第11話 召喚

「これはきみの新しい飼い犬かい? サティ」

「……え?」


 エルディアからの問い掛けに、いったい何が、と驚きサシュティアが顔を上げる。

 父王と長兄を前に顔をあげたのは、今回の対面でこれがはじめてのことだった。


「レイド? ――な、何をしている!? おまえにはアリオスたちとともにいるように言っておいたはずだ!」


 不敬。


 レイドがこの場に立っていることも。

 父王と王太子の面前でサシュティアがこのように声を荒げることも、不敬。


「俺は命令通りにしちゃいたが、あんたに敵意を持っている野郎がいるなら話は別だろ? 俺はあんたを助け、あんたは俺に金と身分を用意する。そのあんたに万が一でも死なれちゃ困るだろうが」


 敬意など、全て踏み潰して己の道理を貫く男が立っている。


「人間風情が、ハイエルフの王たる我の前に立つか。エルディアへの蛮行、その態度。我には余程死にたいようにしか思えんがなぁ」

「へ、陛下! その男は拾ったばかりの田舎者でして! まだ躾が行き届いておりませんで申し訳ございませんっ!!」

「不出来よのう。拾ったばかりの犬の躾もできない。こんな不器用な者が我の血を引いているとは誠に嘆かわしい。これではまるで父である我に問題があると、そう感じてしまうではないか」


 馬上からレイドとサシュティアを見下ろしながら、森王は白く伸びた髭を撫で付けながら嘆く。

 必死にとりなそうとしたサシュティアはその冷たい父王の言葉に肌が粟立ち身震いする。


「てめえもガキの躾ができてねぇ不出来な父親だってことじゃねーか。不出来同士でお似合いだよ爺さん」


 サシュティアに追い打ちをかけるかのように平然と森王に減らず口を叩いてくれるこの愚かな部下に対する苛立ちに眩暈を覚えてしまう。


「中々に肝は据わっているいるようではあるが、貴様。我への侮辱と先ほどの行為。その全てがセルティアへの反逆行為であると自覚はしておるか? 貴様がそこの不出来……娘に雇われているのであれば、目的の金も身分も我に逆らうというのであれば全て手に入る前に死ぬこととなるぞ」

「はっ。くだらねぇな、お前が誰であろうと、そっちの野郎がなんであろうと、契約は俺とこいつのもんだ。てめえらなんて端っから関係ねーんだよ。俺はこいつに手を出させねぇし、こいつは俺に報酬を払う。邪魔するならてめえらは俺の敵だ。てめえこそ死にたくなければ黙ってろ」

「頭の悪い犬程よく吠えよるわ……ならばこの場でその首斬り落としてくれよう……ぬぅっ!」

「言ったな?」


 レイドの口角が吊り上がる。

 互いが死を言葉にした時点でレイドにとってここは既に戦場だ。


 周囲のハイエルフの兵たちも警戒はしていたが、末端の王女の部下が王と王太子を殺そうと動き出すなどと心のどこかで油断をしていた。


 何より、森国に於いて最も強いハイエルフが王と王太子である。


 その二人を前に足が竦むこともなく動ける者がいるなどと同族であるハイエルフには想像さえもつかなかった。


 だからこそ、既にレイドは地を蹴り、右手の五指を獣のように開き、森王の顔を目掛けて飛び掛かってしまっていた。


「父上も仔犬と遊ぶのがお好きなようで」

「ちっ」


 レイドの破壊の力を込めた一撃は、森王との間に割って入った美しい銀の槍に防がれる。


「まさか飛び掛かって来るほど活きがいいとは思わなんだ。しかし、我が襲われたというのに動けた者がお主ひとりか。ああ、不出来。護衛も兵も皆不出来。我が躾がなっていなかったようであるなあ。貴様らァッ!!」


 森王の咆哮。

 突如響いた怒声には破壊の力が込められ、突風が吹き荒れる。


 それを合図に、冷や汗を垂らしながらも得物を抜いた森王の護衛たちがレイドを取り囲む。


「おうおう。ただの爺さんかと思えば、ビビりもしないどころか良い声出せんじゃねぇかよ」

「殺せ」


 森王の声を合図に、王の護衛たちが一斉に飛び掛かって来るのをレイドが迎え撃とうと身構えたその時。


 ぞくり。


 その場にいた誰もが心臓を鷲掴みにされたような痛みに身を竦める。


 目まぐるしく変わる状況に、言葉を挟む余裕もなくただ呆然としていたサシュティアもまた、その心を恐怖で押しつぶすような圧力に再び俯き、砂を眺める。


 平気な顔をしているのは馬上の森王と、圧力を受けながらも二足で地に立っているレイド。


 そして――封印の眼帯を外した王太子エルディア。


「父上。は彼らでは殺せませんよ。本気で殺せとご命令であれば僕でなければ反対に護衛の彼らの方が先に死んでしまうでしょう」

「……はぁ。それほどに不出来であるか。東部の要衝であるエスト要塞の精鋭と聞いておったのに。誠に遺憾であるな」

「帰る際には僕が立ち寄ってより厳しく訓練にあたるように指導をしておきましょう」

「おお、やってくれるか。手間をかけさせるな。エルディアよ」

「おい、てめえらいつまで人のこと無視してやがんだ。遊んでるなら先にあいつら殺しちまうぞ。それとも、そこのキラキラお目目ちゃんが遊んでくれるのかい?」

「へぇ。僕の目を直視できるのかい。けれど、きみはやはり父上の仰る通りに躾が足りないようだ」


 解かれた眼帯から露わになったのは緑色の燐光を放つ双眼。

 比喩ではない、星々のように強い光をその双眸から実際に放っている。


 体内に収まりきらない程の強い破壊の力が光となって世界に溶け出してしまうほどの、莫大な力。

 常人であればその光を視ているだけで敗北を認めて生存を諦めてしまう力。


 それを前にして、レイドは嗤う。


「ならあんたが躾とやらをしてくれよキラキラお目目ちゃん」

「父上、少々前に出ます」

「ふむ。ちょうど暇だったところだ。構わん」

「では……ついて来られるだろ?」

「上等ッ!」


 エルディアの馬の腹を蹴り、走り出す。

 周囲にそれを止める者はいない。

 森王以外、開眼されたエルディアの瞳の力の前に動くことも、口を開くことすら叶わないのだ。



 王軍とも、サシュティア軍とも距離を置き、二雄が見える。


「きみも少し離れていなさい」

「ヒヒン」


 エルディアに鬣を撫でられて機嫌が良さそうに、白馬が軽快な足音を残して離れていく。


「騎兵じゃねーのか?」

「教えてあげる必要があるかい?」

「知らない方が楽しみだ」

「ならその体で思う存分知れば良い」


 レイドはリオンから奪った剣を先ほどの投擲でエルディアに破壊されてしまっている。

 ハイエルフの細剣はラゼルディオに譲ってしまった。


 故に得物はない。


「だありゃあっ!!」

「本当に獣のようだね」

「うがぁっ!!」


 持って生まれた体と、母に育まれた大きさと、叔父に叩き込まれた動きだけがレイドの武器である。


 レイドが破壊の力を込めた拳を振るい、エルディアが守護の力を込めた槍を振るう。


 これまでその圧倒的な暴力で狼族の奴隷兵やボトルディオを圧倒し、幼い頃の兄弟弟子の腹を貫いたレイドの攻撃が、全て受け止められる。


「堅い槍だな」

「ハイエルフの銀で作られているからね」

「その銀なら見たことがある。そんな厄介な硬さじゃなかったぞ」

「武具に宿る力にも差はあるものさ。それに、使い手の力によっても威力も硬さも変わる。それくらいは知っているだろう?」

「知ってるからうぜえってんだよ!」


 何度打ち合おうと砕ける気配どころか、罅さえ入る様子もない。

 恐らくはボトルディオの細剣と同じ金属でできているであろう槍が壊せない。


 レイドはその事実に苛立ちを募らせ、そして飄々とこちら言葉に返事を返しながら全てを受け止めるこの男の異常なまでの守護の力の強さに、興奮する。


「あんた相手にならまだ上げても大丈夫そうだなァ」


 それはあの日、母の亡骸を見つけた時に芽生えた力。

 サシュティアの副官であり、撤退戦でレミュエル・ニールの軍勢から王女を守り抜いたハイエルフの英雄さえも戦慄させた力。


 滾り、沸く。

 熱が上がる。

 体から噴き出した汗が蒸気のように吹き上げる。


 燃える。


 瞳が、髪が、赤く、赤く、あの時目の当たりにした母の血のように赤く――。


「死ねェ」

「くっ――!!」


 レイドの拳を受け止めた衝撃が守護を貫き、エルディアの腕を痙攣させる。

 続く拳を躱すためにエルディアは槍を投げ捨て、距離を取る。


「手を離したなァ」

「燐……眼っ!?」


 それはレイドさえ自覚していなかった現象。

 あらゆる自制を捨て、自我の全てを殺意に委ねたその身に宿る暴力の顕現。


 僅かに漏れ出した赤き破壊の力が燐光となって瞳から漏れ出し、レイドが動く度に光が宙に線を引く。


「未完の器か」

「うおっ!?」


 まさにその力がエルディアに届かんとした刹那、レイドは何かに足を取られ想定外に距離を詰められずにエルディアを狙った拳が空を切る。


「蔓、だと? どこから!?」


 それは、突如として大地から生え出た無数の蔦がレイドの両脚を大地に縛り付け、いまにもそれは全身を覆い飲み込もうと体を上ってきているところであった。


「ぐっ、このっ、邪魔だぁっ!!」

「いくら千切ったところで無駄だよ。ひとつひとつは脆くとも、数千、数万、きみが諦めるまで無限にその蔦は生えてくる。きみが遊んでいる間に僕にはきみの首を手折ることも、胸を貫くこともできるんだ。こんな風にね」


 エルディアはそう言葉にすると、にこりと微笑む。


 エルディアの瞳から漏れた燐光が姿を変えて無から植物を生み出す。

 それは大樹の枝を研いだような鋭い槍の姿であったり、無数の蔦植物が絡みあって巨大な人間の腕のような形であったり。


「僕の破壊の力はね、きみのような白兵戦のための力じゃあないんだ。この力は召喚。今はお遊びだからこのくらいだけれど、僕はこの国最強の神獣召喚士。本来であれば何人もの召喚士の破壊の力を併せて生み出す神獣を僕ひとりで生み出せるんだ。すごいだろ?」


 神獣召喚――それは以前、ボトルディオから聞いた言葉であった。

 それがある限り、レイドには勝ち目が無いのだとあの男は言った。


 レイドは今まさに、その偉大な力の一端を目の当たりにしている。


「これはじゃあ、神獣ってやつじゃあないんだよな?」

「そうだね」

「だったら――」


 ――だったら、これはまだ負けちゃいけない相手だろうが。


「うがあああああああああっ!!」


 咆哮。

 森王の威厳を込めた言葉とは正反対の、言葉も思考も失った咆哮。


 我が身を侵さんとする敵の力を排除するために体の底から自分の外へと引き摺り出すための咆哮。


 膨れ上がった力が、肉を膨張させ、纏わりつく目障りな蔓を引き千切る。

 自由になった両の腕が指が、爪が、口が、歯が、千切る、引き千切る、噛み千切る。


「はぁ……はぁ……神獣とやらを出すんなら今のうちだぜ」

「これは驚いたな」


 驚きに目を見開いたエルディア。

 その瞳の動きに合わせて、数千の蔦で創り出された巨大な腕がレイドを襲う。


「うらあっ!」


 蔦の巨腕をレイドの拳が打ち砕く。


「があっ!」


 足元から棘のように飛び出してきた木の刃を蹴り砕き、エルディアの足元から次々に湧き出して来る植物の槍を、剣を、踏み砕く。


 そうして打ち砕かれた全ての植物が、再び絡み合い、新たな刃となり、拳となり、全方位からレイドを襲う。


 終わりのない闘い。

 召喚された植物たちは幾度でも甦り、形を変えて襲いかかるも、その全てはレイドに蹂躙される。


 しかし、レイドは全方位から襲い掛かるそれを打ち砕くためにエルディアへと近づくことができない。


 時間ばかりが過ぎていく。


「そろそろ頃合いだね。きみの力はもう充分にむこうの連中にも知れただろう。父上もわざわざきみを殺せとはもう言わないはずさ。あ、勿論きみとサティが逆らわない限りはね」

「あ?」


 レイドを襲っていた攻撃が止む。

 植物たちは地に落ち、土へ還っていく。


「きみを殺すのには手間が掛かるだろ? さっきも言った通り、僕は召喚士で、武闘派じゃないんだ。それに、僕らは一応、国境防衛の援軍として来ているんだ。これ以上時間を無駄にはできない。きみはサティの部下として戦争で使える駒だといまの戦いで証明することができた。サティもきみもこれで父上に殺されることはない。文句はないだろ?」

「……気に入らねぇ」

「気に入らなくとも受け入れろ。きみは僕に勝てる程強くない。サティを守るのが仕事だと言うのならば、今は僕に従った方がいい。きみはサティを守りたいんだろう?」

「俺が守るのは契約だ。あいつを守るのはそういう契約だからだ。ああ、だからそうだ、仕方ねえ、あんたのことは気に入らないが、契約を守るためには確かにあんたの言う通りにするべきだ。気に入らねぇが」

「……不思議な人間だなきみは。理性がないのかと思えば、合理的な判断が出来ない訳でもない。まあいいさ、この先の戦争で生き残り功績を上げたまえ。生き残って上に登ってくればいい。やがて僕はこの国の王となる。きみが登ってくるというのなら、その時にまた会うだろう」

「ちっ」


 エルディアは衣嚢いのうにしまっていた眼帯を取り出すと両目を覆い、闘いの終わりを察してやってきた白馬に跨り、先に隊列へと戻って行った。


 レイドはその後ろに舌打ちし、この世界に己を生んだ偉大な母の存在を記憶させるために、超えるべき新たな壁の存在を睨みつけていた。

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