第3話 退路は既になく

「もう、うるさいわね。なにを朝から大声出しているのよ」


 突如俺の前に現れた謎の女。

 ステラと名乗った目の前の人物は、不満気な様子を見せている。


「いや、こんなの叫ばずにいられるか! 契約? 勇者の血筋? 悪いが、本当に何もかもが意味不明なんだよ! ただでさえ寝起きの頭で混乱しているっていうのに、もう頭がパンクしそうだ……。というかまず、俺の上からどいてくれないか?」


 なんだかとてつもないことが起きようとしているみたいだが、こんな状態ではまともな会話にもならない。


「それもそうね。よっ」


 彼女はベッドの上から軽やかに飛び降りる。

 それを見届けた俺は、続けてベッドから体を起こした。


 俺は少し落ち着いてきた頭で改めてステラを観察する。


「……、可愛い」


 ボソッと口から出た感想。


 はっ!

 何を考えているんだ俺は!

 無意識の内に見惚れてしまっていた。


 いや、分かってはいるんだ。

 もっと他に気にすることがあるなんてことは。

 でも仕方ないじゃないか。

 我ながら、こんな状況でその感想が真っ先に出てくる自分をどうかと思う。


 どうしよう、ちょっと緊張してきたかもしれない。


 コンコン


 そんなバカみたいなことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。


「兄さん、大丈夫? 叫び声みたいなのが聞こえてきたけど」


 やってきたのは今度こそ詩織。

 俺の大声を聞いて心配してくれたようだ。


 ん? 詩織?


 俺は今の状況を客観視する。


「?」


 目の前には不思議そうな表情を浮かべたステラ。


「――っ!?」


 まずい! これはまずいって!

 考え得る限り最悪の状況だ。

 数秒先の未来で、俺は生きていられるだろうか。


「詩織っ! ちょっとまっ――」


 ガチャリ


 俺の静止の声は届かず、無慈悲にも開けられる自室の扉地獄の門

 予想通り現れたのは、俺と同じ黒色の髪を腰当たりまで伸ばしている我が自慢の妹。


「兄さん? 一体なに……が、――は?」


「ひえっ」


 ステラを認識した瞬間、詩織から漏れ出た底冷えするほどの殺気


「ち、違うんだ! 詩織、まずは落ち着いてお兄ちゃんの話を……」


「兄さん」


「はいっ!」


 その端正な顔から発せられる有無を言わさぬ迫力。

 お兄ちゃん、詩織のこと一歳下とは思えないよ。


 詩織は、努めて冷静な口調で俺に問いかける。


「兄さん。うん。私は今、とても落ち着いているよ。家族だもん。私は兄さんのことを信じてる」


「し、しおりぃ~」


 俺の瞳には安堵でうっすらと涙が浮かんでいる。


 俺も信じていたさ、兄妹の絆ってやつを。

 きっと、俺たちは通じ合ってるって。


「だから兄さん。明確かつ端的に答えて」


「ん?」


 あれ? おかしいな。

 なんだか詩織の様子が……。


「その女、誰?」


「あっ――」


 その時、俺の脳裏に蘇るこれまでの思い出。


 終わった。

 終わりました。


 俺の右前方には、いまだ余裕そうな様子のステラ爆弾

 左前方には、目のハイライトが消え感情も失った様子の詩織処刑人


 俺はまさしく、処刑台にのぼった罪人のような気分だ。

 俺は自分の運命を受け入れそっと目を閉じた。


 と、


「まったく。こんなことで残り少ない魔力を使いたくはないのだけど……。仕方ないわね」


 突然聞こえた魔力とかいうファンタジーワードに思わず目を開ける。


「そこのあなた。こっちを向きなさい」


 ステラが詩織に話しかけた。


「ば、バカっ! お前――」


 何を考えているのか分からないステラの行動に緊張が走る。


「……、なんですか。今私は兄さんと話をしているんですが」


 案の定、詩織のご機嫌メーターの値がみるみると下がっていく。

 ステラはそんな詩織の様子を一切気にせず、


「私の声をよく聞きなさい。『あなたは何も知らない。何も見ていないし聞いてもいない』」


 なっ!? バカなのかあいつは!


 俺の動揺は止まらない。


 どんな誤魔化し方だよ!

 今さらそんなゴリ押しで上手くいくわけ――。


「『私は何も知らない。何も見ていないし聞いてもいない』」


 そう復唱したのは詩織だ。


「え?」


 俺の予想とは真反対の事態。

 俺の理解が追いつく前に、ステラが続ける。


「さあ、分かったのならさっさと行きなさい」


「……、はい」


 詩織はそのまま何事もなかったかのように俺の部屋から出て行った。


「な、なんだよこれ。一体何が……」


「何って、ちょっとした催眠の魔法よ」


「催眠!? それって大丈夫なのかよ」


「安心しなさい。後遺症が残るほどの強い催眠はかけていないから。でも、想定より簡単にかかったわね。彼女も勇者の血筋だから、もっと抵抗されるものと思っていたのだけど……。というか、あなたからもほとんど魔力を感じないし。どこからどう見ても鍛えられた勇者には見えないし。どうなっているの? 説明しなさい」


「それはこっちのセリフだよ!」


 勢いでつっこんでしまった。


「どうやら、一度きちんとした情報交換の必要があるみたいね。少しくらいなら待ってあげるから、準備をしてきなさい。いつまでも寝間着のままじゃしまらないわ」


 今日、普通に学校あるんですが……。


 喉元まで出かかった言葉をぐっと抑える。


 きっと、目の前の人物にそんなことを言っても無駄だろう。

 それに、こんな状況じゃ気になってまともに授業なんか聞けるわけがない。


 俺は指針を決める。


「ああ、分かったよ。ちょっと待っていてくれ」


 ステラの提案を素直に受け入れることにした俺は、一階のリビングへと向かう。


 結果として、俺は今日初めて学校をさぼることになったのだ。

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