルティア――である。
サシュティアは「何が消息不明か」と内心で吐き捨てながら視線の先にある土を睨みつける。
「我らの軍は参謀キルディア殿の指示により、国境を南から迂回して少数の精鋭にて人国へ侵入。ナーガシオン将軍の合図に合わせ人国の左翼から奇襲を突くべく突撃したものの、我らが到着した時には既にオセルノディア兄上は撤退を済ませており、残っていたナーガシオン将軍の命により、我らが殿として敵将レミュエル・ニールを引き付けるために進軍。本隊の離脱が完了したのを見て、すぐさま撤退戦に移りましたが、被害は多く……奇襲部隊として編制された千の兵の生き残りは、ここに居る73名のみでございます」
「ふむ。オセルノディアから届いた封書には人国の英雄が現れたとあったが息子の方であったか。わざわざエルディアまで呼び戻し要塞の兵を連れて出たというのに……とんだ無駄足だったか」
「……無駄足、ですか?」
「ああそうだ。我らが狙いは憎きロンド・ニールただ一人。奴さえ討ち取れば人国などすぐに落としてくれるものを。たかが倅如きの為に応援を求めるなど。のう、エルディア。どうしてこう、お主以外の子らはこうも出来が悪いのだ。やはりお主に引き継いだ力が強すぎて他の者は不出来になってしまったのであろうか」
「……っ!」
この男――森王――はいったい今、どんな顔をしてこのような言葉を吐いているのであろうか。
国境砦の大将である第二王子オセルノディアと将軍であり第四王子ナーガシオンとその参謀であるキルディア。
奴らによってサシュティアの率いる軍は敵の中央に孤軍で突入し、千人いた仲間を百以下まで減らして這う這うの体になりながらここまで来たというのに。
生き残る為に人間の村で虐殺を行い、レイドに返り討ちにあった。
仲間の命を奪い、生き残った。
仲間の命を犠牲にして雇った男の指示に従い、人間の村を略奪した。
沐浴も水浴びもなく、泥と洞穴の腐った水に足を深々とつけながら、ごつごつと尖った岩の上を歩き、山を越え、ようやっと己の国に帰り着いたというのに。
ただの一言も自身の、自身の部下への労いの言葉もなく無駄足だったと言ったこの男は――!!
人国の英雄レミュエル・ニールに敗北したあの日から――いや、違う。
既に王位の継承者も決まり、各地方を治める兄姉たちが既に溢れているというのに、寿命を持たぬハイエルフの気まぐれに数十年か百年程度の間を設けて作られた娘。
そういう存在として生まれたその時から、サシュティアという女は父にとっても兄姉にとってもいつ死んでも構わない捨駒に過ぎないのだ。
この世に生を受けて僅か19年。
不死のハイエルフの中では赤子のような自分に、王族だからと宛てがわれた戦士たち。
父や兄に変わって戦う術を教えてくれた本当の家族のようだった仲間たち。
戦後の扱いに困り、押し付けられた身も心も傷だらけの狼族の奴隷たち。
死んでいった者たちを思えばいつだって怒りに身を任せて全てを呪い殺したくなる。
それを――どいつもこいつもっ!!
俯くままのサシュティアの瞳が震える。
アメジストのような紫の瞳が妖艶に――。
「――サティ」
「ひっ」
それは、とても小さな声だった。
街道を吹く風に簡単に吹き消されてしまいそうな優しく、首筋に寄り添うような冷たい声。
誰の声かなど、確かめなくともわかる。
先ほどから父王のそばで何も言わずにただじっと佇んでいたエルディアだ。
エルディアはハイエルフらしい長身で引き締まった体に、ハイエルフには珍しい短くそろえた金の髪。
瞳の色は――両目を塞ぐ封印の眼帯によって覆われており、いまは見ることはできない。
正しくは、エルディアの瞳の色はセルティアの誰もが知っている。
知らない者はいない程有名である。
しかし、その瞳を見たいと望む者はいない。
その瞳が露わになるときは、その場は戦場であると決まっているのだから。
サシュティアは、そんなエルディアのたった一言に震えた。
視られている。
封印の眼帯越しに、エルディアが自分を視ている。
ただ、それだけのことがとんでもなく恐ろしく、体が震えに波打ってしまわないかと焦燥し、動揺は鼓動を早め、脳の動きを鈍らせる。
だから、サシュティアはそれに気が付かなかった。
何かが風を切り、金属が砕ける激しい音が鳴り響き、やがて何かが地に落ちて砂が舞う。
「おい、てめえ。俺の雇い主になんていやらしい目をしてくれてんだぶち殺されてぇのか」
それは――赤茶色のくすんだ髪に、茜色の瞳をした大男――レイド・ニールが投じた剣がエルディアの槍の一振りで打ち砕かれた音だった。
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